第4話 梅花こぼれる
奥入勘兵衛を殴ったその日、ことの顛末を父に告げた。「ほぉ、お前にも、人らしいところが有ったのだな」それだけ言うと、晩酌の手は止まることはなかった。
翌日から、沙汰を待つ日々となり。三日目に朝比奈伸一郎が金五郎を訪ねて来た。
「沙汰なぞ何もない、喧嘩両成敗だ」「何れにしても、奥入の狙いは、お前の処分ではないさ、お前と“うめ”さんの事を公にする事だ」「それに、何の意味があるか分かるな?」 「和田平助の倅と奥入の嫁が、不義密通か?」「父上も俺も、気にするものではないが、“うめ”殿は違う」 「何、今の貴様に、できる事など無いぞ、精々、実家に戻った“うめ”殿を、嫁に迎えてやるぐらいだ」 「俺の、浅慮が招いた事だ、その様に出来れば良いが?」 「時を待つことだな、何時かは、良い潮目もあるだろう」 「そう、願いたいものだ」
更に、数日の後、“うめ”が実家に戻されたと、聞かされた。そして、更に十日後、金五郎を尋ねて、珍しい客があった。その客は、
春嵐 こぼれる梅花の そのままに
わが背が手折りし 徒花の枝
「左様でござるか、我が浅慮で迎えし不運を、尚もして俺を我が背と、呼んでくれるか」「相分かり申した、忝く、頂戴つかまつる」 「有難う御座います」「“うめ”は、庭の梅の木の下で、腹を切り、喉を突きました」「不貞を疑はれたが、余程に口惜しかったのでしょう」梶木兵太郎は、早々に和田邸を辞した。一人、残った金五郎は矢立と紙を用意して、何やら書きつけると。“うめ”が残した、辞世を書きつけた紙に火をつけ灰にした。それを、水盃に溶かして飲み込んだ。そして、庭へと出た。徐に、庭の梅の木の下に後座を敷き、西向きに座して懐を広げ、己が腹に目掛け小太刀を突き刺した。渾身の力で横一文字に引き裂き、小太刀を抜いて、逆手に構え直した。その刃に向けて、うつ伏せる様に倒れ込み、小太刀を首に突き立てた。金五郎が去った部屋に遺された紙には、辞世の句が書き付けられていた。
我が妹の 乞いし梅枝 携えて
共に渡らん その道の先
帰宅した、平助はその様を見て狂った様に泣き叫んだ。あれ程に、期待を掛けて常軌を逸した修業を積み重ね。漸くに、目鼻が立ち始めたと言うのに、倅は、死んだ女の後を追ってしまった。半年に渡り腑抜け切った平助は、御書院番組頭の職を解かれ、大番組に落とされた。平助の心には最早絶望の二文字しか遺されていなかった。
その夜、水府の城下外れの夜道を漫ろ歩く、三人連れ、芸者を上げての酒席の帰り道、川沿いの道を行くと、柳の陰に人の気配があった。「何者であるか?」 「奥入勘兵衛か?」 「ふっ、人違いじゃ」 「何の、間違うはずはない、過日の遺恨、憶えたか!」 人影は、動いた半間(約9m)の間を一気に詰めると僅かに前に出ていた男、奥入を逆袈裟に斬りあげた。返す刀で右手の者を袈裟懸けに斬り、辛うじて鯉口を切った左手の男の胴をはらった。神速の間に三人は刀を抜く間もなく二人は即死、残る胴を斬られた男も喉を突かれ絶命した。人影は、闇に消えた。翌朝、登城の刻限、和田平助は、大門の近くに身を潜め、御書院番組頭、那賀手兵頭を待ち伏せ、これを小者と共に斬り捨てると、そのままに出奔した。その日の夜遅くに水府の城下から離れた中根寺の境内で、和田平助正勝は腹を斬り、五十九年の生涯に幕を下ろした。
平助には、妾との間に次男“介次郎”があった。この子は五歳に満たなかったが父の罪を受け、筆頭家老、宇都宮下野守の屋敷にて斬罪に処された。平助はその罪により墓標を建てることも、法事の一切も禁じられた。
少なくない門弟達の悲願が叶い、葬儀一切お構い無しとなったのは、百年に近い後、六代藩主、治保の治政であった。和田平助の墓には、多くの人が訪れた。それと言うのも、和田平助を逆さ読みして、
<了>
梅花こぼれる 閑古路倫 @suntarazy
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