ホコラコワシ

百舌

ホコラコワシ

ホコラコワシ



小高い丘のてっぺんから、小さな屋根が覗いていた。

「あった!」

俺は誰に伝えるでもなく叫んでしまった。

祭りの開始は午前十時。丘の向こう、小さな屋根の奥からは太陽がちょうど俺と相対していて、眩しさに目を細める。ということは時刻は午後三時を過ぎたあたりか。

五時間以上も歩き回った足はくたびれていたが、その足に鞭を打つように丘を駆け上がる。

傾斜はさほど急ではないが、疲労した足はもつれ、二度ほどたたらを踏んだ。

それでも俺の身体はひたすらに前へ前へと、上体だけが先走って、はたから見たらさぞ不格好だっただろう。

右手に握りしめた斧の重さに身体を持っていかれながらも、丘のてっぺんにたどり着き、肩で息をしながらも祠と対面した俺の頬は緩み、まるで長い航海の果てに財宝を見つけた海賊か冒険家のように胸は昂っていた。

息を整え、斧を両手でしっかりと握った。

薪割りで何度も練習したのだ。自分の背丈よりも少し低い、風化で角が丸くなりつつある石造りの祠なら、一度、二度ほど斧を振り落とせば壊すことができるはずだ。いや、見つけたからには絶対に壊さなければならない。


そうして俺は大きく息を吸うと、頭上に掲げた斧を祠の屋根に向けて、思い切り振り下ろした。



「たしかに、ふたっつ壊さいでだ。ヒロ、おめ、よぐ頑張ったな」

村の世話役のひとりが分厚い手で俺の肩をドンッと叩いた。

俺ははにかむように笑ってみせたが、無理に持ち上げた口角の裏で奥歯を噛んでいた。

ほんとうなら、祠を三つ壊して、村の豊作に従事したかった。


祭りの終了時刻の午後五時から、俺が壊したと伝えた祠の場所を確認しに行った世話役たちが帰ってきたのは、日もとっぷりと暮れた午後七時前だった。



俺が生まれ育った津久という集落には、『ホコラコワシ』と言われる祭りがある。

年に一度、十月の第二日曜日に行われる祭りでは、集落の中の二十歳を迎える年の男が、祭りの日にだけ生えてくる祠を見つけ、それを壊すという風習がある。

祭りの日の朝、神主に祝詞を捧げられ、お神酒を口にし、同じく祝詞を捧げられた斧を手に、二十歳の男は祭り終了の午後五時までに祠を見つけて壊さねばならない。

十年前のホコラコワシでは、ひとつも祠を壊せなかったと言う。

その一年間、集落はかつてないほどの大雪に見舞われ、夏は滅多にない台風が直撃し、冷害にあい、作物はほとんど全滅し、苦しい一年を強いられた。


というのも、津久集落の人口は現在では二十四人。十年前でも三十六人だった為、その年は二十歳を迎える男性がひとりもいなかったのだ。

そうしたこともあって、俺はようやく二十歳を迎え躍起となってホコラコワシを執り行ったのだ。

十歳の自分からも、両親や集落の人たちが必死になって隣村へ作物を乞う姿はいたたましく、そして惨めに映った。


祭りの諸々が終わり、恒例の集会所での宴会が始まった。

俺は笑顔で大人たちからのお酌を受けつつも、内心では祠を三つ壊せなかったことをひどく悔やんでいたし、慣れない酒をしこたま飲まされたというのに、その夜は後悔の念でなかなか眠りにつけなかった。


祠ひとつ、いい嫁がもらえる

祠ふたつ、家内安全

祠みっつ、集落の豊作


祠を三つ壊せば、集落の豊作が約束されている。

俺が三つ目の祠を見つけられず、壊すことができなかったせいで、一年間、集落は十年前のようにあらゆる災害に見舞われ、作物が満足に収穫できなくなってしまうかもしれない。

なのに大人たちは宴会の席でも俺を「よぐやった」と赤ら顔で褒め称え、「これでおめは美人さんの嫁っこもらえで、おめんちも一年は安泰だ」と酒をついできた。


ひたすら眠気がきてくれるのを待って、俺は目を閉じたまま今日の出来事を振り返っていた。

祠が生えてくる場所に決まりはなく、祭りの時間内で集落を探し回る。風習といえどちょっとしたゲーム感覚で、俺はその日を待ちわびていたし、出発時間になると勇んで社を後にした。

ふと、ある違和感が忘れかけていた記憶に結びついた。

祭りには集落の住民が全員集まる決まりになっている。もちろん人数は少ないが子供たちも親に連れ添われて神社に来ていた。

子供たちは親の手を握り、または服を掴んで、一様に「ホコラコワシ、ホコラコワシ」と呟いていた。その顔は、年に一度の祭りにも関わらず怯えているように見えた。

思えば、小学校に上がる前までは、自分もそうして「ホコラコワシ」と呟いていたような気がする。それは風習の一貫として、子供たちがそうするようにと大人たちに言われてしたことではなく、あくまで自発的にその言葉を口にしていたのを思い出した。

