奇術師と人形

 奇術師が目を覚ますと、薄いブラウンの瞳がこちらを不安げに覗き込んでいた。ぱちりとまばたきをしたあと、人形はその手を奇術師に伸ばそうとして、やめた。

 とにかく、相手を安心させたくて、大丈夫だよ、と言おうとするけれども、何が大丈夫なのかはわからなくて、うまく言葉にできない。

 体を起こし、伸びをする。どこにも不調はないようだった。寝間着も着ているし――寝る前はステージ衣装だったはずなのだが。

 寝る、そう、寝るというか、意識を落とされて、今こうなっている。

 窓の外からは鳥の声がする。朝日が差し込んできている。その光が人形のモーブピンクの髪をやわらかに照らしている。ということはおそらく朝なのだろう。

 人形はベッドサイドの椅子に座ってこちらの様子をうかがっている。所在なさそうに両手を動かしながら、奇術師としてもどうしていいのかわからなかった。

 普通の朝のはずだった。

 普通の朝にならないのは、眠る前の記憶のせいだった。

 

 コードとキー。スリープモード。

 そこから導き出される結論はひとつしかない。

 

 ひとつしかないけれどもそれを認めたくはなくて、ひとつ、息をする。まったく、信じたくないことばかりだ。だけれども、奇術師は、論理的帰結を棄却するほど感情的にはあれなかった。

 窓の外から差し込んでくる光が眩しくて、目を細める。この感覚もいまいち信用ならないが、今はもうそれどころではない。

 奇術師は、人形に、言う。

「お前がやったのか」

 の後にテンポラリーネームを続けようとして躊躇する。

 どれであろうとも、ここで呼んだ名前がほんとうになってしまうような気がして、奇術師はそのまま続けた。

「お前が、僕を作ったんだな」

 人形は、少し間をおいてから頷いた。

 そうだよなあと奇術師はため息をつく。

 状況証拠がすべて、その事実を指し示している。

 コードとキー。

 動作情報と音声情報。

 そのふたつが揃ってはじめて、自動人形に行動入力が可能となる。

 たとえば、奇術師が人形を作ったとき、コードとキーとして与えた組み合わせは『額をくっつけて』『おやすみと言う』。

 これは、自動人形をスリープモードにするためのもので、偶然スリープモードになる事故が起こらないようにそのどちらも必要とする。もちろん、音声情報は事前に登録されているものでなければならず、他人がキーを使用することはできない。

 コードとキーを持っているということは、つまり。

 製作者あるいは製作者から権限を移譲された存在である。

 自分には権利者が変わった記憶はないから――まあ、今となっては記憶もかなり、怪しいものなのだが――可能性が高いのは、この人形が自分を作った、というラインである。

 論理的には、そうだ。

 人形は音声言語を発するすべを持たないから――何らかのトリックを使ったのだろう。あるいは誰かの音声データだけを記録媒体に吹き込んでもらったか。

 人形は否定してくれない。縦に首を振ることも横に首を振ることもしない。ただ曖昧な表情で奇術師を見つめていた。

 

「とりあえず、コーヒーとスコーンだけ食べてもいいか……?」

 さすがにお腹が空いてきた。昨日の夜もろくに食べていない。お腹がいっぱいになればこの推論のどこかが間違っているとわかるかもしれない。とはそこまで信じていない。ただ、空腹時に考え事をするのはよくない。そのくらいの経験則は奇術師も身に着けていた。

 自動人形も食事を摂る。普通は。

 だから、自分も、食事を摂る。

 普通ではないように奇術師が作ったのが、この人形だ。

 立ちあがり、キッチンに行き、湯を沸かし、部屋に備え付けられたコーヒーミルで、豆を粉にする。ルーチンワークとして染み付いた行動。

 その間に、人形がスコーンを温めておいてくれた。このスコーンは、昨日劇場主が差し入れにくれたものだ。温められたスコーンは、白い皿に乗せられていた。

 朝食にしては簡素だが、何も食べないよりはよいだろう。

 

