だらしなくてウザい先輩の話

黒鋼

だらしなくてウザい先輩の話


「先輩! もうちゃんとしてくださいよ! 飲み会について課長から催促さいそくされてるんです!」


 気がついたら、私はそう叫んでいた。声は少しふるえている。もっとも、叫んでしまったのは目の前にいる人ではない。マイク越しの、はるか遠くにいる先輩なのだけど。


「あー、すまんすまん」


 画面越しに映る先輩の顔に思わずため息が漏れる。先輩は目をこすりながら、いかにも気だるそうに返事をする。相変わらず髪はぼさぼさで眠気覚しにコーヒーを飲んでる。まあ、いつものことだ。


 画面越しでも伝わってくるそのやる気のない態度に、私のいらだちがむくむくと込み上げ、頬が熱くなるのを感じる。


「まったくだらしないんですから、先輩は。もうちょっと先輩らしくしてくださいよね!」


「へーい」


 先輩から帰ってくる言葉は生返事。だから、私はいつものように深いため息をついて肩を落とす。


「私だってもっとバリバリ仕事できるようになりたいのに……」


 IT企業に入社してからそろそろ一年と半年。気づけばあっという間だった。

 窓の外を見れば、季節はもう秋。


 当時、パソコンも持ってなかった私は、入ってから教えてくれるという言葉を無邪気にも信じて、無謀にも社会人の扉を開いたのだ。今思えば、なんて無鉄砲だったんだろう。


 初めての社会人。最初は研修でドタバタ。

 この会社は研修は充実しており、いわゆる文系出身の私でもかろうじてついていくことができた。最初は出社して仲間もいっぱいいて悩みを分かち合うこともできた。


 けど、配属されてからはリモートワークの日々。


 いやほら、確かに満員電車に悩まされることは無くなったよ?

 

 でも配属されたオフィスの雰囲気すらつかめないまま一年過ぎたらさすがに焦る! 机の上のカレンダーを見るたびに時間の流れの速さに愕然がくぜんとする。


 それに、仕事で誰とも会わなくなるとちょっと人恋しくなる。なのでこうして先輩とビデオチャットで喋りながら仕事してるわけだ。先輩は根っからの理系人間って感じでチャットの方がいいみたいだけど。


「ま、必要なのはまずは慣れさ。それなら俺よりオンライン研修とかGoogleさんの方が優秀だからな。それに勉強しておいた方が良い資料はリストにして渡してるだろ」


 先輩の声は低く、少し眠そうだ。でも、その言葉には納得させられてしまう。


「たしかに先輩の紹介してくれたのわかりやすいですけど……」


 そうなのだ。最近はオンラインでも初級用のコースとかが充実していて、先輩のくれたリストはどれもこれもとてもわかりやすかった。なんだかんだで知識は豊富なのだ。この人は。


