金貨の降る町

路地猫みのる

金貨の降る町(見習い魔導士シリーズ短編)

 まるで夢を見ているようだ、と少年は思った。

 細くやわらかい髪がふわりと宙に舞う。一瞬、銀色のようで金色のようなその長い髪を触ってみたいという思いに駆られたが思いとどまる。自分みたいな汚い子どもが触るなんてもったいない。

 白いゆったりとした衣服、長い睫毛まつげに縁どられた虹色の瞳――そうきっと、この人は天使なのだ。

 そうでなくては、目の前のこの光景に説明がつかない。


 少年の涅色くりいろの髪に、肩に、尻もちをついて座っている太ももに……金貨が降り積もっていく。


* * *


 ここはガオルという名の町だ。首都に比較的近いこの国の中では人口の多い町で、大きな寺院など観光名所もあるため、雑多な人種が往来を埋め尽くしている。

 そうとはいえ、雪のように真っ白な肌と長い髪の『先生』は目立つはずだが、誰も声をかけてこないのはおかしい。これはまた目くらましの魔法使っているなと、屋台で買い物をする人物を見てトレフル・ブランは思った。

 トレフル・ブランは、魔法使いの師匠とともに旅をしている10歳の少年だ。硬い褐色の髪と、深い森のような緑の瞳を持つ。兄弟を失ってから約12ヵ月の歳月が流れたが、悲しみの爪痕はいまだ少年の心にしがみついて血を流し続けていた。だから町中で、歳の近い子どもを見つけると、ついつい目で追ってしまう。

 そして、涅色くりいろの髪をした、瘦せた少年を見つけた。


「だーかーら、通行料だよ。寄越せって言ってるだろ!」

 くすんだ赤土色の服を着て、同じ色の帽子をかぶった男が怒鳴る。隣でにやにや笑っている男も、同じ格好をしていた。兵士のようだ。

 その男たちの前でうずくまっている家族連れと思しき者たちがいる。彼らの着ている民族衣装が、「クルタ」と呼ばれる長めのトップスと、「スルワール」と呼ばれる裾をしぼって動きやすくしたズボンであることを、トレフル・ブランは本から学んでいた。

 父親らしき男性のクルタの端っこを、母親らしき女性と小さな瘦せた少年が怯えながら握りしめている。

「あぁ? 聞こえねーよ!」

「あ、で、ですから……」

 男性の声は確かに小さい。女性と子ども同様、兵士たちに委縮しているようだ。

「先ほど、門のところで入国税はお支払いしました……」

「あぁ? だーかーら、それは国に入るのに払う金だろ? 大通りを歩くのには、また別の金がかかるんだよ。ほら、通行料出しな」

 兵士が、父親の方を小突く。

「そ、そんなこと……私たちのほかには払っていないじゃありませんか」

「俺たちの目に留まったから、特別に払えるようにしてやってんだろ。ありがたく思いな」

 はたで聞いていてもめちゃくちゃで理屈が通っていない。


 トレフル・ブランがじっとそのやりとりを眺めていると、

「なんだ、あの潰したじゃがいもみたいな顔をした連中は」

という声が降って来た。若い男性のようでもあり、ハスキーな女性のようでもある。師が戻って来たのだ。

 手に肉と野菜を挟んだパンを持っている。自分の分だけである。曰く「自力で手にしたものにこそ価値がある。欲しいものは自分で手に入れなさい」ということなので、トレフル・ブランは腹が空いたらもらっている小遣いから支払いをして食料を買っていた。おそらく貨幣の使い方を学ばせるためだろう、と思いたい。師が面倒くさいからではなく。

「弱いものいじめをして、お金を取ろうとしているみたい。あの子がかわいそうだ」

 涅色くりいろの髪をした子どもを指して、トレフル・ブランは言った。

 先生は面白そうに笑う。

「子どもだけ? 父や母はかわいそうではないのか?」

 そう問われて、首を傾げるトレフル・ブラン。

「うーん、大人は自分たちのすることに『責任』があるけど、子どもにはないから……?」

 話していて自信がなくなった。これも理屈が通っていない気がする。

 先生はパンを最後まで口の中に押し込んで、親指についたソースをめとった。

「まぁ間違いではないが……今回の件で言うなら、父母にも罪はなかろう」

 先生はそう言い、無造作にゆったりと兵士たちの方へ歩み寄っていった。


「なんだ、このくそじじいは?」

 師を見て、兵士の一人が言った。どうやら今、師は老人に化けているらしい。兵士の言いようからして、お金のない風を装っているのだろう。旅のトラブルを減らすためだと、師はちょくちょくこのまじないを使った。

「ははは、じじいのおまけにくそまでつけられるとは。この姿になった甲斐があるというものだな」

 先生は軽快に笑い飛ばした。トレフル・ブランの目には、長い髪が嬉しそうにゆらゆら煌めいているように見える。

「はぁ? 頭のおかしいじじが来たぜ」

「たぶん、ボケてるんだろうよ」

 兵士たちが笑い合う。先生もいっしょになって笑った。家族連れはどうしてよいのか分からず戸惑っている。

「ボケてはおらんぞ。ほれ、通行料を支払いに来たのだ。ものはついで世は情け、そこの家族の分も払ってやろう」

 兵士のゴツゴツとした手のひらに、ずっしりと重そうな袋が置かれた。兵士たちはさっそく袋を開け、驚いて顔を見合わせる。金貨を持って何事か早口でささやき合っている。予想以上の収穫だ、そんな言葉が聞こえた気がした。

