第3話

 壊せ

      壊して


壊して         壊せ


   壊せ

         壊して


 壊して



 また、少女がいる。

 何もない空間に少女が一人立っていて、僕を見つめている。

 何かしゃべるかと思って黙っていたけれど、今日の少女は何も言わなかった。


「消すって、黒いモヤのことでいいの?」


 少女はこくりと頷いた。


「どうやって消せばいいの?」


 少女は首を横に振る。

 彼女にも分からないのに、どうして僕に分かるだろう。僕は溜息を吐いた。


「何ができるか分からないけど、頑張ってみるよ」


 おばあちゃんの応援を思い出す。僕ならできると言っていたけれど、僕なんかに何ができるというのだろうか。

 それでも、少女は嬉しそうに笑った。


 その口は、大きく弧を描いていた。



「はぁ……ッ」


 自分の吐いた呼吸の音で目が、覚める。

 部屋の中はまだ薄暗くて、時計を見れば朝の四時。けれど二度寝をする気分にはなれなかった。胸の辺りが締め付けられるような、嫌な感覚。


 台所に行き、ウォーターサーバーから注いだ水を飲む。冷たい水が喉を通る感覚に身震いした。

 そのままリビングのソファに腰掛け、ぼんやりと考えを巡らせた。


 何をすればいいんだろう。


「あ」


 神様のことは、神様に聞けばいいんだ。

 僕は宮司さんの顔を思い浮かべた。きっとあの宮司さんなら、何か手掛かりになるようなことを教えてくれるに違いない。


 僕はコップを洗って、丁寧に拭いた。等間隔にきっちり並べられた食器棚にズレないように戻す。勝手に使ったことがバレないように、慎重に。


 それから自分の部屋に戻り、小ぶりのノートを取り出す。聞きたいことをまとめておかないと、うまくしゃべれないと思った。


・神様が引っ越しをすることはあるか

・神様の引っ越しをじゃまするものの対処法はあるか

・じゃましているのは黒いモヤ

・手とか足とかになる時もある

・いろんな声がする

・神様は女の子

・モヤを消してとお願いされた


「よし」


 放課後、聞いてみようと思っていた時、部屋の扉がノックされた。


「奏太、起きてる? 今日、学校お休みですって」

「おはよう。お休み?」

「そう、警察なんかが立ち入るから、学校には来ないでくださいって連絡が来たわ」

「分かった」


 ちょうどよかった。僕はいつも通りの朝の支度を済ませると、制服に身を包んで家を出た。

 真っ直ぐ神社に向かうと、朝のお勤めを終えたらしい宮司さんが見えた。僕に気付くと微笑んでくれる。


「なんか、大変だったみたいだけど大丈夫?」

「はい。あの、僕聞きたいことがあって」


 ノートを見ながら、質問すると、宮司さんは少し考えた後で僕を近くのベンチに促した。宮司さんも隣に腰掛けて、少し距離が近くなる。


「神様のお引っ越しはあるよ。神社も古くなれば建て直したりするしね。神様に、これからお引っ越しをしますって報告をして、綺麗に丁寧に神様や、神様の分身を梱包……包んで、新しい場所に着いたら元のようにお家を整えてあげて、ここが新しいお家ですよって教えてあげるんだ。森谷くんは神様にお願いされたの?」

「うん、今のお家を壊してほしいんだって。たぶん、じゃまするやつにボロボロにされちゃったんだと思う」

「そうか。なら報告はいらないから、神様を取り出すところからだね。でも、それができないんだよね?」

「そう。じゃまされるんだ」

「邪魔しているモヤは、多分いくつかの霊が混じり合ったものだと思うんだけど……どんな声が聞こえたか覚えてる?」


 僕は昨日の祠での出来事を思い出しながら、赤ちゃんの声と男の子の声がしたと言った。他にもよく分からない唸り声みたいなものもしていたような気がするけれど、よく思い出せない。


「うーん……赤ちゃんに関しては、たぶん自分から邪魔をしているわけじゃなくて、他の霊に巻き込まれているだけだと思うんだよね。だから、あなたのいるところはここじゃないんだよって教えてあげたら素直にいなくなってくれるかもしれない。ちょっと待ってて」


