第2話 王都への道

 男性しか王公的な軍事参加ができないローメリス王国とは違い、ヴェルニア大公国では女性のドラゴン使いも多い。ヴェルニア大公国のワイバーン御者ギールもその一人だった。ドラコニア大公が直々に指名しただけあり腕は確かで、ワイバーンは手足のように自在に動いた。


 ギールの操るワイバーンの背に備え付けられた籠は、成人男性が二人乗れる程度には広く、アレックとオスカーはそこに乗り込んだ。ワイバーンが左右のバランスを崩すため、籠から身を乗り出してはいけないと説明を受けていた。しかしローメリス王国宮殿の最も高い塔を見下ろすほど高いそこからの眺めは、アレックにとってはじめて目にする光景だった。馴染みのあるヴェルニア大公国の広場や礼拝堂の屋根は、昼前の太陽の光を浴びて輝いている。葺かれた屋根はドラゴンの鱗のような形をしていた。


 王都の白い外壁が見えてくると、ギールは独特な口笛を吹いた。音を聞き分けたワイバーンは、僅かに翼を動かして徐々に高度を下げていく。

 目指しているのは王都から四キロメートルほど離れた平原だった。


「許可証がありませんので」とギールは後方にいるアレックに向かって声を張り上げた。「これ以上王都へは近づけません。どうかお許しを」


 目と鼻の先にある王都郊外の村は、どの家の煙突も煙がなかった。王都の方へ目をやると、王都へ続く大通りに見覚えのない模様が見えた。それが長蛇の列であることに気付いた時、アレックはぎょっとした。

 このような列はキーラン一行の凱旋式のほかに思い出せなかった。

 何か悪いことが起きているのは直感的にわかった。


 ワイバーンは高度を下げ、翼はやがて地面と平行になっていく。

 多少着地の衝撃があったものの、誰一人として負傷することなく再び地面に足を着けることが出来た。


 オスカーは籠から飛び出して、ゴーグルと帽子を取るなり地面に両手をついて僅かに嘔吐したが、ギールは初めて乗る者は大抵そうなると緊張の中に笑顔を見せた。

 アレックは改めて危険を冒してまで送り届けてくれたことに礼を言った。


「危険な旅路を引き受けてくれて感謝している」


 ギールはワイバーンの首筋を撫でながらこう言った。


「かのローメリス王国の王子をお運びしたとあれば、孫の代まで自慢できますよ」

 

 いくらか冗談めかした響きがあったが、嘲笑や軽蔑の色は一切ない。

 むしろギールの誠実さが伺えて好印象だった。


 ギールから荷物を受け取り、王国を出立したときも身につけていた剣を腰に差すと、アレックはいまだ両手をついているオスカーに手を差し伸べた。

 別れの挨拶を告げると、ギールはヴェルニア大公国流の敬礼をし、手を振る二人に向けてワイバーンを一度旋回させてから、文字通り空へと飛んでいった。



  * * * * *  



 近くの村まで目視で約二キロメートルといったところだが、これほどの距離を自ら荷物を持って歩くのはアレックにとってはじめてのことだった。

 大抵は従者がいた。

 オスカーも従者だが、アレックよりも二十センチメートルほど背が低く、まだ華奢な彼に荷物を持たせるほど傲慢ではない。

 それに重々しい空気が流れている。

 オスカーも良くない何かを感じ取っているようで、しきりに周囲を見渡している。

 ローメリス王国は良いところだと語って聞かせていただけに、良い思いをさせてやりたいと思ったが、アレックがしたことといえば、嫌がるオスカーから無理矢理荷物を取り上げて肩に担ぐことぐらいだった。


