第5話

 裏山には、ちょっとした登山道がある。

 小学生の頃から遠足でも何度か歩いたし、緩やかな一本道であるために時々莉子とも一緒に歩いた道だ。


 途中でその歩き慣れた登山道から外れ、少し行くと開けた場所に着いた。

 木を切り倒して作られたらしい広場だった。


 こんな場所があるなんて知らなかった。普段であれば、天気のいい日にピクニックでもしたら気持ちよさそうだと思うくらいの広場だったが、この状況ではそんなのんきなことも言ってられない。


「この辺でいっか。はい、奏太もおいで」


 よく分からないまま莉子に付いて来てしまったけれど、ここで儀式をするのだろうか。

 広場の中央にいる僕と莉子を囲むように、変わらず頭を下げたままの親たちが立つ。


 他にも、近所の人たちがちらほら付いてきたらしかった。死体の処理をすると言っていた二人の姿は、見えなかった。


「顔、あげていいよ。覚えておきたいし」


 莉子がそう言うと、みんなが顔を上げて僕らを見た。全員が、ほんの少し僕を見たあとで、すぐに莉子の方へトロリした視線を向ける。


 いまいち状況が飲み込めていない僕は、助けを求めるように周囲を見渡した。


 母が、一歩前に出る。莉子が頷くと、ようやく僕と視線が合った。

 今まで母の顔をよく見たことなんてなかったから、自分の母親であるはずなのに、どこか他人じみていて不思議だった。

 あんなに怖かったのに、今は何も感じない。


 母は、見たことがないくらいに笑っていた。目も、口も、全身で。そして、僕に向かって話し始めた。


「お母さんたちはね、昔からずっとこの土地で神様を祀ってるの。私たちだけの神様よ? でも、神様も、その祠も、見える人にしか見えないの。てっきり奏太には見えていないのだと思っていたのに……、見えていたなら教えてくれなきゃ」


 神様が見える人が限られているのは分かっていた。でも、祠も?

 莉子を見るけれど、笑っているだけで何も答えてはくれない。

 莉子のお母さんが言葉を続けた。


「莉子はね、奏太くんと同じクラスになってから少しして、夜になると出歩くようになったの。初めは夢遊病かと思ったわ。でも、違ったの。神様が出てこようとしていたの」


 たぶん、祠を見つけてからのことだろう。僕も莉子も、親の言う『祠が見える人間』で、そして僕よりも莉子の方が、きっと神様との相性がよかったのだ。

 夢や祠の前で見た神様が少女だったから、女の莉子の身体が馴染んだのかもしれない。


「金沢さんから連絡をもらって、私たちも確認したの。それで莉子ちゃんの中に神様がほんの少しいることが分かって、だからもう奏太のそばには莉子ちゃんがいればいいと思ったのよ。ね、お父さん、私の判断は正しかったでしょう? 奏太が祠を壊したのよ!」


 父は、ひとり盛り上がる母をなだめた。

 莉子以外の人間とはしゃべるなと言い出したのは、これが原因だったのか。


 莉子は、起きている時の莉子は、ずっと莉子だったのだろうか。神様の影響を受けていたから僕と一緒にいてくれたのかもしれないと思うと、胸が苦しくなった。


 でも、秘密基地で莉子にはモヤも神様も見えていなかったのだ。あの反応は嘘には思えなかった。だからきっと、起きている時の莉子は神様じゃなく、ただの莉子。


 せめて、莉子の意思で僕のそばにいたのだと思いたかった。だからと言って、何が変わるわけでもないのだけれど。


「祠はね、定期的に更新されるべきなんだよ。ずっと同じままではダメなんだ。どんどん強くしていかないと」


 母の口を塞ぐように、父が話し始めた。父の声をこんなに聞くのは生まれて初めてだった。


 神様を祀る人たちは、今までずっと繰り返してきたらしい。


 祠が見える、祠が壊せるということは、その時ある祠を守る力よりも強い力を持っているということで。

 だから祠を壊すことができた僕は、現状一番力の強い人間、ということになるらしい。


「でも、黒いモヤを消せたのは宮司さんからもらった道具のおかげだよ。僕の力じゃない」

「なに? 黒いモヤ?」

「奏太。あれはね、違うの」


 モヤと聞いて首を傾げた父の代わりに、莉子がしゃべりだす。あのモヤは、祠とは関係ないのだと。


「確かに邪魔はしていたけどね、アレをどうにかできるできないは、祠を壊せる力とはまた別の話なの」


 関係ないはずはないと思うのだけれど、祠を壊してから自分が自分ではないみたいな変な感覚がずっとあって、頭の中がぐるぐるして、莉子がそう言うのならそうなのだろうと思ってしまって。


