act.3 ワールドトリップ篇④

 コインはまだ空中で回転していた。解説が終わるまで待っていてくれたらしい。

 相変わらずスローな時間感覚の中、十セント硬貨こうかはゆっくりと頂点に達し、そしてゆっくりと落ちてくる。まるで映画の演出のような、激しいアクションの前のつかの間の視覚的静寂せいじゃくが、俺の時間感覚を奪っていく。

 真昼の太陽光を反射しながら高速回転するダイムコインは、まるで自由落下する小さなミラーボールのようだ。

 ハルヒも相手のガンマン――ナントカトン兄弟のどっちか――も空中には目もくれず、相手の目をめ付け合っている。コインが地に落ちる音がゲームスタートの合図だ。

 その時だった。

「…………」

 西部に来てからこっち、いつも以上に無言だった長門が、田中たなか久重ひさしげ製のカラクリ人形のようななめらかさで顔を斜め上に向けた。ねこのようにまばたきしないひとみが、じっと一点を見つめている。その視線の先を辿る。

「ん?」

 俺の目のはしがわずかな動きを捕捉ほそくした。ほんの小さな身じろぎ程度のものだったが、確かな人間の動作だ。

 注意して目をらすと、俺たちから見て通りの向こう、酒場の二階の部屋の中にわだかまる何者かがいた。半分ほど開いたガラス窓しに、暗い人影ひとかげが見て取れる。

 一人の男がのぞき込むようにストリートを見下ろしていた。手にしている長い棒のようなものは他のアイテムと見間違みまちがうことはない、ライフルじゅうだ。おそらくこの時代のベストヒットウェポン・イン・USA、ウィンチェスターM73ライフル。

 男が構えたライフルの銃口、その延長線上に、ハルヒの頭があった。

狙撃そげきか」

 なるほど、決闘がどう転ぶかわからないと見て、だまちで片を付けようという、清々すがすがしいまでの悪党だ。今時めずらしいステレオタイプですらある。

 俺の右手が反射的にガンベルトのホルスターにびる。六連発リボルバーハンドガンに装填そうてんされている全弾を脳天に撃ち込んでも良心がまったく痛まない自信があるが、そうしてやるか、それとも長門に任せるか……?

「…………」

 長門の沈黙ちんもくからは、静観しよう、という意志が感じられた。確かにハルヒが死角からのライフル狙撃程度でくたばるとは、自衛隊の戦車砲せんしゃほうたおされるゴジラ並みにあり得るとは思えない。ましてやこんな適当な世界観の西部劇ではなおさらだ。

 しかし残り時間はわずかだ。落下を続けるダイムコインはもう、かわいた大地に接地しようとしている。

 誰もが対峙だいじする二人を注視していた。

 だから、誰もがおどろいた。

「!」

 まさかハルヒが、コインの落下を待たずに動くとは。

 それも横っ飛びにんだかと思うと、そこから前転に移行してゴロゴロと転がりながら、酒場と商店の間にある隙間すきま空間に消えていくなどと。

 直後、十セントが地面との邂逅かいこうを果たし、チン、とむなしい音をひびかせた。それがスローモード解除の合図だった。

 決闘におくしたハルヒの敵前逃亡とうぼう――。

 事情を知らない者はそう感じたろうが、敵ガンマンのあせりの表情からは、酒場の二階にひそ伏兵ふくへいスナイパーの存在を知っていることが見て取れた。

 予想としては、どうやってかは謎だがスナイパーの存在に気づいたハルヒがそのライフル使いに銃弾を浴びせるべく二階に直行した――のではないかと思ったのだが、あらゆる意味で予想は裏切られた。

「えいやっと」

 元気なハルヒのけ声と同時に、ガンッ、とかたいがそれほど厚みがなさそうな何かをりつけた音が耳に届いた。

 そして、

「なっ……」

 驚きのあまり硬直した敵ガンマンの頭上に、酒場の表側がえがかれた大きな板が倒れかかっていく。とっさに後ろに飛び退いたガンマンの目の前で、かつて酒場だったデカい板がメインストリートに勢いよくバタンと倒れし、もうもうたる土埃を巻き上げた。

 その際、板と地面の間から「ぎゃっ」という男の悲鳴と、ゴキャッという何かがくだけるようないやな音がした。よく見るまでもなく、板と通りの間には、ちょうど人間一人分くらいの隙間が空いており、不本意なサンドウィッチの具となっているのはウィンチェスターライフルをたずさえていたスナイパーで間違いなさそうだった。

