祠を壊そう。壊さなきゃ。
南雲 皋
第1話
壊して 壊して
壊して 壊せ
壊せ 壊して 壊せ
壊せ
頭の中に声が響く。それは初め女の子の声に聞こえているけれど、だんだんと超音波みたいなキィキィしたものに変わる。それからどんどん低くなっていって、まるで地響きみたいな振動と共に、僕は目を覚ますのだ。
「壊せ壊せ言われても、何を壊せばいいのか言ってくれなきゃ分からないじゃん……」
ここ最近、毎日ではないにせよ割と頻繁に見る気持ちのよくない夢。何かを壊せば終わるのかと思うけれど、せめてもっとヒントを出してくれないと壊すものも壊せない。
溜息を吐いて朝の支度を済ませ、しっかり朝ご飯を食べてから家を出た。
「
家から少し歩いたところの交差点で、幼馴染である
莉子とは小学四年の時からはずっと同じクラスで、中学に入ってもまた同じクラス。家もそれなりに近いため、一緒に登校するのが当たり前になっていた。
莉子は、寄りかかっていたガードレールからセーラー服のスカートを
小学校の頃は私服登校だったから気にならなかったけれど、制服になったせいで何となく気恥ずかしくもあった。
「おはよ」
「顔色悪くない? ちゃんと朝ご飯食べたー?」
「もりもり食べたよ」
「ならいーけど」
並んで歩き出す。普通に歩いていけば到着が早すぎるくらいの時間に家を出るのは、寄り道をするからだった。
少しだけ遠回りになる道。路地裏の更に奥まったところにある小さな空き地は、僕らの秘密基地だ。
小五の夏休み、二人で遊んでいる最中に見つけたこの空き地は、いつでも少しひんやりしていて過ごしやすい。空き地の奥にはこじんまりとした祠があって、苔むしたそれを綺麗にしたのも僕たちだった。
「おはようございます」
「おはようございます」
祠の前で頭を下げる。祠を掃除していた時、中に石でできたお地蔵様みたいなものが入っているのに気付いて、それからはその石を神様ってことにして来る度に挨拶をしているのだ。
駄菓子屋で買ってきたお菓子を供えることもある。気付くとなくなっているから、やっぱりこの祠にはナニかがいるんだと思う。
「今日は私、美化委員の仕事があるから先に帰ってね」
「分かった」
「そういえば金曜日はカレー作るから、食べに誘いなって言ってたよ」
莉子のお母さんが作るカレーは、牛すじが入っていてめちゃくちゃ美味しい。家族三人では到底食べきれない量を一気に作るから、カレーの時には僕の家族もご馳走になるのがお決まりだ。
代わりにというわけではないが、うちの庭でバーベキューをする時には金沢一家が食べに来る。
「カレー久々だね。楽しみにしてる」
「そろそろ行こ!」
「うん」
祠にもう一度頭を下げ、空き地を後にする。
路地裏を吹き抜ける風に乗って、何かが聞こえたような気がした。
◆
「莉子、おはよ!」
「
教室に入ると、莉子は僕と離れて友達と喋りはじめる。莉子は友達が多いから、僕と一緒にいるのは登下校の時くらいだった。
委員会の仕事がなくても、僕以外の友達と遊びに行くとか、そういうことも当然のようにある。
分かってはいるけれど、僕だけのものになればいいのにとも思う。口には出さないが、僕が莉子を見ているのに気付いた
よくないな。
僕はなるべく莉子の方を見ないように意識した。
でも、授業に集中しようとすればするほど莉子のことが気になって仕方なくなって。我慢できずにチラと斜め前の席に座る莉子を見る。
「!」
目が、合った。
居眠りでもしていたような前屈みの姿勢で、少しだけ顔をこっちに向けた莉子と、視線が絡む。いつもの莉子とは少し違う、影のある表情にドキリとした。
すぐに前を向いてしまったけれど、たった一瞬で僕の心臓はうるさいくらいに高鳴っていた。
ガンッ
椅子に衝撃が来て、思わず振り返る。後ろの席の伊東が、僕の椅子を蹴ったらしかった。
「
先生が板書をする中、僕は教壇に立って教科書に載っている短編小説を音読する羽目になってしまった。クラスメイトの注目を浴びるのは、すごく、嫌だ。
ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべて僕を見る伊東が、視界に入って気分が悪くなる。
残りを読み切るために莉子の方に視線を向けた時だった。
「う、おげぇ……ッ」
ビシャビシャビシャ
伊東が、吐いた。
机の上の教科書もノートも筆箱も汚して、朝ご飯とは思えない黒ずんだ何かを、吐いていた。
「うわっ、きたね!」
「飛んだんだけど! 最悪ー!」
「うぅ……おぇぇぇッ」
ビシャビシャビシャ
先生が慌てて伊東の元に駆け寄り、保健室に連れていった。
先生に言われなくとも、誰も触りたいとは思わなかっただろう。少し離れた教壇から見ても、かなり気持ちが悪かった。
黒っぽい吐瀉物の中には、何やら小さなものが動いている。クラスメイトの声を聞くに、ウジだか、何かの幼虫がいるらしい。
周囲の席の生徒たちは机ごと動かして逃げていたし、雑巾や新聞なんかを持ってきてバリケードを作る者もいた。
ザワザワとした教室の中、莉子が教壇に立ったままの僕のところへやってくる。
「ビックリしたね。沙和、大丈夫かな」
「う、うん……」
「奏太の席も汚れちゃったかも」
かなりの勢いで吐き出されたので、隣や斜め前に座っていた生徒たちは制服や鞄を嫌な顔をしながらティッシュで拭いている。僕の机にも、何かしらの被害はあっただろう。
「そうだね……でも、座ってなくてよかったかも。椅子とか机は拭けばいいし」
「そうだねー。ティッシュ持ってる?」
「ポケットティッシュ、鞄に入ってたと思う」
「ならよかった」
結局この時間は自習になって、休み時間に他の先生たちがやってきて吐瀉物を掃除してくれた。マスクとゴム手袋を身に付けた先生たちは、なるべく動揺しないように作業をしているみたいだったけれど、虫が動く度に眉間にシワが寄るのが見えた。
伊東は帰りのホームルームになっても戻ってこなかった。きっと早退したのだろう。あんな物を吐き出したのだ、病院に行った方がいいに決まっている。
ただ、心配する気持ちよりも平穏な授業を送れた安心感の方が大きい辺り、僕は伊東のことがだいぶ嫌いだったのだと自覚した。
◆
一人で帰るのは、寂しい。
僕にとって友人と呼べるのは莉子しかいなくて、莉子に何か用事があれば必然的に一人ぼっちになる。
学校からは真っ直ぐ帰りなさいと言われるけれど、そんなことを守る生徒はほとんどいない。制服姿のまま、駅前の繁華街に向かう生徒が多かった。
ゲームセンター、クレープ屋、ビルとビルの間にぽつんとある公園の入口にたむろして、ずっと話し込む生徒たち。
僕はそんな彼らの姿を遠巻きに眺めながら、そこに混ざる自分を夢想する。
『友達は選ばないと』
想像の中でさえ、母は僕の行動を許さない。彼らのような人たちと関わるのはよせと、有無を言わさぬ圧で語り聞かせる母の目は、見られなかった。
代わりに、少し歩いたところにある神社に向かう。小さな神社ではあるけれど、空気が綺麗で好きだった。宮司さんも優しくて、莉子がいない時には度々足を運ぶ場所。
鳥居をくぐると、モヤモヤしたものが一気に晴れるような心持ちになる。
「森谷くん、久しぶり」
「こんにちは」
境内を箒で掃いていた宮司さんが、僕を見てにこりと笑う。しめ縄の巻かれた大きな木の根元にあるベンチに腰掛け、少しだけ休んだ。
落ち込んだ気分もだいぶ楽になったので、宮司さんに挨拶をして神社を後にする。空き地に寄ることも一瞬考えたけれど、帰りのホームルームが終わってからもうそれなりに時間が経っていたので家に帰ることにした。
「ただいま」
「おかえりー、お風呂沸いてるから入っちゃいな」
「うん。あ、今週の金曜日、莉子のところでカレーだって」
自分の部屋に向かいながら、台所に立つ母にそう告げる。母はにこやかに振り向いた。
「あら久しぶりね。予定空けておかなきゃ」
風呂に入り、夕食を食べ、宿題を終えて眠りに就く。いつも通りの夜。
ただ、その日の夢はいつもと違っていた。
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