愛の原理
うみべひろた
The pudding of love
「いつまで寝てんの、早く起きなよ」
耳元で声がして、目を開けたすぐ前に先輩の顔があってびっくりする。
「え……あれ、今日何曜日だっけ」
既にパジャマから着替え終わって、先輩は白いブラウスを着ている。
スマートフォンを見るともう10時。もしかして1限に遅刻した? って呟くと、
「日曜日だよ」って先輩が答える。
「そんなわけ無いじゃないですか」私は言う。
飛び起きたいけど、先輩が近すぎて邪魔。このまま起きたら先輩にヘッドバットを飛ばしそうで怖いし、頭蓋骨の硬さでは何だか先輩に勝てる気がしない。
「なんでそんなに自信満々に否定するのさ」
その苦笑は、むしろ遅刻した私を見てにやにやしてるようにも見える。
「だって先輩、日曜日はいつも昼過ぎまで起きてこないし」
「いいじゃん別に、時々は早く起きても」
「昼ごはんですよって私が起こすまで、多分永久に寝てるし」
「私にとっては朝ごはんだけどね」
「一度、本当に永久に寝てくれるか試してみてもいいですか? 起こそうとするとたまに逆切れされて邪魔くさいんですよ」
それがあなたの愛なら別に。
って、先輩が私の掛け布団をはぎ取ろうとする。
「何やってるんですか変態」
「いいじゃん減るものじゃないし」
「減りますよ。私の先輩に対する愛情がものすごい速度で」
「そんなん誤差だよ、誤差。多少減ったって大勢に影響はないんだから」
「その積み重ねが大事なんですよ。先輩には分からないだろうけど。なんかいつでも先輩の行動って邪魔くさいんで」
ナポリタン食べたい。
って私を無視して先輩は言った。私の掛け布団を遠くへぶん投げながら。
「ナポリタン? もうスパゲティもリングイネも無いですよ。使ったから」
「麵が無ければ、うどんを使えばいいじゃない」
先輩はそう言うけれど、うどんがナポリタンになるわけはないでしょう。
ケチャップ味の焼きうどんをナポリタンとは言わない。それは私のこだわりなのだ。先輩にはどうせ分からないだろうけれど。
だから私と先輩はコンビニまでの道を歩く。
11月の風が私と先輩の間を通り抜けて、先輩の長い髪が私の耳をくすぐる。
「今日はちょっとだけ寒いね」
「私は眠いですよ」
「別に、パジャマのままでも良かったのに」
先輩はそう言うけど、
「先輩と一緒にしないでくださいよ。いくら徒歩3分のコンビニでも、外は外なんですから」
起きてから15分も経っていない目に、少しだけ前を歩く先輩の白いブラウスが眩しい。
「先輩への愛情のほかにもう一個減ったものがありましたよ」
「それ以上あなたは何を失うのさ」
「私の睡眠時間です。光が強いと眩しくて」
そう言うと先輩は笑う。
「確かに、睡眠時間は積み重ねが大事だね」
「おかげで私はずっと寝不足なんです」
まぁしょうがないね。って先輩は声をあげて笑う。
「でもさ。愛情って何なんだろ? そんなに増えたり減ったりするものなのかな」
「何という傲慢発言……そりゃ、変なことばっかりされたら嫌いにもなりますよ」
「偉い人が言ってたんだけどさ、愛の対義語は無関心なんだって」
「ですよね」
「だったら、イヤよイヤよも好きのうち。ってやつじゃないかな、って」
「それなら勝手にそう思ってればいいじゃないですか」
コンビニまでの道は短い。
まだ眠いから、もう少し長かった方が目が覚めたのに。って思う。
もしくは、先輩がもう少し寝せててくれれば。
「唐揚げ食べてもいいかな?」
コンビニに入った瞬間に先輩は目的を見失う。私のほうを振り返ってスカートがふわりと広がる。
「先輩は色々な意味で女を捨てすぎなんですよ」
その端っこを抑えて私は、レジと先輩の間を遮ってやる。
「見えないよ、唐揚げ選ばせてよー。半分こしようよ。1個あげるって誓うからー」
