第26話-突然の帰還
「…………ってて……なんだよ。底があるじゃないかっ」
まさか本当にそこにあった穴に落ちたのかと、真っ暗な起き上がる。
そして、ふっと辺りの空気が埃っぽく冷たい事に気が付き目を見開いた。
寒い。肌寒い。
あんなに暖かかったのに。
俺は立ち上がってみる。しかしかなり深く落ちたはずの穴は浅く、立つと二メートルもないかった。
辺りは暗くコンクリートの建物がひしめいていた。
地面もコンクリートで舗装されており、遠くから車の走る音やクラクションの音がした。
服装は、ご丁寧にもスーツに戻っていた。荷物もそのまま持っている。手に持っていたスマホを見ると、そこに表示された日付も時間も、同僚の瀬木と飲んだ帰りの時間だ。
何より手には、あのパンフレットとチケットが握られていた。
俺はとりあえずその穴から抜け出す。辺りをよく見れば居酒屋の帰り道だった通りだ。
「夢……?」
夢だった?ジョセフと過ごした数ヶ月は夢だったのか?
ただ穴に落ちて気を失ってただけの束の間の夢だったのだろうか?
唖然とした。
彼は存在すら……しなかったのだろうか。
俺は、縋るようにパンフレットを開き、スマホのライトで照らした。
フランソワ・コティ(1874-1983)
1900年にパリで香水業界に参入。その後目覚ましい活進撃を遂げる。noteの基礎となるシプレーを開発しその存在を世に知らしめた。コティは調香だけではなく、その見た目にもこだわりを持ち、美しいボトルを開発する事でより高級感のある香水を作り上げた。大量生産の手法を持ち込み、より安価に庶民でも香水が楽しめるように革命をもたらした。享年59歳。今もなおコティは香水の技術の中に生き続けている。
1874年生まれ……。彼は24歳と言っていたから、1898年のマルセイユにいた事になる。彼は俺が居なくなってから僅か一年と半年でマルセイユから離れた事になる。
これがもしあの後の彼なら、どんなに心配させただろうか。
ツッと頬に涙が伝う。
「……ごめん。ごめんな。こんなはずじゃなかっ……っっ」
俺はパンフレットを抱いて、崩れ落ちるようにその場に膝をついて泣いた。
だが、俺には戻り方も分からない。ただ、この史実の、紙の上で彼を感じるしかなかった。
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