第7話:お邪魔虫
「……待って、ネロ」
「あっ、そんな!? アルマ様ぁ!?」
唇を重ねるその寸前、愛しい人が僕の腕の中から逃れ出た。
突然のお預けに情けない声を出してしまう僕だったが、アルマ様が妙に険しい表情で空を見上げている事に気が付き周囲の異常をようやく理解した。
夏がほど近い時期だというのに、いつの間にか周囲の気温が肌寒いほどに低下しているのだ。加えて天候もおかしい。山の上には雷鳴が鳴り響く暗雲が立ち込め、今から竜巻でも発生するのではないかと勘繰る程に渦巻いている。
パラス達と戦っている時は晴れた青空が広がっていたというのに、気が付けば嵐の訪れを感じさせるような悪天候が広がっているのだ。タイミングがタイミングなので、恐らくアルマ様は新手の登場を警戒しているのだろう。
「あの野郎……」
しかし僕はこれがそういう物では無い事を知っていたため、大きくため息を零して肩を落とす他に無かった。
その直後――ズガアアァァァンッ! 上空に広がる黒雲から、僕らの眼前に一条の稲妻が降り注いだ。轟音と白光が周囲の全てを染め上げ、しばし音も光も認識できなくなってしまう。
徐々に世界に音と光が戻ってくると、雷が落ちた所には小柄な人影が立っているのが見えた。何度か瞬きをすれば、その人影は煩わしいくらいに鮮明に映る。ああ、やはりコイツか。この野郎ふざけやがって。
「――フハハハハッ! 我、盟友の元に参上っ!!」
無駄にアグレッシブなポーズと高笑いを決めるその人影は、魔法使いのローブに身を包んだ小柄な兎獣人の少女。煌めく銀髪と苺色の瞳が眩しい、そして左腕の包帯と右目の眼帯が大いに目を引くある種の病気持ち――僕の親友、シエル・ドミナシオンその人だった。
「……はい?」
思ったのと違う感じの奴が現れたせいか、アルマ様は小首を傾げていた。
しかしそれも仕方ない。また狂信者の類の新手が現れ攻撃を仕掛けて来るかと思いきや、実に痛い格好の少女が誇らしげな笑顔で現れ、欠片の敵意も無くポーズを決めているのだから。
とりあえずアルマ様が警戒を解いている辺り、シエルまでもパラスに憑依されているわけではないようだ。なので僕は安心してシエルにズカズカと近付いて行った。
「フンッ!」
「痛いっ!? 何でいきなり手刀!?」
そしてウサミミとウサミミの間に渾身の手刀を振り下ろす。途端にシエルは涙目になって頭の天辺を押さえ、非難がましく僕を睨んでくる。
うん、いつものシエルの反応だな。パラスにこんな涙腺の緩い演技は出来ないだろう。思い出してみると、僕を誘い出した幼女の時でさえ涙は零れていなかった気がする。
「とりあえず上の雲を何とかしろ。登場シーンのために天候を変えるな」
「ううっ、分かったぁ……」
僕がそう指示すると、シエルは涙目で空に広がる黒雲に視線を向ける。瞬間、雷鳴轟く黒雲は発達の過程を高速で辿るように戻り、やがて山の上には晴れ渡る青空が戻ってきた。周囲の気温も初夏の暖かい物へと戻り、嵐の直前のようだった冷たさは完全に消え失せていた。
これぞシエルの魔法。自在に天候や気象に拘わる事象を操る、四大魔法に勝るとも劣らない稀有で凄まじい力を持った魔法――天候魔法だ。雨を呼び寄せ、風を操り空を飛び、雷鳴を轟かせ、雹を降らせる空の神とも言える力。
しかし当人はカッコいい登場シーンを演出するためにその力を乱用しがちなので、眼帯や左腕の包帯も相まって非常に残念な奴である。
「それで今日このタイミングで一体何の用だ? くだらない用事だったら張り倒すぞ」
「ククッ、そんなもの決まっておろう? 本日は『氷雨のテンペスター』の最新刊発売日だぞ。また学生時代のように共に読みつつ語り合おうと思ってな。どうせ貴様もすでに確保しているのだろう?」
「ああ、それか。すまないが今日は遠慮してくれ。今はちょっと狙いすましたようなタイミングで邪魔されて殺意が湧いてるからな……」
「何で!? 私、そんなに嫌なタイミングで来ちゃった!?」
誇らし気に笑った直後、ショックを受けた様に再び涙ぐむシエル。
お前が来なければ僕はアルマ様とロマンチックなキスが出来ていたんだぞ、チクショウ。悪気が無いのでさすがにあまり責める事は出来ないが。
「……ネロ、コイツ誰?」
などと思っていると、背後からやたらに冷たい声をかけられる。振り向けばそこに立っているのはアルマ様。妙に感情の無い無機質な表情を浮かべているのは何故だろうか。
それに何だか猫尻尾がご機嫌斜めに揺れている感じだ。そういえば自己紹介もせずに話し込んでしまっていたな。
「こちらは僕の学友であり、また親友でもある魔法使い。シエル・ドミナシオンと申します。シエル、挨拶しろ。丁寧にな」
