執筆活動のはじめの一歩

敷知遠江守

散文のすゝめ

 皆さんは小説というものを書いた事がありますでしょうか?

あるという方はこれ以降の話は読みながら笑い飛ばしていただいて結構です。


 無いという方で書く気はさらさら無いという方、そういう方はこの先を読んでいただき、ちょっとやってみようかなと思っていただけたら幸いです。


 無いという方でどう書いて良いかわからないという方、もしくは書こうとしたけど、自分でもびっくりするほどあっという間に手詰まりになった、そういう方に向けて、この先の事は書いています。



 小説を書こうという方の多くは、他の作品を読んで、自分もこんな話を書いてみたい、もしくは自分だったらこんな風に書くのに、そういう思いから筆を取ったのだと思うのです。


 でもいざ書こうとしても何をしたら良いかわからない。

とりあえず「小説 書き方」なんて感じでネット検索してみる。

するときっとこう書いてあると思うのです。


『まずはプロットを作成してみましょう』


 それを見てプロットを書いてみる。

上手く書けた方はそれだけでかなり才能のある方だと思います。

ここまで読んでいる方は、まずここで挫折した、これを無視して書き始めようとしてあっという間に挫折したという方が多いのではないでしょうか?



 私は小説というものは料理に似ていると思うのです。


「美味しいものを食べた、また食べたい」

これと全く同じ感情が小説になると以下になります。

「面白い小説を読んだ、また別の小説を読んでみたい」

だからきっと流行りのジャンルがやたらとアクセスされるんだと思うのです。


 ですけど中にはたまには異国料理が食べてみたいとなる人がいます。

だからそうじゃないジャンルでもそれなりに読まれるのだと思うのです。

(私の書いたものが読まれているかどうかは、この際置いておくとします……)


 ところが世の中には「美味しいものを食べた、自分でも作ってみたい」という方がいます。

これが小説になると「面白い小説を読んだ、自分でも書いてみたい」となるんだと思うのです。


 ですが、大半の人が一度は味わう事だと思うのですけど、「作りたい」から「作れた」の間には何億光年の距離があるわけですよ。

つまり「書いてみたい」から「書けた」の間にはとてつもない距離があるという事です。


 一度でも小説を書いた事のある人ならわかると思うのですけど「プロットを作成しよう」って言うのは「創作料理のレシピを考えよう」って事です。

そんな事やれますか?


 料理を普段作らない人が創作料理に手を出したって上手くいくわけないじゃないですか。

だから私は思うんです。


 まずは「卵かけご飯」から作ってみませんか?

ご飯を茶碗によそい、卵を割ってご飯にかけ、醤油をたらしてかき混ぜる。

それなりに難易度の高い行為ですよ。



 小説にとっての「卵かけご飯」、それはきっと「散文を書く」ということなんじゃないかと思うんです。


 某番組を見ていると夏井先生がよく散文的だから俳句としては駄作なんて話をしています。

それを俳句に手直ししています。

これって逆に言うと、良い俳句を散文的にして駄目にする事ができるって事だと思うのです。



「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」


 誰しもが一度は聞いた事があると思う、明治の歌人、正岡子規の有名な一句です。

これを見て皆さんどのようなシーンを想像しましたか?


「法隆寺を訪れて、そこで柿を食べていたら鐘が鳴りました」


 きっとこんなシーンだと思うのです。

これです。

今「こんなシーン」として書いたものが「散文」です。


 よく夏井先生に怒られてるパターンがこれですよね。


「法隆寺 訪れ柿食べ 鐘が鳴る」


 というような俳句を提出して散文的なんて怒られるんですよ。


 ですけど、小説を書く第一歩、料理で言ったら「卵かけご飯」を作るレベルの創作がこれだと思うのです。

こんなものが何になるんだと思うかもしれません。


「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」

「法隆寺を訪れて、そこで柿を食べていたら鐘が鳴りました」


 文章として読んでわかりやすいのってどちらでしょう?


 書き手が書いた事が正確に読み手に伝わる事、それが小説の第一歩だと私は思うんです。

(私にそれができているとは一言も言っていません……)

だから自分にも料理が作れたという成功体験のために、まずはここから始めてみませんか?という事なんです。


 それと、人というのは見たもの、思った事をそのまま言葉にできるわけではないんです。

美味しいパスタを食べたとして、どんな風に美味しかったの?と問われて、具体的にそれを口で表現できますか?

いわゆる食レポというやつです。

多くの人は経験が無ければまず無理だと思いますよ。


 この俳句を散文化するという行為は、俳句を読んで脳裏に浮かんだ情景を言葉にするという訓練になるんです。

では、ここまでを踏まえて試しにこれで練習してみてください。


「古池や 蛙飛びこむ 水の音」




 それに慣れたら次は簡単な料理を作ってみましょう。

では「卵焼き」なんていかがでしょう?

フライパンを温めて溶いた卵を入れて焼くだけ?