「自分の荷物くらい持てますってば。従者失格だと思われます。返してください」

「返すものか。こうしよう。俺に荷物を持たせよという命令だ」

「また屁理屈を」

「それにしても、お前を見たら皆何と言うかな? 母上は気に入ると思うが、ヴィクトルは苦い顔をするかもしれないな。悪い奴じゃないが誤解されやすいんだ」


 とアレックは冗談のつもりで口にしたが、隣を見ると、オスカーは顔を強ばらせていた。


「お前は気が利くし、ドラゴン乗りにも耐えた。宮廷で孤立なんてさせないから安心しろ」


 擁護のつもりで付け加えると、オスカーは顔を上げ、アレック様は調子が良いからなあとぼやいた。


 村に立ち寄ったが、もぬけの殻だった。

 一部の家は壁が壊され、そのまま打ち捨てられたようだった。

 すっかり乾いているが、地面には住人か家畜か判別のつかない血が流れた痕跡があった。

 ところどころ焦げた臭いがするのは、何者かが火を放ったからに違いない。


 アレックが生まれてこの方、ローメリス王国は平和だった。

 紛争が起きないように統治していたため、このような惨状とは無縁だった。

 気づけば腰に差した剣に手をかけていた。

 落ち着け、とアレックは言い聞かせる。

 今更剣を抜いたところで何にもならないだろう。


 オスカーが突然ある一点を指さした。

 アレックたちが足を止めた家の傍の地面を見ていた。

 指の先には三十センチメートルほどの巨大な鳥の足跡があった。


「この大きさは……ハーピーか?」

「出るんですか?」

「そんなはずはない。ハーピーは山を根城にしているんだ」


 二人は先を急ぐことにした。

 何が起きているか知るためには、王国中の情報が集まるとされている王都が最も適している。

 少なくとも限られた情報で憶測をするよりも、ずっと建設的だった。



  * * * * *  



 やがて二人は王都へ続く行列の最後尾に行き当たった。

 列を成していることは上空から見ていたため知っていたが、いざ目の当たりにするとやはり異様だった。

 二キロメートルは続いているように思われる。


 職業、種族問わずあらゆる年齢の人々が並んでいた。

 服装から見るに、貴族や諸侯の身分は見当たらない。

 となると王都外に住む人々が集まっているのだろう。

 皆荷車や荷を抱えており、中には移動用のモンスターや馬の姿もあった。

 着ている服はどれも薄汚れており、顔も垢で汚れている。

 賑やかなおしゃべりとはほど遠く無言か、聞こえてきたとしても消極的な言葉ばかりだった。

 誰かがパンや芋を食べようとすると、腹を空かせた別の誰かが取ろうとして諍いが起きた。

 本来王の喪中であれば黒色の腕章を付けるはずだが、身につけている者は誰一人としていなかった。


 王都の門は常に開かれているはずだった。

 衣服や汚れも、魔法により洗うことなく清潔に保つことができるはずだった。

 食べ物も潤沢にあり、困ることはない。

 しかしこれではまるで、魔法が使えず、物資も滞っているようではないか。

 