って言う先輩を無理やり別の棚へ運んでいく。
「食べすぎて太ったら誰が先輩の面倒を見るんですか」
いつもの1.4mm。本当は太麺がいいけど仕方ない。先輩はこれで満足してくれるから別に適当でいいや。
「君が見てくれるでしょ」
「いいけど、倍食べるなら食費は倍ですからね」
ふぅ。私はため息をつく。
この先輩の面倒、いつまで見れるかなんて分からないから。
先輩はことあるごとにナポリタンを食べたがるから、私のいちばんの得意料理はナポリタンになってしまった。
「やっぱり、君のナポリタンがいちばんおいしいよ」
って先輩が言うから、
「じゃあ食費上げてもいいですか? ぶっちゃけ、ケチャップも野菜もいいやつ使ってるから、いつも足が出ちゃって」
私はここぞとばかりに先輩へ向かって手を差し出す。
本当は麺だってこんな適当じゃなくて、良いやつを買いたいのだ。
「普通のナポリタンと作り方が違うのかな?」
「なんで分かりやすく目をそらすんですか……まぁいいや。麺をゆで過ぎるのがコツなんですよ。11分って書いてあるから、13分ゆでるんです。その代わり、麺をしっかり焼くんです」
ふーん。先輩はさして興味も無さそうに頷く。
「雨降って地固まる、ってやつ」
「水を吸ってたほうがもちもち食感になりますから」
「なるほど。よく分かったよ。それが君の愛だね」
「話繋がってますか? それ」
デザートにプリン食べようよ。
って先輩は言った。
「プリン? まためんどくさいデザートを要求しますねあなたは……はぁ、別にいいですよ。卵も牛乳もあったし――あれ?」
立ち上がって冷蔵庫を覗くと、卵が1個もない。
「おかしいな……卵、3個あったはずなのに。卵が無いとプリン作れないんですけど」
「あーごめん、卵使っちゃったよ」
「は? 使った? 何に」
そんなの知らないし聞いてないし食べてないけど。何勝手に使ってるの。
「あなたには教えてあげなーい。乙女には秘密があるんだよ」
いや秘密って。何言ってるのあなたは。
「先輩、料理なんてしたことないでしょ。勝手にお酒のおつまみでも作ったの? っていうか、さっき言ってくれればコンビニでついでに買ってこれたのにっていうか卵が無いのを知っててその態度っていうか何かすごく腹が立つんですけど何なの」
「愛だよ」
って、事もなげに言う先輩の言葉に、なんか物凄くむかむか来て、
だって愛なんて私の目にはほとんど見せてくれなくて、
「ふざけてるんですか? いつも食べてばっかりだし美味しいしか言わないから良かったんだか悪かったんだか分からないし先輩がいっぱい食べるから私まで体重が増えてきちゃうし先輩がいつも起きるの遅いから——」
いつの間にか立ち上がった先輩が笑いながらこっちに歩いてくるのを見て、
「やめてくださいよ誤魔化そうったってそうは」
ぷいと横を向いて避けようとする私に、
「私は多分、君よりも知ってるよ。君のことを」
私の手の甲を掴んで、「君はいつも、見えてない部分が多すぎるんだよ」
そして、私の手を野菜室の扉へ導く。
「自分で言ったでしょう。これが私のあなたへの愛だ」
言われるがままに野菜室を開けると、中に鍋がひとつ入っていた。
「——プリン?」
いつも二人分の料理を作る鍋にいっぱいのプリン。
「だから言ったじゃん」
これは乙女の秘密だよ。先輩の優しく笑う声。
「先輩、料理できたんですか」
どうでもいいことを言ってる自覚はある。他に何を言えばいいのか分からなくて。
「出来ないなんて言ったことないよ」
ただ、いつもあなたの料理が食べたかっただけ。
なんて言う先輩の声があまりにも優しかったから、
「先輩、プリンは野菜室じゃダメですよ。冷蔵庫でちゃんと冷やさないと」
あぁ。またどうでもいいことを言った気がする。
