最終話 居場所への帰還

「到着したぞ、サラサ。気分が悪くなったりはしていないか?」

「鵺様の腕の中はとても快適でしたよ。鳥の目線を楽しむことが出来ました」

「大した度胸だ。それを聞いて私も安心したぞ」


 サラサを抱きかかえる鵺は、目的地である寺院の近くの原っぱへと静かに降り立った。人を抱きかかえて空を駈ける機会は滅多にないが、生身で空を運ばれることに対する恐怖心や揺れに伴う酔いが伴うことは想像に難くない。鵺はサラサの体調が気がかりだったのが、サラサは顔色も良く、移動中も俯瞰した景色を楽しむ余裕を見せていた。鵺と一緒に行動する以上、こういった場面は今後も増えるが、サラサが空の旅を楽しめるのなら、行動の幅も広くなる。例えば妖の里は秘境と呼ばれるような場所に存在しているものも多く、正攻法では到着出来ない場所もある。鵺と共に空を駈けることで選択肢はかなり広がるだろう


「あれが、くだんの寺院だな」


 原っぱの先には、墓地と隣り合う小さな木造の寺院が見える。居住地からは離れており、周囲に人の気配はない。


「緊張しているのか?」

「……少しだけ。どういう顔で母に会えばよいのかなと思って」

「大丈夫だ。私が一緒にいる。母君もサラサの元気そうな姿を見れば、きっと安心してくれるさ」


 俯くサラサの緊張をほぐすために、鵺はあえて明るい声色でサラサの肩に触れた。


「ありがとうございます。そうですよね。今の私は元気でやっていると、母に報告してあげないと」


 顔を上げたサラサの表情は明るさを取り戻していた。覚悟を決めたサラサは、鵺よりも先に一歩を踏み出す。


「久しぶりだね。お母様」


 寺院の墓地の中にある、無縁仏を弔った供養塔の前でサラサは手を合わせた。直ぐ後ろに控える鵺も死者を悼み、静かに目を伏せた。


「今はこうして元気にやってるよ」


 流行り病を患い、まともな治療を受けることが出来ぬまま日に日に衰弱しながらも、最後の瞬間までサラサのことを心配してくれた母のキヌエ。自分を大切にしてというキヌエの願いに応えるべく、どんなに辛い目にあっても必死に今日まで生き抜いてきた。今の元気な姿を見せることで、キヌエも安心して眠れるはずだ。


「一度だけ、お母様との約束を破りそうになった。だけどね、そんな私を救ってくれた方がいたの」


 骸ノ森で極限まで追いつめられ時、己の運命を呪って真紅眼を潰しそうになった。あの時の出会いが無ければ、サラサは今頃この世にはいなかった。こうして笑顔でキヌエの墓前に報告することなんて出来なかった。


「お母様の言った通りだった。私のこの目を美しいと言ってくれた人と出会えたの。お母様にも紹介するね」


 サラサの紹介に預かり、鵺はキヌエの眠る供養塔に深々と頭を下げた。


「キヌエ殿。お初にお目にかかります。私は妖の鵺。私はサラサと共に人生を歩んでいきたいと思っています。サラサが幸せになれるよう、私は彼女を支え続ける。どうか見守っていてください」


「妖様は怖い存在ではない。今ならお母様の言っていた言葉の意味が分かるよ。私達はこうして手を取り合って生きていける」


 生前のキヌエの思いに応えるように、サラサは鵺と手を繋いだ。彼者誰ノ里で出会った縷紅、長の石蕗と砌。白眉や美墨。人間の親子のために行動した涼風。宿場町ウグイスで出会った女将さんや王族であるシンクロウ。大勢の妖や、妖に対して理解ある人々との出会いが、世界に絶望していたサラサの心境に確かな変化をもたらしていた。妖と人間が手を取り合う世界は決して絵空事ではないのだと、今なら確信出来る。それを一番伝えてくれたのは、こうして手の温もりを感じ合えている鵺との出会いがあってからこそだ。お互いの存在の大きさを再確認し合えたことで、見つめ合う二人の表情には笑顔が灯っていた。


「そろそろ戻りましょうか」

「いいのか? もっとゆっくり母君とお話ししなくとも」

「大事な報告は済ませました。またいずれ、今度はお供えを持ってゆっくりとお墓参りをしようと思います」

「そうだな。来年も、いや来月だっていい。また私がいつでもサラサをここに連れてくる」

「ありがとうございます。鵺様」


 鵺は優しくサラサの体を抱きかかえると、彼者誰ノ里への帰路へつくべく、飛翔した。


 ※※※


「オイラに足りないのはきっと、オイラのボケを拾ってくれるツッコミの存在なんだ。頼むよ白眉。今度の余興では相方を頼む!」

「御免被る。なぜ儂が貴様に付き合わされなければならない。お前は単に芸事の腕が足りぬのじゃ。若い娘に鼻の下ばかり伸ばしてないでもっと精進せい」

「正論は止めろ! あの冷え切った空気を思いだ――」


 夕刻。彼者誰ノ里の広場で化け狸の美墨と送り犬の白眉が激論? を繰り広げていると、一瞬空が煌めき、次の瞬間二人のいる広場へと急降下してきた。空を飛んできた鵺とサラサの大胆不敵な帰郷である。