 宮司さんは一旦神社の中に入っていって、しばらくして戻ってきた。手には人の形をした木の板を二つと、数枚のお札を持っている。

 そして漢字なのかひらがななのか、そもそも文字なのかもよく分からないものが書かれた木の板を僕に差し出した。


「この木の板は、お母さんとか、その子を守ってくれる存在の代わりになるようにしてあるから、赤ちゃんを優しく呼んであげながら出してみて。この木の板と一緒に、成仏してくれればいいんだけど。それと、この何も書いてない木の板は、まだなんの代わりにもなっていないから、男の子が一緒にいたいと思うような人が思いついたら、その人のことを想像しながら名前を書いてあげて。上手くいけば、一緒に行ってくれる。このお札は、危なくなったら森谷くんを守ってくれるようにお祈りしたやつだから、絶対持っていくんだよ」

「分かった」

「本当は一緒に行ければいいんだけど、僕はここから離れられないから……ごめんね」


 僕は首を振る。ここまでしてもらえるとは思っていなかったから、じゅうぶんすぎるほどだった。ヒントをもらえるだけでもありがたかったのに、道具やお札をもらえるなんて。


「あの、お金……」

「いらないよ。上手くいったら、うちの神様にお礼を言いにきてくれればそれでいいから」

「分かりました! お礼、言いにきます」


 立ち上がって頭を下げ、神様にも挨拶して帰ることにした。お金がなくてお賽銭箱には何も入れられなかったけれど、次に来る時は母に、無理ならおばあちゃんにこっそりお金をもらおうと心に決めた。


 もらったものをポケットに入れ、祠に向かう。カラスの死骸は野良猫にでも食い荒らされたのか、骨と肉片になっていた。誰も片付けはしないのだなと嫌な気分になりながら路地を進むと、祠は昨日よりも多くのモヤに囲まれていた。


 僕は字の書かれた木の板を取り出し、祠の前に立つ。胸の前に木の板を構えて、赤ちゃんを呼んだ。


「名前……分からないけど、赤ちゃんを離してください。お母さんかお父さんか、おじいちゃんおばあちゃんかもしれない、君の大切な人はそっちじゃなくて、こっちにいるよ。どうしていいか分からなくて泣いてるの? ここに来たら、帰れるよ。あったかいところにいける」


 モヤが激しく動き、赤ちゃんの泣き声が大きくなる。モヤは僕の周りを取り囲むように動くけれど、僕は震えながらもその場に立ち続けた。



カエレ

       カエレ

            サレ

  クルナ


 ココニ      

        クルナ



 脳内に直接響いてくる声に、頭が痛くなる。目の前がチカチカして、足がふらついた。けれど、お札のおかげかモヤが僕に触れることはなかった。

 僕をつかもうとしてつかめない手の中にほんの小さな手のひらを見つけ、僕はその手に木の板を押し付けた。



オギャア

         オギャアァァ

   ァアァァ


 オギャアァァァ……ァ……



 泣き声が、止んだ。


 モヤの動きがゆっくりになり、少し薄くなったように感じられた。握りしめた木の板は縦に真っ二つになっていて、しばらく経っても赤ちゃんの声は聞こえないまま。


 上手く、いったんだろうか。


「やっぱりここにいた!」


 莉子が、こちらに向かって走ってくるのが見えた。そのとたん、モヤが莉子に向かっていくのが分かる。

 もしかして。


 僕は木の板に金沢莉子と書いて、モヤに向かって投げ付けた。モヤに飲み込まれた男の子の笑い声が響き渡って、割れた木の板が地面に落ちた時、モヤはさらに薄くなっていた。


「今の声、なに……?」

「聞こえたの?」

「うん、男の子の声がした」

「たぶん、もう大丈夫」


 莉子が連れて行かれたかもしれないことを思うと、冷や汗が止まらなかった。でも、これできっと大丈夫。木の板が、莉子の代わりになってくれたはず。


 モヤがいつの間にか消えていて、祠の前に少女が立っていた。少女は、夢で見た時よりも身長が高くなっていた。モヤを消した分だけ、大きくなれたのだろうか。


「もう少しで、壊せるようになる」


 前よりもスラスラとしゃべるようになった少女が、僕に微笑んだ。

 少女の背後にはまだ少しのモヤが見えていて、それは僕の方にも手を伸ばしているように見えた。


 本当は、成仏させてもらいたいのだろうか。赤ちゃんと男の子を成仏させてあげたから、僕に助けを求めている?

 でも、もう木の板は使い切ってしまった。もう一度神社に行ったら、宮司さんにもらえるだろうか。


 僕と莉子は、神社に行くことにした。


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