 祠を強くする。

 ずっと繰り返してきた。

 祠を壊せる人間は強い人間で、その強い人間はどうやって祠を強くするんだろう。


 僕が、力を込めながら祠を作るのだろうか。神様のための祠を。


 莉子と、目が合う。その目には光が見えなくて、真っ暗で、どこまでも続いていそうなくらいに、深い。


「そろそろ、いい?」

「はい、もちろんです」


 莉子が尋ねると、みんなが頷いて僕らと距離を取る。

 これから儀式が始まるのだろうか。何をすればいいのか全く分かっていないけれど、大丈夫なのだろうか。


「もう少し育ってからでも良かったけど、どんどん美味しそうになるからもう、我慢できなくて」

「え?」


 がぱり、と。

 顔が裂けてしまうのではと思うくらいに、莉子が口を開けていた。蛇みたいに、アゴが外れたみたいに大きく開いた口の中には何本もの尖った歯が生えていて、それが、ゴキッと、僕のさこつにかみついて、いたくて、さけぶけど、だれもなにもしてくれなくて、ぼくは


「あぁぁあぁあぁぁぁあ!!!!!!」


 バキバキと、じゅるじゅると、ぐちゃぐちゃと、じぶんのほねとにくが、くいあらされて、いくのを、いたい、ぼくの、ないぞう、りこ、ちがう、かみさま


 かみさま


「いたあぁぁいいぃぃぃいいぃ」

「美味しいよ、美味しい、強くて、甘くて、ありがとう奏太、邪魔なヤツら消してくれてありがとう」


 かみさまにたべられて、ぼくは、しぬ



 神様に食い荒らされた僕は、いつの間にかとても高いところからみんなを見下ろしていた。僕の身体は黒いモヤになっていて、だから、気付いた。

 気付いてしまった。


 あの黒いモヤは、神様に食べられた人間なんだって。


 それじゃあ、あれは、モヤは、消してはいけなかった。僕を、助けようとしてくれていた。

 来るなって、帰れって、教えてくれていたのに、僕は。


 もう、涙も流れなかった。

 僕を喰った神様は確かに今までより強くなっているみたいだった。僕ひとりでまとわりついたところで、すぐに消されてしまうだろう。


 ひとりじゃ、ダメだ。

 僕を助けようとしてくれたモヤみたいに、何人かでまとまらなければダメだ。


 何年かかるのだろう。

 複数のモヤが集まる前に、神様が神様でなくなってほしいと思う。


 僕の身体は完全に食べられてしまって、制服の切れ端が地面に落ちている。母がそれを拾って、ゴミ袋に入れていた。


「務め、ご苦労。私はまた、新たな祠に篭もるとするよ」


 そう言って去ろうとする神様に、莉子のお父さんが声を掛けた。


「あの、今後は」


 ぐるり、と首だけを百八十度回転させて彼の方を見た神様は、長い舌で唇を舐めながら言った。


「お前たちの行く末を邪魔するものが現れた時は、名前を刻んだネズミを庭先に出しておけ」

「ありがとうございます。おやすみなさいませ」


 震える声で頭を下げるお父さんの肩を、神様がポンと叩いた。

 とたんに絶叫が響き渡り、彼は地面にうずくまってしまった。その腕は、変な方向に折れ曲がっていた。


 ふと神社の方を見ると、神社を中心にして大きな柱のような結界が張られているのが見えた。

 宮司さんは、あれに護られているのだ。

 モヤを消してしまうまでは、僕もあの中に入れたのに。


 もう、助けを求めることはできそうになかった。神社に近付くことさえできないだろう。


 神様が新しく作る祠を見失わないように、僕は必死になって神様を上空から追い掛けた。神様が秘密基地に戻ったのを見て安心する。きっとあの場所が、神様のお気に入りなのだ。

 新しい祠もまた、あの空き地に作られるに違いない。


 僕は空き地が見える電波塔にいることにした。ひとりではかなり薄いから、ここでじっとしていれば気付かれないだろう。


 神様に消されないようひっそりと、長い年月を過ごさなければならない。



 神様よりも強いひとが現れるまで、ずっと。

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祠を壊そう。壊さなきゃ。 南雲 皋 @nagumo-satsuki

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