菊亭寒原の異常取材録

滝沢安眠

一角獣

昭和の昔、人から伝え聞いた話だが、なんでもはるか西の国には「一角獣」が存在しているそうである。


その話を私に語った者は、東都帝国大学で助教授をやっていた老年の男で、民俗学者としてフィールドワークをやっており、過去訪れた村で一角獣を見かけたことがあるという。


その村は男のみが住むという奇妙な村であった。


もともとその何某という村では、遺伝子の畸形か不具合か、白痴の男女が生まれやすかったらしいが、資料によれば、二百年ほど前を境に男村へと変貌を遂げたそうである。


古今東西をぐるりと見廻してみても、男のみで生活を営む社会というのは相当珍しいものだ、と助教授の老人は私に滔々と語って聞かせた。


彼は若い時分、その珍妙な村に対しての好奇心が抑えられず、その時ちょうど大学の方にも関連分野の論文を提出せねばならぬ時期でもあったので、大して考えもせずに×××国へと旅立ってしまったらしい。


居心地の悪い航空機を乗り継いで降り立ったのは、その異国の土地のさらに西にある、人気のあまりせぬ類の田舎町であった。


町の都会部から一歩足を進めれば、そこには鬱蒼とした木々がしげる重たい雰囲気の森林があり、そこに入るときは、なにか巨大な生物に呑み込まれるような感覚を覚える、と助教授は云った。


森は過酷である。


本国とは違って色黒い、ひょっとすると威圧感すら与えてくるような楢(ナラ)の木々をかき分けるのは、いくら土地土地を駆け回る民俗学者といえど、凄まじく骨が折れるのには違いなかった。


「それでだね、私より背の高い葦を掻き分け、奇妙な捻くれた大木を乗り越え、苦心の末、ようやくたどり着いたのがその村だったと云うわけさ。」


助教授殿の言によれば、木々の影から覗き見た男村は、技術の発達していない当時にしても、相当原始的な様子を呈していたという。


彼の活動した時期を鑑みれば、時期はおよそ千九百年代だと思うが、その村にはまるで中世のような光景が広がっており、未発達なレンガ造りの家が寄せ集まるようになって村を形成していたらしい。


そのレンガ造りというのも、異端狩り(注:キリスト教会によって魔女と認定されたものが多く処刑され、一説には六万人程度が死亡したとされる迫害事件。千五百年代頃活発に行われた)が流行した時期の様式に近い、積立式の質素な家である。


そこで営まれる生活もまた、現代の我々からすると退屈極まりない、退廃的な様子すら感じさせるものであった。


というのも、それぞれの家につきひとりの村人が住み、朝日が登れば夏場のボウフラのようにうようよと玄関から這い出てきて、ある者は狩りに出かけ、ある者は木々を切り倒すといったように、一応の職業分担がなされているのである。


そして各々過酷な労働を終え、一日の終わりには晩餐____白痴者の夕餉をそう呼ぶのが正しいかは知らない____を広場に集まって行い、時には暴力沙汰などを起こしながら酒を飲み、最終的には家に帰って床に着き、翌朝同じようにまた扉から這いずり出てくる。


なお、この這いずる、という表現は助教授殿が直接そう評していたもので、彼ら村人には脚の畸形を持つ者が多かったらしく、片方の脚をほぼ引きずるようにして歩いていたかららしい。


「狂人病院に入るほど、ではないにしろ、彼らの知性は往々にして低かった。だが、君ね、その村の特異性というのには目を見張るものがあったから、私は地元人の協力を得つつ彼らを観察し続けたのだよ。」


