第二王子の俺は王命「魔法禁止&勇者追放」を撤回するため即位することにした
くるぶしや
第1章
第1話 父王の死
アレックが案内されたのはヴェルニア大公国の執務室前だった。
ヴェルニア大公国元首――エルダリス・ドラコニアの執務室の扉にはあらゆる種類のドラゴンが彫刻されている。すべて中央に彫刻された人物の掲げる宝石の方を向いているのは、ヴェルニア大公国がドラゴン使いによって統治されているのを表現しているからだ。
その緻密で精巧な仕事ぶりは、ローメリス王国の王子として生まれ育ったアレックでさえ、そうお目にかかれる代物ではない。
「すごいところですね。寮とは別世界だ」
思わず、といった様子で言葉を漏らしたのは、アレックの従者オスカーだった。ブロンドの十二歳の少年で、杖は必要だが魔法が使える。
アレックがオスカーを連れてこの建物に来たのは今回がはじめてだった。
神官見習いであるアレックの寮も、調度品などそれなりに設えてあるが、ここと比べては貧相に思えるのも無理はない。
「ああ、粗相のないようにしないといけないな」
ドラコニア大公は大公国の第二代元首であり、神殿の最高学位。つまりアレックの通う神官養成学校の校長でもあった。
齢百になろうかというハーフエルフで、見た目は真っ白な長髪を束ねた老人だが、この世に存在する全てのドラゴンを使役することの出来る、レジェンド級のドラゴンマスターの称号を持つ。寛大だが油断できない人物――それがアレックのドラコニア大公に対する評価だった。
それだけに個人的な呼び出しに戸惑った。三時間前に済ませた朝食が、いまだ胃の中で存在感を放つ程度にはアレックも緊張していた。
ヴェルニア大公国へ単身留学して四年になる。
主席ではないが、特段成績が悪いわけではない。
親元を離れた十七歳の少年らしく、知らずに多少の横暴は働いてきたかもしれない。しかしローメリスの国名に泥を塗るようなことはしていないつもりだった。
それに、養成学校の卒業試験を来週に控えている。
今更問題を起こして、四年間の修行生活を棒に振るほど愚かではない。
(一体何の呼びつけなんだ)
呼びに来た司祭は一言も口にしなかった。あるいは何も知らされていないかもしれない。
やがて、一足先に執務室へ入っていった司祭が再び姿を見せた。
「お入りください」
執務室に入る前に、アレックはオスカーに目配せした。オスカーは路地裏育ちだが立場をわきまえているのはアレックがよく知っている。オスカーは廊下で待っていることをジェスチャーで示した。もとより気の弱いオスカーのことだ。勝手な振る舞いをするとは思えなかった。
アレックが執務室に入るなり、ドラコニア大公は突然呼びつけたことに対して謝罪をし革張りの椅子に座るよう促した。二人の間には大理石のテーブルがあり、このテーブルにもドラゴンが彫り込まれていた。
各国にドラゴン使いがいるが、ヴェルニア大公国のそれは二桁多い。国外ではいまだ種族問わず争いが絶えない地域もあるにもかかわらず、ドラゴンという強力な外交道具を有し、中立という立場を取り続けている。アレックは留学してから一度もこの国で軍隊の姿を見たことがなかった。
アレックの母がこの国を留学先に選んだのも、近隣諸国のなかでもっとも戦禍の対極に位置するためだった。
アレックはドラコニア大公の表情を見て、ただ事ではないと感じ取っていた。何かしでかしてしまったのではないかと、この一週間の行動を省みようとしたが、そうする前にドラコニア大公が口を開いた。
「結論から話そう」ドラコニア大公の表情は硬く、鋭い瞳がアレックをじっと見つめていた。。「リチャード王、つまりきみの父君が亡くなられたそうだ」
「――えっ?」無意識に声が出ていた。立ち上がらなかったのは大公が手で制止したからだった。「父が、ですか?」
「ああ」大公は頷き、「二週間前だそうだ」
「隣国なのに二週間もかかるものでしょうか?」
「ヴィーヴルが傷つけられたために、連絡が遅れたのだ」
ヴィーヴルとはヴェルニア大公国が連絡に用いている小型のドラゴンのことである。生まれたばかりの子馬ほどの大きさで、ドラゴンのなかでは比較的御しやすいとされ、ヴェルニア大公国では主要な連絡手段となっている。
あらかじめ道順を覚えさせることで、拠点から拠点へリレーのように連絡項目を伝達することが出来るのだ。首に革製の連絡袋を装備させ、連絡事項を入れてやり取りする。
この国ではヴィーヴルが街中の上空を飛ばない日はないため、けして珍しい手段ではなかった。
同時に、気がかりなことがひとつあった。
ドラコニア大公は一通の封書を取り出し、アレックに差し出した。報告書の様式を取っており、封蝋には公国伝令管理局の紋章が押してある。記載の日付は今朝になっており、内容は要約すると以下の通りだった。
『大公国領内西部で翼の折れたヴィーヴルが発見された。連絡袋には、ローメリス国王の訃報を知らせる王国紋章入りの羊皮紙が入っており、日付は二週間前のものだった』
