氷海の使者

小野塚 

『根古間神社祭禮』下田祥子

実は私は此処の生まれでないんです。

生まれたのは旭川で育ちは道内全域。

父親が北海道採用の高校教師だっけ

道内を転々とする転勤族でしたね。

 その父も既に定年退職して、今は

故郷の手稲に住んでいます。あの、

冬季オリンピックのスキージャンプで

なまら有名な所です。


その私がなして今ここの銀行窓口で

働いているかっていうと、主人が

この町の水産加工会社の専務だっけ。

親の会社を受け継ぐ修行がてら札幌の

文房具会社を辞めて、こっちに一家で

引っ越して来たんですよ。

 私も此処で心機一転、仕事さ探して。

それで偶々、前と同じ銀行の窓口の

募集があったっけ、これ幸いに。


前置きが長くなったけど、今から

話すのは、私が学生時代に経験した

怖いっていうか  話さ。



あれは、私が札幌で短大生として

一人暮らしをしていた時の話です。






自宅から短大までは市営地下鉄で

通っていました。交通費をかけても

学校の近くよりも家賃は安かったし。

最寄り駅から歩いて数分の場所に

気にいったワンルームマンションが

見つかったっけ。


この 最寄りの駅 っていうのが

札幌市内を縦横に走る地下鉄の端。

駅ビルは大型の商業施設と一緒に

なっていました。


 その大型商業施設の中に、あろう

事か『水族館』が入っていたんです。


学校からの帰りに、私はよく独りで

駅ビルの水族館を利用していました。

入館料は思っていた程は高くなく、

その割には展示飼育されてる魚や

海の生き物達の数もかなり多くて。

魚だけでなく、ペンギンだとか

海豹なんかもいたから、規模として

そこそこ大きかったと思います。


夕方の、あまり人のいない水族館の

展示水槽をゆっくりと時間をかけて

廻るのは、水の中を揺蕩う様で。

私にとって何もかも忘れていられる

心地よい夢の様な場所だったんです。






その日、私はいつになく荒ぶれた

気持ちで地下鉄の駅に降り立ちました。

白い粉雪がチラホラと舞う寒い日で、

手袋を着て来れば良かったな、と

思いながら階段を下って行ったのを

今でも覚えています。


卒業に必要な単位を落としてしまい

今後どうするのか。指導教官との

話し合いは一向に纏まらずに、結局

再試験をして貰えるかどうかの決定は

一旦、棚上げ。それにのっとって就活も

お預け。大事な単位を落とした私が

悪いんだけれど、この二進も三進も

行かない状況には、只々途方に

暮れるしかありませんでした。


中途半端な時間帯のせいか人も疎な

ホームに漸く入って来た地下鉄に

私は惰性で乗り込むと、空いている

座席に腰を下ろしました。


「……。」


今まで誰も座っていなかった筈の

向かいの席に  が座って

いるのが唐突に目に留まりました。

 いや、目の前に座っている女性の

姿に釘付けになったっけ、

慌てて目ば逸らしたんだけど案の定

目が合ってしまったんですよ。

 

地下鉄だから外の風景を見ている

振りも出来なくて、それに当時は

スマホなんかも無かった時代です。

見たらダメだ、っていうのは分かって

いるのに、どうしても意識がそっちに

向くのを抑えられなくて。



その女の人、のコートば着て

赤い長靴を履いてたんですよ。



初冬の札幌ですから、別に不自然な

格好でないんです。毛皮も、今ほど

ワシントン条約とか?そういう事に

うるさくなかった時代だっけ。

 只、そのコート。どう見ても

なんです。灰色に黒っぽい斑が

入ってて、きっとゴマフアザラシの

毛皮だと思うんだけど、フワッとした

お洒落な風合はまるでなくって、

ナメッとした見た目で。兎に角、あれ

見たら絶対に皆んな目を奪われると

思うんですよね。


「…。」どうしても意識がそっちさ

行くんだけれど、向かいに座る女性が

何気にのがわかった

時には、流石に ゾッと しました。

目の前の女性と自分だけしか乗って

いないみたいな、

包まれて。こんな事なら指導教官から

散々嫌味を言われていた方が余っ程

マシだと思いましたよ。



暫くの間、そんな気まずい空気を

何とか遣り過ごして。

遂に地下鉄は 終点 に着きました。

私は慌てて立ち上がると少し早足で

改札口へと向かったんです。


エスカレーターに乗って漸く人心地が

ついて。ふと、気になって後ろを

振り返ると。



あの 海豹の毛皮の女性 が、

にいたんです。



「…ッ。」驚いてエスカレーターを

早足で歩き始めると、後ろから足音が

聞こえました。それも、

様なグジュグジュとした音が、私の

すぐ後を追って来ます。


 あとついて来てるべさッ!

私は思わず叫びそうになりました。


あ、『タコを釣る』っていうのは

こっちの方言なのかも知れません。

長靴の中さ水が入って、グジュグジュ

音させるのを  って

言うしょ。由来は知らないけど。


兎に角、そんな気持ちの悪い音が

私の早足について来ます。このまま

ウチまでついて来るんでないかと思うと

なまら怖くて。私の足は駅ビルの

商業施設の中へと進路を変えました。

そして、流石に『水族館』には入って

来ないだろうと、私は慌てて入口に

飛び込んだんです。


よく、学校帰りにふらりと寄るので

 を買っていて良かったと、

この時は心底そう思いましたね。

 


水族館の中は平日の夕方という事も

あってか、閑散としていました。



水槽の中には色んな魚が悠々と泳いで

います。後ろからあの様な

気持ちの悪い音も聞こえません。

順路を歩くうちに私はもうすっかり

水の中の美しい世界の虜になって

いたんです…が。


『北の海の生き物』のコーナーに

足を踏み入れた時でした。


そこは北海道ならではの生態系が

パネルや実際の展示飼育などから

学べる コーナー で、鮭や

鱒が銀色の鱗を光らせながら優雅に

廻遊しています。その合間をキラキラと

氷下魚こまいたちが渦を巻いて美しい造形を

繰り広げる。


 そして、その先には。


流氷をイメージした半水中の大きな

展示水槽がありました。

 ゴマフアザラシが二頭、思い思いに

寝そべったり水の中を泳いだりして

いるんですが。



二頭いる筈のゴマフアザラシが。

 んですよ。



それだけなら、単に飼育する頭数を

増やしたのかなと思うんだけれども。

でも、そのゴマフアザラシ達。



みんな、んです。



私は悲鳴を上げて、その場に尻餅を

搗いて座り込んでしまいました。




係の人達が来た時には、いつも通り

二頭のゴマフアザラシが悠々と水中を

廻遊しているばかりでした。

が、しかも数が

なんて。それは明らかに

自分の目か頭がおかしくなったと

思うしかなかったんだけれど。





お化けの話で『むじな』ってあるの、

知っていますか?

 もしかして私、海豹に化かされたんで

ないかと思うんですよ。

いつも独りで『水族館』さ来てたから

海豹もこっちの顔を覚えてて。勿論、

真相はわかりませんけどね。



何かと私達は理由を何かにじつけて

考えるけど、なんか

ないんでしょうね。

          だって


 怪異 って、だから。









語了


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

氷海の使者 小野塚  @tmum28

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