そう言えるのは料理がある程度できる方が言える事ですよ。

そうじゃ無い人は、焦げるし、くちゃくちゃになるし、気付いたら「スクランブルエッグ」なんて事は珍しいことじゃないんです。


 では先ほどの散文に今度は肉付けをしてみましょう。

きっと「卵かけご飯」から「卵焼き」くらいのランクアップがあるはずです。


「法隆寺を訪れて、そこで柿を食べていたら鐘が鳴りました」


 この文章だけを見て色々と疑問が浮かぶと思うのです。

何をしに法隆寺に行ったの?

柿はどうやって手に入れたの?

皮はどうやってむいたの?

立って食べてるの? 座って食べてるの?

鐘を鳴らしたのは誰?

そもそも今は何時なの?

これらを試しに先ほどの文章に付け加えてみます。


「修学旅行でクラスメイトと法隆寺を訪れました。そこで友人たちとベンチに座って昼食を食べる事になりました。昼食を食べ終えデザートの柿を口に入れた時、背後の鐘楼でお坊さんが鐘を突いたのです。あまりの大きな音に私たちは驚いてしまい、思わず笑い出してしまいました」


 こんな感じでしょうか。

急に小説の一文っぽくなったと思いませんか?

でもこれを俳句にすると「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」になりますよね?


 「卵かけご飯」なんて料理じゃないという方はいるかもしれません。

だけど「卵焼き」を料理じゃないという方はあまりいませんよね。

それはこういう事だと思うのです。


 では、先ほどの作業で散文化した俳句でこの肉付け作業を何回か行ってみてください。

これが普通にできるようになれば、いつの間にやら一文だけなら自由に文章が書けるようになっていると思うのです。

料理で言ったら、炒め物くらいならやれそうという状況まで一気にランクアップですよ。


 この練習がいったい何になるかって思っているかもしれません。

ですけど、極論から言えば小説というのは、こういう一文を連続させていく事だと私は思うのです。

一つの文章を連続させて一つの場面を作っていく、一つの場面を連続させて一つの話を作っていく、一つの話を連続させると短編小説になり、それを連続させると長編小説になる。

こういう事だと思うのです。



 ここまでやれたら、もう少しだけ難しい事に挑戦してみましょう。

料理で言ったらミックスベジタブルを混ぜて半熟オムレツを作るくらい高度な料理です。


 もう一文を書くという技術はここまでで自然と身に付いている事と思います。

そこで、それを何個か繋げて四百字以上、できれば八百字以上の短編作品を書いてみましょう。


 短編作品といっても何も気負うことはありません。

あなたが今ふっと思い出した過去の面白エピソードや、最近見た笑える夢、鉄板のすべらないネタ、印象的な甘い一夜、最初なのですからそんなもので大丈夫です。

もし書きたいと思っている長編があるのなら、その第一話でも構いません。


 きっと書いていてあなたは思うはずです。

あれ? この話って面白いか? って。

でも気にしない。

まずは書き切る事が大切です。

ここ投げ出したら今までの練習は全て水の泡です。

途中で投げ出さずにとにかく最後まで書いてみましょう。

このとりあえず書ききるというのは小説を書く上で最も重要な事なんですよ。


 どうでしょう?

四百字にしても八百字にしても、思ったより少なくなかったですか?

でも思い返してみてください。

四百字って小学校の時の悪夢が蘇る原稿用紙一枚ですよ?

あの頃、ひいひい言いながらマスを埋めましたよね?

でも、今はこれじゃあ足りないとなっていると思います。


 それだけ、あなたの執筆技術は向上したのですよ!



 でも今回の作業はこれで終わりではありません。

これだけだと、温めたフライパンにバターを溶かし、溶いた卵とミックスベジタブルが入っただけ。

もう一つ大切な作業が残っています。

オムレツの形に成形するという作業が残っているのです。


 書き終えた文章を一度読みかえしてみてください。

誤字脱字が見つかり、文章が前後しているところが見つかったりしていませんか?

ではそこを修正してもう一度最初から読んでみてください。

良さそうだなと思ったら一晩寝かせて熟成させましょう。


 では一晩寝かせた文章をもう一度読みかえしてみてください。

なぜか昨日問題無いと思えた文が急に変な文に思えてきますから。

ではそこを修正してもう一度最初から読んでみてください。


 この作業を「推敲すいこう」というのですけど、書いた物を読んでおかしな部分を見つけるというのも小説を書く上で非常に重要な技術なんです。

文章を読んで違和感を覚えるという作業を繰り返す事で、もっともっと執筆技術が上がっていくのです。


 これができたら、あなたにはもう非常に高度な執筆技術が身についていると思いますよ。

料理ならそろそろ包丁を使って調理をやってみようというレベルまで到達したといって良いでしょう。



 先ほど書いた短編作品を読んでみてどうでしょうか?

まあこんなもんかなというくらいの文章になっていますでしょうか?


 この時点で面白いと自分で思えるのなら、それはもう公表してしまって大丈夫です。

(ただし、他人が面白いと感じるかは別問題ですのであしからず……)

この時点で凡作だなあと思っても大丈夫。

まだ諦める段階ではありませんよ。


 ここで改めて「小説 書き方」で検索してみてください。

面白い小説を書くために『まずはプロットを作成してみましょう』っていうサイトが見つかると思います。

続きはそちらをどうぞ!

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