人攫いの花

黒鉦サクヤ

人攫いの花

『ゆっくり変えて差し上げますね』

 どこからかそんな声が聞こえたような気がした。辺りを見渡してみたけれど、そこにあるのは見渡す限りの青い花畑だけ。


 青い花は透明度の高い宝石でできていて、とても薄い花びらが特徴だ。なぜそんな名がついたのか誰も知らないそうだけど、人攫いの花と呼ばれている。花びらは鋭利な刃物のように肉を裂いてしまうから摘むときには注意が必要で、採取する者は少ない。採取の手間がかかるのに売上はたいしたことないからだ。しかし、僕は親もなくまだ子どもで魔法も使えないし、狩りの腕もない。薬草やこういったものを採取して売るしか術がないから、多少の傷は我慢して今が旬の花を摘む。


「痛ぁっ」


 早速、僕は花びらで指先を切ってしまった。うっすらと赤い血が滲み、掴んだ花びらにも血が付いてしまう。それを水筒の水で洗い流し、籠の中に入れる。この花は、多少雑に扱っても割れたりしないのだけが良いところなのだ。

 血の滲んだ指先を血が止まるまで眺めていると、僕の上に影がかかる。見上げると、いつの間にやってきたのか、見知らぬお姉さんが立っていた。

 お姉さんの顔は逆光でよく見えなかったけれど、血のように赤い唇だけがよく見えた。その形の良い唇が、氷を叩くような涼やかな声を響かせる。


「この傷はね、青い花の花粉を付けてやると早く止まるのよ」


 そう言って近くの花を引き寄せ、傷ついた僕の指先に花粉を落とす。茎の部分を指で弾くと、赤い花粉が血の上に重なり、その色を濃くした。

 半信半疑でいると、お姉さんの言う通りにすぐに血が止まる。指先がほんのり熱く感じるのは、傷ついたからだろうか。でも、ジクジクとした痛みは消える。


「今度からこうするといいわよ」


 長い青色の髪を揺らしながらお姉さんは去っていく。最後まで顔がよく見えなかったし、お礼を言うこともできなかった。次に会うことがあったら、お礼を言わなくちゃと僕は心に決める。そして、再び青い花の採取に精を出した。




 毎日、花の採取を続けているが、お姉さんは現れない。その間にも僕は何度も指先を怪我して、花粉をふりかけ血を止めていた。本当にこの花粉はよく血が止まる。いつもなら血が止まるまでしばらく待っていなければならなくて収穫量が少なかったけれど、今はその倍近い。今までの苦労が嘘のようだった。

 そのうち、どこからか歌が聞こえるようになった。お姉さんの声にどこか似ているような気もしたけれど、何人かで歌っているようだ。

 もうすぐあの子に芽が出るよ、と澄んだ声で歌っているのだ。

 ふーん、芽が出るのか。芽が出たらどうなるんだろう、なんて思いながら花を摘む。今日もたくさん摘んだから、早めに町に売りに行くことにする。

 町に着いた僕は、いつものおばさんのところへ花を持ち込んだ。


「はいはい、おや、今日も大量だね。怪我はしなかった?」

「少し引っ掛けちゃったけど平気だよ」

「そうかい。この花もこれがなけりゃね」


 おばさんはお金の他に傷薬を分けてくれた。


「いつもありがとう!」

「いいんだよ。今、この花を使いたいって注文がたくさんきてるんだけど、採取する人が少ないからね。あんたには感謝してるんだよ」

「じゃあ、明日もたくさん採ってくるよ」

「無理しない程度にね」


 手を振りながらおばさんと別れ、僕はパンを買って帰宅する。朝に作ったスープを温めて、少し固めのパンを浸して食べた。温かいご飯が食べられるだけで幸せだ。

 明日も頑張ろうと思いながら、僕は眠りについた。




 僕はその日、奇妙な夢を見た。

 青い花が一面に広がっている場所に僕は立っていた。けれど、いつもの花畑ではない。

 風もなく見上げた空には色がない。青い空の色がすべて花に吸い取られたように色がないのだ。

 辺りに漂う甘い香りを嗅いでいると、フワフワとした楽しい気持ちになる。奇妙な世界にいるというのに、不安どころか楽しくなってしまうなんて。そんなことを考えたけれど、すぐに可笑しくなってしまい笑った。多分、ここは夢の世界。奇妙だって構わない。

