未来の勇者

白雪花房

アレクサンダー

 村のほとりの草原にはギラギラとした日差しが降り注ぎ、黄や赤の花がスパイシーな香りを撒き散らしていた。

 奥の森には薄黒い雲、するどい風が吹き、気候が荒ぶる。


 怪しい空気がただよう中、少年は切羽詰まった顔で逃げていた。怒涛どとうの勢いで迫るけもの。走らなければ食われるが、そろそろ限界だ。あきらめ立ち止まりかけたとき――


 後ろでなにかが爆発する。ぼわんと髪がふくらみ毛先がはね、少年はきょとんと振り返った。


「こんなところで度胸試しとは、勇敢ゆうかんだな。将来有望だよ」


 たくましいシルエットだった。

 きたえ抜かれた肉体を誇示するむき出しのノースリーブ、激しくなびく毛皮のマント。細かな傷の刻まれた手にギザギザとした大剣を握る。

 勇者をイメージしたのだろうが物騒ぶっそうなパーツもあり、チグハグだ。

 ほむら色の頭髪と顔面の派手な刺青も相まって、むしろ悪役にも映る。

 目の前の相手が大剣を担ぎ直したのを見て、ようやく彼が敵を一刀両断したと把握した。


 少年がぼうっとしていると、そばの草むらがガサガサと揺れ、影から中型のかたまりが飛び出した。


「うわああ! もう許してくれよ!」


 針の毛皮をまとった魔。今度は群れ。

 普段は爪肉(家畜)として食用にしているため、復讐ふくしゅうに遭った気分だ。

 ビクビクしていると、シグナルレッドの目が真横をすり抜け、別の男へと向く。


「こんなところにいたら駄目だ。危ないよ!」


 腰を抜かしかけたところから一転、反射的に呼びかけた。

 男は逆に強気な態度を取る。


「危険なところに挑み乗り越えるのが冒険者ってもんだろ!」


 身の丈ほどの大剣を軽々と振り回し、穂のように直線的な切っ先を、敵へ向ける。戦いにえた姿には迫力があり、触れては駄目だと即座に悟った。


「君は逃げな。次からはもっとのどかな場所で遊ぶんだな」


 なんてことのない言葉にも圧を感じ、少年はコクコクとうなずいた後、駆け出した。


「気をつけて帰れよ」


 のんきな声を背中で聞いた。


 子どもが逃げたのを確かめてから、青年はあらためて正面を向く。

 爪肉(野生の個体は魔物図鑑いわく、フォレスト・ウィー)は鼻息荒く、よだれを垂らしていた。


「さて、我こそは未来の勇者アレクサンダー」


 火傷を焼き付けたかのような焔の刺青いれずみが主張する、男の顔。


「まとめてかかってこい! この俺が最強であると証明してやらぁ!」


 彼の挑発に応えるように、獣たちは目に出た。壁を広げるように囲い、逃げ場はない。一見すると絶体絶命の状況で彼はふてぶてしく、口角を上げた。


『ぶっ潰してやる!』


 幻聴が脳をかすめた。

 一斉に飛び出す魔物たち。宙へ身を乗り出す。殺意を研ぎ澄ました爪が灼熱の日を浴びて、刃のように光った。

 アレキサンダーは即座に迎撃げいげき。重そうな武具を力いっぱいに振り回すと、虚空こくう灼熱しゃくねつ軌跡きせきが虹のようにかかった。

 炎の力が弾け、直撃。けものは空中で霧散し、ちりとなって落ちる。まるで汚い花火だ。

 たった一撃で広範囲をぎ払う。仲間の爪肉がやられたが、残りのけものはひるまない。逆襲ぎゃくしゅうをかけて飛びかかる。

 青年はジャンプし、あっさり回避。さりげなく宙返りをしつつ、大剣を振り上げる。炎熱が輪を作り、空を彩った。


「これが本物の冒険者……!」


 平原の真ん中にある丘の上で、少年は一旦足を止めた。

 謎の戦士は魔物を相手に大立ち回り。

 アクロバティックな動きは、まるで曲芸。獣ごとサーカス団の一員となったかのような光景に、思わず見入る。

 いつかあんな風になりたいと、少年は目を輝かせた。

 しかし、今は安全を確保するのが先なので、ワクワクを抑える。

 もう一度走り出し街へと向かう彼の耳には、悪役じみた高笑いが響き、小さくなっていった。


「思い知ったかケダモノども! 一人でもこれくらいはできるんだよ!」


