分解と演繹
その公演は大成功のうちに終わったと伝えられている。
はじめて船の街の年に一度の祭りにやってきた奇術師とそのアシスタントの人形は、見事なパフォーマンスを見せてくれた。
特に、船の街には定住していない極彩色の鳥たちを用いたプログラムは、その珍しさもあって多くの関心を寄せた。小さな箱から出てくるはずもない数の鳥たちが劇場内を飛び回り、観客たちは目を丸くした。
その好評さは当初の予定にはなかった三回目の公演が急遽組まれたほどだった。
その三回目も、満員御礼、拍手喝采のうちに終わった。
さしたるトラブルもなく、平穏無事に奇術師の公演は幕を下ろした。
奇術師はそう思わなかった。
三回目の公演でそれは起こった。
舞台の中盤、奇術師の得意とするカードマジック。観客にカードを引いてもらってマークを付けてもらい、シャッフルしたあとそのカードを引いてみせるというものだ。
いつもやっている、定番ながら受けがいいマジックだ。ミスなんかするわけがない。
奇術師は観客が手渡してきたカードを山札に入れ、シャッフルしようとした。
そのとき。
ことり、と、山札を持っていた左手首が地面に落下していった。痛みはない。痛みはないが手首から先の感覚が一切ない。カードはとっさに右手で持つことができたので床に散らかることはなかったが、奇術師の左手首は舞台上に転がった。自分の手首を見てみると、黒曜石のようにつやめいた輝きがあった。
意味がわからない。
どういうことなのかさっぱりわからず、奇術師が動けないでいるうちに、そばにいた人形は慌てることなく、その手首を拾い上げて、奇術師に装着した。
断面はぴたりと合って、感覚は戻り、すぐに動かすことができた。
そして、人形は観客に拍手を促した。
観客は、これもトリックだと思っているようだった。
奇術師は、こんなトリックを仕込んだ覚えはなかった。体の一部が消えたように見えるマジックはある。しかし、身体の一部がほんとうに外れてしまって、ほんとうにくっつくというのは、マジックではない。
たしかに、あのとき、自分の手首は外れた。断面が空気に触れた涼しげな感触をよく覚えている。
くっついたときの、手がきちんと戻ってきた感覚も、わかる。
だから、これは、自分の手首が外れた、ということだ。
そのアクシデント――奇術師以外はアクシデントだとは思っていないのだが――にも関わらず、三回目の公演は何事もなく終わった。
一通りの挨拶をすませ、楽屋に戻った奇術師は、自らの左手首をしかと見つめた。
なにもない。なにもない、普通の手だ。手首に切り取り線なんかもない。なめらかな皮膚がそこにはあって、石のようには見えないし、さっき、落ちたとは、思えない。つねってみても皮膚が伸びるし、痛いし、普通の人間の、手だ。そのはずだ。
でも。
さっき自分が見たものも真実のはずで――ということは。
奇術師は自分の左手を傍にあったテーブルに思いっきり打ち付ける。
骨まで響く痛みがあって、やっぱり、落ちはしない。
じゃあ、これなら、どうなんだ。
マジックの道具の中から小さなナイフ――切れないのと、切れるのがあるが、切れる方――を取り出して、左手首に向かって振り下ろそうとする。
その瞬間、人形が入ってきて、奇術師の方に走り、ナイフを持った右手を止める。
不安げに奇術師を見つめる人形に、
「いや、その、そんなつもりじゃなくて、誤解だ」
奇術師はナイフをテーブルの上に置いた。人形はほっと息をついた。
まあ、たしかにちょっと、やりすぎだったかもしれない。もしさっきみたいに手首が落ちなかったら、大量出血してしまうところだっただろう。
さっきのだって、自分の疲れからくる幻覚だったのかもしれない。やけに生々しい感触はあったんだけど、そのようなことだって起こりえないと言いきることはできない。言い切れないか?どうだろうか。人間のパーツがばらばらになることなんて、ありえないはずだ。今まで見てきた分では、そうだったし。
奇術師はなんとか自分を納得させようとしたが――ふと、舞台上で起こったことを思い返す。
左手は落ちた。床に。そのとき、人形は、それを拾い上げて迷うことなく奇術師に装着した。その動きに淀みはまったくなかった。