 空の色がないのも、僕の体が飛べそうに軽く感じるのも、このままずっとここにいたいと思ってしまうのも、きっとここが夢だからだ。夢の世界は甘く心地よい。そういうものだって、皆が言ってた。

 フフッ、楽しいなぁ。夢でまで青い花を摘む気はないし、僕は楽しいことをして過ごすんだ。

 そのとき、頭の中で大きな音がした。ブチンっ、と何かが弾けるような音。そして、ズルズルと這い回るような音が響く。その感触と音に背筋がゾクゾクとした僕は立っていられなくて、その場にぺたんと座り込んでしまった。

 這い回る音と、時たま脳にチクっと何かが刺さって目の奥で光が見える。その度に体が震えた。


「可笑しいな、夢の中だからかな」


 頭の中が弄られるのって気持ちいいんだなぁって、僕は笑う。這い回る音はいつしかグチュリとした音に変わって、僕は脳を弄ばれる。それがとても気持ち良くて僕は笑い続けた。

 そして、また前と同じ声で歌うのが聞こえた。

 あの子に芽が出て仲間が増えた、と歌っている。

 ようやく芽が出たんだね、と僕はヘラヘラと笑いながらそれにあわせて歌を歌う。初めて歌ったはずなのに、とても馴染みのある歌に思えた。

 そうだ、これは僕の歌だ。

 僕に芽が出て僕は仲間になったんだ。

 仲間……なんの仲間だっけ。分からないけど、僕は独りぼっちじゃなくなった。こんなに気持ち良いし楽しいし、悪いことなんてどこにもない。

 頭の中に聞こえる音がさっきよりも大きくなって、なんだか僕の体がとても窮屈に思えた。そうだ、窮屈ならここを破って飛び出せばいい。

 僕は自分の皮膚を破って新しい自分に生まれ変わる。近くの水に顔を映すと、裂けた皮膚の下からは透き通るような肌と青い瞳と髪が現れていた。髪の色はあのお姉さんと同じに見える。

 でも今までと何か違う。

 違和感の正体に僕は気づいた。二つあった目が一つになり、その目は青い花なのだ。青い花が僕の目になった。唇は花粉の色と同じ赤だ。

 お姉さんとお揃いになった、と僕は喜び、お姉さんの姿を探す。遠くでお姉さんと似た容姿の人々が僕を手招いていた。

 僕の家族だ。僕を呼んでる。

 行かなくちゃ、と僕は足下にあった僕の皮を踏みつけ駆け出す。

 走るたびにさっき脳を弄られてたからか変な音がするけど構わない。ゆっくりゆっくり僕の体は変化して、芽が出てお姉さんと同じになったんだ。

 今度こそ、ちゃんとお礼を言わなくちゃ。

 僕は手招く皆の元へと駆け寄った。


◇◇◇


「来ないねぇ。あの子も攫われちまったか」

「ん? どうしたんだ?」

「あぁ、よく薬草や青い花を売りに来てた子がいただろう? あの子が最近来ないんだよ」


 薬草店の女将は旦那に告げる。青い花は人攫いの花。採取する者がいつの間にか消えていることからこの名がついたが、その話は採取する者には告げられない。その話を聞いて採取する者がいなくなったら困るからだ。この町の者は皆知っているが、青い花の採取を担うのは余所者や親のない子どもたちなのだ。ある日、突然いなくなる。


「さて、次は誰に頼もうかね」


 女将は疲れたようにため息を吐き、小さな傷薬の入った容器をコロンと置いた。 

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人攫いの花 黒鉦サクヤ @neko39

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