第2話
壊せ 壊して
壊せ 壊せ 壊せ
壊して
四方八方から声が聞こえる。それはいつもと変わらない。ああ、またこの夢だと思った瞬間、声が止んだ。
代わりに、真っ白な空間に女の子が立っていた。おかっぱの黒い髪、高そうな赤と金の着物を着て、真っ黒なボールを持っている。
「壊して」
「ずっと君が言ってたの?」
大きな瞳が真っ直ぐに僕を見つめている。手の中のボールはまるで生きているみたいに
「壊して」
「何を壊してほしいのか教えてくれないと、壊せないよ」
そう言うと、少女の目がカッと見開かれた。目が飛び出てしまうのではないかと思うくらいの表情に怖くなる。少女の背後から伸びてきた黒いモヤのような何かが、何本もの腕の形になって少女を拘束した。
「ほこら」
「えっ?」
聞き返した時には、もう少女はモヤに完全に飲み込まれていた。手や足が何本も伸びては引っ込み、まるで生きているみたいにうねうねと動く。そのモヤから伸びた大きな手のひらが僕に向かってきた瞬間、夢から覚めた。
「うわぁぁぁあああ!」
ハァハァとベッドの上で呼吸を整える。あれは夢だ。大丈夫。ただの夢。
僕の叫び声を聞いて両親が部屋に飛んできたが、嫌な夢を見ただけだから大丈夫と言えば安心したように戻っていった。
少女の声が、耳に残っている。少女は最後、何本もの腕に掴まれながらも「ほこら」とハッキリ言っていた。
僕の知っている祠は、秘密基地にあるものだけ。あれを壊せと言っているのだろうか。壊してしまって、中にある神様みたいな石は大丈夫なのだろうか?
考えても、何も分からなかった。
「祠を壊せ?」
「うん、夢で壊せ壊せ言われるから何かと思ってたんだけど、昨日祠ってハッキリ言われたんだよね」
結局、自分だけの手には負えないと判断して莉子に相談した。莉子に聞いても何の解決にもならないかもしれないが、一人よりも二人で考えた方が絶対にいいはずだ。
「祠って、秘密基地の?」
「僕が知ってる祠って、あれだけなんだよね」
「私も。でもあれって神様のお家じゃないの? 壊していいの?」
「分かんない」
「とりあえず見てみよっか」
秘密基地に向かっていると、路地裏の手前、何かが地面に落ちていた。
「うっ……」
「なに? カラス……?」
そこには首の取れたカラスの死骸が、転がっていた。目玉は何かに抉られたようになくなっていて、そこからウジが沸いている。
流石にそれをまたぐ気にはなれなくて、近くの植え込みから枝を一本折らせてもらい、それでカラスの死骸を少しズラした。
何だか嫌な感じがして秘密基地に急ぐと、祠の周りを黒いモヤが囲んでいた。昨日までは、あんなものはなかったのに。
「奏太? どーしたの?」
祠の前で立ち尽くす僕に、きょとんとした顔の莉子が聞いてくる。
「あれ、見えないの?」
「あれってなに?」
どうやら黒いモヤは僕にしか見えていないらしかった。莉子は首を傾げた後、祠の格子扉から指を差し入れた。
莉子が中にある石にちょんと触れた瞬間、大量の黒いモヤが勢いよく祠から噴き出した。
「う、わッ……!」
「えー! なに? 奏太にだけなんか見えてんの? ずるい!」
「り、莉子は大丈夫なの?」
莉子の周囲にはさっきまで祠を囲んでいたモヤが立ち込めている。もはや莉子の姿も見えなくなるくらいに、モヤが。
モヤは莉子の周りをぐるぐると回っている。時々、赤ちゃんの泣き声や、男の子の笑い声が聞こえていて、その中に夢で聞いた女の子の声がした。
祠を壊せば、モヤも消えるのか?
僕は地面に転がっていた大きな石を拾って祠に投げ付けた。途端にモヤが動いて石を弾き飛ばしたのを見て絶望する。どうすればいいんだろう。どうすれば祠を壊せるんだろう。
『消して』
「え?」
聞き馴染みのある少女の声がして、莉子の周囲を覆っていたモヤが晴れた。声のした方を見れば、夢で見た姿のままの少女が立っていて、モヤが全て少女の周囲に移動している。
助けてくれたのだろうか。彼女がこの祠の神様で、モヤのせいで身動きが取れなくなっている?