 マウントを取る間に、炎熱の舞台から逃げ出した演者が一匹。勝負を投げ出し、あたふたと木々の隙間すきまへ逃げ込む。

 アレキサンダーは真顔で視線を滑らした後、すぐさま暗黒の森へ突入した。


 冷静に考えると一人で突っ込んでいることに気づくが、どうせ死にはしないのだから、問題はない。

 サクッと掃討そうとうは完了し、きびすを返そうとした矢先だった。


 やけに大きな気配が後ろに生じる。ぞくっと背中に爪を立てる感覚がし、張り詰めた顔で、首を回した。

 大地を丸ごと引きずってきた見紛うほどの巨体に、樹木のような牙。どっしりとした足でれば地響き、波のような振動がこちらまで伝わる。

 普通なら萎縮いしゅくしそうな状況で、アレキサンダーはカッと目を見開き、感情をあらわにした。


「まさか、お前は……!」


 土がこびりついたゴツゴツとした皮膚ひふには、傷が亀裂きれつのように刻まれている。

 忘れるわけもない。あれは、あのひとがつけたもの……! 

 丸い虹彩こうさい越しに視認した瞬間に、脳内に稲妻が走った。


「いいや、会いたかったぞ」


 動揺を押し留め、あえて口角を上げた。


『あれだけのことを経験しておいて勇者を気取るとは。貴様はなにを学んだのだ?』


 魔物はあきれながら口にする。脳内に直接響く、おぞましい声音だった。


『身の程が分かっておらぬのなら、教えてやらねばなるまい』


 言葉と同時に嘶くと、空気がピリリとしたものに変わる。風がざわめき、カラスが暗黒の空に飛び立ち、螺旋らせんを描いた。

 相手が踏み出すと、周りの草から蔓が伸び、こちらの四肢ししに絡みつく。アレキサンダーは拘束を受け、舌打ちをしながら、すぐに視線を上げた。


「でかく出た割りにずいぶんとしょぼいじゃないか。ビビってるのかい?」


 バンッ!

 あおり返すと強引につるを振りほどき、二本の足で立った。

 崖のように立ちふさがるのは、因縁の敵。撤退はない。


「うおおおおお!」


 雄叫びを上げて、斬りかかる。殴り込みを仕掛ける勢いだった。

 刃を突き立て硬直。頑丈な皮膚ひふに阻まれ傷一つ、つかない。アレクサンダーが歯を食いしばる中、敵は涼しげ。身動ぎをする感覚で体を跳ねさせると、一気に弾かれた。地面を転がる。かつての戦利品であるマントが、土で汚れた。


『これが本物の魔。格の違いだ』


 ドスのきいた声が降ってくる。確かにそうだ。いままで戦ったどんな魔物よりも強い。思えば、村が崩壊したときもそうだった。


 深緋ふかひ色の空、魔の気配に包まれた村ヘイズ。

 木製の家屋をなぎ倒し、散らばる木片。火が吐き出され、灰となる。闇より生じた獣の中心に、大地の化身が君臨した。一際異様な雰囲気を放つ魔物に向かって、村人たちは果敢かかんに挑む。アレキサンダーの姉もその一人だった。

 大剣を振り上げ一太刀浴びせるも、あえなく玉砕。ありし日の少年が駆けつけたときにはすでに彼女は、赤い水溜りの中に沈んでいた。

 姉は紅に濡れた手で弟の頬に触れた。


「あなたはきっと止まらない。ならばこの剣を受け取り、意思を継いで」


 血化粧を施した唇で祈りの言葉をつむぐ。彼ならばきっと大丈夫だと。

 やがて女性はゆっくりとまぶたを閉ざし、体から力を抜く。腕がだらりと下りて、首がこてんと傾いた。

 少年は冷たくなった姉の手を、ギュッと握りしめる。揺れる瞳。焦点が合わない。

 なにが起きたのか分からなかった。嘘だと言ってほしい。

 何度も姉の名前を呼びかけすがりつくも彼の声は黄昏たそがれの空にむなしく響き、寒々しい風が吹き付ける。もはやなんの感情すら浮かばなかった。


 たくさんの死を積み上げて、少年は生き延びる。一人だけ、のうのうと。

 目をそらし逃げ出す。黄褐色おうかっしょくの荒野をひたすら進み続けたこともある。

 なに一つ、実感が湧かない。 

 村が滅ぼされたと理解したのは、冒険者ギルドに所属したころになって、ようやくだった。専門家いわく、魔物の奔流ほんりゅうなる現象に巻き込まれただけ。要は運が悪かったとのこと。