 三次元の酒場が、二次元の立て板になった瞬間しゅんかんに窓からき出されたのだろう。

「やっぱりね」と言ったのはハルヒだ。

 板と化した酒場を蹴り倒した後の、片あしを上げたポーズのまま、

「こんなことだろうと思ったわ。ずいぶん嘘臭うそくさかったもんね」

 得意げに微笑ほほえむ顔は勝利の色だ。

 俺は周囲を見回し、先程とは風景の見え方が違っていることに気づいた。

 これまで普通に建物として認識にんしきしていた街の家屋、メインストリートに連なる商店の数々が、今や厚みと存在感を失い、ただの絵の描かれたパネルになっている。

「マジか」

 衝撃しょうげきの事実に唖然あぜんとする俺たちだったが、相手の敵陣営じんえいはもっと驚愕きょうがくしていた。ついでに老町長までがあごをガクンと垂らしていた。無理もない。いきなり世界設定を変えられてしまったのだ。それも無理矢理、一瞬の間に。

 俺たちが一夜を過ごした宿も、今やただの平面の立て看板と化している。

 なんともはや。

 ここは十九世紀後半のアメリカ西部地方ではなかった。西部開拓かいたく時代を思わせる背景を舞台にした、野外のオープンセットだったのだ。それも予算をだいぶケチったシロモノらしく、建物はすべてベニヤ板のパネルに描かれたものに過ぎない。

 倒れた元酒場をけて通りに戻ってきたハルヒは、

「あら一応、早ち勝負だったわね」

 抜いたコルトSAAを、まだ愕然たる状態が抜けない相手ガンマンの胸元に向け、引き金を引いた。

 パン、と乾いた音がして、しただけだった。

 周囲の風景がすべて大道具なのだしたら、この戦いはリアルファイトではなく、演技であり、当然拳銃けんじゅう実弾じつだんが入っているはずはない。

 ここは西部劇映画の中だ。そういうことになったのだ。

 他のメンバーがどういった感想をいだいているかというと、古泉は特有の微苦笑びくしょうかべており、朝比奈さんのぽかんとした顔も実に愛らしく、長門はいつも通り。

 俺は銃をもてあそびながら歩いてきたハルヒに、

「二階にスナイパーがいるといつ解った?」

「早撃ち相手の目に映ってたわよ」

 こいつの視力は猛禽類もうきんるい並みか。

「建物がただの板切れだと気づいたのは?」

「それは、何となく」

 ここらへんはあまりっ込まないほうがいいかもだな。

 ハルヒは一カ所にかたを寄せ合うように固まっている農場サイドのあらくれ者たちに向かい、

「先に撃ったのはあたしってことだから、こっちの勝ちでいいわよね。さっさと人質を返して、おたずもの集団は解散しなさい」

 ハルヒがトリガーガードにひっかけた人差し指を中心にピースメーカーをくるくる回しながらにらみ付けると、例の農場主側に雇われたナントカトン兄弟とその一味たちは、世界改変の衝撃を一時的に忘れることができたらしい。

「てめえ!」とか「マジかこら!」とか「こんなん勝負と言えるか!」など、まあそう言いたくもなるよな、みたいなののしり声を上げて、通りに飛び出してきた。

 全員が銃を手にしているが、この茶番にいつまで付きあえばいいんだ?

「…………」

 誰よりも早く長門が反応した。

 マントをひるがした長門の両手が瞬速の動きを見せた。右手でコルトをこしだめに構え、左手で撃鉄をはじく動作。トリガーを引きっぱなしにすることで連射を可能とする技、ファニングだ。なぜ長門の銃だけ今も実弾なのかは疑問視しないことにする。

 連続発射した六発の弾丸の行き先は、殺到さっとうして来た賞金首集団ではなかった。

 長門は上空をめがけて撃っていた。

 いったい何を? その問いの答えは即座そくざに降ってきた。

 いくつもの大きな照明器具が、荒くれ者たちの頭上におそいかかる。

 男たちはヒキガエルがゲップしたような悲鳴を上げ、ドンガラガッシャンと派手な効果音を立てつつ、もれなく照明の下敷したじきとなった。

 なんと、オープンセットですらなかった。ここは撮影スタジオの中だ。

 そう認識した途端とたん、天空でかがやく太陽は天井てんじょうからり下げられたオブジェとなった。

 本来なら「はい、カット!」の声とカチンコの音がするあたりだが、周囲を見渡みわたしてもスタッフらしき姿はどこにもない。エンドマークはセルフサービスで、ということか。

 老町長が頭をかかえているところを見ると、まったく何一つ予定通りに進んでいるわけではなさそうだ。このじいさんにどれだけの権力と実行力があるのかは謎だが。

「で?」とハルヒ。「人質はどこ?」

 銀行の店頭が描かれたパネルの奥から、二人の人物が顔を覗かせた。悪党どもが残らず伸びているのを見て、おずおずと姿を現す。ネルシャツにサスペンダー付きの作業用みたいなズボンを穿いた若い男と、大昔のメイドみたいなたけの長いワンピースをまとった女性である。俺たちが救わねばならないことになっている二人組だろう。

