第3話 囮の務め

 待てど暮らせど、王都への列は動く気配がなかった。

 入城を待っていると言うわけでは無さそうだった。

 考えてみれば見渡す限り荷を下ろし、野営しようとしている姿が少なくない。

 まるでこうするのがお決まりのように、誰も列が動かないことに不平を漏らしさえしない。


「王都で何が起きているんだ?」


 薪集めから戻ってきたばかりの若い女性にアレックが訊ねると、呆れたような顔でこう答えた。


「城門が開くのを待ってるのさ」

「常に開放されているはずだが」

「いつのことを言っているのか知らないけど、月に一度しか開かないんだよ」と、女性は両目をぐるりと回して呆れた顔をした。「王様は良いご身分だね。勝手に魔法を禁止されてこっちは困ってんだ。モンスターが出て人も食われてるってのに、自分だけ安全な塀の中に引きこもっちまってさ」

「モンスターはいつから出るようになったんだ?」

「王が勇者を追放してからだよ。それから昼夜問わず、気の向くまま出入りしてるさ。たまったもんじゃないよ」

「ここで野宿するつもりか?」

「家が焼けちまったんだから仕方ないだろう」そう言って、女性は薪を並べる手を止めた。「だからこうして壁に囲まれた王都に入れてもらおうとしてるのさ。もっとも、王様は対策を講じる気なんてさらさらないようだけど。あたいらにできるのは火を焚くことだけさ」


 そう言って、女性は王都をにらみつけた。

 アレックにはその不満が自分に向けられているかのように感じられた。


 父や母、宰相のヴィクトルらが対策を講じていないとは思えない。

 それに民衆を守るのが王国騎士団の務めであるというのに、このような場所に民衆をモンスターの手に触れられるようにしているのには疑問を抱かずにはいられなかった。


 アレックは、隣で不安そうな顔をしているオスカーに気づくと、自分を鼓舞する意味でも大きく頷いた。


「俺も薪を集めてこよう。縄をほどいてくれ」


 そう言ったアレックを、荷車の荷台でカードゲームに興じていた男たちのうち、口ひげが鼻で笑い飛ばした。


「何言ってんだ。逃げようったってそうはさせねえよ。お前はグールが出たときの囮にするんだ」


 アレックの知っているグールは、墓場で屍肉を漁る四足歩行のモンスターだ。

 犬のように長い口吻に、鋭い牙と爪を持ち、成長した個体は雌雄どちらも後ろ足で立つと成人男性ほどの背丈になる。

 嗅覚に優れ、とりわけ血の臭いは目ざとく嗅ぎ分ける。

 体毛は薄く、温暖な地域に住んでいるため、夏でもコートを羽織る日のある王国内にはまずいない。


「出るのか?」


 アレックが聞くと、別の男がカードを切りながら呆れたように笑った。


「出るのかだってさ。聞いたか?」

「会いたいなら火を消して大人しくしてな。そうすりゃ起きることなくそのままあの世だぜ」

「昨日も一人食われたな」

「ここんとこ日常茶飯事だぜ。かかあの顔より見てるかもな」

「お前のかかあは連中にそっくりだからな。入れ替わっててもわかりゃしねえ」

「何だとこの野郎!」


 とカードゲームに負けた腹いせか、それともこの生活への不満のせいか、言い合いがはじまった。

 男たちの争いを眺めながら、アレックはほとんど無意識にこう呟いていた。


「なぜ戦わないんだ?」


 男たちはぴたりと動きを止め、馬鹿馬鹿しいとでも言わんばかりにため息をついた。

 それまで黙ってアレックと男たちのやり取りを見ていた、農場主と名乗っていた男が口を挟んだ。


「魔法が使えないんだ。どうやって太刀打ちしろと言うのかね」男はそう言いながら、アレックの正面に腰を下ろした。男のベルトにアレックの持ってきた剣が差してあった。「我々は皆剣の振り方さえ知らないのだ。ある日魔法が禁止され、モンスターが村を襲うようになった。剣の振り方を知っている者たちは、とうに殺されてしまったんだ」