 弱者は淘汰とうたされるのが、自然の摂理。魔物退治の活動をこなす中でも、取りこぼしてしまうものがあると知った。

 だからといってさとった振りをして、投げ出すつもりはない。アレクサンダーは目の前の理不尽にこそ剣を向けたかった。


「誓うよ。俺は誰にも負けない。この剣に賭けて!」


 世界の魔物を殺し尽くし、約束を果たす。

 ほかならぬ自分に言い聞かせるように。

 彼は弱いおのれを一番に許せなかった。



 ドシドシと鈍い足音が迫る。

 ざらついた気配。まだ、敵は消えていない。

 いつか掛けられた言葉が脳裏をよぎる。


「お願い。あのS級モブには手を出さないで」


 なめらかな髪をローブに垂らした少女が、眉をつり上げ訴えかける。薄暗い宿の一室でランプに照らされた横顔は、神秘的に映った。


「覚えて。逃げるが勝ち。生き残った者こそ、真の勝者なの」


 アレキサンダーは確かな目付きで前を見据える。

 前方には大地の化身――業者の間でビースツと呼ばれる個体。


「だが俺だって伊達だてにここまで生き残ったわけじゃあ、ないんだよ!」


 地面につけた手のひらを押し上げ、立ち上がった。

 おくする気持ちを繋ぎ止め、おのれをふるい立たせる。

 今度こそだ!

 大剣を構え直すと炎が噴き出す。燃えたぎる意思に突き動かされるように、彼はS級の魔物モブに立ち向かった。

 スピードで攻める。渾身の一撃。ほぼ不意打ちだった。血しぶきが上がる。傷が斜めについた。ちょうど古傷に重なる形。

 いけるぞ……!

 確信を持った矢先に敵がえ、牙をく。弾き飛ばされるも、身をひねり、着地。アレキサンダーはやや離れた位置で大剣を構えた。


「俺は未来の勇者だ。この称号に泥を塗るわけにはいかねぇよなぁ!」


 勝利するつもりで宣言する。眼光が夏の太陽と同じく、ギラリと光った。

 青年は大地の獣に食らいつく。伝説級の魔物を相手に戦えるのは、いままでの経験が身についた証だ。

 毎朝素振りを繰り返し、実戦できたえる。剣聖に師事すら受けたこともあった。実際はすぐに見放され、魔導師相手のほうが相性はよかったのだが。


 いままでの修練しゅうれんは今この瞬間、宿敵に刃を突き立てるためにある!

 通過儀礼をこなして初めて、本当の自分になれる気がしたのだ。


『悪あがきはよせ。魂の刃はすでに折れていよう』


 鬼灯に燃え縦に割れた瞳孔どうこう。万物を見抜いた目をしていながら、実際はなにも見えていない。


「悪あがきだって!? どんなに不格好でも、最後に立ってたやつが一番強いんだよ!」


 大きく目を見開き、声を張り上げる。

 けものは意にも介さない。


『これから死ぬ者が未来を語るな』


 一足で踏み潰さんとする勢い。スピードを上げ、突進を仕掛けてくる。

 生きるか死ぬかの狭間はざまで引き伸ばされた時間、けものの動きがゆっくりに見える。

 回避するか否か――もちろん、受けて立つ! 大剣を握りしめると、火炎が吹き出した。こちらまで焼けるほどの熱気。火山をバックにしたかのようだった。


 ジリジリとした緊張感。いよいよ激突するというとき、急に透明な光が差し込み、森の暗黒を貫いた。


「アレク!」


 透き通った声が耳に入り、ハッと顔を上げた。

 視界がクリアに、思考が切り替わる。

 アレキサンダーはあらためて大剣を振り上げた。ギザギザとした刃が真紅の輝きを帯び、揺らめく炎が瞳に焼き付く。

 まばゆい粒子が彼に集まり、凝縮。灼熱のあまりにも白く染まった。


「記憶の底に刻みつけろ。俺こそが未来の勇者。アレクサンダー・ヘイズだ!」


 オーラをまとい、飛び立つ。足の裏にブーストをかけ、突撃。


 相手は仲間の登場を予想できなかったらしく、きょかれたように固まる。

 隙だらけだ!

