『山田洋』
『臨時休業』の札は出した。今日は『鳩小屋』はお休みだ。
「鳩君、たまには会いに来ないか」と、電話があったのは昨晩のことだ。
電話の主は『山田洋』僕の恩師だ。僕は京都の老舗珈琲店で勉強して独立したのだが、そんな恩師からそう言われれば断れないものだ。
そんなわけで、今日は店を閉めて遠く京都まで来ている。せっかく久しぶりの京都なのだ、楽しまない手はないだろう?
僕は阪急京都河原町の駅を降り、四条通りへ出た。
辺りはまだ薄暗く、ひんやりとしていて静かだ。日中は外国人や車で溢れかえっているこの通りも、早朝ならこんなにも歩きやすい。
京都を散策するなら早朝に限る。
僕は久々の京都を堪能する為に、始発で京都へやって来た。
師走、京都の朝。盆地の為日の出は遅く薄暗い。先斗町通を横目に四条大橋を渡る。横風が冷たい。
祇園に入ると切通し(道)を上がる。(京都では北上することを上がる、南下することを下がると言います)足元に石畳を敷き詰めた小道になり、犬矢来などを設けた茶店などが並び、情緒あふれる景観へと変わる。
巽橋。小鳥のさえずりや祇園白川のせせらぎが聴こえるだけだ。少し白み始めた空の色を水面に映し、しな垂れた柳が静かに揺れる。美しい。
少し東に向かうと花見小路に入る。モノトーンのローソンの看板に格子が設けられ、街の景観を保ってはいるつもりだろうが、以前ほどの風情はなくなってしまった。
大通りへ戻り、八坂神社の西楼門を守っている狛犬に目を遣る。ここの狛犬はとても猛々しく狛犬好きの私としては、外しては通れない場所と言える。
当然、阿行吽形の狛犬を愛でて、愛でて、愛でてから、後ろ髪ひかれつつ、八坂神社へは入らない。何故って正門の南楼門は南にあるからだ。
少し下りて、神幸通に入る。
ねねの道。祇園閣の角を曲がるとその両側にいくつもの寺院と、洒落た店が建ち並び、御影石の石畳で敷き詰められた道が高台寺へと続く。
もう師走に入ると言うのに秋色の景観が美しい。朝日が差し込み始め、桜や紅葉が色鮮やかに色付いてゆく。
ねねの道を東に進むと、一念坂、二年坂、産寧坂(三年坂)と続く。とても趣きのある通りで大好きだった道のひとつだ。この道を通る時は、転ばない様に気をつけなければならない。
いくつかの石段を登り、産寧坂の枝垂れ桜を横目に清水坂へと入る。
土産物屋や名だたる有名店が立ち並ぶが、この時間は関係ない。清水寺の仁王門まで坂道をひた歩く。
仁王門。その前には紅梅と狛犬。この狛犬、戦前は銅製の狛犬だったのだが、供出の為に人を殺す道具へと変えられてしまった。とてと悲しい話だ。
ここの七不思議のひとつとして、この狛犬、左右ともに阿行の形をしている。狛犬は奈良の東大寺の狛犬を模している。今は整備されて歩きやすくなっているが、産寧坂、清水坂となかなかに登りにくい坂だったようで、ここに来て、大笑いしている様に見える狛犬で、心を安めてもらおうと言う計らいだそうな。まあ、一説によると、ですがね?
