あとがき
「ふうゥ..出来た。」
木製の机の前に座る男。右手に万年筆を咥え、目線上には一枚の原稿用紙。其の直ぐ真上には、一枚の写真が収められた写真立てが一個。その内容とは、若い女と其の息子が直立して居て微笑んで居るもの。そして彼等の真ん中にはネクタイを頸に巻いた、不細工な犬が鎮座。笑って居る。そんな彼等が映る、彼女の息子らしき幼稚園入園式の記念写真。
男の耳元には、離れの方から聞こえて来る、シックリと来る生活音、そして鼻元には、微かに靡く油の匂いが鼻腔を愛撫する。
“執筆中は決して入る勿れ”
この書斎には絶対的な決まり事が在る。男が作業中には誰も入る事が許されて居ない。書斎扉の向こうで男は息ずく生物の気配を感じた。
「もう終わったから入って来ても良いぞ」
「..から入っ..」の台詞の時点で、扉を勢い良く開けては、一個の生物が不法侵入の構えを見せた。男は瞬間的且つ本能的に、座って居た可動式の椅子を、千六百二十度「グルリグルリグルリグゥ..」三回転半。だがチト廻し過ぎたせいか?頭がクラクラする其の脳味噌の発した命令で動かした両手で、そっと生物を膝元に抱き抱える。
「お父さぁんッ!お母さん、御飯が出来たからお父さん呼んで来なさいって!」
「今晩の御菜は何だ、イチロウ?」
男には既に答えは解って居た。このカリカリと尖った芳ばしい油の匂い、そして威勢良く揚がる音の食感。
「トンカツぅ!」
其れ迄は、男の毛深い胸元に抱き付いて居た息子がヒョッコリ、顔を上げる。
この無邪気で小悪魔的な表情が、自身の全ての臓物を手荒く抉られるかの如く、愛おしく思い、思わず息子を抱いて居た、其の毛深い両腕の爪で、其のまま全身を切り裂いて殺してやろう、と一瞬思ったが我慢した。
この無邪気で小悪魔的な表情が、自身の全ての臓物を手荒く抉られるかの如く、愛おしく思い、思わず息子の顔面を「ペロペロ」舐め廻して居た其の大きな口の尖った牙で、其のまま頸を掻っ切って殺してやろう。と一瞬思ったが我慢した。
(愛し過ぎると云うのも、実はチト危険過ぎる思想なのかも知れないな..)
「痛てっ、痛てて..こらこらイチロウ!そんなにお父さんの耳を引っ張んないでくれよ!」
「ゴメェン!だってお父さんのお耳、フワフワしてて柔らかいんだもぉんッ」
男は息子を抱き抱えた儘、スロォモゥションで椅子から立ち上がった。
「イチロウ、実は此処にやって来る迄に、色んな事が在ったんだ。だからお父さんもお腹がペコペコだよ」
息子を空中に抱いて、食堂に向かい歩き出した男。書斎を出る前に、扉脇に在る照明の電気をツマミを「パチっ。」
消して二人は姿を消した。
一瞬にして書斎は真っ黒に姿を変えて、木製の机の上の原稿用紙も、写真立ても暗闇を畏れたのか、足音一つ立てず、其の真黒の世界に姿を眩ませた。全てが終わった。
正真正銘、この寓話は宇宙へと還って行った。
文學界では此の様にも例えられる、“完”
「バイバイ」———イチロウ談
ペロ 宇宙書店 @uchu_tenshu
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