Book 2-VIII : 謝意

「なんかアーサー王伝説とかあんじゃん? あれの作者とかってさ〜実は人間じゃないんじゃね?」


「あ〜なんかこ〜いうとこでネタ収集してる可能性が微レ存」


「でもこれは流石に……」


「ドッキリ的な?」


「お〜ハモった!」


ありがちなのは剣を抜いた途端に開く落とし穴だが、湖底にそんな細工が施されているようには見えなかった。


「でも抜けたら賞金みたいな企画かもしれないっすよね」


「じゃあどっちかが抜いてなんか貰えたら山分けな」


「いいっすね!」


つかつかと剣に歩み寄っていくジョヴァンニに、アンブローズはふと既視感を覚えた。


ネズミ捕獲器だ。


底部の突起に木の実やパンペルデュを刺しておき、ネズミが忍び寄ってきてそれを抜き取ると上からカゴが落ちてきて生け捕りにできる、あの装置だ。


剣を抜いた瞬間にあの水の壁が崩れて……。


「いややっぱヤバいっすよ!」


ジョヴァンニ様の美しい漆黒の巻き毛がまたずぶ濡れになるなんて耐えられない。アンブローズは慌てて彼に駆け寄って片腕を伸ばし、その肩を掴もうとしたが、指先が僅かにクロークを掠めただけだった。


「あれ」


その時まで自覚していなかったが、片目だけで外界を見ていると奥行きをうまく把握できないのだ。


そこでジョヴァンニと剣の間にスライディングし(湖底が濡れていたのが有利に働いた)両腕を広げて立ちはだかった。


「これ多分なんかのトラップっすよ」


「なんの?」


「えなんのって……なんか……勇者ホイホイ的な?」


「なんそれ俺別に勇者じゃないから平気だし……ってなんだあれ?」


ジョヴァンニは頭上を指差した。全長が成人の背丈を優に超える巨大な鳥のような生物が滑空している。逆光で細部はよく見えないが、オスマン帝国から伝わった伝説に登場するロック鳥を彷彿とさせる。


「いや〜その手には乗らないっすよ流石に。今もう18世紀っすよ?」


「え?」


「え?」


「え? 今って……19世紀……」


「いやいやいや今1814年っすよ?」


「うん……だから……」


「え?」


「え?」


「いやいやいやいや……え?」


「え? 1801年から19世紀だろ」


「え? え? なんすかそれ聞いてないんすけど」


「18世紀は1701年から1800年までだろ」


「うっそぉ〜! なんか根拠出してくださいよ」


「さっきの石板の精霊に聞いてみればいいじゃん」


「いやいやそんなんで質問無駄にしたくないっすよ……いやマジでガチで言ってるんすか?」


「うん」


「ほえ〜今世紀最大級の衝撃っすよそれ。つかオレ19世紀まで生き延びられると思ってなかったんでめっちゃ嬉しいっす!」


「良かったな」


「良かったっす!」


二人の話が大きく逸脱している間に、数十メートル程離れた地点にレオと姫奈が着陸した。


先に地面に降り立ったレオは振り向き、思い出した。姫奈ほどの身長だと乗降に踏み台が必要なのだった。


「待って」


恐る恐る飛び降りようと片脚を伸ばしていた彼女を制止し、その両脇腹に手を添えて持ち上げ、そっと地面に下ろした。


その直後、後悔の念に心臓を掴まれた。


彼は思春期を迎えるずっと前から舞踊を習ってきたこともあり、性的な意味合いのない身体的接触に慣れてしまっていたが、それは全ての人にとって当たり前のことではないのだ。


実際、姫奈は側から見て分かるほど顔を引き攣らせていたし、体全体が硬直しているようにも見えた。父親や兄弟のいない家庭で育った彼女は、それまで男性に胴体を触られたことがなかったのだ。


彼女が無理をして足を挫いたりしたら、と不安になったレオは、そこまで頭が回る前に軽率で一方的な行動に出てしまった。5秒にも満たないような行為だったが、それで彼女に見えない痛手を負わせてしまったかもしれないと悔やんだ。


謝罪と自責の言葉を述べようと口を開いた。


しかし、彼女はすぐさま彼に背を向け、他の二人の方に歩み出してしまった。


もう、彼女は口も聞いてくれないのだろうか。きっとそういう扱いを受けても仕方がないようなことをしてしまったのだ。


「何が、起きてるの?」


姫奈は水の壁と黄金の剣が織りなす異様な光景にくまなく目を通しながら尋ねた。


「そんなのこっちが聞きたいっすよ! つか先輩達めっちゃ時代先取りしてるじゃないっすか!」


「あれね、オーニソプターなの。ほら、ダ・ヴィンチの。でも本当に翔べるの」


姫奈は少しずつ平常心を取り戻しながら答えた。


「はえ〜」


アンブローズは興味を引かれつつも、胸にわだかまりを感じずにはいられなかった。そんな技術があったら、箒で飛行する魔力の特異性が霞んでしまうからだ。


「っで、翔んでどこ行くつもりだったんすか?」


「旧ヴァルバリア大使館ってところ。ヴァルバリアからこっちに来た人々の記録が残っているはずなんだって。この辺にあるらしいんだけど」


「……なさそうっすね」


4人は改めて辺りを見回した。崖の上にも下にもそれらしい建物は見えない。土埃に覆われ枯蔦が絡まる岩場に、地中海沿岸特有の灌木がまばらに生えているだけだ。


「ハッ、もしや!」


アンブローズは芝居掛かった空気混じりの声で言いながら、俯き加減で眼鏡のブリッジに指を当てるインテリポーズを取ろうとした。そこで、今は眼鏡を掛けていないことを思い出した。