この仁王門には『目隠し門』や『カンカン貫』などのお話もあるのですが、先へ進みましょう。それにしてもこの仁王様、ヒノキの寄木造りで京都では最大級の力士像なのですが、何故目だけ塗ったのか……。ギョロリ。
本堂へ行く前に西門、三重塔を横目に鐘楼へ。桃山建築様式の粋を凝らしたつくりで、牡丹彫刻の
随求堂。衆生の願い、求めに随って、叶えてくれるという大功徳をもつ
経堂。釈迦三尊が祀られているが、観るところはそこではない。鏡天井に江戸時代の絵師・
少し道を逸れて、千体石仏群へと足を運ぶ。ここに立ち並ぶ様々な石仏の一部は、かつて京都の各町内にお祀りされていた大日如来や阿弥陀如来、観音菩薩。明治の廃仏毀釈の際に、捨てるにしのびないと市民の手によって清水寺へと運び込まれたものだそうな。とても見応えがある。
成就院。京都は洛中に設けられた雪月花の庭のうち、現存するのはこちらの『月の庭』。残念だが、早朝と言う時間もさることながら、拝観そのものが霜月までなのだ。諦めるほかはない。
轟門を経て本堂。ここでありふれた話もないだろう。ここから先程の仁王門が見下ろせる。あの仁王門が何故『目隠し門』と呼ばれる様になったのかは、この本堂にある。この本堂から御所を見下ろす事が出来、天皇のあられもない姿を見られるのでは?と、その目隠しに建てられたと言う話だ。そもそも見下ろせる位置に建てた事自体どうなのだろう?
地主神社。お寺の境内に神社がある不思議と思われるかも知れないが、こちらの地主神社、なんと創設は建国以前の神代の頃だそうな。恋愛成就で有名な神社だが、現在改修中だ。
法然上人二十五霊場第十三番札所の阿弥陀堂を横目に、奥の院。御本尊に本堂同様に、千手観音、脇士に地蔵菩薩と毘沙門天、眷属の二十八部衆と風神・雷神を祀る。
風神・雷神は建仁寺の屏風図が有名だが、仏像になっても格好が良いものだ。もう少し歳をとったら仏像を彫ってみようと思う。目指すは運慶だ。運慶が若りし日に彫ったと云われる大日如来坐像を超える、美しく優しい如来様と、東大寺の金剛力士立像を超える様な、猛々しく雄々しい力士像を彫ってみたい。
清水寺の開創の起源であり、寺名の由来となった瀧、音羽の瀧。「金色水」「延命水」とか呼ばれているが興味はない。
そろそろ人が動き始める時間だ。早々に清水を後にする。
しばらく歩き、八坂の塔を外から眺め、下河原通を上がってゆくと、先程の八坂神社の正門、南楼門が見える。ふと、横を見ると親子丼で有名なお店があるが、当然時間外だ。残念。
仕方なく、石鳥居をくぐり、南楼門へ。朱塗りの門をくぐると祇園祭のクライマックスの舞台でもある舞殿が見える。夜になると光が灯されて華やかだが、今は早朝なのだ。
八坂神社。須佐之男命と櫛稲田姫命、八柱御子神が祀られており、疫病退散で建てられた神社だ。御守でも買おうと思ったが営業は九時からだ。
円山公園へと足を運ぶ。その昔、ひょうたん池周辺でギターを片手に歌っていた外国人はもういない様だ。少しさみしい。
いもぼうのお店は健在の様だ。またいただきたいところだが、お昼までは相当時間がある。
知恩院の前を通り過ぎると、青蓮院の大きな
青蓮院の楠は全部で五本。白壁を背景に第一の大楠。
第二の楠が青蓮院メインの楠で正面門前駐車場左手上壇の石垣上で諸手を天空一杯に広がっている。根本から見上げると空を覆い尽くすほどの大きさに圧倒される。累々と脈打ちうねるような根を緑の苔が覆い、この楠が生き抜いてきた長い長い歴史を物語っているかのようだ。傍に居るだけでとても癒される。川端康成?そんなのより、この楠の方が凄いでしょう。
神宮通を抜けて真っ直ぐ進む。
右手に京都市京セラ美術館(京都市美術館)、左手に京都国立近代美術館、京都府立図書館があります。京都府立図書館は明治の建物で
……普通ならば、このまま岡崎公園を抜けて平安神宮へと向かうのだろうが、今日は目的が違う。
少し西へ向かうと京都大学の付属病院があるのだ。
「それで? 何やってんすか、山田さん?」
「君が来るのを待っておったのだよ、鳩くん?」
私の恩師である山田氏は、何故かトレンチコートを着込んで僕を待っていたようだ。ステージ4の末期癌患者が何やってんの? と疑問に思うも、口にはしなかった。
喫茶『鳩小屋』 かごのぼっち @dark-unknown
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