 奇術師と人形はテーブルにつく。

 どことない緊張感がそのテーブルにはある。人形は紙とメモを用意してくれていた。ここから先は、込み入った話になる可能性が、ある。

 奇術師は、深煎りのコーヒーにミルクを入れて、それでいちごジャムを塗ったスコーンを流し込む。コーヒーはミルクを入れなければ飲めないくらい苦いが、スコーンは口の中の水分を奪う、スコーンとしてはよいものだった。口の中にざらざらした感触が残る。どちらもそれなりにおいしかった。はずなのだがろくに味を感じることはできなかった。味を感じる余裕がなかった。

 人形はなおも穏やかに微笑んでいて、奇術師にその真意はわからない。

 スコーンを食べ終わった奇術師は言う。

「なんというか……ちょっとまだ受け入れがたいというか……」

 さすがに新たに明らかになったことが多すぎる。

 この前まで自分は人間で、普通に年齢を重ねていくものだと思っていた。

 それが今となっては、修復の必要な自動人形だとわかってしまった。

 どうして誰も自分にそう言わなかったのか――とは思ったものの、定期的に現れる『なぜお前は年を取らないんだ』って言ってくる人たちは、なんらかの真実にたどり着いていた可能性がある。まったくもって、自分は、相手にしなかったけれども。そりゃあ、自分が人間だと思っているのなら、そうなる。

 自分は歳を重ねていた自覚があった――はずなのだが、たとえば、自分がいつから『世界一のマジシャン』として名を馳せていたのか、思い出そうとすると正確な年はわからない。少なくとも、今よりは昔だということはわかるのだが、それだけだ。そのときの自分の姿もわからない。自分の写真を取っておく習慣は、奇術師にはなかった。自分が今まで巡ってきた街にはそれぞれ写真が残っているだろうが、それらを突き合わせて確認する機会など、そうそうないだろう。

 奇術師は残っていたジャムを食べて、コーヒーを飲む。

「え、でも、僕はお前を作ったよな……?」

 それには人形は笑顔で頷く。そこは真実のようだった。少なくとも。

 この人形を信じる限り、という留保はつくのだが。

「その時の僕は人間だったよな」

 記憶がゼロから構築されているのではない限り、自分には人間として生まれた記憶がある。どのようにしてかは推測するほかないが、なんらかの手段で人形に変化させられた、あるいは元となる人間をそっくりそのまま移築した人形を作成した、というのが妥当な推測だろう。

「で、その後、お前が僕を人形にした、ってことか?」

 それにも人形は頷く。人形は手元の紙に、人形の絵と、奇術師の絵を描き、奇術師のところに一、人形のところに二の数字を書き入れる。順番はこれで合っているようだった。

 

 言葉があれば数倍以上早く情報伝達が済んでいるところを、わざわざこうしている。

 それを定義したのは自分だが、それを許しているのはこいつだ。

 もしも人形が本気で言葉を発したいと願ったのならば、奇術師を改造して、人形の機能制限を外すように仕向ければよかったからだ。

 人形はその手段を取っていない。

 その理由は、奇術師には、わからないけれども。


 朝と呼ぶには太陽が高くなってきていた。話はまだ終わりそうになかった。はたから見れば会話には見えないそれは、そのふたりの間ではコミュニケーションであった。

 

「じゃあなんで、僕の記憶を消さないんだ?」

 スリープモードにできるのならば、記憶領域へのアクセスも可能なはずだ。

 奇術師が、自分が自動人形だということに気付いたところで記憶を消す。

 そのような運用は可能なはずだ。

 そいうか、昨晩スリープモードにしたときにそうできたはずだ。

 なのに、自分には、このように、自分が自動人形であるという記憶がある。

「そうすれば、今まで通り、じゃないか」

 そう奇術師が言うと、人形は訝しげな顔をする。

「僕は人間だと思い込んだ人形のままマジシャンとして暮らし、お前はそのアシスタントをする」

 奇術師はコーヒーを飲み干す。

 人形はそれを見守っている。


 沈黙と、人形の視線だけがこの場にあって、奇術師はどことなくいたたまれなくなる。

 

「ごめん、ちょっと一回、外の空気吸ってくる」

 奇術師は人形を置いて、バルコニーに出た。そこには海のように見える湖があって、静かな水面にごくまれに魚が跳ねる。それを狙う鳥たちが上空に飛んでいてーーいたって平和な、光景が広がっている。

