第四話 ただ一つの解決策

 クリスタ王国の王都ともなれば、無論非常に広大である。人口五十万人を擁する都は、それを守護するための騎士団本部が都の中央にそびえ立ち、それだけに飽き足らず支部がいくつも存在する。

 そのうち一つ。王都西区の騎士団支部に、姫騎士ハクア・G・クリスタはいた。


「…………」


 大柄な騎士に合わせて作られた巨大な椅子に、ハクアはそっと腰掛ける。

 可憐な少女が座るには似つかわしくないが、彼女は他の誰よりも強き騎士だ。


 そんなハクアは目をつぶり、考え続けていた。

 鎧を身につけているが、縛っていた髪は解かれて、目を覆う黒い布も外されている。長いまつげが見えるまぶたの裏には、多くの憂いがあるのだろう

 その中で最たるは、先日の一件だ。


「あの人は……」


 ポツリと呟くハクアの中には、一人の青年の姿があった。


 王都に蔓延した違法薬物撲滅のため、王より下された貧民街掃討作戦。それをなそうとしたハクアであるが、その前に立ち塞がった一人の青年がいた。

 灰色の髪にマヌル人の特徴である黒い瞳。学帽に外套を羽織り、一本の業物らしき剣を携えた不思議な青年は、貧民街を守るのだと騎士を前に立ちはだかる。


 その時に告げられた言葉が頭から離れてくれないのだ。

 あの目に映る闘志がハクアの心を揺らがしていた。

 だから王命だというのに独断で作戦を一時中断し、貧民街から引き上げた。


 それからすでに一週間が経過している――


「ハクア様! すでに我々の準備は万端! いつだって貧民街を攻め滅ぼせるというのに、なぜ出動しないのですか!」


 そうハクアに進言するのは、先日も指揮を執っていた騎士だ。

 王より下された使命を果たさぬハクアに対し、どうにか動かそうと説得を試みているのだろう。


「奴らは恩を忘れ、違法薬物を都に流通させたクズ共です! 全て殺処分し、更地にすることこそが正義であります!」

「…………」


 騎士の言葉がハクアの思考を揺さぶってくる。

 その言葉はあの青年と出会うまでハクアも信じていたものだ。


 貧民街は犯罪者の巣窟。それを消すのは騎士として正しい行いだ。


「ガイデル。あなたは、あの人を見て、何も思わなかったの、ですか?」

「はっ……? どういうことでしょう?」

「そう……」


 ガイデルと呼ばれた騎士は、何を言っているのかと疑問符を浮かべる。

 だが彼の言葉がハクアの心に残り、正義を揺らすのだ。


「貧民街に住む者など、元々奴隷・・だった奴らです。税も納めず教養もなく、治安を乱すだけの――」

「――ハクア様! ご報告があります!」


 ガイデルの言葉を遮るように、部屋に慌て一人の騎士が入って来た。


「どうした騒々しい!」


 ハクアへの進言を遮られたことで、ガイデルは機嫌悪く怒鳴るように言う。

 しかし慌てる騎士は、それを一切恐れることなく叫んだ。

 