「ビックリした! 隕石でも落ちたてきたかと思えば、鵺様とサラサちゃんじゃないかい」

「随分とお早い帰宅じゃったな。それも空からとな」

「美墨と白眉か。驚かせてすまなかったな。色々あって今回の旅は途中で切り上げて来た」


 鵺一人なら大胆に着地することもあるのだが、今回は両腕にサラサを抱いているので、安心安全に着地するために、開けた空き地を到着場所に選んだ。美墨と白眉が居合わせたのはご愛敬だ。


「サラサちゃん! オイラが恋しくなって帰ってきてくれたんだね――」

「ドサクサに紛れてサラサの胸に飛びつこうとするな色欲狸め。白眉は許す」

「は、離せー! 鵺殿!」


 愛嬌たっぷりに目を輝かせながらサラサ目掛けて跳躍した美墨を空中で組み伏せ、鵺がサラサへの接触を妨害した。迫真の顔で鵺の拘束から逃れようとする美墨とムキになってそれを制する鵺。迫力とは裏腹に何とも男二人何とも滑稽な状況である。そんな二人の攻防を後目に、サラサは彼者誰ノ里の里に戻ってきたことを実感するように、白眉にもふもふを愛でていた。


「早々に空から戻って来た時はどうしたことかと思ったが、良い旅になったみたいだな。今の鵺様、晴れやかで良い顔してるぜ」

「そうだな、サラサとの絆も深まり、多くの出会いもあった。確かに良い旅だったよ」


 美墨も鵺との付き合いは長いが、今の鵺から肩の力が抜けて、自然体で笑っているような印象を受ける。里の者と交流を持ちながらもあくまでも孤高。そんな鵺をサラサが氷解させてくれたに違いない。一方で、美墨を拘束する力は容赦がなく、一向に美墨はサラサの元へ迎えそうにはないが。


「閃光が見えたと思ったら、戻ってきていたのか」

「戻るのなら、一報を入れててくれれば歓迎の用意をしていたものを」

「色々あって予定が変わったんだ。事情はおいおい話す」


 広場に出現した光に引かれ、里の長の石蕗と砌、縷紅ら里の住人が続々と広場へと戻ってきた。


「サラサ、可愛らしい簪だね。ひょっとして鵺様からの贈り物かい?」

「はい。私の一生の宝物です」

「かっー! 鵺の旦那も隅におけないね。こいつめ、こいつめ」


 サラサに駆け寄り、鼈甲の簪を身に着けた変化にいち早く気付いた縷紅がサラサの反応に感激し、せわしくなく今度は鵺に駆け寄り、脇腹を肘で小突いた。


「旅から戻った二人に聞きたい話しもたくさんあるだろうが、最初にかけるべき言葉を忘れているぞ」


 長の役目として、石蕗がわざとらしい咳払いで皆を注目を集める。


「お帰り、サラサ、鵺」

「お帰り!」


 石蕗に続き、その場にいる住民全員が声を合わせて二人を迎えた。

 サラサは一瞬キョトンとした後、その言葉の意味を悟り、感極まった様子で目元を拭った。居場所なんてない人生を送って来た。故郷も知らない。母親が亡くなって以来、お帰りなんて言葉をすっかり忘れていた。今の自分には居場所がある。お帰りという言葉をかけてもらえる。そのことがサラサは嬉しかった。サラサの心境を慮った鵺がサラサに寄り添い、笑顔で頷く。お帰りという言葉には、適切な返答があるというものだ。


「ただいま! 皆さん」


 苛烈な人生を歩んできた。突然の変化に躊躇いもした。だけど、一つだけサラサが確信していることがある。鵺と出会えて、行場所を見つけることが出来て、今とても幸せだ。


「鵺様と出会えて本当に良かった。鵺様と出会わなければ、私はこのような幸せを知ることは出来なかったと思います」

「私こそ、サラサと出会えたことで全てが変わった。君と出会えて本当に良かった」

「今後とも、末永くよろしくお願い足します」

「ああ、共に歩んでいこう」


 急ごしらえが、旅から戻って来た二人のために宴を開いてくれるという。鵺とサラサはお互いの手を握り、会場へと向かった。




 了



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鵺の寵愛 湖城マコト @makoto3

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