晴れた日も、一緒に…… (2)

 学校にもお家にも居場所がない絵里香が一緒にいたのは、「見た目は怖いけど面倒見がいいお姉さん」だったらしい。

 詳しい経緯は聞かなかった。「よくある話だよ」って言ったから、夜の町で偶然に会ったとか、多分そういうことなんだろう。

 心が荒れてしまった中学生にとって、今いるイヤな場所から連れ出してくれる存在。そのお姉さんは、あの時の、感情の行き場のなかった絵里香にとっては必要だった。


 髪は一時期の絵里香よりももっときつく染めてて、「派手で遊んでる子」を絵に描いたみたいだったけど、お酒もタバコも援交も一度だってさせなかった。その人は、そんな風に根はまともな人だった。絵里香からそれを聞いて、私は心から安心した。絵里香みたいな女の子が、周りには何人かいたって聞いて、納得する。

 だけど、彼女の周りには「派手な、遊んでる女の子とつるみたい」男子が何人かいて、その中の一人が絵里香にイヤなことを迫ったらしい。

 絵里香はそれを断った。その結果が、あの顔の傷だった。

 それから、絵里香はグループから離れた。簡単に言うと、そういうこと。


 クラスの女の子たちの噂話は、幾つかは当たっていて、幾つかはでたらめだった。そうやって色々な経験をした絵里香が、今ここにいる──。


「ありがとう、絵里香」


 私の心の中に、あたたかい思いが広がっていく。

 絵里香。私の好きな絵里香。私が臆病だったから、一度は離れてしまって、それから少しずつ話せるようになって……


「どういたしまして。もっと早く話せば良かったね」


 大切なコトを話してくれた今日。だから……


「ううん、そんなことない。私も絵里香に話があるの。聞いてもらっていい?」

「いいよ。何?」


 カウンターの椅子を引いて、絵里香が私の隣に座った。


「私の話、麻衣にたくさん聞いてもらったから。何でも聞くよ?」


 頬杖をついて、じっと私の瞳をのぞきこんでくる。

 夕闇が足下から満ちてくる図書館に、絵里香の白い肌が映える。私は体ごと、絵里香の方に向き直った。

 緊張で、胸がきゅっと縮まる感覚。言葉が逃げそう。だけど、やっぱりどうしても伝えたくて…


「絵里香……。私、絵里香のことが好きなの」


 静かな図書館の、カウンターの一画。

 置き時計がチコチコと音を立てて、私の気持ちを急かす。

 絵里香は少しだけ驚いた様な表情で、私をじっと見つめていた。

 どれくらい、時間が経ったのか、もうわからなくて──


「──うん。私も、麻衣が好きだよ」


 ほっと小さく息をついたあと、絵里香は確かにそう言った。

 好きだよって。

 緊張で固まりかけていた私の思考が、堰を切ったように一気に走り始める。焦った言葉が口をつく。


「え……えっとね、違うの。たぶん絵里香の考えてるのと違うの。好きなんだけど、私の好きって普通じゃなくて、友達じゃなくて……恋愛感情? だからきっと絵里香は引くって思ってたんだけど……」