その時、俺も母親の手をぎゅっと握りしめていた。なぜだかわからないが、二十歳の男がこれから行うことが、ひどく恐ろしくてたまらなかったのはぼんやりと覚えている。

しかしその理由は、幼い自分にはまったくわからなかったし、母親は「ホコラコワシ」と呟く俺の手をきつく握り返していた。

だが、小学校に上がる年になると、祭りで斧を手に祠を壊しに行く男になんの恐れも感じなくなっていた。自分より年下の子供たちが「ホコラコワシ」と呟くことにも、そういうものだと誰に問うでもなく納得していた。


そういえば。

来年のホコラコワシは、弟の番だ。

生きていたならの話だが。

そこまで考えたあたりで、あれほど冴えて寝つけなかった頭がどんよりと重く揺らぎ、気がつけば朝になっていた。



翌年、俺は自分にはもったいないほどの美人と結婚した。

隣村の役場に勤めていて出会った同職員の彼女は、まだ若いながらも津久集落の俺の実家へ嫁入りすることになんの抵抗もなく実家へ移り住んだ。

例年にない猛暑で、作物の収穫はいつもの年よりもかなり減ったが、十年前のような大きな被害になることもなかった。

ただ、一件の火事により幼い子供が二名死亡した。

その年のホコラコワシは、弟の同級生であった男が担った。

しかしー。


夕闇が集落を包み終わる頃、境内へ戻ってきた弟の同級生のユウキは「祠はひとつも壊さなかった」と言った。

大人たちは「そうか」とだけ呟いて、ユウキから斧を受け取って、祭りの後片付けをしはじめた。

なぜだ?

ユウキは「壊さなかった」とたしかに言った。

「壊せなかった」ではなく、自らの意思で「壊さなかった」のだ。祠を見つけられなかったわけでもなく、あえて「壊さなかった」というのは、どういうことなのだ。

この集落が一年間、十一年前のように飢えに苦しむことを望んでいるというのか?

それに世話役たちもそれを咎めようともしない。


俺は腹の底が熱くなって、片付けを手伝おうとしていたユウキを呼びとめた。

「おまえ、どういうつもりだ?壊さなかったって、祠を見つけてもわざと壊さなかったっていうのか?」

語気を荒らげた俺の声に皆が振り返った。

俺は集落の豊作を願って、時間いっぱいまであちこちを探し回った。どこに生えてくるかわからない、あとひとつの祠を、必死で探した。なのにこいつは……。

「コウダイが、やめろって言ったんだ」

ユウキは感情を含まない目をじっと俺に向けて答えた。

コウダイは、十六年前に死んだ俺の弟だ。

「あいつはもう、この世にはいないんだぞ?おまえ、わざと祠を壊さなかった言い訳に、コウダイを使うのか?ふざけるな!」

カッと頭の中で何かが弾けた。身体の内側が膨れ上がり、高い場所へ登った時のような耳閉感に襲われたが、俺の意識は目の前のユウキへの怒りへ注がれていた。大人たちが俺を引き離したことで、俺はユウキの胸ぐらを掴んでいたことに気づいた。

「コウダイは、兄貴を止められなかったって嘆いてたよ」

俺の怒りを受けてもなお、ユウキは無表情のまま俺を見据えて口を開いた。

何が止められなかった、だ。

祠を壊さなければどうなるか、この集落で生まれ育ったおまえだってわかっているはずだ。

祠を壊さなければ、壊されたから、祠は、嫁を与え、子をもうけさせ、安全な家の中ですくすくと育ち、祠を壊す二十歳になるまで無事に成長させ、そして祠は壊され、壊されなければ、祠は、集落に生えたまま、飢饉に、生えたままの祠が、災害を起こすことで、消えるのは、

「なんでだ?」

そう呟いた俺の身体から力が抜け、世話役たちは俺を抑えることをやめた。

騒ぎを聞きつけた妻が、俺の方へ駆け寄ってきた。後ろからは「危ねがら、走ればまいね」と母親が追いかけてきている。

妻は、先月その身体に子を宿していた。

俺は振り返り、まだ膨らんでもいない妻の腹に目を向けていた。

背後から聞こえるはずのない弟の声がした。

「だから壊さなかったんだ」

集落の子供のひとりが、「ホコラコワシ」と呟いた。

「祠、怖し」と。

弟のコウダイが亡くなった年、ホコラコワシを執り行った男は三つの祠を見つけ、壊した。

コウダイは、祭りの翌々月、学校が終わり家に帰ると、友達との約束があると言って出かけたが夜になっても帰宅せず、翌日、友人宅とはまったく別方向の山中で亡くなっているのが発見された。

その翌年の四月には、三歳の女の子が飼い犬を追いかけ、雨で増水した川に転落して亡くなった。

そして七月には集落に嫁いできた女が妊娠八ヶ月で流産した。

いずれも、小学校に上がる前の子供が、三人亡くなっていた。


壊せば、壊した数だけ幼子が死ぬ。

では、

「俺が、去年壊した、祠ってのは……」

誰かが口を開こうとしたのが気配でわかった。けれど、聞くまでもない。

集落の豊作のためには、祠に宿った魂を壊さなければ、その魂は厄災となるしか成仏できない。

祠を壊すことが許されるのは、二十歳の男だけ。

壊した分だけ、物事がまだわからない子供を頂戴し、祠に納めることで新しい祠が生えてくる。


それ以外に、この集落が生き残るすべはなかった。

そう、この土地の神様と契約したのだという。

だから幼い子供たちは、祠が壊されることが「コワイ」のだ。





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ホコラコワシ 百舌 @mozuku5

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