第18話 おばあちゃん

 玄関ホールに足を踏み入れ、俺は愕然とした。

室内は記憶と変わりない。ただ、薄っすらと瘴気に包まれていた。


「婆ちゃん!俺だ!戻って来たぞ!どこだ!婆ちゃ――――」


「あぁ……お帰り……待っていたよ。アタシの部屋まで来ておくれ……」


 力のない声が響く。

俺は階段を駆け上がり、婆ちゃんの私室に向けて走った。


「婆ちゃん!」


 勢いそのままで扉を開き室内に入った。

ベッドに横たわっている婆ちゃんが目に入り、ゆっくりと近づく。


「婆ちゃん……」


「お帰り……やっぱり生きていたんだね。アタシは見ての通りだよ……」


 綺麗だった顔に黒い染みがまだらに浮き上がっている。

瘴気による奇病、身体の内部から腐ってきているようだ……


「婆ちゃん、コレ飲んでくれ」


ルピナス印のポーションを飲み易いように介助しつつ口に当て飲ませる。

淡い光に全身が包まれ、ゆっくりと消えた。


「どうだ?黒い染みは消えたようだけど……治った?もう大丈なのか?」


「あぁ……凄いねコレは。楽になったよ……だけど……」


 婆ちゃんが右手を布団から出し、手の甲を俺に見せる。

薄くはなっているが、そこにはまだ黒い染みが残っていた。


「見ての通り、完治した訳じゃないみたいだね……だけど、これで……」


 ダメ……なのか……このポーションでも治らないのならお手上げじゃないか……

何なんだこの瘴気は……


 消沈する俺とは逆に、婆ちゃんはニコニコと笑みを浮かべている。


「改めて、お帰りキムラ。死んだと聞いていたけど、アタシは生きてるって信じていたよ。良く帰って来たね」


 俺が死んだ?一瞬何を言っているのか分からず混乱しそうになったが、ここが未来であることを思い出す。


「あぁ、その事なんだけど、実は――――」


 精霊の祠のせいで20年前から来た事を説明する。

話を聞くうちに婆ちゃんの顔にどんどん笑みが浮かび、ついに耐えきれなくなったのか声を上げて笑い出した。


「精霊の祠かい!アンタって奴は……ホントに妙な事に巻き込まれるねぇ。流石は使徒様だよ」


 好きで巻き込まれている訳じゃないのだが……

憮然とした俺の表情が更におかしかったのか、婆ちゃんが笑顔を見せる。


「フッフッフ、ならアンタがイータバレスへ向かってからの20年の話をしてやろうかね」


 内容はカルミアさんの話と大差は無かった。

俺が旅立ってからおよそ5年後に瘴気が発生。薬草の争奪戦が発生し、オーレグの壊滅。

おっさんの死。奇病と争いにより全滅した住人。


 婆ちゃんは暫く瘴気の研究を続けていたが、薬草が尽きた為中断。それと同時に結界の中でも瘴気が発生し始め、婆ちゃんも病に罹ってしまう。

常人なら10日程で体が腐り死に至るが、婆ちゃんは魔力を生命力に変換する能力で今まで生きていたらしい。


 俺が戻ってくると信じて、体が腐っていく恐怖と痛みに耐えながら……


 頼みの綱のポーションが効かなかったんだ……今の俺に何が出来るだろうか……


「それでね、瘴気の発生だけど……原因はおそらく魔物だよ。真っ黒なローブを纏ったヒト型の魔物。

あの日、空中にソイツが浮いているのをアタシは見たよ。アタシの全力の攻撃を意にも介さずにそのまま西へと飛んで行った。

過去に戻ったらソイツを探すんだよ」


「婆ちゃんの全力でもダメだったら、俺がどうにか出来るとは思えないけどなぁ」


「何言ってるんだい、アンタには覚醒した能力が有るじゃないか。それで何とかしなよ。


 それにしても……フフフ、アンタの旅は波乱万丈で楽しそうだね……アタシも生まれ変わったらアンタと一緒に……旅を……あ……」


 不自然に会話の途切れた婆ちゃんを見ると、呆然とした顔で両手のひらを見ている。


「どうした?なんか――――」


「そうか……リ・インカーネーション……永劫回帰か。これが名前だったんだ……」


 婆ちゃんがそう呟いた瞬間、先程のポーションを飲んだ時以上の光に包まれる。

眩し過ぎて目を開けていられず、目を閉じてやり過ごす。


 恐る恐る目を開くと、目の前に20歳前後の美女が居た。


「え?もしかして……婆ちゃん?」


「フフフ、この姿で婆ちゃんとは呼ばれたくないね。察しの通り、アンタの祖母のユーコミスだよ。能力が覚醒したおかげで魔力と生命力の変換効率が上がったようだね」


 くすんで艶の無かった白髪は輝くような、サラリとしたプラチナブロンドとなり、しわだらけだった肌も瑞々しく復活。顔つきも怜悧な美貌を浮かべ、静かに俺を見ている。


「じゃ、じゃあ、もう病気は大丈夫なのか?元気ハツラツで一緒に旅をできるのか?」


 期待を込めてそう聞くと、婆ちゃんは哀しそうな表情を浮かべた。


「残念ながら、病気はそのままの様だよ。コレは病気じゃなく呪いと言った方がよさそうだね。。

折角若返ったけど、しばらくするとまた腐り始めるだろう。

アタシはもうダメだよ。遅かれ早かれ死ぬだろうね」


 そんな……どうすれば……何か方法が……


