迷子の彗星たち
音愛トオル
迷子の彗星たち
髪を
あたしは、この場所に戻ってきていた。
駅と併設された商業施設の連絡通路、その柱の足もとの4辺それぞれに設置されたベンチ。通路を抜けて改札へ向う側を覗く辺のベンチに、あたしは腰かけた。
「濡れて――うん、ないね」
口の中でそう転がして、スクールバッグから先に、懐かしいベンチに座る。そうして目に飛び込んできたのは、午後の人だかりでも、傘を伝う雨の雫でもなくて、3年前の日の記憶だった。
もうずいぶん、その声で名前を――「
「
まだ慣れた感じのしない冬服、高校生の証はほこり一つだってついていない。
けれど、目に見えない汚れがきっと沢山くっついている――あたしと、天の関係と同じように。中学1年生の秋、初めてこの場所で会って、話して、友だちになって。
それ以来の親友だと思っていたのに。
「なんで誘えなくなっちゃったかな」
理由なんて、明白だ。
――あたしが天を、好きになったから。
恋愛対象として。
柱の別の一辺に誰かが座る気配があった。他人の行動なんてどうしようもないけれど、もう少しこのまま一人で居たかった、なんて。
別れ際は、卒業式の日は「また」を約束したのに。
「……会いたい」
あたしが天を好きになったのは卒業式の後、高校生になってからだ。毎日でも連絡したかったのにいつの間にかメッセージでのやりとりもしなくなったころ。
ふと、昔取った写真の天と目が合った。2人で落書きして、「大好き」なんて書いたあの写真。高校で新しい友達が出来ても、少し疎遠になっても、ずっと「天」が頭から離れないあたしには、容易なことだった。
その「好き」は、今や恋人になりたい「好き」なのだ。
「天、嫌じゃ、ないかな」
懊悩の日々を潜ってこの季節までやってきてしまったあたしは、ほとんど無意識のうちにこの場所に来ていた。ここに来れば、天に会えるかもしれない――そんな淡い希望も少し、抱きしめて。
本当の目的は、別にある……文化祭だ。
「――よし」
あたしは意を決してスマホを取り出し、天にメッセージを打ち込んだ。
内容は1週間考えつくしたから、天がどう返信するか(あるいはしないか)を含めた何パターンかの会話の流れを想定してあった。こうまでしないと話すことも出来ないなんて、中学生時代の自分は信じられないだろう。
『天、久しぶりだね。元気かな?あのね、今度うちの学校の文化祭があって。もしよかったら、遊びに来ない?』
草稿は「週末遊ぼう」だったが、「文化祭に来ない?」ならば最悪あたしに会いたくなくても来てはくれるかもしれない。それに断られた時のダメージも多分小さくて済む。
送信の矢印を押すのにたっぷり5分をかけて、あたしは天に――実に数か月ぶりのまともなメッセージを送った。「うん」とか「そうだね」とか以外の。
――ぽんっ。
「……?」
さっきここにやって来た人にもタイミング良く通知が来たのだろうか、すぐ近くから通知音が響いた。その後に続いた吐息と靴で地面を何度も叩いているような音がちょっと不気味に感じて、あたしはぎりぎりまでベンチの隅に寄った。
それから、恐る恐るスマホを覗くと、
「き、既読になってる……!?」
想定した中で最も早いパターンだ。
この場合、返信がある時とない時とでチャートを分けてあるから、急いで準備しないと。ええと、確かあった時が――あれ、なんだっけ?