「事情も知らずに済まない」と、アレックは男を見上げた。「だが、やられっぱなしでは――」

「だからこそだ。きみのような囮が必要なのだよ」


 農場主はにっこりと微笑むと、まるで頼み事でもするかのようにアレックの肩を二度叩いた。

 果物が腐敗するように、男が触れた箇所から卑怯な気持ちを引き起こさせる何かが広がるような感覚がした。アレックは突発的に熱い血が流れるのを感じた。

 これがローメリス王国の民とは。

 アレックは男の顔をにらみ上げたかと思うと、その顔目がけて頭突きをしていた。

 農場主は尻餅をつき、起き上がった時には鼻を押さえていた。指の間から赤い血が流れるのが見えた。


「貴様、自分がどういう状況にいるのかわかっているのか?」

「やられっぱなしで構わないと言ったのはお前の方だ。やり返す度胸があるのなら見せてみろ。俺はここにいるぞ」


 アレックは農場主を見上げて啖呵を切ったが、隣でオスカーが首を振っていた。

 ならず者の作法は王宮育ちのアレックより、路地裏で散々揉まれてきたオスカーの方が詳しい。

 オスカーの予想通り、アレックは農場主の取り巻きたちに殴る蹴るの報復を受けることとなった。

 不幸中の幸いがあるとすれば、そこにサイクロプスのグローが加わらなかったことである。

 グローの心中はわからないが、雇い主である農場主がアレックに頭突きされようと、農場主を守ろうと思わなかったのは確かなのだ。



  * * * * *  



 アレックの縛られた手の感覚がなくなった頃、人々が食事の支度をし始めた。

 アレックとオスカーのすぐそばの焚き火でも調理がはじまった。

 チーズや干し肉をあぶるだけだがそれだけでも良い香りが漂ってくる。

 いつから囓っているのか、林檎を少しずつ食べている者もいる。


 ヴェルニア大公国での朝食を最後に食事をしていなかった。

 アレックとオスカーの腹の虫がいかに鳴こうとも、食事を恵んでくれる人は一人もいなかった。

 食事を得たサイクロプスのグローが何か言いたげにアレックたちの方を見ていたが、雇い主である農場主が施しを与えることを固く禁じていた。

 日頃からきつく言いつけらているようで、グローは一度叱られると言いつけを破ろうとはしなかった。


 次第に日が暮れ、灯りは焚き火や松明のみとなっていった。燃料も限られているに違いない。

 アレックがすぐ隣にいるオスカーの姿もはっきりと識別できないほど暗くなるまでに、そう時間はかからなかった。

 やがてどこからともなく寝息が聞こえてくる。


 オスカーが眠っても、アレックは眠りにつけなかった。

 なにしろグールが出るのだ。おちおち眠っているわけにはいかない。背を預け合うのは何か起きたときに守れるようにしておくためだった。

 とはいえ、両手を縛られていては守れるものも守れないかもしれないが。

 しかし突然の旅に、空腹である。

 アレックの神経が限られた時間で体力を回復させようと、彼を眠りに誘った。


 どれくらい眠っていただろう。

 誰かが水を啜る音でアレックは目を覚ました。

 生暖かい、生臭い息が顔に吐きかけられていることに気づいた。

 アレックは指先一つ動かさないよう心がけた。

 目を開けずとも、どのみち暗闇に違いない。

 何が起きているかを確認するよりも、感じ取り、適切な行動を取るべきだと判断したからだ。


 やがて熊のような荒い鼻息が聞こえてきた。

 悪い想像が当たってしまったらしい。

 アレックの顔の匂いを嗅いでいたソレは、得るものがないと判断したのか遠ざかっていった。


 アレックは背中にオスカーの気配を探した。

 背に頭を預け、規則的な呼吸をしている。

 従者の無事を確認し、アレックはひとまず胸をなで下ろした。

 薄目を開けて周囲を確認してみるが、焚き火はくすぶる程度になっていた。

 アレックは何か行動を起こそうと思ったが、土の上で寝る術など心得ているはずもなく、全身が痛かった。

 農場主の取り巻きたちによる暴力の名残もある。


 アレックが声を上げないように上体を起こしたとき二メートルほど離れた荷車の上から水音がすることに気づいてぞっとした。

 農場主の眠っているところだ。

 同じ所から力のない小さなうめき声が聞こえてくる。

 誰かが食べられていると判断するのは、早計ではないだろう。

 グールに違いない。


 全神経が逃げろと叫んでいたが、アレックの両足はその場から動こうとしなかった。

