第3話 風の吹きて、波の立つ

 金五郎は、“うめ”の縁談について、其れとなしに聞いている自分に気づいた。聞いて回る様な事は、憚られた。しかし、“うめ”の相手は、組こそ違えど同じく大番組。顔も知らぬ間柄ではあったが、まぁ、男ばかりの寄り合いであったとて、色に通じる話しは。殊に、出回るのも広がるのも僅かな時間だ。ましてや慶事で有れば尚更と言えた。幾日も、しないうちに唐変木の金五郎にも、凡そのことは、分かった。この話しを、纏めたのは御書院番一番組頭の、水口平大夫みずぐちへいだゆう様であった。御書院番組頭と言えば、金五郎の父もそうであった。水口様は金五郎の父とは異なり、なかなかの野心家であるらしかった。家老職は、血筋の者で無ければ成る事は叶わない。ただ、年寄には上士で有ればなれるし、お殿様の御覚えがめでたければ、出来ぬ出世も出来るやも知れない。

 金五郎の父、和田平助は現君の覚えめでたき人であった。然し、父に言わせると「お殿様が、俺の様な者に目をお掛け下さるのは剣一筋にて、融通も効かぬ朴念仁だからよ」と、なる。お殿様は、二心を持ち私に尽す御人が酷くお嫌いだ、との事であった。成る程に父はヤットウと酒さえあれば、満足の人であった。さて、水口様であるが、野心家であiiるが故に、ご多聞に漏れず味方も多いが、敵も多い、筆頭は同じく御書院番二番組頭、那賀手兵頭ながてひょうどう様であった。那賀手様は水口様より二つ三つ年若であった。次期年寄職を争う二人は其々が旗下に人材を集めようとしていた。そこで、奥入勘兵衛おくりかんべえだが、彼の父は筆頭家老、宇都宮下野守うつのみやしもつけのかみ様の乳母の娘を嫁に貰い、何事にも気の利いた男であった事から、御家老の引き回し良く、中々の力があった。此れに目を付けたのが水口様で、己が親戚筋に当たる梶木忠平の娘を奥入の嫡男にあてがった訳である。

 どの様な事情であれ、宮仕の若輩者が“うめ”にしてあげられる事などない、知り合いなどと知れたなら“うめ”にどんな迷惑があるか知れたものではない。密かに“うめ”が心安からんことを祈るのみであった。

 そして、“うめ”が奥入に嫁いでから早くも、半年が過ぎた。因果は回る糸車とは、誰が言ったものか?あれ程に精力的に権力を求め動いていた水口様が卒中により呆気なく不帰の旅路へと旅立った。これが思わぬ波紋を呼び、始めはさざなみであったものが、金五郎を呑み込む大波となって襲いきた。目端の利く奥入勘兵衛の父、奥入蔵人おくりくらんどは、息子と我家の将来を見据えて、水口の薦める梶木の娘を嫁にした。それもこれも、水口の出世を見越しての事だった。然し、肝心の水口が不帰の客となって仕舞えば何ほどの意味もない。また、嫁として来た“うめ”は、器量は十人並、身体は細く、愛想も無い。倅も、早々に飽いてしまい芸者に現を抜かす始末である。ここは何とか離縁して、気の利いた娘を後添いに貰うが良かろうと、思案した。ただ、流石に嫁に取って三年も経たずに家から出すには、大した理由が必要でもある。然し、このまま時を待つ間に、子でもできて仕舞えば居座られもしよう。その様なことを、思っていると那賀手の使いと言う者がやって来た。使いの者は、二日の後に、那賀手が此処を訪いたいと云う。勿論否は無かった。そうして、二日後、那賀手はやって来た。「ようこそ、おいで頂いた、して、ご用の向きは?」 「奥入殿、お時間を頂き忝ない」「何、少しばかり御相談が御座いまして」 「何事で御座りましょうや、私ごときで力となりますれば、宜しいのですが?」 「いえいえ、ちょっと、お耳に入れたき事が御座ります」「御家の嫁御の事に御座います」 「我家の嫁?“うめ”の事ですかな?」 「左様で、実は、“うめ”殿のご実家、梶木家は、我家の近所でございます」「して、此方に嫁ぎまする前に、和田殿のご嫡男と昵懇にしていたのを、我家の者が何度か見ております」 「これは、してやられた様でござる」「嫁にも、能く能く聞かねば成るまい」 「余計な、差し出口とは思いましたが、黙っておりますのも心苦しく」 「何の何の、誠、忝く御座います」「さて、水口様があの様になられた今、和田様迄が、力を落とす事にでもなれば、那賀手殿の御手を煩わせる者も無くなりましょう」 「いやいや、和田様は、剣術一筋のお方、その様な人程、周りの信頼も厚く、貸す手も数多なのですよ」「誠に、厄介な御人です」 「分かり申した倅と共に、突ついて見ましょう、蛇が出るか如何か?」 「忝く、これからは御昵懇に願いたく存じます」 「誠、お互い様で、ござる」二人は薄く、笑いあった。

 金五郎は、師走の風が身を切る様な昼下がり、二の丸廓の近くにある父が師範を勤める道場の裏手にある社に呼ばわれていた。相手は、奥入勘兵衛とその友人二人であった。

 「和田金五郎、よくも、恥ずかしげ無く来れたものだな!」 「申し訳無いが、某の何に怒っておられるのか、分かりかねます」

 「俺がことは、分かるか?」 「大判組頭奥入蔵人様の御嫡男、勘兵衛様で御座りましょう」 「あぁ、その通りだ、であれば分かろう俺が妻のことだ、“うめ”がことよ!」

 「何を、仰いますことか?“うめ”様と某に関わりなど御座りません」 「拙者が、“うめ”を娶る前には、貴様が昵懇の仲であったと、あれの実家に近い所の者が言うておったわ!」 「何を、仰るかと思えば」「他人の讒言など、取るに足らぬことを」 「取るに足らぬと言えば、”うめ”のことよ、十五なれば、色気もこそも無いのも分からんではない」「然し、ああも、愛想のないことは」「抱いてもつまらん、まるで、丸太を抱くようなものでな、そう云った、取るに足らぬ者でも、我が物となれば放っても置けぬ」 「たとえ己が女房であろうと、何足る言種いいぐさ、下衆にも過ぎましょうぞ!」 「はて、何を怒って居られるやら、関わり薄き者であるなら、ましてや他人の女房に、もしや懸想なされたか?」 「其れこそ、下衆の勘繰りにて、根も葉もなきいこと!」 「ふん、つまらぬ物言いよ、あれの如き値も付かぬような余し者でも、欲しがる御仁が、いるかと思えば」「只に、捨てるも業腹で、ござるなぁ」「精々、甚振いたぶり、泣かしてみようかのう」「しとねで、良がり声を上げさせるも良し、折檻にて泣かせるも俺が思いの儘よ」金五郎の我慢が切れた。気づいた時には、奥入勘兵衛は仰向けに倒れ頬を抑えていた。彼の友人二人は、腰の物に手をのせ構えていた。「おうおう、出し抜けに殴りっけるとは、乱暴なことよ」「折角の我慢が無駄になったな、組頭の朝比奈様へは俺が話そう」「角谷、落合、刀の手を下ろせ、立ち会って、歯の立つ相手じゃない」奥入はゆっくりと立ち上がり衣服の泥を払った。「まあ、沙汰を待つことだ」三人は、笑いながらに立ち去った。

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