 ファンタジーRPG編では王子とひめ、宇宙編ではなんだったっけの顔を、初めて見た。どこかあきらめた風のつかれた表情に思えるのは俺だけか。

「このたびは」

「ありがとうございます」

 そう言って頭を下げる有力牧場主の息子むすことその妻は、とてつもなく凡庸ぼんような容姿をしていた。じっと顔をながめていても、目を逸らした三十秒後には忘れてしまいそうな、十代後半とも三十歳前後ともつかない年齢ねんれい不詳ふしょうな顔はどこを取っても印象的な部位が皆無かいむで、へのへのもへじのほうがまだ特徴とくちょうがある。

 それはともかく、人質を救い出せばミッションコンプリートのはずだ。

「おい、爺さん」

 声をかけると、町長は頭を抱えたままこちらを見た。

「なんじゃい」

「なんじゃいじゃねぇ。多少シナリオとは違うだろうが、これで任務達成だろ。これでまた次の世界に飛ばされるなんてことは、」

 ないだろうな、と言いかけたとき、撮影スタジオのかべをぶち破って車が突っ込んできた。

「うわ、何だ!」

 屋根がほろになっている黒塗くろぬりのクラシックカーはクラシックをえて、まるで自動車の化石のようだ。二十世紀初頭のアメリカ東海岸あたりを走っていそうなその車は、牧場主の息子夫婦の前に横付けすると、車内から伸びた黒スーツの腕が二人を車内に引きずり込み、急発進するや、直後、反対側の壁を破壊はかいして逃走とうそうした。

「ちょっと!」

 さすがのハルヒも声を上げる。

「せっかく助けたのに、もうなの? 少しは余韻よいんひたらせなさいよ。あたしはしまれながら牧場を後にするカウボーイの役をやってみたかったのに!」

 地団駄じだんだむハルヒと俺たちの前に、さっきの車が開けた穴から、別の車が入ってきた。何かで見たことがある、フォード・モデルTツーリングのオープンカー仕様だ。

 タクシーのように静かに止まる車の運転席は無人だった。

「これで二人を追えと?」と古泉が顎をでながら、「どなたか、この手の車の運転ができる方は?」

 俺、ハルヒ、朝比奈さんがそろって首をり、しゃあない、よろしく長門、と言う前に、

「わしが運転してやろう」

 老町長がドライバーズシートに収まっていた。

「なに、ちょっとしたサービス、アフターフォローじゃ」

 顔を見合わせたのは一瞬、俺たちはそそくさと乗り込んだ。ハルヒは当然のような顔をして助手席に腰を下ろす。

「さあ出してちょうだい、お爺ちゃん。チップははずむわ。さっさと追いついて、銃撃戦の続きをしましょ。今度はカーチェイスをしながらね! ゴー! ゴー!」

 パチンコで弾き出されたように、フォードがスタートする。ちっともまらないが、なしくずし的に西部劇編、完。

 撮影スタジオの外は夜真っ盛りだ。

 高層ビルが並び立つ、ミッドナイトな摩天楼まてんろうが俺たちを待ち受けていた。おまけに世界はモノクロになっている。店先に光る色取り取りなはずのネオンの輝きはただ白いだけ。

 ハルヒのカチューシャも、朝比奈さんのひとみも、長門のかみも、グレーの濃淡のうたんのみで表現されている。

 俺たちの服装もいつの間にか衣替ころもがえさせられていた。ダークスーツと白いシャツに黒ネクタイ。カラーインクを使う必要がない服装だ。なんだ、今度は葬式そうしき帰りの集団なのか?

 いつしか黒スーツの上下に瞬間着替えを果たした町長がハンドルを操りながら、

「禁酒法時代のシカゴ、もしくはニューヨークじゃよ」

 どっちだよ。

「どっちでも構わん。そうではないか?」

 そりゃまあ確かに。

「わしももう町長ではない。しがない雇われ老ドライバーじゃ。道案内役をおおせつかった」

 誘拐ゆうかいされた二人はどこだ?

「ギャンググループのアジトじゃろ。今からおぬしたちにはそのギャングのボスとの話し合いに行ってもらう」

「話してわかってくれる相手なわけ?」とハルヒ。

「無理じゃろな。であるからして、一勝負してもらうことになろう。勝てば二人は自由の身じゃ。うまく行けばカーチェイスはなくて済む」

 そう上手うまく運べばいいが、あやしいもんだ。

 座り心地ごこちがいいとはお世辞にもいえないリアシートに身をしずめながら、俺は空を見上げた。またたく星々はただモノトーンの点となり、宇宙編で見たものと比べると、いかにも迫力はくりょく不足だった。

 そういやまだ「ミッションインコンプリート」の声を聞いてないなと思いつつ、俺はスピードを上げる車の加速度を背中に感じていた。



 *  *  *



次回更新は12/9(月)を予定しています。

更新までしばらくお待ちください。


「涼宮ハルヒ」シリーズ既刊も連載中!

https://kakuyomu.jp/works/16818023213986880136

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涼宮ハルヒの劇場 谷川流 @NagaruTANIGAWA

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