 逃げたところで何になるというのだ。

 民あっての王族ではないか。

 ここでするべきことは民を守ることだ。

 しかし動こうにも綱が邪魔をしていた。


「グロー、綱を放すんだ」

「ご主人様、言った、手綱放すな」


 グローが大きな声を出したため、周囲で眠っていた人たちが何事かと目を覚ました。

 寝ぼけた声が止み、次第に小さな動揺が広がっていく。

 グールのひと噛みは人の腕など容易く折るほどの威力がある。

 時間がなかった。

 アレックはわざと声を張り上げた。


「火を熾せ、灯りが必要だ! ここにグールがいる。俺から取り上げた剣をここへ持ってこい」そしてグローに向き直った。「俺に協力してくれ」

「できない」


 食事に夢中だったはずのグールが騒ぎに気づいたのか、食事を中断した。

 新月のため、行動までははっきりとわからないが、様子を確認するように二、三度周囲の匂いを嗅ぐ音が聞こえてきた。

 やがて荷車から降りる音がした。


「グロー、頼む。このままじゃまた誰か死ぬんだ」


 その時、グールが最も騒ぎの大きいアレックたちの方へ駆け寄ってきた。

 周囲を嗅ぎ回りながら、グールは慎重に獲物を定めている。

 ある瞬間、グールは唸り声を上げてアレックとグローに飛びかかった。

 グローはその場にしゃがみ込み、自分の身を守るため咄嗟に手綱を手放した。

 真っ先にその場から駆け出したのはオスカーで、思わず悲鳴を上げたがすぐさま両手で口を塞いだ。

 動くオスカーを追おうとしたグールに、アレックは傍にあった薪を投げつけた。


 いくら騎士を志していたとしても、アレックが敵意を持ったモンスターと退治するのはこれがはじめてだった。

 頭で何か策を練るよりも、先に体が動いていた。

 アレックは丸腰で、おまけに手綱から解放されたとはいえ、まだ両手が縛られている。


 グールは大きな口を開けてアレックに飛びかかった。

 グールはその大きさ故に兎ほど俊敏ではない。

 攻撃をよけることはできるものの、衣服の一部が噛み切られ、すんでのところでかわす場面が多かった。

 アレックはそのたびに肝を冷やした。

 次第に息が上がっているのは運動だけが理由ではない。

 恐怖と直面しているからだった。

 アレックの周囲には松明の明かりが増えていた。

 住む場所を追われ、王都への避難を望んだ民たちが、灯りを手にアレックとグールの一騎打ちを見守っていた。

 負ければ、彼らのうち誰かが餌食になるだろう。

 アレックは何が何でもグールに勝たなければいけなかった。

 負けるわけにはいかなかった。


 その時、オスカーが叫んだ。


「アレック様!」


 叫んだと同時に、アレックの元に鈍い銀色が飛んできた。

 地面に突き刺さったのはローメリス王国の紋章が彫刻された朱色の鞘――アレックが持ってきた剣である。

 アレックはすぐさま柄を握った。

 神官になるよう命じられても、ヴェルニア大公国でいかに神官修行が過酷であろうと、剣を握らなかった日は一日たりとも無い。

 迫るグールの脳天を目がけて鞘を振り下ろすと、両手が痺れるほどの衝撃があった。

 グールがよろめくと、民衆がワッと声を上げた。


「アレック様、すぐに縄を解きます」と、駆け寄ってきたオスカーがアレックの手首に手を伸ばそうとした。

「いや、まだだ。それより鞘から引き抜いてくれ」


 オスカーはアレックの言うとおりにした。

 アレックはこの場でグールを倒すべきか考えた。

 血の臭いを嗅ぎ分けるとあれば、ここで倒しては別のグールを呼び寄せかねない。

 アレックの記憶が正しければ、ここから西へ一キロメートルも満たない場所に森があった。

 体勢を立て直したグールはアレックを敵と認識し、襲いかかろうと地面を蹴った。

 アレックは疲れた体に鞭を打ち、声を張り上げた。


「俺が囮になる。灯りが必要だ! 命知らずな者はついてこい! それ以外の者はその隙に立て直し次に備えよ」


 はじめは「逃げたところで」とか「どうせ食べられる」と消極的なざわめきがあった。

 しかしやがて「俺も囮になる」「俺の焚き火はまだ火が残ってるぞ」といった声も上がり、それを皮切りに、少しずつ冷静さを取り戻していった。


 十分も走らないうちに西側に森が見えた。

 そこへ引きつければ、王都への行列はひとまず難を逃れられるだろう。

 その後のことは考えていなかった。