 奇術師は大きく手を広げて深呼吸する。

 人形が自分のことを心配してくれているのはわかったし、おそらく人形に悪気がないこともわかったが、でも少しの間、ひとりになりたかった。

『僕にはこいつがいるんで』

 花の街の幻影遣いにかつて言ったことを思い出す。

 そのときは、ほんとうに、そのつもりだった。

 人形がいれば、それでいいと思っていた。

 でも今はどうだ? 今もそう、思えるか? 奇術師は自らに問いかける。

 確かに人形のことは大切に思っている。どれだけ金を積まれても売らないし、誰が人形を必要とするとしても、自分よりも人形を必要としている者はいないだろう、と思っている。

 人形をそう作ったからだ――で、ずっと、逃げ続けていたのだが。

 バルコニーの欄干に肘をつきながら、奇術師は述懐する。

 奇術師は人形を作った、そして人形は奇術師を自動人形にした。

 理由はわからないのだが、そうした。

 そんな中、自分は人形のことを信じ続けてもいいのだろうか? これまでと同じように、アシスタントとしていていいのだろうか?

 奇術師が人形の製作者であることには変わりがない。破壊する権限も、当然、持ち合わせている。

 そうはしたくなかったのだけれども――なら、どうしたい?

 一拍置いて、奇術師は覚悟を決める。

 部屋に戻るドアを開ける。

 そこには人形が待っていてくれている。

 いつものように。


「絵には――ならなかったか」

 人形は、いくつか絵を描こうとしてくれたようなのだが、全部ぐちゃぐちゃの線で塗りつぶされていた。

 こんなとき言葉があれば早かったと思う。

 早かったけれども、その言葉を信じることができただろうか。

 できないから、人形をこう作ったのではあるまいか。

「僕は、お前をこう作った」

 自動人形を作るというのは、その相手に対するフルコントロールの権利を得ることである。

 奇術師もそうした。

 自由意志を与えはしたが、実際、それは奇術師の目的のためであった。それがほんとうに自由であるのかどうか、奇術師には判別がつかない。

 人形は奇術師をじっと見ている。その

「それがお前の答えなんだろうな」

 だから、推測するしかない。薄いブラウンの瞳で。くちびるをきゅっと閉めて。

 言葉にならないなら、行動から推し量るしかない。

 これまでに何があったかは知らないが、少なくとも、今回、この人形は、自分の記憶を消さないでおいたのだ。

 自分の記憶があること、それは真実だ。

 真実から生まれる感情がある。

「だったら、僕は信じるよ」

 この感情がそう形作られたモノだとしても――これまでこいつと重ねてきたステージは、ほんものだ。

 どんなに記憶が信じられないとしても、ほんものだ。

 マジックが一時の夢だとしても、それを見て得られた感情がほんものであるのと、同じように。

 だから。

 奇術師が言うべきことはひとつしかなくーー言おうとした瞬間に、人形が行動に出る。

 

 人形はポケットから赤いガラス玉を取り出して、奇術師に手渡した。今度は、手首が落ちることはなかった。そのガラス玉は、つくられたガラス玉は、よく見ると僅かな欠けががあるのだが、その欠けた部分にランプの光が入ってきらめいている。

 まるで自分たちみたいだ、と奇術師は思う。作られた、欠けのある、構造体。その欠けがあるがゆえに、光をばらまく、構造体。つめたくて、ひんやりとしていて、でも奇術師の手のひらの熱を吸い込んで、かすかにぬくもりを持つ、作られた存在。

 奇術師は人形にガラス玉を返して言う。

「なあ、ショーをやろう」

 結局のところ、奇術師と人形には、これしかないのだ。

 そのように作られたモノと、そのために作られたモノ。

「ここの劇場でやった、大規模なやつじゃなくっていいから」

 さまざまな街を巡って、さまざまなショーをやって。拍手をもらっては次の街へ。

 何があろうともそれだけは真実。

「いつもみたいな、小さなショーを、路上でやろう」

 もしもお前が望むなら、と奇術師は人形に手を伸ばし、人形はその手を取る。

 ひんやりとした手の、その内にあるぬくもりを、奇術師は信じている。

 

 × × ×

 

 昨夜、突然姿を消した奇術師と人形が、昼過ぎに大通りに現れたので、船の街の人々が次々にやってきた。もうすぐここでショーを始めますよ、と奇術師が宣言すると、大盛りあがりとなった。