何が起きたのか分かっていない莉子に、今起こったことを説明すると、やはり少女が神様に違いないという話になった。
「でもさ、どうして自分の家を壊せなんて言うんだろうね」
「うーん……モヤにボロボロにされちゃったから引っ越したいとか?」
「そっか、今の家が気に入らないってことか」
「壊さなくてもよくない? とは思うけどね~」
「モヤにあげちゃえばいいのにね」
「確かに」
ケラケラと笑う莉子は、怖いものなんて何もないみたいな感じで。さっきまでの状況に恐怖を覚えていた僕は、どこか救われたような気持ちになった。
僕にとって莉子は、あの神社みたいに綺麗な、澄んだ空気の持ち主だった。
「消してっていうのは、モヤのこと?」
「多分そうだと思う。石投げたけど、モヤに邪魔されちゃったから」
「モヤは祠、壊されたくないんだね~。なんでだろ」
「住み心地がいいんじゃない?」
「あぁ、そっか。そうかも」
「どうやって消したらいいか分かんないね」
「うん……分かんない」
モヤが何なのかも分からないし、どうしたら消えるかなんてもっと分からなかった。答えなんて出せるはずもなく、気付けば登校時間ギリギリになっていて、二人で走って学校に向かった。
伊東は学校を休んでいた。
昨日の放課後に清掃作業をしたみたいだけれど、伊東の机も周囲の床も、黒ずんだ汚れは落ちなかったようだ。何なら黒っぽく汚れた範囲が昨日より広がっているようにさえ見える。
担任は詳しい話をしなかったけれど、感染性の病気だとかそういうことではないらしかった。席が近かった生徒はあからさまに肩を撫で下ろしている。
その日も、平和だった。学校で僕に対して行われていたことのほとんどが、伊東によるものだったと証明されたようなものだった。
別に、何をされても学校に行きたくなくなるとかそういうことはなかったけれど、不快なものは不快で。だから伊東が休んでいるうちは、何も気にせず莉子と登下校を共にすることができるなと思った。
いつになく落ち着いて授業を受けていると、窓際に座っていた生徒が悲鳴をあげた。その後、何かが地面に叩き付けられるような音がして、教室内が静まり返る。
「さ、沙和……」
悲鳴を上げた生徒が震える声で窓の外を指さし、他の生徒たちが窓を開けて下を確認した。そしてまた、悲鳴。
先生の静止の声も聞かず、僕もみんなに紛れて窓から覗き込んだ。
そこには、血の海に沈む女生徒の姿があった。
頭から落ちたらしく、顔は無惨に潰れているけれど、短いスカートも、二つに結んだ髪の毛も、ワンポイントの入った靴下も、見慣れたもので。
だから間違いなくそれは、伊東だった。
教室内のざわつきが大きくなる。先生が窓際から生徒を引き剥がすようにして、カーテンを閉める。
授業は自習になり、しばらくして下校するようにと指示された。伊東が落ちた場所の見える正門は使用禁止になり、裏門から全校生徒が帰宅させられる。
伊東が、死んだ。
自殺、した?
隣を歩く莉子の顔色は悪く、ずっと地面を見つめていた。慰めた方がいいのだろうけれど、気の利いた言葉の一つも出てこない。
ただ、莉子が泣いたらすぐに差し出せるように、ティッシュをポケットに突っ込んだ。
結局、莉子は泣かなかった。僕の前で泣きたくなかったのかは分からない。消え入りそうな笑顔を少しだけ浮かべ、別れた。
とぼとぼと歩く後ろ姿を見送り、僕も家に帰った。
「おかえり。大変だったみたいね」
「うん……」
「クラスメイトなんでしょ?」
「そうだよ」
「それだけよね? 話したことは? ないよね?」
母の手が、僕の腕を掴む。
あぁ、嫌だな。
顔が上げられない。
「ないよ」
話したことはない。話しかけられたことはあるけれど。
友達でもない。ただの、クラスメイト。だから母に嘘も、ついていない。
「そう。ならいいの。お風呂まだ沸いてないから、先に宿題やっちゃいなさい」
母は僕から手を離し、風呂場へと消えていった。
部屋に戻ろうとすると、僕の服を誰かが掴んだ。振り返ると、祖母が立っていた。
「奏太ぁ、お前ならできる。頑張んなぁ」
よく分からない応援を受けながら、僕は自室へと向かった。
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