まるで、こうなることを知っていたかのように。
突拍子もない妄想だ。だから否定してほしい。
考えすぎだって、こいつが最高のアシスタントだから不測の事態にも対応できたんだって、否定してほしい。
だから、椅子に座って、あくまでも冷静に、奇術師は人形に、こう言う。
「お前、知ってたのか、もしかして」
奇術師の隣の椅子に座った人形は、少しだけくちびるを開けて、息をしながら、なにか言いたげにしていた。
「なあ」
奇術師はなおも続ける、自分の言葉にこもった怒りに、奇術師は気付かない。
「答えてくれ」
人形は答えることはない。
奇術師がそう作ったからだ。
人形はしばらく目を伏せてから、そうだ、と、ぱっと顔を明るくし、ポケットからガラス玉を取り出した。どこかの街で買った、赤いガラス玉だ。
何がしたいのだろうか。
人形は、ガラス玉を奇術師に手渡して、手のひらを握り込んで、にっこりと笑った。
ひんやりとした手を握っていると、汗も若干引いていくような気がする。
もしかして、自分を落ち着かせようとしてくれているのだろうか。
あるいは、そんなに、落ち込んでいるように見えたのだろうか。
奇術師はガラス玉を握ろうとして――その左手が、また、手首から切断されたようにすっぱりと、床に落ちる。
今度は、驚きはそれほどなかった。ああ、またか、と思った。痛くもないし、苦しくもない。ただ手首から下の重さがなくなるだけ。だから、どこか穏やかに、現実逃避かもしれないが穏やかに、観測することができた。手首の断面を。そこに肉と骨はなく、あるわけがなく、黒檀と黒曜石でできた無機質なつやつやとした断面があった。
人形が慌ててそれを拾おうとするが、奇術師は左手で制した。
ここまで来たら、もう、信じるしかない。
「はは……やっぱり、そうか」
人形は奇術師の手を避けて、奇術師の右手を拾った。人形が拾ってくれた手首を奪い取って、自分で接合する。いつも人形の修理をするときと同じように。かちゃん、と音がして、まるで人間のような姿形に戻る。そうすると、また手首の先からの感覚が戻ってきて、これは肉なんだ、と思いたくはなるけれども、自分の目で見たものは信じるしかない。
もし肉でできた身体を持つものなら、このような現象が起きるはずがない。
パニックを起こしかけているけれども脳の片隅はいやに冷静で、状況から真実を類推する。
「僕は――自動人形か」
その言葉に、人形が驚くことはなかった。そのかわりに、ひとつ息をつき、ただ、悲しげだった。
「知ってたんだ」
人形は常に、奇術師の一番近くにいた。だから、奇術師が自動人形であることにも、気付いていたのだろう。
「知ってたんだ」
それなのに、今まで自分は自動人形であることに気がついていなかった。今でも、心のどこかでは信じたくないと思っている。だって、この脳は、この手は、この足は、この口は、ぜんぶ、自分のものだ。自分が動かしている。今だってそうだ。手がかすかに震えていた。視界がぼんやりとしている。呼吸をするのも苦しくて。
それらが、すべて、作られたものであるものか。
しかし今、この現状は、自分が自動人形であることしか指し示していない。
積み上げられた論理を否定するほど、奇術師は弱くはなかった。
「知ってたなら、どうして!」
奇術師の慟哭に、人形は手を伸ばそうとしたのだが、振り払われた。
呆然とする人形をよそに、奇術師は楽屋から走り去る。
夜の船の街は賑やかだった。公演が終わったあとは屋台で何かを食べたいと思うひとがたくさんいて、どの店も大繁盛している。魚介類の鉄板焼きや、色とりどりの炭酸水、大人向けにはアルコールもある。特に人気だったのがりんご飴売りで、つややかな飴のかかった真っ赤なりんごを、子供たちに手売りしていた。子供たちは、りんご飴を持って家路につくのだろう。
その中にひとり、衣装のまま飛び出してきた奇術師がいる。カラフルな町並みの中、モノクロームの衣装に身を包んだ奇術師は、どことなく浮いていたが、奇術師がそれを気にすることはなかった。
自分が自動人形である、ということ。いつから?どうして?