「お、落ち着けあたし……ちょっと前までは普通にしてたじゃんか」
そのちょっと前「友だち」だった天は今、「意中の女の子」なのだけれど。
――そう考えると、風に乗って来た湿気も溶けるくらい、頬が熱くなってきた。
ぽん、とあたしのスマホが鳴いたのは、10分くらい経った頃。
本当は覚悟を決めてから見たかったのに、気になってスマホを凝視していたからすぐにメッセージが目に入る。
『久しぶり、鏡。私は元気だよ。鏡も元気そうで良かった。誘ってくれてありがとう。文化祭、楽しみにしてるね』
一瞬心が舞い上がりかけたメッセージに、行くか行かないかの返事がないことに気づき、あたしは勢いの行き場を無くしてしまった。隣で「あっ」と甲高い悲鳴のような何かが聞こえた気がしたが、中腰の半分くらいの実に中途半端な姿勢のあたしはそれどころではない。
なぜならこれは、プランにない返信だったから。
『あっ、ご、ごめんね。行く!行きたいです!』
「て、天……ふふっ」
『一緒に回ろうね』
「――っ!」
ああ、そんな風に言ってくれるなんて。
プランにない、ないよ、天……。
「ど、どうしよう……」
冷静になりたくて一度立ち上がったあたしの耳に、「送っちゃった……」というつぶやきが流れて来た。外界の刺激を排したくて目をつむったあたしは、その時初めて違和感に正面から向き合った。
あたしが送る。隣から通知音がする。
返事の欠けたメッセージ。隣から悲鳴が聞こえる。
予期せぬ言葉に口角が緩む。隣から声が流れて来る。
――あれ?
まさかね、と内心で首を振って、少し震える手で計画にまったくない、当たりさわりのない喜びを表すスタンプを送った。そして、間髪入れずに隣から響く通知音。
いや、いやいや。
そんな偶然、あるはずが……。
「――天?」
違ったらあたしが恥をかくだけだ。
あっていたら――どうなるかは、これで分かる。
隣のベンチに回り込んで、ややうつむきがちに、その名を口にした。
刹那、
「鏡……?」
困惑と期待と羞恥と理解とが入り混じった、懐かしい声が響いた。
そこに居たのは紛れもなく天で、制服は初めて見るし髪型も昔と変わって今は肩まで降ろしている。身長は少し負けていたはずなのに、今やあたしの方が上だ。でも、スマホについているキーホルダーはあたしとお揃いだったし、そのヘアピンも卒業前に買ったお揃いの――あたしも今、つけている――ものだ。
きらきらと揺れる目が、あたしを映している。
「あ、あのね、えっと……ひさしぶ」
「――好きです!!」
「……え」
あたしは、天を目の前に気持ちを抑えられなくなってしまった。
頭が真っ白になって、言うべき言葉や考えていたセリフも全部飛んで行って、ただまっすぐな、脚色のしていないむき出しの「好き」を叫んでしまった。
もっとうまくやれば、昔の関係に戻れたかもしれないのに、きっとあたしがたった今、その可能性を壊したのだ。でも、言わずにはいられなかった。
――大好きだから。会えたから。一緒に回ろうと言ってくれたから。
「鏡」
「えっ」
去っていく足音さえ想像していたあたしは、首に回された腕の熱が何か、すぐには理解できなかった。耳元で聞こえた天の声と、「鏡」あたしの名前とが、それを教えてくれた。
これは、天の腕で。
これは、天の熱で。
これは、あたしたちの鼓動の音だ。
「私も、あなたが好き。ずっと、ずっと……言いたかった。なのに、どんどん離れてしまって」
「天……」
「それでさっき、鏡から誘ってくれて本当に嬉しくて。文化祭で、告白しようって、今、決めたばかりなのに」
「そ、それって」
腕が、天が離れて目が合った。
潤んだその両の目は優しく弧を描いて、雨の日を忘れさせる晴れやかな表情が、そこにあった。
「ずっと、私たち両想いだったんだよ」
「ひゃっ」
「鏡から、言ってくれたから。鏡から、言って」
小指を立て、いたずらっぽく微笑んだ天はつまり、あれをあたしに言って、と頼んでいるのだ。ただでさえ、とっくに破綻した計画を追うことで、喜びで沸騰しそうな心を保とうとしているあたしに。
この一言を言ったら多分、失神してしまうかも。
でも、まあ、
「――あたしち、恋人?」
「……うん。よろしくね、鏡。私の大好きな彼女さん」
「ひゅむ」
大好きな彼女が傍にいるから、介抱は任せることにするか。
肌を撫でる風は、ああ、いつからこんなに暑くなっていたっけ――?
迷子の彗星たち 音愛トオル @ayf0114
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