「ではな。確かに支払ったぞ――そこの者たち、さっさと立ち去るがよい」

 最後の言葉は親子連れに向けたものだ。事態が呑み込めないのか、ひょっとすると大量の金貨を目にするのは初めてなのかもしれない。目を白黒させながらその場に座り込んでいる。


 師がトレフル・ブランのところに戻って来た。トレフル・ブランは顔をほころばせ、駆け寄る。

 嬉しかった。師が自分の望みを気にしてくれたこと、親子を助けてくれたこと、自分のところへまっすぐ戻ってきてくれたこと――。

 あの白い手を、ぎゅっと握ってみたい……でも、自分と先生は血がつながっていないから叱られるかもしれない。

 亡くなった兄弟はよく手を握って自分を励ましてくれた。そうだ、彼も血はつながっていなかった。孤児院から自分を引き取った貴族の息子だったから。でもほかの人間と違い、彼の手は温かく、笑顔はやさしさに満ち溢れていた。ならば、先生も同じようなものを与えてくれるのでは?


 トレフル・ブランがそっと手を伸ばしかけたところへ……先ほどの兵士たちが追い付いてきた。

 そのぎらついた両目を見て、とても嫌な気持ちになる。どろどろとした卑しい何かが、彼らの黒い瞳を濁らせていた。

「おい。通行料、足りねぇよ」

「もっと置いていきな」

 彼らの言葉を聞いて、トレフル・ブランは師を振り仰いだ。

「先生。お金を渡すふりして、木の枝や葉っぱにめくらましをかけた偽物を渡したんじゃないよね?」

 これもちょくちょく目にしてきた手口だ。

「お前は師匠をなんだと思っているんだ。犬のふんに決まっているだろう」

「……」

 どうやら金を払う価値はないと判断したらしいが、最近読んだ本には「魔法でお金を作ってはいけません」と書いてあった。師はときどき、世間の決まりより自分の価値観を優先するきらいがある。

「おい、ごちゃごちゃ言ってないで金を出せ」

 もはや強盗と変わらないセリフを吐いていることに、本人たちも気付いていないのだろう。両眼を血走らせながら、兵士たちが間合いを詰めてきた。

 師は、はっきりと侮蔑を込めて口の端を吊り上げる。

「トレフル・ブラン、よく覚えておきなさい。欲望に目がくらんだ人間の目つきをな」


 師が両腕を振り上げた。楽団の指揮を執るかのような、優雅で迷いのない手つきだ。

 薄い雲に覆われた空が、ピカリと光った。雷のような強い光ではない。一点に小さく光が反射し、それはすぐに地上に落ちてチャリンと硬質な音を響かせた。そして、その音は次々と地上に降り注いだ。

「き、金貨だ! 金貨が降ってくるぞ!」

 誰が叫んだのかは分からない。しかし誰もが我先にと金貨を拾い集めていた。


 トレフル・ブランは、師に言われた通りじっとその光景を見つめていた。

 まるで、蟻のようだ。ばらまかれた砂糖にたかるように、人間が金貨に群がっている。みんなが地面を見つめていた。そんな群衆を見つめているのは師とトレフル・ブランのふたりだけ――そう思っていたが、涅色くりいろの髪をした少年は、尻もちをついた姿勢でぼんやりと前方を見つめていた。金貨の雨を見ていたのか、金貨をかき集める両親を見ていたのか――トレフル・ブランには判然としなかった。


「さて。用は済んだな。行くか」

 きびすを返した師に、トレフル・ブランが声をかける。

「待ってください! 俺もパンを買います!」

 トレフル・ブランは露店に駆け寄り、肉と野菜を挟んだパンを取って、代わりに銅貨を5枚置いた。これは後から犬の糞に変わらない、本物のお金だ。この騒ぎのさなかだ、誰も銅貨になど見向きもしないに決まっている。


 トレフル・ブランは師に駆け寄り、白い衣服の裾をぎゅっと掴んだ。これは、作動した移動用魔法陣の中ではぐれないようにするために必要なことだから、許可なく握っても大丈夫なのだ。

 音もなく光もなく、ふたりの師弟の姿はガオルの町から消え失せた。


* * *


「おじーちゃん。そのお話、もう聞き飽きたよー」

 涅色くりいろの髪をした女の子が言った。人形でままごと遊びをしていると、祖父がふらりと居間にやって来て、いつもの昔話を始めたのだ。物心ついてから幾度となく同じ話を聞かされている。

 ラタンで編み上げた椅子にゆったりと腰かけていた老人は「罰当たりなことを言うでない」と孫を叱った。

「生きている間に天使さまに出会えたんじゃ。なんとも有難いことだ。拾った金貨は翌日には泥になったが、ポケットに入り込んだ金貨はそのままだったんじゃよ」

 有難い有難い、そう呟きながら、老人はいつものように北の方角を向いて手をこすり合わせ、何かを拝んでいた。

 女の子は首を傾げた。

(それって、天使じゃなくて、悪魔だったんじゃないかなぁ)

 もうすぐ12歳になる彼女は、祖父の言う『天使様』が所謂ペテン師の部類であることに気付いていた。でも、祖父の夢を壊さないために何も言わないでおこうと決めていた。

 女の子も、祖父に付き合って北の方角を向き、手を合わせた。

(世界のどこかにいる悪魔さんへ。おじいちゃんを助けてくれてありがとう)


 女の子の声を聞いた悪魔はひとつ瞬きをした。

 虹色の瞳から雫が飛んで、流れ星になって北の空へ消えた。

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