「お初にお目にかかる、アルマ・コラソン魔法伯殿。我が名はシエル・ドミナシオン。<グランシャリオ>第六位ソティラス様の弟子にして、ネロ・アグノスの魂の友である!」
「魂の友ぉ……?」
「うむ、その通り! 我とネロは盟友なのだ! 魂で結ばれた仲なのだ!」
「あ?」
シエルの発言に何やらアルマ様のご機嫌が急降下する。無の極みだった表情は明確に不機嫌になり、かなり不快そうなお声を零している。
やはりシエルのキャラはあまり好まれないか。しかしこのキャラは単なる趣味嗜好では無く、魔法使いとしての意志の固さに根差す大切な物だ。止めさせるのは色々な意味で難しい。僕からアルマ様への愛を取り除く事が出来ないのと同じだ。
「まあ、来てくれたのは嬉しいが今日は帰った方が良いぞ。一応片付いたとはいえ、こっちは色々面倒な事があったからな」
「うん? 何かあったのか?」
「早い話が、アルマ様を狙った不届き者たちによる襲撃だ。何とか撃退出来たがな」
「なっ!? しゅ、襲撃!? ネロ大丈夫!? 怪我は無い!?」
「あぁ?」
顔色を変え涙ぐみながら、僕に抱き着くように縋りついてくるシエル。そしてまたしても冷たいお声を零すアルマ様。見れば妙に険しいお顔でシエルを睨んでいる。
もしやこれは焼きもちか? その割には何だか特有の可愛らしさが無いような気もする。いや、アルマ様は元から可愛らしいから目立たないだけか?
「ああ、大丈夫だ。アルマ様と力を合わせて撃退した。怪我も――無い」
「そっか、良かったぁ……!」
「………………」
さりげなく身体から引き剥がしつつ答えると、シエルは胸を撫で下ろし安堵の笑みを浮かべた。本当は自分で自分の心臓を弾けさせたので怪我どころではないが、まあそれはアルマ様が治療してくださったので無かった事にして良いだろう。
というかアルマ様、何やらぞっとするくらい冷たい目でシエルを見ているぞ。頬が赤いとかそういうのは一切無い。本当にこれは焼きもちなのか……?
「だから僕たちは報告や後始末などで事後処理が面倒になる。ここにいると事情聴取にお前も巻き込まれるだろう。来て早々で悪いが、早く帰った方が良い」
「ククッ、見損なうな! 我が盟友が困っているというのに、力を貸さぬ我ではないぞ! 我も最後まで付き合おう! 盟友の助けになる事こそ、我が喜びなのだからな!」
「良いのか? それは助かる。ありがとう」
「ククク! どういたしてましてだ!」
涙の痕が残る面差しでカッコよさげに言い放つシエルに対し、僕は感謝の念を捧げた。
キスシーンを邪魔されたのは正直腹が立ったが、コイツがいてくれると色々な意味で心強い。なるべく人と拘わりたくないアルマ様が事件の当事者な以上、下手をすると国への報告や事情聴取で僕だけが話す事になりかねないからな。頼れる親友がいてくれると精神的にも大助かりだ。
「……ネロ」
「はい? 何でしょう、アルマ様?」
などとシエルと笑い合っていると、唐突にアルマ様が小さく声をかけてくる。
一瞬凄まじく濁った眼をしているように見えたが、一度瞬きをした後にはいつもの綺麗で美しい青緑の瞳になっていた。きっと先程までの様子のせいで見間違えたのだろう。
「……いや、やっぱ良いわ。後で話すから。それよりも早く国に今回の件を報告しないといけないわね。とりあえず奴らの死体を憲兵の所にでも持って行きましょ」
「そうですね。面倒事は早く終わらせてしまいましょう」
「そうとも! 読書の時間を作るため、我らの力を合わせ手早く終わらせるぞ!」
その後、僕たちは一致団結して今回の件の処理や報告に動いた。
しかし、アルマ様は結局僕に何が言いたかったのだろう。まさか自分以外の女と仲良くするな、などと言いたかったわけではないとは思うが、その真意は分からない。
とはいえ恋人が他の異性とくっついていたら誰だって良い気はしないだろう。とりあえずあまりシエルがくっついてこないように注意しておくか。せっかく想い人と結ばれるというハッピーエンドを迎えたのだ。それをひっくり返すようなエピローグなんて心底御免だからな。
------------------------------------------------------------------------------------------------
1章以来の登場のシエル。その強力な魔法も明かされましたが、次のお話がエピローグなので出番も発展も無いです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます