第4話

 神社に続く石段を上っている最中、異変に気付いた。

 石段は少ししかないのに、いつまで経っても神社に辿り着かないのだ。僕も、莉子も、一生懸命石段を上るのに、全然鳥居をくぐれない。


 まるで、下りエスカレーターを上っている時みたいな感覚。一段上れば一段増えているような気がしてならなかった。


 見上げた鳥居の向こう側で、宮司さんが真っ青な顔をして僕らを見ていた。

 こちらに向かって何かを言っているけれど何も聞こえない。


「宮司さん何て言ってるんだろう?」

「莉子にも聞こえない?」

「うん、奏太の声しか聞こえない」


 さっきまで虫や鳥の鳴き声も聞こえていたような気がするけれど、今はとても静かだった。

 僕と莉子だけが、世界から切り離されているような気がした。


 宮司さんは、身体の前で腕をバッテンにして、必死に何かを叫んでいるみたいだった。

 何がバツなのだろう。

 神社に入るのに、何か作法を間違えただろうか。


「ここに来ちゃいけないってことじゃない?」

「あ、そっか。きっと神様が来ないでって行ってるんだね。それじゃあ、あんまり気が進まないけど……お札を使おう」


 宮司さんに頭を下げ、神社を後にする。

 違和感がなかったわけではないのだけれど、思考がまとまらなかった。



 壊せ  

     壊せ



 早く、壊さなくては。

 彼女のために、祠を。


 僕らはまた秘密基地に戻ることにした。

 僕を守ってくれると言っていたし、きっとお札を使えばモヤを無理やり消すこともできるだろう。

 一人では心細いから莉子にもお札を渡そうと思ったけれど、拒否される。


「奏太がもらった物なんだから、奏太が使わないと」


 それもそうか、と思う。確かに、宮司さんは僕のためにと用意してくれたのだろう。僕が使って、僕がお礼を言うのが筋なように思った。


 僕は一人でお札を握りしめる。

 お札を持つ手が、少しピリピリした。モヤに近付いているから、それに反応しているのだと思った。


 祠の周りのモヤは、かなり薄くなっていた。

 しばらく耳を澄ましてみたけれど、声は聞こえなかった。残りのモヤには、人格がないのかもしれない。ひとつの固まりになってしまって、もう何が何だか分かっていないのかも。


 お札を持った手をモヤに突っ込むと、何重にも聞こえる大きな叫び声が響き渡った。

 耳を塞ぎたかったれけど、お札を持っているからできなくて、鼓膜が破れるんじゃないかと思った。


 気付くと、祠の前には僕よりずいぶん背の高くなった少女……女性が立っていた。髪型と服装のおかげで同じ人だと分かるけれど、まるで別人だ。


 握っていたお札は全てボロボロになっていて、風が吹くと崩れて飛んでいってしまった。手を払いながら、自分と莉子の無事を確認する。

 黒いモヤは、もうどこにも見えなかった。


「壊せ」


 僕はその言葉に従って、大きな石を拾い、祠を殴った。莉子にも声が聞こえていたのか、一緒になって祠を壊している。

 蹴ったり、体当たりをしたり、大きな音がしているだろうに、近所の人が注意しに来るようなことは、なかった。

 

 もはやただの木片となってしまった祠と、祠のあった場所に置かれた石。

 お地蔵様のようだと思っていたそれは、歪んだ人間のような形をしていて、少し気味が悪かった。


 気味が悪い?