「そんな顔をするんじゃないよ。アタシはもう十分に生きたんだ。最期にアンタにもう一度会えた事だし、思い残すことはないよ。

さ、久しぶりにお茶にしようじゃないか。例のクッキーもまだ残ってるんだよ。準備しておくれよ」




 談話室は薄っすらと埃が積もっていたが、婆ちゃんが指をパチンと鳴らすと一瞬で綺麗な部屋となった。


 婆ちゃんの好きな銘柄のお茶とクッキーを準備し、二人して席に着く。


「あぁ……コレだよ。久しぶりだねぇ。アンタのお茶の淹れ方は雑なのに何故か美味しいんだよねぇ……美味しいねぇ……」


 満足そうに、うんうんと頷きながらお茶を飲む婆ちゃん。

若返っても仕草が全く同じなので、不思議な気分になってくる。

クッキーを頬張り、カップを空にした婆ちゃんの為に2杯目を準備する為に席を立つ。


「これを持ってお行き。この20年の研究の成果だよ。過去のアタシに渡すと良いよ」


 そう言って、3冊のノートを手渡される。


「結局解明は出来なかったから、あんまり役には立たないかもしれないけど……ま、何かの足しにはなるだろうよ」


「ありがとう。必ず渡すよ」


 そう言ってカバンに収める。


「それから、アンタの事なんだけどね。どうやらアンタはイータバレスで妖精のいざこざに巻き込まれて消息が途切れたって話だったよ。

サンザシの坊主が集めた情報だから、確かだと思う。

イータバレスに向かうなら注意するんだね」


 サンザシ……おっさんか……戻ったらおっさんにもしっかりと話さないとな……


「こんなところかね。何か質問はあるかい?」


 質問……何か有るだろうか……

瘴気の発生時期、そしてその原因と思われるヒト型の魔物。

薬草を巡る争いと、それに巻き込まれたキリークの集落。

集落を襲った黒鉄団という、カメムシ野郎の所属する盗賊団。

壊滅するオーレグとおっさんの死。

消息不明なルピナス。

それから、今聞かされた俺の行く末。妖精か……

あとは……婆ちゃんから託された研究ノートか。コレは説明されても良く分からんだろうな。


「無い……かな……持って帰るべき重要な情報は揃ったと思う……正直何が大事なのか良く分からないからね……必要そうな話はしっかりと覚えたよ」


「そうかい……なら……愛する孫に最期の贈り物を今からするよ」


 最期?


 婆ちゃんはゆっくりと立ち上がり、お茶の準備の為に立ったままだった俺に近づく。


「ちょっと痛いって話だけど、痛みに抗わずにしっかりと立つんだよ」


 そう言って婆ちゃんは俺に抱き着き、額を胸に押し当てる。


「な……何をする気なんだ?最期って何を――――」


 黙れと言う様に俺を抱きしめる腕に力を入れる婆ちゃん。


 額の当たっている胸の部分が熱を持ち始める。

その熱が段々と全身に広がり、ビリビリとした痛みが発生し始める。


「ぐ……ちょ……これ……」


「も……もう少し……だよ。しっかり耐えな……」


 婆ちゃんも苦しそうな声を出す。

なんだよ……何をしているんだ……

ビリビリとした痛みが更に段階を上げ、ズキズキとした痛みになり、激しい頭痛も襲って来る。


 このままじゃヤバイ!そう思った途端、婆ちゃんの身体から力が抜け、倒れそうになるのを慌てて支える。


「婆ちゃん!大丈夫か!何をしたんだ!」


「あ……あぁ……上手く行った様だね……アタシの魔力回路をアンタに移したのさ……

これでアンタは今から大魔法使いだよ……アタシの600年……アンタにあげるよ……」


「そんな事頼んでない!それに婆ちゃんの能力に魔力は必要だろう!なんで……」


 能力が停止したのだろう、どんどん婆ちゃんが見慣れた姿になっていく。

それと共に、どす黒い染みが浮かび上がってくる。


「おやおや、折角若い姿になったのにね……どうだい?若いアタシは美人だったろう?」


「あぁ……美人だった。今と変わらずにね……なんで……まだ助かる方法が有ったかもしれないのに……」


 婆ちゃんは死ぬ。抱きかかえている俺にはそれが分かってしまった。


「いいんだよ……アタシは満足してるんだ……愛する孫に抱かれて死ぬのは悪くないよ。

良いかい?ユージ、死ぬんじゃないよ。必ずルピナス様の憂いを払うんだ。

たのんだよ……わたしのあいする――――」








 ベッドにゆっくりと婆ちゃんを降ろす。

中庭に埋めようかとも思ったが、墓を作ると婆ちゃんが死んだことを認めてしまう様な気がして嫌だった。


 満足そうな顔して眠りについた婆ちゃんをしばらく眺める。







 気が付いたら夜が明けていた。


「じゃあ、行って来るよ。婆ちゃん」


 額に軽くキスをして別れを済ます。


 談話室に置きっぱなしのカバンを回収する為に部屋へと向かう。

お茶会のまま放置されていたテーブルを見る。

俺の席には飲みかけの紅茶とクッキーが1枚残っていた。


 残りのお茶を飲み干し、クッキーをボリボリと食べた。


 俺は声を上げて泣いた。





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