疑問はいくらでもあるけれども、とにかく、今はあの人形とは一緒にいられなかった。
知ってたならどうして。
どこへ行けばいいのかわからないまま、奇術師はただ、人混みの中を歩いていた。
どこに行って何をすればいいのか。まさか、昨日まで自分は人間だと思ってたんですけど実は自動人形みたいです、だなんて誰かに言うことはできない。それに、もしそう誰かに言えたところで、何かが解決するわけでもない。
そもそも、解決したい問題が何なのか、わからない。
風のない夜、家々には赤、青、黄色、緑、その他あらゆる色の旗がライトアップされていた。それぞれの旗にあったはずの意味、ガイドが教えてくれた意味のことを、思い出すことはできなかった。
衣装のまま出てきたせいか、あっさっきの奇術師さんだね、と声をかけてくれるひとも多かった。奇術師は、どうにか愛想笑いを浮かべながら、その場をやりすごした。
人間として生まれた記憶はある、両親はいたはずだ、学校にも通ったしマジックの支障にも一時期ついていた、その記憶がある、マジシャンとして生計を立てようとして、誰もアシスタントとしてうまくはたらいてくれなくて、それからあの人形を作って――何年が経っただろうか、そこだけがあいまいで。
でも確かに自分は人間だった。そう認識していた。
事実から演繹される真実は、それとは反しているのだが。
もしかしたら、自分は最初から、自動人形だったのかもしれない。人間として生きてきた記憶は、すべて初期設定で入力されていたもので、誰かが『世界一のマジシャン』として作った、自動人形なのかもしれない。
自動人形は、すべて目的を持って作られる。
『世界一のマジシャン』を必要とした人間がどこかにいて、そのために自分を作った、という可能性も、十分ある。その場合、誰が自分が作ったのか、という問題が発生する。
通例、自動人形は所有者に管理されて存在することになる。奇術師が作った人形のように、自由意志を与えてある場合でも、奇術師がある程度管理していることには変わりがない。
奇術師は人波のなかをただ歩いた。歩くことしかできなかった。歩いていればどこかにたどり着けるようなかすかな希望が合ったのだが、ここは船の街、歩いたところで周縁には海のような湖を臨むラウンジしかない。
ラウンジの方に向かおうとして、石につまずいたのか転びかけてしまう。どうにか転ばずにすんだのだが、その衝撃でどこかのパーツがまた、左手首のように外れてしまうのではないかと一瞬、一瞬だけ思ってしまった自分に、落胆した。
ラウンジにも屋台がいくつかあったが、大通りほどではなかった。
奇術師は柵にもたれかかって、夜の湖を眺めていた。湖の水面は風に揺れているのだろうが、暗くてよくわからない。見て取れるのは、闇の口のような真っ黒の平面だけだ。風が吹く。頬を撫でるその感触が、信じられなくて、柵が水に濡れていることも、信じられなくて、奇術師は、そういえば人形と一緒にいないのは珍しいな、と思う。
人形、ジュディでケリーでジョンでアントニオでレミーでユリでマリアでコゼットでその他のすべての呼ばれうる名前を持つ人形。あいつは今頃、どうしているんだろうか。何も言わずに置いてきてしまった。もしかしたら自分のことを追いかけてきてくれているのかもしれない、だなんて自己陶酔に浸ったところで、こんな人混みの中で自分が見つかるわけがないのだと自分に言い聞かせる。
今まで、自分と人形はまったく違うものなのだと認識していた。
それが今はどうだ、こっちだって自動人形だったのだ。
人間と自動人形のペアであると思っていたのに、自動人形同士のペアだった。
――ああこれは多分現実逃避だ。自分のことを考えたくないから他人のことを考えようとしている。
水鳥がみゅうみゅうと鳴きながら飛んでいる。あれらはこうやって複雑な思考にがんじがらめになることなんかなくっていいと思う。
