みじめな結論

脳幹 まこと

ハンコ、金太郎飴、個性


 漫画や小説を読んでいる時、「孤独だったキャラが仲間との交流を経て、今までの苦しみをすっかり克服している」という描写にモヤモヤする。

 わたしだったら、自分がどれだけ恵まれようが、やっぱりどこかで「とは言ってもね」と悩むだろう。

 孤独ってそんな簡単にどうにかなるのかな、と思う。

 もちろん、既に描いた葛藤をいちいち描写しないだけでしょ、トイレに行くシーンとかないのと一緒だよって言われたら、頷くしかない。


 でもね、昔味わった孤独や不信や恐怖って、ずっと残り続けるんだよ。自分の苗字がついた木のハンコに、彫刻刀を入れるみたいにね。

 一度傷の入ったハンコは、その後どう押し直しても完全な状態にはならない。

 心を傷を負うと、もう二度と前には戻れないんだ。


 そうだよね。馬鹿みたいだよね。ごめんね。

 傷があろうとなかろうと、失ったものは戻らないけど、築き直すことは出来るって。

 だから暗い過去にはまらずに、恵まれた今と明るい未来を見ろって。

 ご名答。仰るとおり。

 わたしはね、そういう意見を言える人のことを「強いな」って思っちゃう。皮肉とかは抜きで。


 あーあ。なんでわたしは金太郎飴じゃないんだろう。

 どこで切ってもはにかんだ笑顔。変わらない笑顔。そうやって約束されてるのって、すごい安心じゃない?

 斜めに切ろうなんて無粋なことをしなければ、ずっと笑顔でいられる。

 歌によくある「笑顔の仮面をつけてても、実はとっても泣いてるの」みたいなものじゃなくて、いくらトントン切ってもニコニコしてるのがいいな。


 わたしの心が、笑顔を浮かべた無限長の金太郎飴だったら、よかったのにね。


 けれどもわたしはそうじゃない。うっすら苗字がわかる程度の、辛うじて役割を果たせる程度の、傷だらけのハンコだ。

 もう混じり気なしには笑えない。何があっても疑いは消えない。この先が天国でも地獄でも、わたしは勝手に裏を覗いてため息をつくのだろう。

 そうだ。そんなにも面倒なわたしは、その面倒さゆえに一点物になっていく。

 個性を「他者と区別できる部分」と定義するのなら。孤独が、不信が、恐怖が抉った傷こそが個性になる。いびつに欠けたその印が、わたしの個性なのだ。

 わたしはあれだけ忌み嫌ったものたちのせいで、汚れに価値を見つけるようになった。

 皆と並ぶまで価値を高めるために、わたしはもっと悲しみをたたえ、酔いれながら、自分の胸腔こころに彫刻刀を突き立てなければならないのだ。


 実にみじめな結論だ。

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