 奇術師は黒の上下に黒い帽子を被っている。ネクタイはいつもどおりの赤で。

 人形はつややかでゆったりとした白い服を身にまとい、特別にモーブピンクの紙を赤いリボンで後ろでくくっていた。

 公演はまだ始まってもいないのに、大通りは大きな人だかりとなっていた。

 なら、と、奇術師は水滴でつくられた透明な蝶を空中に放った。それらは陽光を受けて光を放ち、壁に虹を落とした。

 手のひらサイズのたぬきが出てきたときには、小さな子供が興味津々とばかりに触ろうとしてきて、それを人形がやんわりと制した。

その代わりに、その子供にスプーンを持たせてやり、奇術師がいとも簡単に遠くからスプーンを曲げてみせた。

 それから、この街名産のカラフルな布を上空にひらりと投げると、中からステッキが出てきて、そのステッキから花弁が大量に現れた。

 観客が一人選ばれ、カードを引くと、そのカードの柄はその観客が今朝食べたクラッカーとチーズの柄だった。

 噂が噂を呼び、どんどん人が増えていき、大賑わいの中、それでは最後の演目となりました、と、奇術師は言う。

「それでは最後、皆様に、奇跡をご覧にいれましょう」

 そう奇術師が言うと、人形は小さな黒い箱を取り出した。

 人形はその箱を空に掲げる。

 その箱からは、大きなシャボン玉がいくつも出てきて、そのシャボン玉の中には――かつて奇術師と人形が巡ってきた、さまざまな街の光景が映し出されていた。

 街並みが埋もれるくらいの花々が咲きほこる街。

 機械の技術が非常に発達した街。

 しんしんと降り続ける雪の街。

 自動人形たちだけが住んでいる街。

 ガラス工芸品が家々にきらめく街。

 金細工が生活に行き渡っている街。

 白い石造りの風景が印象的な街。

 それ以外にも、たくさんの街の光景が、シャボン玉の中にはあった。

 触れるとかすかな光とともに弾けていく。

 そのシャボン玉たちを、観客はうっとりしながら眺めていた。子供も、音なも、この夢のような光景の前には平等だった。

 湖の方から風が吹いてきて、それらのシャボン玉を上空へと飛び去らせる。長い事上を眺めていた観客たちだが、その後視線が向いたのがこの奇跡を起こした奇術師と人形であった。

 そして、そのシャボン玉たちが去ったあと、誰よりも先に拍手をするのが人形だった。

 しばしの夢のような光景は終わり、奇術師は、ありがとうございました、と言う。

 奇術師は人形を手で指し示して、人形は深々と一礼する。

 人形は奇術師を手で指し示して、奇術師は優雅に一礼する。

 それから奇術師は、かぶっていた黒い帽子を手に取って、地面に置き、お心をお願いします、と言う。

 人々は我先にと小銭や紙幣を持って奇術師の前に殺到し、それらは帽子からあふれるほどとなったので、トランクケースも開けることにした。

 

 奇術師と人形は顔を見合わせた。

 互いにほんの少し、微笑んで、やっぱりこれでよかったんだ、と、奇術師は思う。

 僕たちの生きていく場所は、ステージしかない。

 たとえ僕たちが、何者であろうとも。

 

 拍手が鳴り響く中、突然、サイレンが鳴る。

「みなさん、落ち着いてください」

 奇術師はとりあえず、続報を待ちながら、観客たちを落ち着かせようとする。人形は、怖がっている子供たちに寄り添っていた。公演中のトラブルは、あってはならないことだが、これだけの場数を踏んできたら慣れてはいた。とにかく、群衆がパニックになることは避けなければならない。

 観客はざわめいていたが、観光客の方々は速やかに避難してください、住民は所定の手順に従って船を降りてください、というアナウンスが流れたと同時に、そこかしこから誘導員が現れ、的確に指示を行い、人々を避難させていった。

 奇術師たちも荷物をまとめて船から降りることになった。遠くから、がちゃん、がちゃんと、金属質な音が聞こえて、大丈夫なのか、と思うが、アナウンスがしきりに、問題ありません、観光客の皆さんは避難を、住人の皆さんは所定の手順を、と冷静に繰り返してくれたので、比較的落ちついて行動することができた。たくさんの人がいたため、降りるのには時間がかかったが、港の街の広場にみなが避難するまで、サイレンは鳴り続けていた。