助教授殿はそう言ってどこか得意げな顔を披露したが、懸命な読者諸君には、ここで既にひとつの疑問が浮かんでいるかもしれない。


それは、男しかいない村が、ここまでどうやって存続してきたのかという、至極真っ当な疑問である。


村という一応の社会の体を保っているにしても、そうでなくても、やがて人は老い、老人は死ぬ。


本来なら時々新たな生命が産まれて、村ぐるみでそれを育てて共同体の継続を図るものだが、男村には、当たり前だが男しかいない。


ではどうやって男村を存続せしめているのかというと、それは単に、他の村や地域からの略奪によってであった。


冬頃、つまり人が家に閉じこもり、地域全体での監視の目が緩む隙を狙って、男村の村人は手頃な女を手に入れるため、森を伝って遠征を行うのである。


しかし、森に住む未開の野蛮人といえど、女とみれば年齢も構わず、脇目も振らずにすぐさま誘拐へ向かう訳ではない。


どういう因果なのか、本能なのか、はたまた村に伝わる伝統かは知らないが、彼らが選び孕ませようとするのは、一様に処女のみであった。


男村に入ることが許されるのは、男と、そしてまだ性を知らない生娘だけなのである。


「その時見たのが一角獣だった____マア、本来は男村がどうやって連綿と続くのかを解き明かすのが目的で、一角獣を見つけたのは副次的なものだがね。」


話が本題に戻るが、「略奪」が行われると聞いた若き助教授が、こっそりと高台に登って村を見下ろすと、何人かの村人が土地の外れの方へ連れ立って歩いていったそうである。


足を撃たれた傷痍軍人のような動きで歩く彼らが向かっている先は、それまで特段注目してもいなかった、井戸の近くにある掘っ建て小屋のような粗末な建物であった。


そこにいる幾人かの村人の中でも、相当歳を取った、背丈の低いロンパリの老人が、古い錠前をガチャガチャと音を立てていじくり、手間取った上でそれを無理やりこじ開ける。


そしてひどく不衛生なように見える小屋の中にどやどやとなだれ込むようにして入り、やがて引きずり出すようにして小屋から解き放たれたのが、一角獣だったという。


「そいつは____一角獣は、いま云ったように、普段は小ぎたない納屋に繋がれて、糞尿まみれの床をぐうぐうと不明瞭に唸るとかをしながら這いずり回っているわけだが。男衆がいざ女狩りだと騒ぎ始めると、その時になってようやく繋がれた鎖から解放されるという訳さ。」


その見た目は、散々奇妙な生き物や風俗を見尽くしてきた、かの東都帝国大学助教授の御仁でもみるに耐えないような醜悪な様相だったという。


全体としては豚に近い輪郭をしていたが、それは単に短い四本の脚と、丸太のごとき太い胴体を持っていたからであって、決してそれは豚の親戚のような動物ではない。


身体の大半は太く、そして濃い、悪臭を放つ黒色の体毛にみっしりと覆われており、全体的にぬめぬめとした緑色の物質が付着している上、背中から尻にかけて、岩石のように巨大な瘤が連なるようにして浮かび上がっていたという。


そしてほとんど退化し、盲(めくら)にしか見えないほど黄色く澱んだ、野苺程度の飛び出た二つの眼球を持ち、半開きの口からはゼリー状の気味が悪い涎と、収納できないらしい、特大物の海鼠のようなどす黒い舌が覗いている。


「そこまでならマア、なんとか我慢できないでもないという容貌ではあったがね、奴らの鼻がネエ。前世でどんな悪徳を積めば、今世であのような怪物に産まれるのだろうね。」


ここまでの描写で吐き気を催している読者には申し訳ないことだが、そのグロテスクな生物の顔面の中央、つまり鼻の部分には____人間の女性器を数十倍に拡大したような器官が、どんと乗っかるようにして付いていたとのことだ。


それはむしろ裂け目と呼んでもいいような代物だったらしいが、とにかく裂け目の横についた巨大な襞が、呼吸をする事にぞわぞわとなびくようにして蠢き、周囲を探るかのようにでしゃばって飛び出していた。


劣悪な環境にいたからそのような形状になったのか、もともとそんな見た目だったのか知らないが、その「一角獣」は小屋から解放されるとよたよたと痴呆老人のような足取りで進み、首に繋がれた紐を引かれながら森の奥に消えていく。


その覆い隠された茂みの奥には、数刻前に捕らえられて縄で縛り上げられ、囚人的扱いを受けている近隣の少女たちが寄せ集まるようにして監禁されているのである。


彼女らが処女かどうか、それが哀れな生娘たちのこれからの命運を分けるといってもいいのだが、ちなみに男村には科学技術というのもが実質的に存在しない。


食事では先祖伝来の銀食器を使い、それが壊れたら陶芸で細工をするといった質素極まる生活に、高尚な学問の入り込む余地などないのである。


よって化学繊維でできた衣服の存在も知らず、原始的な農耕と狩猟に頼って生きている村人たちに、精密な検査によって女が処女か否かを確認できるわけもない。


しかし男村の村人が行う「女狩り」の方法は、足がつかない程度に距離の離れた村を数十人がかりで一気に襲撃し、めぼしい若い女を荷馬車に詰め込んで攫っていくというものだ。


その方法では捉えた七、八人の女虜囚のうち、誰が処女なのか、それともその中に処女がいないのかを確認する術がない____そこで登場するのが、男村の無気味極まる協力者こと、一角獣である。


まず一角獣は、村人によってうら若き乙女たちの前へと縄で引き摺られながら連れてこられ、そこで粘着質な物質に覆われた汚らしい尻を、鞭のようななにかで思いっきり殴打される。


