野良クラスメイトを家に上げた日の話

音愛トオル

野良クラスメイトを家に上げた日の話

 希海のぞみはその日、朝から気分が悪かった身体を少し無理して引きずって登校した。それがたたって、2限が始まる前には早退することになり、痛む頭を押さえながらどうせなら休めばよかった、と溜息をついた。

 吐く息が白く溶ける冬の午前。

 体調が悪くても機械的に動く身体で、無事家のについた希海はしかし、そこに広がる光景を前に立ち尽くしてしまった。まず考えたのは熱が上がって幻覚でも見ているのか、というものだったが、


「いや、そこまで酷くないし」


 であればこれが現実である――家の前に、クラスメイトがしゃがんでいる。

 偶然にもクラス内に同じ苗字の生徒がいたから、希海は内心で彼女を名前で呼んでいた。


「あれは……ともさん?サボり……とかするような子じゃないし、なんで家の前に?」


 智とは普段教室でもあまり話さない方だし、他のクラスに共通の友人や知り合いもいない。家も教えたことはないし、仮に何かで知っていても遊びに来るような間柄ではない。

 希海の知り得る限りの情報をかき集めても、せいぜいドッペルゲンガーくらいしか予想がつかなかったが、ふと名案を思い付いた。智が今朝、学校に来ていたか思い出せば少なくともドッペルゲンガーか否かくらいは分かるではないか。


「……だめだ、くらくらしてて朝のことあんまり覚えていない」


 肩を落とした希海はそこで、耳を撫でる智以外の声に気が付いた。人によくなついた、高く抑揚のある、聞くだけで癒されるあの声。

 その声を聞き、希海はある可能性を想起した。


――あるいは、智がとしたら。


「にゃあ?ん、なーお。なぁ……!」


 場所を移動して、智の正面、より玄関に近い側が見える所にやってきた希海はだいたいの事情を察した。智は希海の家の前でくつろぐ野良猫に夢中になっていただけだ。場所の方は、猫の気まぐれだろう。

 なぜ、とっくに始業しているこの時間に智がいるのかは分からなかったが。


「んんー?んにゃーお!なお~」


 午前のこの時間、人通りは全く(希海以外は)なく、いるとすればあの猫くらいで、智は猫との時間を満喫していた。仲のいい友達ならからかいにいけたのに――そう考えた希海の視界に飛び込んできた、智の顔に浮かぶ優しい笑顔にどうしてかどきりとした。

 教室では見せないその表情、その温かな引力。


「あっ、待って……」


 ほんの数秒前までは全力でくつろいでいたのに、猫は気まぐれを発揮して一目散に町の中へと消えていった。奇しくも猫が選んだのは希海が隠れていた方向で、希海は猫と入れ替わるようにして智の目の前にやってきた。

 半ば熱でぼやけた頭で智に声をかけるかどうかすら決めずになんとなく歩いてきた希海は、智と目が合った瞬間に己の失策に気が付いた。このまま智が立ち去るのを待てば良かったのに――


「……ええ!?」


 その叫びは果たして、猫と話していたところを見られた智のものではあったが、正確に言えばやや違う。

 智の目の前で限界を迎え、智の肩に倒れこんだ希海を抱きかかえた智の、それは困惑だった。



※※※



 気が付いたら自室のベッドに腰かけ、智の手から水を受け取っていた。

 冷たい水を飲むといくらか体調は和らぎ、思考も次第に明瞭さを取り戻していく。


「……あ、智さん。おはよう」

「え!?あ、う、うん。お、おはよう」

「ありがとね。だいぶ楽になったよ。熱があるのに歩いて帰って来たからちょっと疲れちゃったみたい。もう大丈夫だよ」

「ほ、ほんと?あ、あの――すぐに家に入れなかったのって、あたしがその、猫と遊んでたから、だよね」


 智はばつが悪そうに赤くなった頬をぽりぽりとを掻いた。確かにそれは事実だが、時間にして数分のことだ。

 智のせいではない。


「ううん。智さん、めっちゃ可愛かったよ」

「え?」

「え?」


――そう、言おうと思った希海は、熱のせいか全く別のことを口にしていた。


「え、え、あっ、あの」

「あ、ごめん。えと、智さんとあまり話したことなかったでしょ。猫と遊んでいる時の智さんがすごく楽しそうで、可愛いなぁって」

「……あ!ね、猫が、ですよねっ」

「ううん。猫もだけど、智さんの笑顔がね」


 普段の希海ならばこんなことは言わない。たとえ思ったとしても。

 熱のせいでいつもよりも本心をとどめておけるだけの力が足りていないのだろう。病人の希海よりも顔を真っ赤にした智を見て、希海は自分が口にした言葉にようやく理解が追いついた。


「――!あ、あー……うん、そうなの。智さんのこと、ちょっと好きになったよ」

「すっ、すすす、えっ!?」


 追いついたが、訂正の文句を取り繕えるだけの体力もなく、まあ嘘は言っていないしと、希海は熱でふやけた声でそのまま続けた。智のころころ変わる表情が可愛くて、それが見られたならまあいいか、と。

 智はどうすればいいか分からない様子で、油を指していないロボットのような動きでその場をくるくると回っていた。それが希海には、とても好ましく思えて。


「あははっ」


 希海は身体の倦怠感を忘れるくらいの、沸き立つ熱に笑った。

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