 奇術師と人形が港に降りて、人々が不安がっているときも、ふたりは手持ちの材料でできるだけのマジックを子供たちに見せてやっていた。こういうときはサービスだ。住民も、観光客も分け隔てなく、奇術師のカードマジックに夢中になっていた。そのおかげで、時間が経つのが少しだけ早いような気がしてならなかった。

 その間、人形はそのマジックに乗り気ではない子供たちと一緒に遊んでやったりしていた。奇術師とまでは行かないが、人形もそれなりに背が高いため、最初は威圧的に感じられたようだが、柔和な表情に、すぐに子供たちも気を許してくれたようだ。鬼ごっこやかくれんぼをして遊ぶことになった――鬼ごっこは圧倒的にフィジカルが強い人形が有利だが、かくれんぼは目立ちやすい髪の色を持つ人形のほうがフリだったので、子供たちも楽しんでくれたようだった。

 最後の放送が鳴る。

「全員の避難が完了しました。みなさまご協力ありがとうございました」

 

 奇術師が湖のほうを振り返ると、そこにあったはずの巨大な船は跡形もなくなっていた。

 その代わりに、巨大ながれきの山のようなものが、港にはできていた。

 

 後から聞いた話によると、飲食店で火事が発生し、風向きの関係で燃え広がる恐れがあったため、緊急避難ということになったらしい。

 では、どうして船の街がなくなってしまったのだろうか?

 奇術師がそう思っていたところに、一日目に街を案内してくれたガイドーーエンリケが声をかけてきた。

「ああ、我々はあのサイレンが鳴ったら船のパーツを所定の手順で分解し、ひとりひとり持って逃げ出せ、っていう訓練を受けているんですよ」

 だから、水辺には大量の木材やら石材や鉄材が積んであります、とガイドは続ける。

「用意周到ですね」

 奇術師が感心していると、

「まあ、実際にやるのは、初めてですが」

 とガイドは朗らかに笑う。

「これを組み直して――まあ、船底の一部とかは、湖に落ちちゃったかもしれませんが、それを新しく作れば、すぐにまた、船の街ができます」

 それまでは、姉妹都市の港の街にお世話になることになるとは思うんですが――こういうのは持ちつ持たれつですからね。港の街で事件などが起きたら、そのときは船の街が助けることになるのだという。

「私たちは、そうやって暮らしてきたんです」

 さっきまであったものが跡形もなくなってしまったにも関わらず、組み直せるのならば問題ないと、あっけらかんとしているガイドに、奇術師は、この街は強いものなのだな、と思った。

「……すごいな」

 思わず、奇術師は隣りにいた人形に同意を求める。人形は思い切り頷いた。

 山のように積まれた資材から、正しいパーツを選び出して、正しい場所に置く。

 それがどれだけの努力が必要なことなのか、奇術師には検討もつかないのだが、この街ならばやり遂げるのではないかという根拠のない確信があった。

「この街は、こうやって、永遠を手に入れました。何回壊れたところで、同じ街があるんです」

 だからぜひ、来年も来てくださいね、とガイドは言う。

 夕日に照らされた湖の上には、あれほど大きかった船はもうないのだけれども、奇術師には、まるでずっと船がそこにあるかのように感じられた。鉄と木と石で構成された船ではなくて、大気で構成された船が、すでに存在するかのような錯覚。

「来年も、ここにありますから、この街は」

 ガイドは晴れやかに言う。

 夕日越しのガイドは、奇術師にとってどこか眩しかった。


 せっかくここに滞在することになったのだからと、港の街でも追加公演を何回か行ったあと、奇術師と人形は街を後にした。

 スケジュールも変わってしまったし、次どこに行くのかは正確には決めていないが、どこであれ、やることは変わらない。

 ショーだ。

 ショーだけが僕たちをつないでいる。

 荷物を持って駅に向かう途中、奇術師はがちゃん、という音を聞く。地面を見ると、予想通りの光景がある。持っていたスーツケースごと、左手が地面に落ちていた。スーツケースが開いてしまって、荷物がぱらぱらと外に溢れてしまっている。

「って、この左手、こんなに落ちることある?」

 人形がそれを拾い上げて、手慣れた手つきでまたくっつけてくれた。何回か握ったり開いたりして、動作確認をする。まったく、こんな頻度で落ちるんならもっと早く気付いたってよかったんじゃないか? それから、スーツケースの中身を両手でしっかりともとに戻し、きちんと施錠して、スーツケースを閉じる。