すると、罪深い獣はのそのそと前方へ向かって歩き始め、その場の空気を吸い込むように____実際に吸えているかは抜きにして____その畸形の豚のような頭部をぶんぶんと振り、鼻の襞をぶるぶる震わせた後、にわかに興奮したように荒い息を吐き出す。


そして身体を支えるにはあまりに心許なく、短い脚を生命の危機でも訪れたかのように必死に忙しなく動かし、集団の中にいる処女の方を目掛けて脇目も振らずに飛び出していくのである。


その歩速は言うに及ばずお粗末なものだが、図体は普通の家畜として飼われている豚と大差なく、おまけにその数倍も気味の悪い物体がこちら目掛けてやってくるものだから、何人かの少女たちは失神に陥ってしまう。


そして純潔な生娘を押し倒すかのごとく飛びかかり、獣の身体全体に付着した、緑色の鼻汁のようなものが衣服にべったりとへばりついた頃、ようやく村人が一角獣を力ずくで引き離す。


「一角獣はどうやらめくらのようだったから、それを踏まえて知り合いの生物学者に聞いてみたんだがね、どうやら彼らは処女を見分けるのにフェロモンを使っているそうだよ。」


その生物学者は、もしそんな生物がいるとして、と前置きして講釈を垂れたらしいが、目の代わりに鼻の発達した生き物というのは、一説によるとまだ人間に知られていないフェロモンすら嗅ぎ分けることが可能だという。


彼らはとんでもなく大きな、便宜上鼻と呼ばれるものを持っているからにして、性体験のない女性特有の複合的な匂いやフェロモンを的確に察知し、それを以て処女か否かを判断している可能性が高いということだ。


その時私は助教授殿の説明を、偽りなく感心しながらメモを取っていたが、ふと思った疑問をぽつりと口に出してみた。


「鼻が発達しているから処女を見分けられる、というのは分かるんですがね、そもそもどうして、処女に対して異様な反応を示すんでしょう。しかも彼らにとっては別種のメスに対して、ですよ。」


三文作家による不躾な質問にも関わらず、安楽椅子に座った老齢の学者はちいさな笑みを口元に浮かべ、親切にもその質問に答えを与えてくれた。


「なに、処女というのはどんな生物においても若い可能性が高く、通常健康で妊娠可能なものだから……一角獣が飛びかかるのは、単に交尾をしようとしているからじゃないかね。」


そうだとしたら、なんとも見るに堪えない光景が繰り広げられることになっていたであろう。


が、現実問題、助教授殿が見ていた際の女狩りでは、一角獣と乙女の交雑という最低の事象が起こることもなく、処女の判別は穏やかになされたという。


もっとも心中穏やかなのは男村の村人のみだが、とにかく処女とされた者はそのまま広場へ連行され、昨晩の晩餐のせいで酒瓶や血痕がそこらに残る地面に集められた。


そこには森の奥で処女選定が終わるのを待ち望んでいた全村人が、ぎらぎらと飢えた肉食獣のようなねばついた目つきをして待っており、いかにも我慢がたまらないという風に身体を揺らしている。


そしてまとめ役の男が全ての女が揃っていることを確認すると、まずは村の中でももっとも偉い地位にある男____大概はその代で一番力の強い者____がのしのしと広場を闊歩して、女を、まるで飲食店の店頭に置いてあるサンプルかなにかのようにじっくりと眺める。


そして本人の納得のゆくまで視姦された鳥籠の中の少女は、毛むくじゃらの手のひらに、か弱い細腕をむんずと捕まれ、刑吏に捕まった盗人のごとき格好で野獣の家へと連れ込まれる。


それが終われば次は、村で二番目に力の強い男が出てきて、また同じ作業を繰り返す。


「その村では裁判などと高尚なものをせず、揉め事があれば暴力で解決するのが至極普通だったからねえ。力の強い者が偉いと、マア、けだもののヒエラルキーのようなものさ。」


「はあ。それで、家に連れ込まれた女はどうなるのです?」


「ハハ、決まっているだろう君、当然それまで発散されることのなかった下卑た欲望の捌け口になるのだよ。高台から望遠鏡を使って見ていたから、詳しく知れた訳ではないが、あれはおよそ人間の性交に近しいものではなかったよ。少なくとも最低の格式の売春婦でもああは扱われないだろうという、実に物凄い風景だった。」


そこまで一気呵成に喋り終えてしまうと、ふう、と老学者は一息をついた。


まだポックリ逝ってしまうような年齢でないにしろ、ここまで長時間語ってもらうのも骨なのは分かっている。


それに、助教授殿が見聞した興味深い男村の話は、実質的にここで打ち止めなのであった。


「やはり学者の性というか、どうしても好奇心が抑えられなくて、現地人に止められていたのに村内へ足を運んでしまってね。一角獣の小屋や、一部の家屋の見学をしていたんだが、マアそれで彼らに勘づかれてしまったというわけだよ。」