「だろ? 俺には同じクオリティで教えるのなんて無理無理」


「そうですけど、先輩は教育係なんですからね!」


 思わず声を上げる私。画面の中の先輩は、少し困ったような顔をする。


「わからないなら聞けばいい。こうして繋いでるわけでもあるし」


「うー、でも先輩って聞いてもまずは君はどう思う? って聞いてくるじゃないですか」


 私の声には少しの不満が混じっている。先輩はそれを察したのか、少し表情を和らげる。


「まあ、目的とか背景がわからない状態で『これってできます? 』とか『どうしたらいいんですか?』って聞かれても俺はエスパーじゃないからな」


「先輩が気が利かないのはそわかってますけど……」


「ごほっ!」


 画面の向こうで、先輩がむせるのが聞こえてちょっとスッキリした。


「そんな刺さることをしれっていうんじゃねえ」


 そうこうしてるとピコンと画面の右隅にポップアップ。予定していたグループとのビデオ会議の時間が近づく。


「あー、そろそろ会議か。喋るのは任せた!」


「ってもう! こういう時だけ押し付ける!」


 私の声は少し裏返っている。

 緊張と不安が入り混じっているのがわかる。


「何事もこの経験さ。なんかあったら助けてやるから大丈夫、おまえならできる」


 先輩はこういう時だけは笑顔で、そして押しが強い。

 それに先輩の声には、珍しく優しさが混じっている。それを聞いて、少し心が落ち着く。


 私は深呼吸をして、準備してきた資料を最後にもう一度確認する。自分の顔が、やや緊張気味なのがわかる。


「大丈夫、きちんと準備した」


 そう、自分に言い聞かせる。そんな私の緊張を察したのか、先輩が小さくうなずいてくれた。


「自信持て。お前の準備は完璧だ」


 その言葉に、少し勇気をもらえた気がした。胸の中で小さな炎が灯るのを感じる。定刻になり、会議が始まった。

 私は緊張で少し汗ばむ手で、マウスをクリックする。


「お世話になっております。それでは、先週の会議で話があった件について、進捗をご報告させていただきます」


 私が用意した進捗報告を終えると、相手が不意に口を挟んだ。


「その件はわかりました。ところで、先週話した仕様変更の変更はどうなっていますか?」


 一瞬、私の頭が真っ白になる。仕様変更?

 そんな話はなかったはずだけど。あれ、まさか、忘れた? なんで? 私の背筋に冷や汗が流れる。


「え? あのー……えー」


「あれ、確か言ったと思ったんだけどなあ。ええっ、これはまずいかも? 困ったなあ」


 深刻そうな相手の顔に焦りで頭が真っ白になる。

 心臓が早鐘を打つ。

 ああ、どう答えればいいのかわからない。声をだそうとしても、唇が震えてうまく声がだせない。


「そ、それじゃ」


 とにかくミスをカバーしないと! そう思ってちょっとパニックになりかけた時、思いがけない声が割り込んできた。


「あー、ちょっといいっすか」


 先輩だ。いつもと違う。だるそうではなくちょっとおちゃらけてるけど、穏やかな口調で話し始める。その声を聞いて、私は安堵の息をつく。


「ビデオ会議、最近のはちゃんと文章化して議事録取れるようになってるんですよ。ログ確認しますねー」


 先輩のマイクからカチカチと音が聞こえる。

 その間、私は自分の鼓動が聞こえるくらいドキドキしていた。


「ああ、あった。この件についは確かそっちで持ち帰って検討になってた気が……?」


 話を聞いてほっとする。やや困惑しながらも、先輩の対応に助けられたことを悟る。


「うちのがちゃんと議事録にも確認していただいたはずですよ」


「……ええっと、それは」


 相手の声が急にトーンダウンする。そして後ろで囁くような声がちょっと聞こえる。


「でも仕方ないっすよね。勘違いは誰でもするもんですし」


 先輩は努めて優しげな声でそう言った。いつもは意地悪なことを言う時の声が、なぜか今は頼もしかった。


「そうですね。すみません。あはははははは」


「あはははははは……ってことで」


 先輩はニヤリと笑う。その表情に、いつもの先輩の姿を見た気がした。


「ま、現行通りってわけにもいかないですし、仕様変更に合わせてもう一回見積りしなおしましょうか」


「……それは、その」


「そうですよねー」


 相手が躊躇する様子を見て、先輩が素早く畳み掛ける。その手際の良さに、少し感心してしまう。


「次のタイミングででかい案件ありますし、そこに混ぜましょう。こんな細かいのに決裁取るの大変でしょ?」


「そうなんですよ!」


 相手の表情が安堵に変わる。緊張感が和らぎ、場の空気が一気に和らいだのがわかる。


「じゃあ載せときますね。大丈夫、大して増えないですから。あと、説明しろって言われたらいつでも行きますから。お相手はお宅の部長でしょ?」


「はい、それでお願いします!」


 こうして無事に会議が幕を閉じた。

 会議が終わると、ほっとして椅子に深く腰掛ける。

 緊張から解放された体が、急に重く感じる。

 