「これがアーティスティックな呼び鈴てことないすかね? このソード引っ張ったらなんか音が出て大使館の人がどこからともなく現れてくれる〜みたいな?」


彼が仮説を述べている隙に、ジョヴァンニが無言でグリップに手を伸ばそうとした。


「いやだからこれなんかの罠かもしれないっつってんじゃないすか!」


「罠なの? 呼び鈴なの?」


姫奈が焦ったそうに聞いた。


「これこそ石板の精霊案件すよ!」


アンブローズは懐からパスヴェラを取り出した。その一瞬の間、彼の発した「セイレイ」の音声と常用単語の「精霊」を結びつけられないながらも、姫奈は思案を巡らせた。


「剣に直接触れるのが危険なら、てこの原理を利用すればいいんじゃない? 鍔の下に長い棒状のものを当てて、この岩を支点にして。そうすれば労力も無駄遣いしなくて済むでしょ?」


細すぎず、ある程度の長さがある枝を探そうと、また湖岸を見渡した。そこで再び身体が強張るのを感じた。


素手で蛇を掴んでしまったあの日を想起させる状況だ。あれは、てこの働きをこの目で確かめようと思い立ったが故に起きた事故だった。


レオは姫奈の提案に賛同できなかった。ここは元の世界の一般通念が通用しない世界だ。剣に直に触れなければ安全とは限らない。鍔が持ち上がった瞬間にその下から毒矢か何かが噴射される仕掛けになっているかもしれないし、何らかの呪いが解き放たれる可能性だってある。


しかし、今の彼は彼女に異議を唱えられる立場にはいなかった。かといって、彼女が危険を冒すのを傍観しているわけにはいかない。こうなったら、仕方がない。


「待って、一旦、僕が引っ張ってみる」


言いながらアンブローズを一瞥した。また罠だと言い張って止めようとするのか。


「あどうぞどうぞどうぞどうぞ」


レオの予想に反し、アンブローズは不自然な恭しさで引き下がった。


「へ〜勝手にすれば?」


ジョヴァンニも畳み掛けるように言った。


なんだよ。


レオは呆れと苛立ちの混じったため息を吐きながら、剣のグリップを掴んで上に引き上げようとした。


するとその途端、剣の、岩から突出している部分全体から直射日光に匹敵する鋭い閃光が放たれた。


「熱い!」


すぐさま手を離した。


「ほら〜! やっぱなんかヤバいやつだったじゃないっすか〜!」


アンブローズが誰にともなく叫んだ。


レオは呼吸を整えながら数歩後退りした。今のは太陽より眩しかったのではないか。そう思いながら天を仰ぐと、もう日が傾き始めていた。やはり余計なことで時間を無駄にするのはやめて、パスヴェラで改めて旧大使館の場所を確認しよう。


しかし、彼と入れ替わるように姫奈が剣の前に進み出た。


「今の、本当に熱かった?」


彼女が振り返って尋ねる。


レオはすぐには言葉を発することができなかった。もう自分には彼女と対話する権利はないと思っていた矢先に彼女の方から話しかけられ、快い衝撃を受けたからだ。


「ねぇ?」


「え、あ、熱かったよ、ほら……」


グリップに触れた左手に軽度の火傷を負ったはずだ。ところが、掌を見てみると、びらんはおろか水脹れもできていなかった。確かに熱を感じたはずの皮膚は、赤みすら帯びていない。


「どうして……」


「やっぱりね」


剣の方に向き直りながら姫奈は続けた。


「本当に熱かったらこの水滴だって蒸発するはずでしょ」


剣にはまだ無数の水滴が付着していた。そう言われてみれば、光った時も水分が蒸発するような音は聞こえなかったし、湯気も立ち上らなかった。


「多分、あんなに強く光ったから熱も発せられてると脳が思い込んじゃっただけ」


「ダッセぇ」


斜め後ろから呟きが聞こえ、姫奈は声の主を横目で睨みつけた。


「分かった。もう一回、やってみる」


再び進み出てきたレオに姫奈は場所を譲った。


レオは深呼吸をしてグリップを握り締めた。


放たれる眩い光線に思わず目を閉じ、顔を背けたが、それと同時に手にはより力を込めた。本当だ、熱くなどない。奥歯を噛み締め、喉の奥の方で低い声を上げながら、一気に剣を持ち上げた。


おのれジョヴァンニ!


ガガッ。


岩が削れるような音がしたかと思うと、剣が岩から抜ける感触が伝わってきた。閃光もそれと同時に一気に弱まったのが分かった。


おずおずと目を開けたレオの視界に最初に飛び込んできたのは、自らの手に握られた剣の、鏡のように磨き上げられた切っ先だった。まだ全体が仄かなオレンジ色の妖光を放っているようにも見えるが、それは夕日の悪戯に過ぎないのかもしれない。


レオは喜怒哀楽のいずれにも分類されない感情を抱きながら後方の3人の方を見た。


ジョヴァンニはやはり目を逸らして冷笑的な表情を浮かべていたが、アンブローズは七色の瞳を輝かせていた。


「うお〜! なんか知んないけどすっげ〜!」


その隣の姫奈は、無邪気とも崇高ともつかない微笑みを向けてくれていた。


僕は、赦されたのか?


そうか、ジョヴァンニのお陰で僕は相対的にまともな男に見えるのだ。そう気づいたレオは、人生で初めてジョヴァンニの存在を有り難く思った。そして、この剣との遭遇が自らにとって吉と出るか凶と出るかはまだ分からないと理解しつつも、この巡り合わせを可能にしてくれた他の二人には、一層深い感謝の念を抱いたのだった。

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クレオス・アパリション ヴァルバリア王立図書館員M.K. @MiyuKudo

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