(父は本当に亡くなったのか)
そう思うものの、アレックには父と過ごした記憶がほとんどないため、実感がなかった。父の真似をしろといわれても、出来るのは王国国民であれば誰でも出来る神殿への礼拝のポーズだけだろう。
(なぜもっと一緒に過ごさなかったのだろう)
父は十年前に暗殺未遂に遭って以来、王都内の神殿に籠もりがちになり、政治は宰相に任せきりだった。母に連れられて神殿へ赴いた際も、「ともに民のために祈ろう」と誘われるくらいだった。あるときアレックが断ると、父はもう誘うことはしなかった。
木製の剣を振り回し、子馬に乗ることに夢中だったアレックにとって、神殿での礼拝は退屈そのもので、父はいわば変わり者に思えた。
しかしヴェルニア大公国に留学してから、アレックははじめて父の願いを理解出来るようになった。つまり、民にとって良い君主とは無闇に民を傷つけない君主を指すのかもしれない、と。
とはいえ、過去の過ちの許しを請う相手はもうこの世にいない。
「無理もない。肉親を失ったのだから」
ドラコニア大公にハンカチーフを差し出され、アレックは自分が泣いていることに気づいた。頬に触れた指先に人肌の温度の滴があった。
「酷い息子だと思うかもしれません。父を喪ったという実感がないんです。父よりも王を失ったという感情の方がむしろ強い」
「リチャード王は勇敢な王だった」ドラコニア大公はフォレストドラゴンの鱗の色を思わせる瞳の奥に、かつての光景を思い浮かべているようだった。「八十年前の戦乱によって失ったローメリス王国領土を取り戻す偉業を成し遂げ、以降国内は平和そのものだった。だが――」
大公はそこで言葉を切ると、アレックの方を見た。
「今回のヴィーヴルですね?」
「負傷箇所を分析したところ、オーガの痕跡があったそうだ」
「オーガ? 魔法で旧王都から出られないはずです」
ヴェルニア大公国西部は、ローメリス王国の東部に隣接している。両国の国境付近に障壁となる山岳や河川はなく、平地が広がるだけだった。
旧王都、またの名をドルクミア湿原帯はローメリス王国の南東部に位置し、ヴェルニア大公国とは標高約四千メートルもの山岳によって隔たれている。王宮のある王都アルテアは旧王都の北部に位置するため、本来であればヴィーヴルがオーガに襲撃される可能性はない。
ドラコニア大公は少し考えているようだったが、やがて口を開いた。
「その魔法はリチャード王の命によるのかな?」
「いえ、キーランだと聞いています」
「魔王を倒したというあのキーランか」
「兄に聞いた話ですが、確かかと」その時の光景を思い出しながらアレックは答えた。「俺の記憶では、その後オーガによる被害はありません。だから魔法が禁止でもされない限り、襲われるなんてあり得ません」
「アレック」ドラコニア大公は白く長いあごひげを撫でながら諭すように言った。「この世の中に確実なことはひとつもないんだ」
「大公は、何が起きているとお考えですか?」
アレックは想像すら出来ない自分が歯がゆかった。自分と違って聡明な兄であれば、こういうときに何が起きているのか考えついたかもしれない。
「ローメリス王国について」とドラコニア大公は言った。「ある噂が流れている。王が王国内で魔法と魔術の使用を禁止している、と」
「なんてことを」
「私にもわからない。あくまでも噂の範疇だ。けれどもしも本当ならヴィーヴルが襲われた理由にもなる」
「王国で暮らすうえで魔法は欠かせません。魔法がなければ火も熾せない。水の確保も」
人体の治癒や強化はもちろんのこと、家屋の修繕、植物の成長促進にも使われる。さらに王国騎士団や王宮親衛隊では、武具の強化や保護、行軍中の兵站確保にも活用されている。現在王国内に大きな戦乱が起きないのは、各種族の暮らす場所を隔てる地域を魔法によって制御したり、強力な攻撃魔法を王命で禁じているからなのだ。
魔法を禁止すれば、非力な人間やエルフのような種族は、他の種族に太刀打ちできなくなる。下手をすればクーデターも起こりかねない。
(戻らなければ。噂が本当なら病弱な兄では対処しきれない)
アレックの帰還に、諸侯や貴族らは謀反の意思をこじつけるだろう。アレックの意思とは関係なく、「病弱な第一王子よりも健康な第二王子を」とアレックを担ぎ上げようとする者たちが未だにいる。先日も母が手紙で嘆いていたばかりだ。アレックが四年間のうち一度も帰国できなかったのも、「要らぬ対立を生まぬために」と兄と宰相と母を交えて話し合った末の判断だった。
しかしアレックは玉座など求めていない。混乱を治めたらヴェルニア大公国へ戻り、神官の道を受け入れるつもりでいた。
(だが、俺は神官を目指す以前に、ローメリス王国の王子だ。民を守るのが王族の務めのはずだ)
幼い頃から『民なくして王は成り立たないの。兄さんが王として、お前が神官として、このローメリス王国を守りなさい』 と、寝物語で母に繰り返し聞かされて育った。