「だから、私も好きだって言ってるでしょ?」

「そんな! いいの? 私、女だよ!? 私の好きって、きっ、キスしたいとか、そういう好きなんだよ? 普通じゃないんだよ!?」


 絵里香の右手がすっと伸びてきて、私の頬に触れた。ひんやりとした絵里香の指先の感触に、思わず息をのむ。


「もう、少し落ち着きなって。普通とか普通じゃないとか、私にはわからないけど、麻衣は私のコト好きなんでしょ? 私も、麻衣が好きなの。私のも、恋愛感情だよ」

「だって……」


 絵里香の指先をぎゅっと握りしめる。絵里香が表情を崩す。絵里香の優しさが浸みてきて、私の頬にはいつしか涙が伝っていた。


「だって、普通じゃない恋愛だと、苦しいって言うよ? 誰にもわかってもらえなくて、気持ち悪いって言われたりするんだよ? 私、どうしたらいいのかわからなくて……」


 絵里香への気持ちに気付いてから、胸をふさいでいた色々な感情。

 不安。焦り。戸惑い。

 抱きしめたい、肌に触れたいという願い。その先まで……


 ぱた。ぱた。

 スカートの上に涙が落ちる。絵里香は胸ポケットからハンカチを取り出すと、優しく拭ってくれた。

 ――前にもこんな場面、あったなあ。私、絵里香に甘えてばっかりだ。


「麻衣の言うこともわかるけどさ。でもね、普通に恋愛して、神様の前で永遠ですって誓っても、壊れる時は壊れるんだよ。今から先のこと考えても、仕方なくない?」


 それが何を意味するのか、すぐにわかった。

 絵里香の両親が離婚してから3年になるけど、彼女にとっては長くて短くて、理不尽で、なかなか飲み込めなくて、諦めも覚えた時間だったのかも知れない。


「ごめん……。私、自分のことばっかりで……」

「いいの。くよくよ考えすぎるのも、麻衣だもんね。……ねえ、ちょっと立って」


 絵里香がカウンターにハンカチを置いて、私の左手を取った。促されて立ち上がる。半歩だけ私に近づくと、絵里香はそのまま私を抱きしめた。


「……絵里香?」

「私の好きも、麻衣の好きと同じ。同じだよ。麻衣、大好き」


 ──長い長い放課後は、こうして終わる。全身で絵里香の体温を感じながら、こんな瞬間を夢見ていた自分を思い出していた。

 月並みだけど、この瞬間がずっと続けばいい。そんなコトを考える。

 背の高い絵里香に抱きしめられると、自分が守られてるって感じがする。柔らかい体は、優しく私を包んでくれてるみたい。

 肩に顔を預けて、ほうっと息をつく。


 ──私、絵里香と恋人になれるんだ……


 じわじわと幸福感が胸に押し寄せてくる。絵里香とまた話せるようになって、今が一番幸せ。だけど、何かを忘れてる気がして……


「ねえ、仕事は? まだ何か残ってるんじゃないの?」


 私を現実に引き戻したのも、絵里香だった。そうだ、仕事が全然終わってない!


「もう、意地悪!」


 私はちょっとだけ拗ねたふりをして、絵里香を抱きしめる手に力を込めた。


「誰か来たら、まずいんじゃないの? さっさと片付けちゃおうよ」

「うー。分かったよ。絵里香は冷静だなあ。じゃあ手伝って」


 渋々、絵里香から離れると、私は今までにないスピードで集計やら日誌やらを片付けた。こんな集中力、すごい。これも恋の力かも……

 あっという間に仕事を終わらせて、私たちは荷物をまとめて図書館を後にした。──私と絵里香が会えるのは、もう図書館だけじゃない。これからは。

 昇降口から出ると、暗くなった空からは三日月が私たちを見下ろしている。


「帰ろう、麻衣」


 そう言って、絵里香が握手を求めるみたいに手を差し出してきた。私は頷いて、その手を取る。


「今日からは、一緒だね──」


*


 絵里香と並んで、夕暮れの道を歩く。

 そう言えば……今日は晩ご飯を作らないといけないんだった。買い物もしないと。


「絵里香、ちょっと買い物に行きたいんだけど、付き合ってくれる?」

「いいよ。何買うの?」

「食材。今日は親が仕事で遅くなるからさ、食事当番なの。……そうだ!絵里香、これからうちに来ない? 3人分も4人分も一緒だからさ。ご飯、食べてってよ」


 絵里香がしげしげとこっちを見て、それからくすくすと笑い出した。


「え…… 何? 私、何か変なこと言った?」

「変じゃないけどさ……。麻衣、意外に大胆じゃない? 親がいなくて、お家に呼んで、手料理食べるの? ちょっと詰めこみすぎ」


 絵里香にそう言われて、一気に少女マンガとか恋愛小説の見慣れたシーンが頭の中を駆け巡った。


 家に来て……

 親いないし……

 手料理食べて……


 これは……めちゃくちゃ誘ってるやつじゃん!


「ち、違うって。深い意味は無いんだって!」

「わかったわかった。まだ手をつないで歩くとこだもんね」


 からかわれてるんだけど、絵里香の笑顔に胸がぎゅっとなる。「好き」っていう気持ちが後から後から湧いてきて、その大きさに自分でも戸惑う。

 しばらく無言のまま、二人で歩いた。


「どうしたの? また何か考え事?」

「うーん、考え事なのかなあ。これから絵里香とどうしたらいいのか、まだ自分でもわかんなくて」

「難しいコト言うね。そんな先のことなんて、考えなくてもいいと思うけど」

「そうなんだけどさ……」

「あ、でも」


 絵里香はそう言うと立ち止まった。私も立ち止まって、続きを待つ。


「しばらくは、内緒にしといた方がいいかもね。付き合ってるコト」

「やっぱり、そうなるよねえ」

「誰かにイヤなこと言われて、自分たちはこうですって言い返せるか、他人は他人って無視できるようになるまでは、言わない方がいいって岡林も言ってたし」


 岡林……先生!? どうして?

