AIと人間

緑川 つきあかり

心と溝

 ようやく慣れ親しんだこぢんまりとしていてゴミの目立つ居間で悩みの種が沈みゆく傍ら、僕らは道草食べんと雁首を並べていた。


 の、だけれど、「…………」


 何処か心の内で安らぎを求める自分がいた。それは漠然と広がっていて、とても掴めるようなものじゃないが、きっと、それは。


「いや其処はさ、コンボよりジャスガだろ」


「あー? それやったら、ダメージ溜められずにバーストされんのがオチだろ。こいつ、軽いから直ぐに吹っ飛ばされるし、なぁ?」


「うん、まぁ――個人差はあると思うけど」


「……」


 忽ち思わず目を背けたくなる空気が漂った。


 まるで絶妙に噛み合わないパズルのピース同士が、望まぬ形で互いを削り合っているようだ。


「あーそれでさ、進路相談なんだけど」


「まだ悩んでんのか?」


「あぁ、中々決められなくてな」


「余程、引くて数多なんだろうなぁ?」


「いや、全然そんなんじゃねぇよ。そういうお前はどうなんだ? 確か、エンジ、ぅっっ!」


「どうした?」


 突然、話の真っ只中に和人は頬を苦痛に歪めながらその場で蹲り、腹部を抑え始めた。


「はっ、腹がぁ」


「またかよ」最早、恒例行事な気さえする。


「悪いけど、ちょっと二人で時間潰しててくれ。あぁ、テレビ流すんなら、音量は下げろよ。家の親が夜勤帰りで寝てっから」そう苦しげに忠告だけを残し、飛ぶ鳥、跡を濁さず。


「はいはい、わかりましたよ和人さん」手を振って雑に見送り、遂に直面してしまった。


 一騎打ち。


 頻りに月夜の昇る大海原の水面に茫然と浮かぶような虚無に見舞われるも、悠々自適。


「あっ」


 奇しくも読みかけであった本が鞄から垣間見えるのを視界の片隅で捉えてから颯と手に取り、徐に詩織の挟まれた頁に指を入れた。


 それとは対照的に笹原君はそわそわと挙動不審なる心情を赤裸々に吐露し、机上のリモコンをそそくさと手に取り、映し出される。


 毎度お馴染み、色褪せた報道映像の数々。


 どうやら第一章はAIについてのようだ。


 それを大舞台の議題に挙げるのは時期尚早な気もするが、僕は心を動かさぬ綴りに目を通して、淡々と頁をペラペラと捲り始めた。


「ま、ほぼ他人事かなぁ」


「うん」


「……」


 視線だけを静かにこちらに向け、それに呼応する形で指を滑らせるスピードを上げる。


「人権問題で度々、訴訟問題に発展してきた開発者――ウォルツ・マーサ氏は展示会で、遂に我々は完全なる人工知能を搭載したAIの作成に成功したと発表されたとのことです」


 そんなニュースをぼーっと見つめていた。


「初めて完成されたのは先立たれた妻だと」


「もう此処まで来たのか」


「うん」


 彼は大暴投のキャッチボールと壁当ての狭間で続け様に乾いた言葉を漏らし、僕も朧げな蜃気楼をそっと撫でるように触れていた。


 そして、それは唐突に話題を飛び越えた。


「速報です。先程3時ごろ、ウォルツ氏は暴走したAIによって全身を強く打ちつけた状態で救急搬送された後、死亡が確認されました」


「やっぱ、まだ先は長いか」


「うん、そうだね」


「なんだよ、さっきから」


「え?」

本の隙間からそっと覗けば、苛立ちを多分に含んだ冷ややかな眼差しを突き刺していた。


「そんなに面白いのか? その本はよ」


 AIもいずれは心を宿すでしょうが、まだ早い。今はまだ我々にのみ与えられた特権です。決して愛想を振り撒く努力もせず、傍若無人の振る舞いを続けてはなりません。嫌われます。


「何読んでんだよ」


 凝りに凝った肩に手を添えながら不思議そうに小首を傾げ、アンサーを待ち望んでいた。


 僕は緩慢に本の表紙を彼の方へと翻した。


「心の動かし方? ……フッ」心なしか強張っていた頬を緩ませ、瞳も角が取れていた。


 そして、水が何処かへ流れゆくのを部屋中が響き渡らせ、ゆったりとした足音が迫る。


「やー、悪い悪い」


「随分と早かったな」


「おかえり」


「何やってたんだ?」


「ちょっとな、――俊介と話してたんだ」


「そうか、じゃ、ゲームやろうぜ」


 吾郎君は延々とさんざめく声量を落とし、僕は第一章の幕を終えたそっと本を閉じた。


「何見てたんだ?」


「AIの暴走」


「物騒な話だな」


「じゃ、やるか」


「それでお前は何処だっけ?」


「まだその話続けんのかよ」


「当たり前だろ。優秀なお前らと違って、こっちはまだ決まってすらいなんだからな!」


「はいはい、俺はエンジニア系の仕事に付くつもりだよ」


「俊は?」


「僕もおんなじ方向かな」


「あーいーな、道の決まってる奴は」


「あのなぁ……」


 未だ鼓膜に響く五月蝿いテレビ画面を「未来にAIに奪われる仕事は」聞くまでもなく、真っ暗闇に覆い尽くされた姿に切り替えた。

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