第27話-歩んだ道。歩む道。

次の日、俺は博物館の前にいた。


あの後、重い身体を引きずるように自宅に帰ったマンションの一室は、殺風景で温かみの無い部屋だった。よくこんな場所で生活できていたなと思った。不便でもあのマルセイユの家が、俺は好きだった。


よく眠れないまま朝が来て、俺は博物館にやってきたのだ。銀杏いちょうの葉がハラハラと舞う。一面を黄色に染めたそんな歩道はとても綺麗だったが、味気なく感じた。


きっと、あのマルセイユの景色も、お前と一緒だったからあんなに色鮮やかに煌めいて見えたのだ。


……そんな事に、今更気が付いた。


入場口で招待用のチケットを見せると、並ぶ事無く中に入れて貰えた。


ここに展示されたコティは俺の知るコティじゃないかもしれない。

違う誰かなら、もうあの楽しかった日々も優しかった彼も夢だったのだと諦めると心に決めていた。


むしろ、そう願っている自分がいた。

彼がこの世に実在したのだと認めてしまうのが怖かったのだ。俺は飛んだ意気地なしだと力なく自嘲する。


広い博物館を、香水展のフロアに向かって歩いた。

香水の歴史展と描かれた案内板を見て、コティの展示品を探す。

香水展の通路には沢山の著名な調香師の生い立ちや経歴、いくつかの展示品が飾られていた。

一番奥まで歩いていくと、曲がり角があり、そこから先が、フランソワ・コティの展示場だった。その曲がってすぐの場所に、椅子に座らせられた一体のクマの縫いぐるみがガラスケースに覆われて飾られていた。