 私の言いたいことがわかったのか、絵里香が表情を崩した。


「私もね、岡林にはいろいろ聞いてもらってたってコト」

「えー、知らなかった。何話したの?」

「内緒。だけど岡林って面白いね。『したたかにやりなさい』とかって言うんだよ? ……何か経験あるのかもね」


 岡林先生、絵里香にそんなコト言ってたんだ……

 だけど、わかる気がする。恋愛相談じゃなかったけど、絵里香のコトを相談したときに私が言われたのも同じようなことだった。


「だからね、麻衣」


 絵里香はそう言うと、つないだ手に力を込めた。ちょっとよろけて、私は絵里香に抱き留められる。

 その左手が、私の肩を優しく包む。


「キス、するなら、誰も見てないトコでしないとね」


 耳元でささやかれて、さっき告白した時みたいに心臓が跳ね上がった。


「え、絵里香……」


 抱きしめられていたのは、一瞬だった。ぱっと左手を放すと、つないだままの右手で私を引っ張って、絵里香は歩き出す。


「買い物、行くんでしょ? 遅くなっちゃうよ」

「もう! やっぱり絵里香は意地悪!」


 絵里香とそんな風に言い合うのも、今までと全然違ってて、何かくすぐったい。意地悪だけど、好きだよ。私は絵里香に引っ張られながら、つないだ手に力を込めた。


「絵里香、一つ聞いてもいい?」


 ふと思いついて、私はそう口にしていた。


「いいよ、一つでも、何個でも」

「ちょっと前から、雨の日に図書館に来てくれるようになったじゃん。あれって……」

「ああ、あれね。遊び場? たまり場? が隣町だったから、雨降ると行くのが面倒くさかったんだよね……。あ、あとね」


 絵里香が振り返って、それから笑った。今日の絵里香の表情、かわいすぎる……


「あと、何?」

「麻衣が、そういうの好きかなって。『雨の放課後に、図書館で会う』とかって、ちょっと特別な感じしない?」

「なっ…… もう、何か全部お見通しって感じじゃん!」


 嬉しすぎて、でもちょっとだけ悔しくて、私は絵里香から顔をそらす。


「もしかして、私が絵里香を好きになったのも知ってた……?」

「どうかな~。麻衣にはバレてなかったの?」

「何が?」

「私が、麻衣を好きだってこと」


 ひゃあ。思わず両手で頬を押さえて、私はうずくまった。


「も~。どうしてそういうコト、平気で言えるの~」


 顔は熱くなるし、変な汗は出てくるし、今日は身がもたない……。絵里香も私のそばにしゃがみ込むと、耳にかかった私の髪に優しく触れた。


「私だって、恥ずかしいよ。だけどやっぱ、嬉しいじゃん? 好きな人が、自分を好きになってくれるって」


 その言葉にはっとなって、顔を上げる。空はだいぶん暗くなってきたけど、絵里香の表情ははっきりと分かった。

 目が合う。また笑う。立ち上がって、手をつなぎ直す。それから、ふたりで歩き出す──


*


 ──ねえ、絵里香。

 雨の日もいいけど、これからは晴れた日も一緒に帰ろうよ。

 恋人どうしってまだよく分からないけど、色んなコト、話そうよ。

 図書館でもいいよ。お家に来てもいいよ。

 絵里香に伝えたいこと、まだまだたくさんあるんだ……。


 夕暮れの空はあっという間に暗くなって、西日の名残が遠くの山の稜線をかすかに染めている。

 放課後の教室が、きっかけだったからかも知れない。絵里香のことを想うとき、グリーン・スリーブスの切ない旋律が心の中に流れ出す。放課後の教室で、図書館で、絵里香と過ごした時間に重なるように。


 自分の声を届けたい。4月に感じていた切ない思いは、絵里香が応えてくれた喜びになった。この先はどんな風に、変わっていくんだろう?

 絵里香の整った顔を見つめながら、私は心の中でこっそりと祈る。

 これからも、こんな気持ちでいられますように。

 絵里香とふたりで、ずっといられますように──。

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雨が降ったら ここへおいでよ 黒川亜季 @_aki_kurokawa

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