「道を空けてくれ。俺はローメリス王国の王子アレックだ」


 アレックは事態を確認するために、人混みをかき分けようと声を張り上げたが、分別のない者を軽蔑するような眼差しが一斉に向けられた。

 誰も道を空ける者はいなかった。

 それどころか「嘘を言うな」、「抜け駆けは許されない」、「皆道を急いでいるんだ」といった言葉が一斉に投げかけられた。


「アレック王子の名を騙るなど馬鹿にも程がある。なあそうだろう?」

「おれたちがこんな目に遭ってるのは王が馬鹿げた命令を出したせいだ」

「避難生活が長引いて苛立っていたんだ。おい、紐を持っているやつはいるか。縛り上げるぞ」


 鬱憤の溜まった男たち相手では、流石のアレックも手が出せなかった。

 王族として民衆に手を挙げて良いのかという葛藤ももちろんあった。

 オスカーだけは逃がそうとしたが、何を思ったのか彼は「アレック様に手を出すな」と声を張り上げて応戦した。

 この場でアレックを王族として扱うのはオスカーだけという事実が、アレックの胸に突き刺さった。


 結局二人仲良く両手を身体の前で縛られることとなった。

 主にアレックが身につけていた金品や服の装飾、飾りボタンなどは引きちぎられた。

 アレックがヴェルニア大公国への留学の際に持たされた剣も、護身用だなんだと理由を付けて取り上げられると、一見アレックの手元には何も残らなかった。


 ヴェルニア大公国は豊かな国だ。

 しかし豊かな国にはあらゆる人々が集まってくる。

 特にアレックは他国の王族であったため、金品を狙うものにはどうしても目についたらしかった。

 祖国からの仕送りも潤沢ではない。

 アレックはいつしか肌着や下着に貴重品を入れる癖がついていた。

 今回も、王族の紋章入りの指輪やドラコニア大公に持たされた書類といった、どうしても失うわけにはいかない貴重品は奪われずに済んだ。


 農場主と名乗る、多少身なりの良い男が仲裁に入った。

 農場主は使用人のサイクロプスにアレックとオスカーを縛った紐を持たせ、今後について話し合っている。

「モンスターの餌にしてやろう」、「襲われたときに囮に使おう」などなど。

 アレックとオスカーに聞こえても良いのだろう。

 声を憚る様子さえなかった。

 囮に使おうという結論になり、二人の縄はほどかれることはなかった。


 サイクロプスは座っているだけでもアレックの背丈より倍の大きさだが、指先に留まる蝶に夢中だった。

 名前を聞くと、「おれ、グロー、はこぶ」と返ってきた。

 どうやら運送用で雇われていたところを、そのまま連れて来られたらしかった。

 隣にいるオスカーの方を向くと、何やらしきりに力んでいた。


「何をしているんだ?」

「魔法で紐が切れないかと思ったんですけど、やっぱり杖がないと駄目みたいです」

「俺の考えが甘かったな。怪我はしていないか?」

「ええ。こんなのリングデールのごろつきに比べたら仔猫の爪とぎみたいなものですよ」


 リングデールとはアレックの元に来る以前に、オスカーが暮らしていた路地裏のことだ。

 ヴェルニア大公国は中心街こそ美しく整備されているが、路地裏は表通りのルールが通用しない、いわば無法地帯だった。


「どうしたものか。魔法が使えないとなると非力だな、俺たちは。王国について知りたいんだが」

「もうわかっていることがありますよ。明日の安全が保証されていないんです」

「なぜそう思う?」

「さあ、勘です。人は安全が保証されていないと愚かな行動を起こします。かつての僕がそうでしたから」


 アレックとはじめて出会った頃のオスカーは、ヴェルニア大公国では表通りでの窃盗は地下労働十年の刑と知りながら、アレックの財布をすろうとした。

 後ろ手に捻りあげたオスカーに、もう五日も碌に食べていないと言われ、アレックはそれが泣き落としの常套句でも構わないと食事を与えることにした。

 たとえ嘘であろうと、オスカーの痩せた腕や、擦り切れた衣服が持ち主の不遇を物語っていたからだ。


「だが今は違う。なあオスカー、ローメリス王国民が愚かだと思うか?」

「どうでしょう」

「忖度するな。俺は愚かだと思う。恥ずかしいとさえ思う。だが、もしも噂が本当で、国王や王宮が間違っていたとしたら、民を変えたのは俺の父だ。そうだとしたら、俺は正さなければいけない。王族として、そうする責任と義務がある」


 アレックは口を閉じ、拘束された両手に視線を落とした。

 民による暴力は受けたが、いまだ民を殴ったことのない拳は、アレックにとって誇りでもあった。

 己の両目が一族の悪事を目撃したとき、はたしてこの拳で父や兄ルーク、母を糾弾できるだろうか。

 オスカーの前で責任と義務があると口にしたのは、自分の気持ちを確かめる意味もあったがまだ決心できずにいた。

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