 ギザギザとした刃を向けると、魔力が爆発。


『うがああああ!』


 白の中で黒いシルエットが歪み、ブレる。

 攻撃は終わっていない。体をドリルにして、光の中へ突っ込み、穿つ。

 衝撃波が発生。土煙が舞い、視界がくらむ。

 不透明な中、空いた穴をくぐり抜け、青年は宙に躍り出た。


「二対一は卑怯だって? 俺たちは二人で一つなんだ」


 鮮やかな青空に身をさらし、ドヤ顔。


「でも言っただろ。最後まで立っていたやつが一番強いって。ほら、やっぱり俺が最強だ」


 トゲトゲのブーツで着地すると、背後でなにかが爆発した。


『なぜだ!? なぜ、貴様ごときに……!』


 断末魔だんまつまが頭に直接響き、怨霊おんりょうのように声が重なる。

 やがて魔の気配はシャープな風に吹きさらわれ、一掃された。

 強烈な空気の流れにあおられながら、青年は落ち着いた顔。なお、内心はゼーハーと息を吐く。体中のエネルギーを出し切っていた。

 よろけそうになりながらも背筋を伸ばし、しっかりと立つ。


「わざわざ主張しなくったって、勝ちは勝ちでしょ」


 後ろからクールな声が掛かる。


「よう、速かったな」


 アレクサンダーは爽やかに振り返る。

 はぁ……と女のため息。

 張り詰めた雰囲気で寄ってきたのは、いかにも聖女らしい風貌の娘だった。切れ長に目の凛とした顔立ち、頭の大きなリボンが目を引く。彼女は銀色のストレートロングを結い上げていた。

 体のラインに沿うように滑り落ちた、絹のローブ。ドレープのきいた生地にチェーンがきらめき、ハートのペンダントトップが、谷間に落ちる。


「君、子どもとすれ違わなかったか? 無事に戻れたんだろうな」

「ええ、問題はないわ。それよりも」


 平然と問いを投げると、律儀りつぎに答える。

 つづいて彼女はキリッとした顔で彼を見上げた。


「言ったわよね。一人で突っ走っちゃ駄目って」

「早く行かないと危ないって思ったんだ。なにより、獲物が俺を呼んでたんでな」


 悪びれはしない。代わりに彼は感謝の気持ちをぶつけた。


「着てくれて助かったよフィオナ。おかげで楽勝だった」


 とびっきりの笑顔。

 少女は目を瞬かせた後、肩をすくめる。

 いちおう、身の程をわきまえたつもりだ。青年はフィオナと組んでようやく、本領を発揮する。彼は魔法を使えず、学校に通っていたころはよくバカにされた。

 今となっては校舎は焼き尽くされいやなやつらも皆、死んだ。


 目の前の少女はアレクサンダーの過去を知らないし、詮索せんさくもしない。だまって手を貸すだけ。彼女こそが彼に魔法剣を授け、旅に付きうパートナーだ。


「覚悟してよね。私は何度でも追いかけるから」


 腰に手を当てて、主張する。


「それは頼もしい限りだ」


 くるりと大剣を回して、背に戻した。

 彼女のそばに立つ限り、おのれはただの戦士でいられる。アレクサンダーは気を楽にして足を踏み出し、少女は小走りで彼に追いついた。

 紅蓮の化身のごとき青年と、氷雪に染め上げられた彼女。調和した見た目の二人は、揃って暗黒の森を抜ける。


「そういや鉱石谷ビジューの爺さん、また新しいゴーレム開発したんだってさ」

「私は興味ない」

「そんなこと言わずにさー」


 にぎやかな街のほうへ足を向ける。広々とした平原の中で男女の姿は小さくなり、カラフルな花に上をそよぐ風に乗って、彼らの声も遠ざかっていった。

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未来の勇者 白雪花房 @snowhite

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