たとえばここでこの湖に飛び込んでしまえばどうなるんだろう、だなんて考えがよぎる。だが、自分がどの程度の機能を持つ自動人形なのかはわからない。機能停止しなくって、永遠に苦しみ続けるのはごめんだ、とまで考えたところで、自分が自動人形であることを自然に受け入れていることに気がついてしまう。
――堂々巡りだ、こんなことしてたって仕方がない。
大通りの明かりの方に向かう。まだそちらのほうが、気を紛らわせるにはよさそうだ。
大通りを行く人々は屋台の料理を手にしながら談笑している。先ほど見たステージの主が自動人形であったことなど知らずに。ライトにきらめくおみやげやりんご飴屋台、風船売りにお面売り、その他、奇術師も知らないような何か。
そうだ。
あるいは人形師なら、と、奇術師は思う。世界で一番の自動人形制作者である、彼ならば。人形のオーバーホールを毎年頼んでいる、彼ならば。彼はなにか知っているかもしれない。
しかし奇術師は首を振る。
知っていたとして、どうする? 知っていたなら彼はずっと自分に嘘をつき続けていたということになるし、知らなかったのならばなにも言う価値はない。言われる価値も、ない。
八方塞がりだ。
近くにあった屋台でコーヒーをテイクアウトして、混雑している中、ひとつきり空いていたベンチに座って、この街のコーヒーを苦いって思えるけど、この思えるって、なんなんだよ、どこまでが自分で、どこまでが作られた自我なんだよ、とか、考えていたところに、ひとりの少女が現れる。
「魔法使いさんだ!」
祭だからだろう、黄色の花柄のフェイスペイントを右頬に施されている少女は、朗らかに言った。
奇術師はコーヒーを置く。
「僕は奇術師だよ」
「どっちでもいいじゃん」
「迷子?」
と奇術師が尋ねると、その少女はそんなことないよ!と言う。
「迷子じゃないよ。だって私は船の子だもの。船の中だったらどこだって、私の庭よ」
胸を張る少女に、奇術師はほとんど反射のように、右手からすっと黄色の花を取り出して、手渡した。
街で子供に会ったときのための、小さなマジックは常備しておいてある。
魔法じゃないけど、魔法みたいな。
そのマジックが小さな炎となって、子供の心を照らすことを祈っているからだ。
大人たちにはめったにサービスしないが、子供には未来がある。その未来のどこかで、マジックのことを思い出してくれたらうれしいと、奇術師は思っている。
そのときは、自分が何者であるかなんか、気にしなかった。
少女は、その花に目を見開いて、
「お花、大切にするね」
じゃあお返しにこれあげる、と少女は袋からりんご飴を取り出して、奇術師に渡してくれた。
「……こんなに大きなもの、いいのかい」
「うん。りんご飴だったら、来年も買えるし」
手渡されたりんご飴は、思っていたよりも重たくて、街灯にきらきらと光っていて、まるで、そう。
まるで、大きな赤いガラス玉みたいだった。
「でも魔法使いさん、来年も来るんでしょう?」
奇術師が答える間もなく、ばいばい、と少女は奇術師に手を振って人混みの中へ去っていった。
残された奇術師は、ぬるくなったコーヒーを飲み干して、
「結局、僕は」
マジックしかできないんだな、と、呟く。
「マジックしか、できないんだな」
もう一度言う。今度は確かに。
そう、僕にはこれしかない。
今までも、これからも。
そしてそれは、自分が何者かに関係なく、そうなのだ。
自分が誰かに作られたモノだったとして、何だというのだ。
僕は世界一のマジシャンだ――少なくとも、今のところは、そうだし、そうありたいと、願っている。
今日の公演が成功したのは、僕が作られたモノだからか――否。
さっき少女に花を渡したのは。僕が作られたモノだからか――否。
誰が自分を作っていようとも、これは、僕のものだ。
観客の拍手喝采は僕のーー僕たちのものだ。僕たちが努力を重ねて手に入れたものだ。スポットライトの下に立つ楽しみは僕たちのものだ。美しくない舞台裏を隠して美しい光景を作り出す試行錯誤の果てに最高のステージを生み出すのは僕たちの仕事だ。
僕が胸を張って、やってきた仕事だ。
誰にも渡さないし、渡せるものではない。