「貧民街の者達がやってきました!!」

「なに!?」

「それも多くの者を捕らえてです」

「えっ……?」


 その報告に、ハクアもまた目を見開いていた。



 ◇



 騎士団支部の入り口は、非常に騒々しかった。


「離せ! この東地区の糞グレイが!!」

「俺達を誰だと思っている!」

「この縄を今すぐ解けえええ!!」


 そんな男達の怒号が鳴り響き、野次馬たちも遠巻きに見つめる。

 その光景を見ただけで、事態を呑み込むことはできないだろう。


「これは……どういう、こと?」


 ハクアも一目で事態を呑み込むことができず、困惑しながらそう呟いた。


「やあ姫騎士。一週間ぶりだな。会えてうれしいよ」


 そんな驚くハクアに声をかけたのは、喧騒の中心にいた男、貧民街東地区の主グレイだ。

 その姿に驚くが、より目を惹かれるのはグレイの背後だった。

 そこには百人ほどの男達が縄に縛られ、連行されている姿がある。


「薬をバラまいていたギャング共だ。お前に断られてしまったから、俺達だけでけりはつけてきた。奴らの薬も押収済み。もう貧民街に手を出す理由はないな」

「えっ?」


 あまりに当たり前のように言い放ったグレイに対し、再度ハクアは驚きを見せた。

 ギャングを百人捕えてくることが、そう簡単なはずがない。


 確かに騎士達が貧民街を滅ぼそうとしたのは、ギャング共が違法薬物を王都に流したから。その全てを解決すれば、攻撃する理由はなくなるだろう。

 だが考えたとして実行するか。

 それをなせる胆力と力が、グレイにある事実に驚愕する。


「問題を起こした奴らはこうして処分した。だから全てを滅ぼすというのは止めて欲しい」


 グレイはハクアに向かってそう願った。

 怒りに呑まれることなく冷静に何をしないかを認識し、グレイは成した。

 ならばハクアは――


「ふんっ。残念だったな! 陛下より下された使命は、貧民街の全てを消せだ」


 しかしグレイの思惑を無駄な努力だと嘲笑うように、割り込んできたガイデルは吐き捨てる。


「こっちはちゃんとやることやったぜ。話せばわかるはずだ」

「下らん。お前も標的だ! 総員、奴らを捕らえよ!」


 事態はグレイの予想とは別の方向へ進んで行った。

 ガイデルは標的があちらから来てくれたとばかりに笑みを浮かべる。


 ギャングを捕らえたグレイも、王より命じられた消すべき標的だと断言。部下に命じて、グレイを捕らえろと叫ぶ。


「ふざけんなよ……」


 それにブチ切れるのはグレイだ。

 あまりの理不尽に、剣を抜いて応戦しようと動き出す。


 しかし――


「――止めて!」


 ハクアの声が、その場の全てを静止させた。

 透き通るように綺麗で、年相応の可愛らしい声だというのに、恐ろしい覇気のこもった声音を耳にして、誰も動けない。

 まるで時が止まったかのように、その場の全員が立ちすくんでいた。


「一度、話を聞かせて」

「……へえ。お前は話が通じるようでよかったよ、姫騎士」


 無表情故にその真意を読み取りにくいが、ハクアから敵意は見えない。

 それを感じたグレイは、仲間を守れる道を見つけたとばかりに笑っていた。



 ◇



 捕らえたギャング達は騎士や兵士によって留置場に連行され、グレイの部下達は外で待機。

 姫騎士との対話に、グレイは味方を連れていくことはできなかった。


「ふん。立ち振る舞いに学がないことが見て取れる。汚い服だし、清き騎士団の地に足を踏み入れる資格を感じないな。猿のようだ」


 ハクアとの対話には、先ほどの騎士ガイデルもなぜか同行してきた。

 三人で部屋に入り、ハクアに勧められたソファにドカっと腰を下ろしたグレイに対し、開口一番ネチネチと嫌味をぶつけてくる。


「おお、すまねえな、その通りだ。生まれが生まれだ。学もねえし口も悪い。そこら辺は許容してくれ」


 ガイデルと呼ばれた男の言葉を意に介さないグレイ。

 これに反応しないのが最善であると理解し、冷静だった。


「はっ。自覚があるだけ良ではないか。まあ猿の中ではの話だが」

「ガイデル……! 口を謹んで、ください……!」


 グレイは気にした様子を見せなくとも、ハクアはその態度に怒りを見せる。

 騎士としての品格が疑われる態度故だろう。


「まあ、自己紹介からしようか。俺はグレイという」

「……私はハクア・G・クリスタ。王国騎士団特別騎士に、就いている」

「…………」


 ハクアは自己紹介してくれるが、ガイデルは一切自己紹介することなく、ハクアの背後に立つとグレイを睨む。

 もし怪しい態度を取ればすぐに斬り殺す腹づもりだろう。


「まあ、今回はすまなかったな。貧民街にも規律はある。外には決して出さねえものを、奴らは出した。それはこっちが悪い」

「……流通した薬は、一粒で、幻覚を見せるもの。あれは、貧民街では、流通してるの?」

「ああ……そういうのに頼らないと、やってられない時期が長すぎた。俺の縄張りじゃあ禁止してるが、それ以外なら普通にある」

「そう…………」