見覚えのあるその古ぼけたクマの縫いぐるみの説明プレートには、“キャティベア・デリス”と書かれたプレートが貼られている。


それを見た瞬間、目頭が熱くなり涙が溢れそうになる。


「……おまえ、なんでここにいんだよ……ッ。なんでっお前が……っ」


この瞬間、ジョセフはこの世に実在して、そして死んだのだと知った。


涙がポロポロと溢れてくる。嗚咽を必死に堪える。


デリスが欲しいと言ったジョセフを思い出す。とても嬉しそうに、大切そうにデリスを扱ってくれた。


家族を失った時の悲しさとは、こんなにも痛いのか。


悲しくても寂しくても、もう一言の声も聞けない。あの優しい笑顔にも、もう二度と会う事はできない。

後悔しても仕方がないのに、ああしておけば良かった、こうしておけば良かったと後から後から後悔が押し寄せてくる。


ジョセフも、お婆さんを失った時はこんなに悲しかったのだろうか。俺まで居なくなってしまって……彼の喪失感はどれ程のものだっただろうか。


「ごめんな。心配かけて……。悲しませて……ごめんな。ごめん。」

ここに居ない彼に謝り、覚悟を決めて涙を拭うと、彼が残した物をちゃんと見ていこうと決意した。


ガラスケースには彼が使っていた調香道具がズラリと並んでいた。中には俺が知らない物も沢山あった。

「頑張ったんだなぁ。お前。すげぇよ。」


彼の使っていたメモも一部公開されていた。

小瓶のデザインや、香水の名前を考えたメモだ。

あまり読めないが、キャティという言葉が見える。俺の作家名だと、彼が考えてくれた名前だ。


何か、俺の名前で作ろうとしていたのかもしれない。


特に小瓶は数多く展示されている。きっと世に沢山出回った事で、残す事が出来たのだろう。

年代別に置かれた最後の小瓶を見た時、俺は声を詰まらせた。

最後の可愛らしい白の小瓶には Cattyキャティ Amourアムールと刻まれていた。意味は……“キャティが大好き”。 


ジョセフ……ジョセフ。ジョセフッ……――っ。

寂しくて悲しくて。会いたくて。会いたくて堪らない。


ガラスケースにポタポタと涙が落ちる。

無くして初めて気付いた。


「ごめんな、俺、お前に大した言葉を残してやれなかった。こんなに離れて気付いたんじゃ意味無いよな……。ほんとごめん。」


初めての恋だった。恋だったんだ。


「俺も大好きだよ。ありがとな。」


俺はガラスケースの上からその古ぼけた小瓶を撫でた。


きっと、これを伝えるために彼は香水の帝王と呼ばれるまでに有名になったのだろう。

俺が目にする可能性が一番高い、自分の生涯の最後の一本にこの名前をつけてくれたのだから。

「大好き。大好きだ。ジョセフ……っ」


「俺はコースケの事愛して・・・ますけどね?」

「え?」

後ろを振り返るとそこには、一人の青年が立っていた。その青年は昨晩、荷物を一緒に拾ってくれたお礼にと、ここのチケットをくれた青年だった。


目鼻立ちの整ったそれでも普通の日本人の青年なのに、その笑顔がジョセフの笑顔と重なる。

「ジョ……セフ?」

「はい。」

「は……なんで?」

「さぁ。何故ですかね。俺にもサッパリ。」

彼は困ったように笑い、そして両手を広げる。

「コースケ!お帰りなさい。」

それはジョセフそのもので、俺は気付けば彼の腕に飛び込んでいた。

「……ごめんっ。やっぱりお前の言う事、ちゃんと聞いとけば良かったッ!」

「本当ですよ?いきなり居なくなっちゃったから凄く探しました。貴方の荷物が無かったから未来に帰ったんだって自分を無理やり納得させて……。無事に帰ってきてたんですね。良かった。……本当に良かったッ」

青年は眼に涙を溜めて抱き締めてくれる。

そして、すりりと擦り寄ってきたかと思うと、スンスンと首筋を嗅いでくる。

「おい、擽ったい。」

「もう、かなりご無沙汰なんで、ちょっと堪能させてください。」

涙声でそんな事を言うものだから、俺はふふっと笑ってしまう。そして彼に聞いた。


「まさか嗅覚も健在なのか?」

「前世ほどじゃないですけど、いい香りはよく分かります。貴方の香り、どれだけ再現しても辿り着けなかったんですよね……。似たような香りは出来たんですが、今じゃ香水の基礎の一つになってますよ?」

「はぁ!?じゃ、じゃあ俺の匂いがベースになってる香水が世に出回ってんのか。」

スリスリと擦り寄ってくる青年を引き剥がそうとするが、微動だにしない。


「ふふ。凄いでしょ?やっぱりコースケが来たから俺は成り上がったんですね!」

「わぁぁ!知りたくなかったぁぁあ。」

頭を抱える俺を見つめて、青年は幸せそうな微笑んだ。

そして気付く、そういえばここが公共の場で人様が沢山出入りする場所だ。

「ジョセフ、お前ちょっと離せ!見られてるからッ!迷惑だろ!」


「人の遺品の前でワンワン泣いてて今更ですよ。」


「いやだって悲しかったし……。」


ブツブツとそう言っていると、彼は身体を離してくてくれ、ポケットからハンカチに包まれた一つのブローチを取り出した。


それは俺がギャスターに制作を依頼したブローチだった。


「コースケのプレゼント。買い戻すのに苦労したんですよ。これだけは手元に取り戻したかったんです。」


そして金属でできた裏側を見せてくれる。そこには一つの言葉が彫られていた。


Jeジュ veux enアン savoirサヴォワール plusプリュス surスール vous

“貴方のことがもっと知りたい”


恋が分からない俺からの最大級の告白だった。


青年は真っ直ぐに俺を見た。


「前世は、貴方の言葉を胸に生きました。知りたいと言ってくれた貴方に、俺がどんな人間なのか、俺がどれだけ貴方を愛しているのか。百年の時を超えて届くように、精一杯頑張ったつもりです。……俺の想い、伝わりましたか?」


穏やかに微笑む彼は、いったいどれ程の過酷な道を歩いたのだろうか。たった30年たらずで、彼は歴史に残る偉業を成し遂げた。俺は涙を目に溜めて彼に笑いかける。


「伝わったよ。お前ほんと凄いよ。百年越しでラブレター貰った気分だ。」

「良かった!」

彼はそう言うと、幸せそうに微笑んだ。


そしてまた、姿勢を正して俺を見つめる。


「自己紹介がまだでしたね。水樹みずき誠人まさとです。25歳、都内の大学院生です。どうぞ宜しくお願いします。」

誠人はにっこりと笑い俺に握手を求めてきた。まるで、マルセイユで出会ったあの日のように。

華束かたば幸助こうすけだ!よろしくな!誠人!」

俺は幸せに笑いその手を握った。


俺はまたきっと、コイツの事を知りたいと願い、そして知っていくのだ。

この先どうなるかは分からないけど、きっとまた二人、笑いながら精一杯この限りある生を生きる事は間違いない。


end

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