人一倍野性的な勘に優れる彼らは、若き日の助教授の匂いを敏感に嗅ぎとったらしく、外部への警戒が強まり、それ以降は危険を感じて取材の一切をやめてしまったらしい。


しかしこれらは全て貴重な生の体験談であり、私が実際に見た訳ではないが、この世にはかくも奇妙な生き物や村があるのか、と思うだけでも感慨深いものである。


ここまで詳細に事の次第を語ってくれた目の前の男に対して、当面の感謝を述べようと頭を下げようとしたところ、ふと私の心のうちにもうひとつの疑問が湧き上がってきた。


「ア、失礼、お暇する前にひとつ伺いたいのですが、彼らはなんで納屋の生き物を一角獣と呼んだんでしょうな。聞けば、それに角は生えていないというじゃありませんか。」


というと、文机から取った茶をずるずると啜っていた助教授殿はふと意外そうな顔をして、しわくちゃな口を開いて説明を始めた。


「君は本来の、西洋の一角獣を知っているだろう?英語ではユニコーンと言われる、あれだよ。」


「もちろん存じ上げております、美しい白馬の姿かたちで、額に一本の角が生えている、あの一角獣でしょう。」


「そうだ。しかし、ユニコーンにはもう一つ目立つ特徴があってね。それは処女に思いを寄せていて、処女に懐くということだよ。」


西洋の学問に対しては幾分敏感だという自負を持っていた私にとっても、その言葉は初めて耳にするものであった。


一角獣というと単に西洋の、角が生えた馬程度の認識でいたものだから、そのような生態があるとは夢にも思っていなかったのである。


「ユニコーンを捕らえるための伝統的な手法というのがあってだね、その最初の手順として、まず処女を森の奥深くに置いておく。するとかの美麗な白馬は処女の香りをどこからか嗅ぎつけ、その懐に潜り込むのだよ。」


そこで、処女の元で眠るユニコーンを男たちが寄ってたかって殺すのさ、と助教授は半ば嘆息しながら云った。


処女の香りを嗅ぎ分け、その懐に潜り込もうとし、少女に対して愛情を表す。


男村の醜い一角獣と、空想の美しいユニコーンを頭に思い描きながら私は、ふとえも言われぬ感覚に自分が襲われていることに気がついた。


見た目が違うだけでこうも評価が違うのか、と。


私が微妙な表情を浮かべて思案しているのに気づいてか否か、息を吐き出した助教授殿はまたゆっくりと己の語りを始めた。


「ともかく、男村の住人たちはユニコーンの伝説など知らないと思うが、少なくともあれが一角獣と呼ばれているということは____彼らの祖先は一角獣がなんたるかを知っていたということだろう。見た目で共通するところはないから、最初は洒落であの生き物を一角獣と呼んだんだろうがネ……。」


老人特有の乾いた声帯から声が絞り出され、そのまま空中に浮かぶと、返答を待つことなくぽつりと消えていった。


もうそろそろ頃合か、と私は思った。


老教授の書斎の壁にかけられた、古めかしい振り子時計は、もう間もなく取材が始まってから数刻経っているということを明らかに表していた る。


窓際に置かれた鳥籠の中で、日本ではなかなか見かけない、極彩色のオウムのような鳥がピイと甲高い声を上げた。


急な静けさに耐えられなかったのと、邸宅を去る前に世間話でもしておこうという胸算用で、私は特に考えずそれについて言及した。


「いい鳥ですな。」


「ああ、研究で訪れた土地の生物を蒐集するのも私の趣味でね。ほら、玄関から入って右の部屋から、なにか鳴き声が聞こえなかったかね?」


「そういえば、猫かなにかのような、そんなような声が聞こえていたように思います。あれも出先で持ち帰ったもので?」


「左様、南米産の珍しい家猫の一種でね。興味があるようだったら、離れの方にもっとたくさんのペツトを集めているんだが、帰りがけに見ていかないかね?」


老教授はこちらをじっと見つめていた。


私は自分がなにか嫌な妄想をしていることに気づいた。


にこりと笑顔を浮かべる。


数秒ののち、私はその誘いを丁重にお断りし、席を立ち、家に帰ったら感謝の電報を打つことを考え始めていた。


帰りがけに、助教授殿の邸宅の外れに、随分と古びた様子の納屋が一件あるのが見えたが、そこになにが巣食っているのか、私は知らないままである。


____菊亭寒原「一角獣」より

(文中の表現は当時のものを採用している。)

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2024年10月13日 20:00
2024年10月14日 20:00

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