 グレイの目に一瞬見えた暗い闇。それを見たハクアは、彼らの生活というものを察してしまった。

 貧民街がどういう場所かはあまり知らぬが、その目に映るものだけで察せるものだ。


「ふっ。やはり違法薬物が普通に流通している野蛮な場所なのだな。であるならばもう消すしかあるまい」

「そういう悪い奴も一部いるが、大抵は善良な者達だ。悪い奴らもちゃんと処分した」

「そういう温床であることが問題なのだ。そんなものが王都の隣にあるなど虫唾が走る」

「だとしても皆殺しはないだろ! 犯罪者だけの捕縛に留めるべきだ」

「そいつらも今犯罪を犯していないだけだ。薄汚いマヌル人は近い将来大罪を犯すだろう」


 ガイデルの目に映るのは心底侮辱するような感情だ。

 彼にはどれだけ言葉を重ねたとしても、納得させることはできないだろう。己の中に貧民街を悪と断じるものがあって、それから逸れることは許されない。

 議論すべきでない人物だ。


「……彼の言葉には、一考するものがある。と、私は思います」

「ハクア様! 野蛮なクズの言葉など、聞くに値しません」


 だが上司であるハクアはグレイの言葉を信じ、それを考えようとする。

 貧民街に住むのは悪人ではなく、支援するべき弱者なのではないかと、そう考えていた。


「陛下には私から、進言してみる」

「良いね。姫騎士様は噂通りの善人らしい」


 ハクアの表情を読み取るのは難しいが、交渉は成立と見て良いだろう。

 国家と戦って勝てるはずがなく、交渉しか道はない。

 それを成功させたグレイは、貧民街を守ることができたと内心息を吐いた。


「ハクア様! こいつらはかつて奴隷だったマヌル人です! 我ら偉大なクリスタ人を騙すことも容易くやるでしょう」

「そんなことはしねえよ。人種差別はいけないね、騎士様」

「差別? 厳然たる事実ではないか。かつて野蛮の限りを尽くした悪の国。その末裔の言葉など、信じるに値しない」


 ガイデルはグレイに対し、侮蔑的な視線と罵詈雑言を浴びせかける。

 その下品な態度すら、彼は正義と見做すのだろう。貧民街の住人とは悪だからだ。


 しかしその言葉に、グレイは乗らない。

 ハクアはガイデルの言葉に靡く様子はなく、あくまで冷静に躱すことが最善だ。

 グレイの背に何千人の命が乗っている以上、下手な態度を取ってはいけなかった。


「ガイデル! それ以上の侮辱的な言葉は。騎士の品格を、落とすものと、慎んでください」


 ハクアはその口を塞ごうとし、しかしガイデルの顔はグレイを睨んだまま、さらなる罵声を浴びせようと口が止まらない。


「悪の限りを尽くし、奴隷に落ちたマヌル人に何を言おうと騎士の品格が落ちることはありません! こいつらは犯罪者です。先日は我々の任務を邪魔する五人のクズを殺しましたが──」


 ガイデルの口は、それ以上言葉を発せなかった。


「――今、何て言った?」


 グレイの目線が、ガイデルを舐るように見つめていた。

 グレイは決して冷静ではなかった。

 その目に映るものは──


「こっちは五人死んでんだ。それに目を瞑って平和的に行こうとした。それをなんだお前は」

「っ……」

「ウェンデル達を殺したのはお前か?」


 まるで蛇に睨まれた蛙のように、ガイデルは動けなかった。

 貧民街の者に怯えるなど屈辱でしかない。しかし体は正直なものだ。


「そ、そそ、それがどうした! 我らが任務を邪魔する者を殺す。騎士としては褒められる行為だ。腐ったマヌル人をいくら殺そうと、正義である」

「そうかい……なら俺も殺すか? ガイデル君」


 グレイは立ち上がり、ガイデルへと近づく。


「お、落ち着いて。ガイデル、それ以上は言うなと、言いましたね。あなたも一旦落ち着いて」

「お前じゃねえ姫騎士。俺はこいつに聞いている」


 ガイデルの数歩前まで歩き、その目を見つめる。


「や、野蛮人が……」

「…………」

「き、騎士を侮辱したら、どうなるか、思い知らせてやる! け、決闘だ!」


 ここで逃げることを、プライドが許さなかったのだろう。

 恐怖を押し殺し、騎士としてプライドでグレイに立ち向かいそう宣言する。


「ああ。俺も楽しみだよ。騎士とやらがどこまで素晴らしいのか知りたいねえ」


 挑発に乗ったガイデルに対し、グレイは暗い笑みを浮かべてそう言った。


 グレイは別に、此度の件を忘れたわけではない。

 その背には多くの命が乗っているから、無理矢理冷静になって目を逸らしていただけだ。


 本音は仲間を殺した騎士達を、同じ目に合わせてやりたかったのだ。


 故にもう、両者の戦いを止めることは不可能だろう。

 貧民街の住人を悪と決めつけるガイデルと、仲間を殺した張本人を見つけたグレイ。両者が合い入れることはない。


 争いに発展していく二人の様子を、ハクアはただ見ていることしかできなかった。

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姫騎士殺し 天野雪人 @amanoyukito

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