 するとすぐに先輩からのビデオ通話のリクエストが来て私は繋ぎ直した。


「ふー、まったくあいつは〜。どうせミスった件を押し込もうとしたんだろー。油断も隙もありゃしない」


 先輩の声には、少し疲れと安堵が混じっている。


「せんぱーい……」


「なんだよ?」


「先輩ってかなり喋るんですね。普段から」


「これくらい処世術だよ。しょ・せ・い・じゅ・つ」


 先輩の口調に、少し得意げな響きがある。


「いやあ、先輩って社会人だったんですね」


「そうなんだ。俺もびっくりだがな。ってなんでやねん」


「何ですかそれ」


 先輩の軽口に思わず笑いが込み上げてくる。


「普段からそのモードで私にも話してくれたら良いのに」


 画面越しでも、先輩の表情が柔らかくなったのがわかる。


「やめてくれ。接客モードって大変なんだからな。それにな」


 先輩が一瞬躊躇するのが見えた。その瞬間、何か言いにくそうな雰囲気が伝わってくる。


「それに? なんです?」


「おまえといるのは楽でいいからな」


「え?」


 思わず声が出る。心臓が一拍飛んだ気がした。


「ええっと、それって雑に扱えるってこと……とかじゃないですよ」


 先輩の台詞に頬が少し熱くなるのを感じる。


「いやいや、違うよ。なんつーか、ホッとするんだ」


 なになに、なんかそういうのは困るんですけど! 内心でそう叫びながらも、何だか嬉しい気持ちが湧いてくる。


「それは、どういう?」


「昔飼ってた猫みたいだからな」


「は??????」


 思わず声が裏返る。画面の中の先輩は、少し照れくさそうな表情を見せている。


「いやいや、すまん。冗談だ。反応が面白くてついな」


 そこで気づいた。先輩は多分、私の顔色が悪かったのを察したのだろう。

 この人はなんか心配ごとあると、やたら顎を触って考える癖がある。これもこれまで見てきて気づいたものだ。


「私、先輩のことがちょっとわかりました。素直じゃないんですね」


 少し意地悪な口調で言ってしまう。


「うるせえ」


「ちなみに今の言葉記録してありますからいつでも聞けますよ」


「げっ」


 意趣返しに思わずからかってしまう。先輩の困った顔が、少し可笑しい。笑いながら画面を見つめると、先輩の表情が少し緩むのが見えた。


「これが後輩が先輩に学ぶってことなんですよ〜」


「はいはい、学んでさっさと独り立ちしてついでに出世して俺を楽にさせてくれ」


「言ったなー。後悔しないでくださいよ! こき使いますから」


「ああ、頑張れ。ま、その方がいい。ひよこみたいに口開けてたって成長はしないからな」


「え?」


「自分で考えて、自分で調べて、それでもわからないことがあったら聞け。付き合うくらいならできるからな」


「先輩……」


 先輩の声には、普段聞けない優しさが混じっている。それを聞いて、胸の奥が少し温かくなる。


「わかりました」


 画面越しに見える先輩の姿に、何か新しいものを見つけた気がした。いつもの怠惰な雰囲気の下に、頼れる先輩の姿が垣間見える。


「よし、一緒にがんばろうぜ」


 先輩の声に珍しく力強さを感じる。

 その言葉に、私も思わず背筋を伸ばす。


「冬のボーナスのためにも!」


 一瞬の静寂の後、先輩のその言葉に、思わず吹き出してしまう。


「台無しですよ先輩!」


 笑いながら抗議の声を上げる。でも、その言葉の裏に隠された本当の意味を、何となく理解できた気がする。


 だらしなくてうざくてだけどたまに頼れる先輩。これからしばらくはこの人の世話になりそうだ。


「じゃあ、次の会議の準備するんで、また後で」


「おう、頑張れよ」


 ビデオ通話を終了すると画面が暗くなり、自分の顔が映る。自信を取り戻した自分の表情は、少し緩んでいた。


 自分に言い聞かせるように呟いて、再び仕事に戻る。

 いつも向こうには、頼れるうざい先輩が待っていると思うと少しだけ安心できるような気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

だらしなくてウザい先輩の話 黒鋼 @kurogane255

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