ふふふふ。っていう笑い声に先輩のほうを向いたら、すぐ目の前に先輩の顔があってびっくりする。
「プリンはちょっとぬるいくらいが丁度いいんだよ——そのほうが、強く甘さを感じるから」
先輩の目元をじっと見る。睫毛の長さ。ファンデーションのきらきら。いったい何時から起きてたんだあなたは。
その瞳に私が映っているのをじっと見る。
多分先輩も同じ景色を見ている。
「
先輩はいつの間にか手に持っていたスプーンをプリンに突き立てる。「君には愛って何だかわかる?」
どぷりと漏れ出す濃厚なカラメル。
見ただけで分かる。これはプリンより甘くて重くて、深くずっと沈んでいて。
舐めればきっと、先輩の味。
「カラメル多すぎませんか、これ」
「私はね、カラメルが多いほうが好きなんだよ。ぷるぷるのプリンの奥には、濃厚で甘いカラメルがいっぱい」
先輩の長い髪が私の耳をくすぐる。バニラみたいな香り。プリンと同じだ。
大きめのスプーンに山盛りのプリン。カラメルを滴らせながら先輩は私の口へと押し込んでくる。プリンとカラメルが溶けあう速度。
ふたつの甘さが混じり合う速度。
「無関心の反対だって、自分で言ってた」それがあなたの愛の原理。
プリンで口の中がいっぱいだからもごもごと。
「そうだよ。だから私の愛情は君のよりもよっぽど強いんだ」
君が寝ながら時々よだれを垂らしてることも。
君が時々訳の分からない寝言を言ってることも。
君の寝相が時々変で、だけど人類には不可能な動きだから寝ながら諦めることも。
見てたから全部知ってる。
先輩はそう言った。
「じゃあ今朝って」
「見る? あなたの寝顔があまりにも可愛いから長尺の動画を撮っちゃった」
「消してください」
先輩が言い終わるよりも先に言ってやる。
だってそんなの見てほしくない。
あなたはもっと別のものを見てよ。
はい。
先輩が私にスプーンを渡してくる。
「何ですか、これ」
「言ったじゃん、私もプリン食べたいから。」
あーん。って。
思いっきり口を開けて待ってるから。
スプーンで食べきれないほどの量をすくう。
そして自分の口に運んでやった。
ふたつの甘さがアンバランスに絡まる。唇から少しこぼれたカラメルは黒くてちょっと重い味。
「何やってるの。そこは私にプリンをくれる流れでしょ」
「嫌ですよ。先輩と間接キスなんて」
「じゃあ間接じゃなければいいんだ」再びあーんって大口を開ける先輩。
「一体何待ちなんですか」
これもまたいらないセリフだった。
「先輩はやっぱりもっと料理やったほうがいいですよ」
何度も口に運ぶ。ちょっとだけぬるくて、すごく甘いプリン。「熱を入れすぎだし、甘すぎるし。そして何より、先輩は邪魔くさいです。見られてると食べづらい」
先輩にこんなの食べさせられるわけない。
うどんはナポリタンにしたってケチャップ味を吸わないし、
普通のケチャップだとしょっぱすぎる。安い野菜はおいしくない。
コンビニの唐揚げなんて食べたらナポリタンの味が分からなくなる。
そして先輩のプリンは私のジャストよりも硬いから。
「だから、私のプリンを食べさせてあげる」
先輩が今日、朝から起きてた理由。
私たちが一緒に住みはじめてちょうど1年の記念日だからだって言いたいんでしょう。だけど気づかないふりでいたい。
そういうのは放っておけば、先輩がいつものように邪魔くさく言ってくるって知ってるから。
「私のプリン。いっぱい作るから、いっぱい食べてね」
愛情とは無関心の反対。
だったら私は、
「先輩のより大きくておいしいプリンを作ってあげるから」
もっと甘くてとろけるプリンを作ってあげる。
だから全部食べてね。
愛の原理 うみべひろた @beable47
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