奇術師はもらったりんご飴を一口かじった。ぱりぱりとして甘い表面の飴と、中身のシャキシャキした酸っぱいりんご。そのどちらが欠けても、おいしいりんご飴にはならない。
それはまるで、自分たちのようだと、甘さと中身のどちらもが必要なのだと、奇術師は思った。
それから、こう感じていることは真実であって、自分が自動人形であることとは関係がないのだと、確信した。
りんご飴は思っていたよりも大きかった。飴の部分をかじり終わっても、果肉の部分が多く残っていた。しかし、甘い飴を果肉の爽やかさが洗い流してくれるので、このバランスがちょうどいいのだと思った。奇術師はりんご飴を夢中になって食べた。その味が、その甘さが、その爽やかさを、疑うことなんかなく。
そして芯となっていた割り箸だけが残された。
奇術師は割り箸と飲み終わった紙カップをゴミ箱に捨てて、歩き始める。客引きを適当にあしらいながら劇場に向かう。
たぶん、あいつはまだ、待っていてくれるはずだ。
楽屋に戻ると、もう誰もいなかった。当然か、あれからもう一時間以上は経っている。周りにいた人に聞いたところ、人形はどうやら宿の部屋の方に行ったようだった。宿はここから歩いて半刻もかからない場所にある。
奇術師は走った――最近走ってばっかりなような気がする、と思いながら。一分でも一秒でも早く、自分は無事なんだって、大丈夫なんだって、あいつに伝えたい。
部屋の扉を開けると、人形は椅子に座り、テーブルの上でいくつかのガラス玉を弾いて遊んでいた。奇術師の姿を見ると、立ち上がりかけ、きまりの悪そうな顔で座った。
奇術師は人形の隣に座って、頭をかく。
「あー、さっきは、ごめん」
人形は神妙な面持ちで、奇術師の話を聞いている。
「気が動転してて、それで」
まあ確かにいきなり自分が自動人形かどうか検証するために腕落とそうとするのはやりすぎだよな、と奇術師は笑う。
人形は手を振って違うよと伝えてくる。
「そっちじゃないか」
なんで戻ってきたのか、なんで戻ってこられたのかを、人形に伝えてやらなければならない。
奇術師は、人形の目を真っ直ぐ見て言う。他人の目を見るのは、あまり得意ではなかった。だから、人形のライトブラウンの瞳と目が合って、ちょっとこそばゆいのだが、でも、今、人形にほんとうのことを真摯に伝えずして、何になるんだろうか。
「外歩いてたら、女の子に会って、その子に小さなマジックを見せてあげたら、よろこんでくれてさ。ああ、なんか僕ってマジシャンなんだなって思えて――なんでこんな普通のこと言ってるんだろうな、僕は」
人形はなおも奇術師を見つめている。
「僕は結局、みんなが喜んだり驚いたりするところが見たかっただけなんだよね。だから、その僕が、何であるかなんて、関係ない」
奇術師がそう言うと、人形は奇術師の手を握ってにっこりと笑う。
だいたい、こういうときは、人形が自分のことを心配してくれているときだ、というのを奇術師は知っている。
だから人形のひんやりとした手をほどいて、
「大丈夫だからさ」
何がどうしてこうなったのかは、わからない。
でも、自分はこの現状に対して、適切な解が出せたはずだ。
自分が何であろうとも、奇術師である。
世界一のマジシャンで、この人形と一緒に興行を続けていく。
もちろん事故が発生した原因は突き止めなければならないけれども、同様のミスが防げれば、これまで通り、街を巡っていけるはずなのだ。
何も変わらない。自分が人間だろうと自動人形だろうと。
それでいい。
それでいい、はずだ。
「だからもう、何も心配しなくていいからな」
そう言うと、人形が急に抱きついてきて、奇術師は体勢を崩す。
「えっ何!? 急に!?」
それから、人形は奇術師の額に額を寄せる。
どういうことなのかさっぱりわからない、今日はそんなことばっかりだ。
おやすみ、と知らない声に囁かれた気がして、奇術師は意識を落とした。
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