 いや、そんなことはない。これは神様で、だから大切に包んで、引っ越しを。


「奏太、行こ」

「え?」


 いつの間にか女性の姿はなくなっていて、僕の腕を掴む莉子の手が痛い。僕はポケットからハンカチを取り出して石を包み、莉子に連れられて秘密基地を出た。


 莉子に促されるまま歩いていると、僕の家に着いた。莉子は勝手に門を開け、玄関の扉を開け放つ。

 慌てて出てきた母の姿に、怒られる覚悟をしたけれど、金切り声は聞こえなかった。


 母は、莉子を見て固まっていた。


「奏太、まさか、祠を壊したの?」


 どうして母が祠のことを知っているのだろう。母の声を聞いて、父に、おばあちゃんまで玄関先にやってくる。


「奏太、お前祠を壊したのか」

「壊したの?」

「こ、壊したよ! だから何?!」


 僕の言葉を聞いた瞬間、三人とも真顔になった。そしてすぐに満面の笑みを浮かべ、僕と莉子をリビングに連れていく。


「奏太、あなた祠が見えてたのね」

「どうして早く言わないんだ、父さんたち気が気じゃなかったんだぞ」

「奏太はできる子だと思ってたよォ、頑張ったねェ〜」


 ニコニコニコニコ


 怖いくらいに笑顔の三人が、次々に僕をほめる。どうしていいか分からなくなって隣に座る莉子を見ると、その顔がおかっぱの女性とかぶって見えた。


「り、こ……?」

「なぁに?」


 にっこりと笑う顔はいつもの莉子で。僕はなんでもないと首を振った。


「祠を壊したなら、儀式の準備ね」

「儀式?」

「そうよ。新しい祠が必要でしょう?」


 そうだ。

 これは神様の引っ越しなのだ。


 ボロボロになった家を捨てて、新しい家に移さなくてはならないのだ。

 僕は大事に持っていた包みをテーブルに置いた。


「奏太、それ何?」

「神様だよ」

「あぁ、それが入っていたのね。でも、それはもういいのよ。空っぽなの。また必要になったら用意するから、その石は捨てなさい」


 せっかく持って帰ってきたのに。石を庭に投げ捨てると、出掛ける準備をしろと言われた。

 外から帰ってきたばかりなのだ、そのまま出掛けられるよと答えれば、母たちは慌てているようだった。


「奏太、先に行こ?」

「え、どこに?」

「裏山」


 莉子が声を掛けると、母のかしこまった返事が聞こえた。まるで目上の人にするみたいな返事だったのが、少しおかしかった。


 途中、莉子は自分の家の玄関を開けた。家の中に向かって何やら叫ぶと、慌てたように莉子の両親が出てきた。

 玄関先に二人並んで、僕らに深々と頭を下げている。


「あの、どうかしたんですか?」


 僕が聞いても、二人は頭を上げなかった。


「気にしないで。行こ!」

「う、うん……」


 僕らの後ろを、付き従うように莉子の両親が歩く。なんだか居心地が悪かった。

 気付けば僕の家族もいて、頭を下げたまま後ろに付いてくるのだった。


「あ」


 莉子が突然声を上げ、どこかを指さした。その先を見れば、伊東と書かれた表札があった。

 タタタッと駆けていった莉子がインターホンを押すと、少しして勢いよく玄関が開いた。


「おま、お前か! 沙和を返せェェ!」


 スウェット姿の体格のいい男性が、泣きながら飛び出してきた。莉子を守らなくてはと思ったが、男性は莉子を素通りして僕に掴みかかろうとしてくる。


 大きな手が僕の胸ぐらを掴もうかという瞬間、男性の動きが止まった。どうしたのかと見上げれば、目から、鼻から、口から黒ずんだ何かが噴き出している。


「ぐ、あ……ゴポォ……」


ビチャビチャビチャ


 これはあの日、伊東の口から吐き出された物と同じだ。


 そう思う間もなく、男性は倒れた。

 叫び声を上げて男性にすがりつき、僕を睨んで何事か喚き散らした女性も、僕に掴みかかろうとして同じように色々なところから黒い何かを噴き出し、倒れてしまった。


「バカだね、この人たち」

「……伊東の、両親?」

「そうじゃない? 沙和と同じところに行けてよかったね〜」


 ケラケラと、笑う莉子は、莉子ではなかった。

 莉子に見えるけれど、違う。

 だって莉子は、伊東の両親の頭を革靴で踏み抜いたりはしない、はずだ。


パキャッ


「奏太に絡んだ罰だよ。ずっと殺したかったんだァ。最近ようやく、少しずつやれることが増えたからね。莉子の寝てる時にしか出てこられなかったけど、もういつでも大丈夫」

「キミは、誰?」

「奏太の言う、神様だよ。分かってるでしょ? 祠、壊してくれてありがとーねェ、もう少しかかるかと思ったけど、いい具合に成長してくれて嬉しかったよ」



 グチャッ


     グチャ


ブチャッ



 何度も何度も何度も何度も踏まれて、もうそこに顔があったのかどうかも分からなくなっている伊東の両親を、近くの家から出てきた男性が引き摺って伊東家の中へと運んでいった。


「後の処理はしておきますので」


 アスファルトに残された大量の血と、肉や骨や脳みそなんかを、おばさんがホースから出る水で排水溝へと押し流す。


「おふたりはお進み下さい」


 男性も、おばさんも、僕たちに向かって深々と頭を下げていた。


 気付けば、いくつかの家から人が出てきて僕らを拝んでいる。たくさんの人に見送られながら、僕らは裏山へと向かうのだった。

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