 灯りのない新月なのが悔やまれたが、アレックの頭の中にはローメリス王国の地理が入っている。


 志願者の攻撃もあって、アレックがグールの追撃から逃れていると、「頼んだぞ」と声を掛けられ、手の縄が解かれた。

 アレックは鞘を腰のベルトに差し、剣を抜いた。

 幅広で両刃のまっすぐな刀身は、志願者たちの松明の灯りを反射して輝いている。

 アレックは刀身に写る自分の快晴の日の海原のような色をした瞳をのぞき込んだ。

 父と兄と同じ色の瞳である。

 いま自分が背負っているのは自分の命だけではないのだ。

 アレックは心の中で改めて言い聞かせた。


 アレックは足を止め、剣を構えた。

 グールに向き直ったとき、妙に気持ちが落ち着いていることに気づいた。

 先ほどの経験からか、グールはアレックと向き合うのを避けた。

 アレックの斜め前方から様子を窺っている。


 そうして対峙したまま何度呼吸をしたかわからない。

 アレックが大きく息を吸ったとき、グールは腹が地面につくほど伏した状態から飛びかかった。

 鋭い爪と牙を避けることなく剣の柄で受け止めたのは、治癒魔法を想定していたからだった。

 爪が前腕に突き刺さり、剣を握る指先にグールの牙が食い込んだ。


「――ッ……!」


 しかしアレックは怯むことなく、そのまま一歩踏み込んだ。

 グールの懐に入った。

 飛びかかったことでグールの脇腹はがら空きだった。

 アレックは剣をいなすと、返す刀でグールの腹から尻を目がけて突き刺した。

 唸り声を上げながら横へ切り裂くと、流石にグールは起き上がれなかった。


 書物に拠れば、グールには強力な治癒能力があるため、どんな致命傷でも二日もすれば元通りになるという。

 殺す方法は首と胴体を切り離すことだという。

 アレックは躊躇った。

 王国内で魔法さえ使えるようになれば、本来の棲息域から出てくることもないだろう。

 王命に翻弄されただけではないのか。

 それを殺す権利が自分にあるのだろうか。

 しかしここで確実に仕留めなければ、また王都の行列は襲撃されるだろう。

 グローの雇い主である農場主も、おそらく食われている。

 俺がとどめを刺さなければいけない――。


 アレックがグールの首に剣を振り下ろそうとしたとき、何かが飛んできた。

 続けざまに四発飛んできた。

 アレックは襲撃かと身構えたが、それっきりだった。

 グールを見ると、首と胴が分かれていた。


「フィオラ、脅威は去ったようだ」


 と、茂みの奥から松明を掲げた二人組のうち、背の高い男性が後方に向かって声を掛けた。

 無数の松明の明かりが森の奥から近づいてきた。

 アレックは松明の一行に囲まれていることに気づいた。

 夕暮れのような明るさだった。

 暗闇に慣れていたアレックの目には眩しく、顔の前に片手を挙げても緩和することは出来なかった。


「アレック様、無事ですか!」と、遅れてやって来たオスカーが息も切れ切れに駆け寄ってきたが、異様な状況に気づきアレックを見上げた。「彼らは一体何者ですか?」

「さあ、俺にもわからない」


 松明の中から一人の女性がアレックたちの方へ歩み寄ってきた。

 身に纏っている白いローブには、独特な柄の刺繍が施されていた。ローメリス王国国内でも司祭職のみが身につけることを許されている柄である。

 ここが森の中でなければ、厳かな儀式の最中であるかのような印象を受けた。


 女性は頭部を覆っていたローブを脱ぎ、豊かな赤毛と色白の素顔を晒してみせた。

 耳が隠れているためエルフか人間か断定できないが、人間でいうなら三十を過ぎたばかりといったところだろう。


「グール相手に大したものだわ。手当をするわ。ついていらっしゃい」

「俺たちはあなた方の素性も知らない――」


 そう言いかけたアレックの言葉を女性は遮った。微笑みこそたたえているが、有無を言わせない眼差しだった。


「――グールに噛まれたのよ。手当が必要だわ。そうでしょう?」


 指摘され、ようやくアレックは噛まれた右手が腫れていることに気づいた。

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第二王子の俺は王命「魔法禁止&勇者追放」を撤回するため即位することにした くるぶしや @kiiti14n

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