「ああなるほど、こういうときのために人形師がいるってわけか……」

 自分の修繕を頼む、というのもなんだか妙な気がするのだが、人間にだって病院があることだし、それと同じだと考えれば、似たようなものなのかもしれない。

 そうなると、次のオーバーホールは二体分の値段が必要となってくるわけか。貯金しておかないとな。

 と思ったところで、人形がなんとなく不安げな顔をしているので、

「いやお前の調整に文句言ってるわけじゃないからな」

 と言ってやる。ぱっと表情が明るくなった人形を見て、奇術師は、

「僕がお前の修理をしてさあ、お前が僕の修理をして」

 というか、実は、ずっと、そうだったわけなのだが。自分が気付かなかっただけで。

 地面を歩く鳩たちには目もくれず、人形は奇術師のほうを見ている。

「それで、ずっと、ショーができるなら、それが」

 一番なんじゃないかな、と、奇術師は言う。

 駅には着いた。

 列車が来るまで、あと一五分。

 人形は奇術師の袖を引っ張って、こっちの白いベンチに座ろうと促す。

 奇術師は人形に引っ張られながら歩く、スーツケースは重たいけれども、気にならない 

 

 これは何回目なのだろうか? 何十回目なのだろうか? あるいは何百回目なのだろうか?

 実際のところ、このやりとりが何度繰り返されたのか、彼らに判別する術はない。

 記憶などというあいまいなものは、過去という不確かなものは、彼らにとってもう用をなさない。

 それでも。

 彼らは共にあることを決めた。

 月日とともに壊れゆく身体を、互いに補修し続けることを決めた。

 世界一のマジシャンとしてのステージを、街々に届け続けることを決めた。

 何者かであるまえに、自分がマジシャンであるということを決めた。

 あたたかに作られた手がつめたく作られた手を取った。

 一緒に歩く、ことを決めた。

 ずっと、ずっと、その足が歩を進められる限り。


 奇術師と人形は白いベンチに座りながら列車を待っている。人形は近くの風景をスケッチしていた。

 そこに近所の子供がやってきて、すごい人だ! と言う。

 奇術師は立ち上がり、ポケットから何やら金属が絡まったような輪を取り出して、

「よく見ててね、奇跡を起こしてあげるよ」

 と言う。息を呑む少年に、人形が笑いかけるが、それもまた奇術師から視線をそらすための技であることを少年は知らない。

「はい!」

 果たして絡まった輪はすべて解かれ、地面に落下し、すべてが円形であったことが示される。少年はぱちぱちと拍手をして、

「すごい! どうなったらこうなれるの?」

 と奇術師に聞いた。奇術師は、どうしよう、と思いつつも、

「きみが自分を見失わずに、自分のやりたいことができれば、いつかね」

 と答える。

 少年が立ち去ったあと、人形が肘で奇術師を小突いてくるので、

「何!?」

 奇術師が飛び退くと、人形はさらさらと描かれた鼻の高い奇術師の絵を見て笑っていた。さっきの自分のことだろう。

「僕がかっこつけすぎだって言いたいのか?」

 人形は悪びれもなく頷く。

「そ、それは……でもほんとうのことだろ」

 奇術師はベンチに座って言う。

 人間だからこう、ではない。

 自動人形だからこう、でもない。

 何として作られたとしても、僕たちの選択は、ほんものだ。

「僕たちはこう在ることにしたからこうなんだ。それ以外の何かが、必要か?」


 駅の時計を見ていると、もうすぐ次の街へと行く列車の到着時刻だ。奇術師と人形は荷物を両手に持って走る。ホームまで。こんなところでのんびりしている場合じゃなかったが――奇跡が必要な場所には奇跡をもたらすのが、自分たちの使命だ。

 人形が荷物を背負っているのにも軽やかに走っていくので、奇術師はそれに置いていかれないように重たい荷物を持ちながらも走ってゆく。


 何度だって繰り返されたかもしれない光景は、今の二人には一度きり。

 

 これは奇術師と人形のものがたり。

 彼らのつくった永遠の、ものがたり。

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奇術師と人形 祭ことこ @matsuri269

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