アレックに流れる血が、誇りが、責任が、王国の危機に駆けつけよと叫んでいた。
顔を上げたとき、ドラコニア大公はアレックの顔を見つめた。ほんの僅かだったが、その眼差しは品定めするようでもあった。
「国へ戻ります。俺はあの国の、ローメリス王国の王族です。一大事に安全な場所にいるなど我慢出来ません」
言い放ったとき、アレックはまるで兄が語って聞かせてくれた、おとぎ話に登場する騎士にでもなったかのような心持ちだった。
王族に生まれながら王位に魅力を抱けず、ずっと騎士を夢見ていた。時代が許すのであれば、力を示し武勲を立てる騎士になりたかった。今がその時に違いないと、アレックは不謹慎ながら感激していた。
(ようやく兄を守る剣になる時が来た)
ドラコニア大公が鈴を鳴らすと、すぐさま従者がやってきて、用命を聞く姿勢を取った。
「戦慣れしたワイバーンを用意してくれ。アレック王子とオスカー殿を祖国へ送り届ける。御者はそうだな、ギールが適任だろう」
ドラコニア大公の命令に従い、従者は走り去った。
「身支度をしておきなさい」ドラコニア大公は鼓舞するかのようにアレックの肩に手を置いた。「二時間後にはローメリス王国の国境付近だ」
これまでお世話になりました、と言いかけたアレックに、ドラコニア大公は首を振った。
「別れの挨拶は不要だ。また会えるのだろう? きみの試験は延期にしておこう。神官になる気があればの話だが」
ドラコニア大公に背中を押され、アレックは執務室を後にした。
廊下ではオスカーが待ちくたびれた顔をしていた。
* * * * *
「魔物がいるんですか?」説明を聞きながら、オスカーは不安そうな声を上げた。「そんなの危険ですって」
「お前の意見ももっともだが、しかしもう決めてしまった」
アレックは衣類を鞄に詰め込みながら答えた。オスカーは何か言おうとして口を開くものの、結局何も言わないまま閉じるというのを何度か繰り返したのち、短くため息をついてアレックをじっと見た。
「どうした? 俺とお前の仲だろう。言いたいことがあるなら言えよ」
「別に。アレック様が楽しんでいるように見えるだけです」
「そう見えるか? ならそうなんだろう」
答えながら、アレックは訃報を聞かされてから初めて笑った。対してオスカーはこの先待ち受けているかもしれない危険について考えを巡らし、頬を強ばらせる一方だった。想像力が豊からしく、杖を握っているものの荷造りが一向に進んでいない。
アレックの腰には四年前に護身用として持たされた剣があった。ローメリス王国の紋章が彫刻された両刃の直刀で、アレックが誕生した際にフィンブルタール村でも選りすぐりのドワーフに鍛えさせたものである。
(まだ人形しか切ったことはないが、いつか敵の血に濡れる時が来るだろう)
鞘の冷たくなめらかな手触りを感じながら、アレックは剣が微かに震えていることに気づいた。いや、震えているのはアレックの指先だった。
「この先何が起きるかわからないんだ。無理もない」
「アレック様が危ないときは」とオスカーは緊張で上ずった声で答えた。「僕が魔法でお助けします。これまでもそうだったでしょう?」
「ああ、頼もしいな。任せたぞ」アレックはオスカーの胸を拳で軽く叩いた。「ところでドラゴンに乗ったことはあるか?」
「あるわけないでしょう。あんなの金持ちの乗り物ですよ」
「じゃあ良い知らせだ」
「その声は悪い知らせに決まってます!」
「ワイバーンに乗れるぞ」
「そんな!」オスカーは短い悲鳴を上げた。
「これからもっと大変な目に遭うかもしれない。心の準備をしておけ」
「でも、良いこともありますね」
「良いこと?」
「はい。ようやくアレック様が美しいと仰っていたローメリス王国に行けるんですから」
「そうだな」
そう言って、アレックは荷物をまとめる手を止めた。
たしかに記憶に残るローメリス王国は美しい土地だ。
グランスロック鉱山やフィンブルタール村には無骨だが職人気質の種族が集まり、ローメリスの産業を支えている。リヴレーン港は活気に満ち、あらゆる種族が集まって喧噪のなか暮らし、王国の食を支えている。
アクアレリスの海岸から望む海が放つ、白銀の輝きは一度見たら忘れられるものではない。レイザリアの森は土着のエルフによりうっとりするほど幻想的な世界を作り出している。
エルドア地方には王国建設以上に古いセラフィリス神殿があり、代々王の戴冠式が行われてきた。
そして王都アルテア――国内で最も栄え、最も豊かな土地。アレックの生まれた王宮のある場所でもある。
(いまも美しいままとは限らない)
アレックは荷を縛る手に力を込めた。オスカーに向かって頷いたのは、彼を安心させるためではなく、自分自身への決意のためだった。
「ローメリス王国は美しい国だ。そうでなくなったとしても、俺が取り戻してみせる」
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