第29話  馬さんにも衣裳

 着物がらみでもうひとつ、お話したいことがあります。

ひょんなことから始まったこの会も、気が付けば十年以上も続いておりました。その間には新しく仲間に加わる人もいれば、仕事などの都合で会を去る人もありました。そしてメンバーや応援してくれる大切な仲間のうちの何人かとの、悲しい別れもありました。

いつもニコニコして温厚な人柄の梅さんは、その名の通り梅の季節に、そして不動産屋の山木さんは闘病の甲斐なく、何度目かの入院で亡くなりました。


 そうそう、この山木さんにも、例によって芸名を皆で考えたことがありましたが、いい加減な皆のことでありますから、悪徳不動産屋をイメージするものばかりでなかなか決まりません。そこでいつもの私の出番と相成りまして、商売の屋号をそのままもってきて「山木家四畳半」ではどうか、と提案致しました。


 それには彼の母上から「四畳半なんてイヤ、手直しを」とクレームが入り、それならばと一畳半プラスして「六畳」にグレードアップ。そこへ更に師匠が最後の仕上げに「六畳」を「六之丞」と手直しし、立派にリフォームが完成したのでありました。


 さてここで一つ余談ではありますが、山木さんの母上様が「四畳半なんて何だか嫌だわ」と言ったという話を聞いた時、私は億ションなども商う不動産屋さんが、四畳半なんてケチくさいから嫌だと言ったのかと思いました。でも榎さんが妙に嬉しそうな顔をしているし、誰ともなしに「そりゃぁそうだよな」と言い出す声に、「俺はいいと思うよ、色っぽくっていいじゃないか」「だからおふくろさん嫌だって言ったんじゃねえか」などと言って、あちこちでニヤニヤ顔して楽しそうに話が盛り上がっておりました。


 しかし四畳半が色っぽいって? どういうこと? と不思議で仕方なかった私でしたが、もし質問の答えが榎木さん好みのバレ話に発展してはなりません。それで疑問はそのまま分からずじまいで終わりました。


 古典落語には都都逸が登場する場面がよくあります。都々逸とは七・七・七・五の二十六音から成る唄のことで、江戸の寄席やお座敷などで大いに流行ったそうで、落語では都々逸もけっこう色っぽい内容の唄が出てきたり致します。


例えばこんな

「明けの鐘 ごんと鳴るころ三日月形の 櫛が落ちてる四畳半」

「三千世界の烏を殺し ぬしと朝寝がしてみたい」

「惚れて通えば千里も一里 逢えずに帰ればまた千里」

 どうでしょう、粋な文句じゃありませんか。といっても、ねぇぇ、私のような色気は無縁で食い気しかない人が何をか言わんやでしたね。


 で、ひとつ「明けの鐘 ごんと鳴るころ三日月形の 櫛が落ちてる四畳半」で、状況を想像してみましょうか。するってぇと成るほどねぇ、四畳半で恋する二人がビッショリ、いやいや雨にみまわれたんじゃないんだわ、もとい、しっぽり濡れて夜明けを迎える頃ですよ、アアタ。そこに、えっどこにって? 四畳半のお部屋のそこらへんでしょうが、そこに櫛が落ちてるんですってよ、何で?って、何かあったせいで髪が乱れたんでしょうや、知らんけど。ワタシがやけになってるかって?そんなことありますかいな、アホらしい。


 と、なんだかワタクシ妙にモヤモヤした気分になって来ちゃいましたから、何だか彼の母君様の気持ちが分かるような気が致しました。そう思っていたところ、どうもそうでもなさそうで、それからだいぶ経ってから榎ちゃん達が、何故か意味ありげに笑っていたその答えらしきものが見つかりました。


 なるほどぉ、そうだったのですか、とビックリした私でしたが、それはこういうことでありました。皆でヘラヘラ笑っていたその何年か前に「四畳半襖の裏張り」という映画がありまして、これは一世風靡した日活ロマンポルノの、初期の頃の映画だそうですが、永井荷風の原作と言われる「四畳半襖の下張」をヒントに映画化されたものなんだそうです。


 で、その原作となった「四畳半襖の下張」はどういう話かといいますと・・

かつて待合だった家を買い取った主人公が、四畳半の襖の下張り(上張りの仕上げを良くする為に、下地として布や紙を貼ること)に使われた紙ほご(書き損じたり不要になった紙のこと)に、男女の性行為がいくつも書かれていたものを見つける、という内容のものでありました。


 更にはこの作品が「四畳半襖の下張事件」というものにも発展し、これは性的描写のある文学作品を、雑誌に掲載したことにより刑事事件となり、最高裁まで争われたということでした。そういえばそんなニュースがあったなぁ、と急に思い出したり致しましたが、やはりそういうこととなると、あの時に質問しなくって本当によかったな、ってホッとした私でありました。



 さてもう一人は酒屋のご主人である芦沢さんであります。彼は東谷落語研究会の仲間達とは、それほど年は離れてはいませんでしたが、皆からは何故か先生と呼ばれておりました。それではまるで横丁のご隠居のようでありますが、知識にたけた指南役のような方と思われており、我らの活動も応援してくれておりました。

 

 その先生の形見の立派な大島紬の着物が、何と馬さんへ贈られたのでありました。高価な物です、何とかお礼の気持ちを伝えたいと考え続けた結果、馬さんは落語の発表の場にこの着物を着て、一席話そうと決めたのでありました。いつもあまり稽古熱心ではない馬さんでも、この時ばかりは猛練習を致しました。運転中も機械の操作中も設計をしながらも、そして歩きながらも一杯やりながらも・・です。


 そして寄席の当日。着物を届けてくれた先生のお姉さんの見ている前で、こんな馬さんは今まで見たことがないと言われる程の出来栄えで、素晴らしい舞台を努めることが出来たのでありました。先生の形見の着物は「馬子にも衣装」ではなく、実に「馬さんにも衣装」という新ことわざが誕生しそうなほど、馬さんのちっぽけな実力を何倍にも何十倍にもさせて、演じさせてくれたのでありました。


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噺家ごっこ(カクヨムコン10参加用。改稿版) @88chama

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