第三話 VS姫騎士
王国騎士最強に君臨する一人の少女について、知らぬ者を探す方が難しいだろう。
クリスタ王国第三王女にして、無敵の姫騎士ハクア・G・クリスタは生まれながらの最強である。
十歳の頃には騎士団長すら倒し、戦場に立てば千の軍勢を一人で薙ぎ払う。人類の突然変異とすら言われたその力で、十五歳の頃には王国の守護者と謳われるに至った。
その数々の伝説は誇張ではなく、判然たる事実と言うのが恐ろしい。
まさしく姫騎士は怪物であり、人外の化け物。
そんな姫騎士ハクアと戦うのは、グレイという貧民街出身の青年だ。
グレイは確かに強い。貧民街最強の実力者だし、騎士が五人がかりでも倒せぬ強者だろう。
しかしあくまで人類範疇の実力者であることも確かなのだ。
「……あなた、強いね」
「貶してんのか? クソ野郎」
剣と剣が一回打ち合っただけ。
それで両者は互いの実力差を認識した。
姫騎士ハクアには一切の感情を感じない。口元は微塵も動かず、黒い布で覆われた目元のせいでそれが顕著だ。
対してグレイは、大きく顔を歪めていた。
グレイが人類の中で最強ならば、ハクアは全生物の中で最強。
それぐらいの差があるとたった一合で痛感してしまった。
「あなたは、強いよ。信じられないけど、騎士団の団長クラス。あるいは、それ以上」
「お前に褒められても虫唾が走るだけだな。姫騎士」
二回、三回と剣を打ち合う。それは常人には視認することもできぬ一秒以下での剣戟だ。
その中でハクアの顔に変化はなく、汗一つ垂らすことはない。対してグレイはそのあまりに重い剣の一撃に、食らいつくので必死だ。
「なあ、なんでこんなことするんだよ。俺達はただ日常を生きていただけなのに」
打ち合いの中で、グレイは呟くように言う。
あまりに青天の霹靂である騎士の襲撃に、理由なんて見つからないのだ。
「……王都で、違法薬物が、蔓延している」
その疑問に答えるよう、ハクアは囁くように呟いた。
「その出所は、ここ。王命により、滅ぼす。こととなった」
「ああ……なるほど。わかったよ。よおくわかった。西地区のクソギャング共のせいか」
簡素なハクアの言葉で、グレイは今起きていることを察したらしい。
今まで貧民街を放置していた騎士団が急に来たのは、貧民街に巣くうギャング共が薬を王都にまで広めたから。
そうなれば騎士団が動くのは必至であり、最強である姫騎士が来るのも納得ができることだ。
「なら教えてやる。薬やってるのは西地区のギャングだ。ここに住むのは苦しい中で真っ当に生きている奴らばかり。貧民街っつってもな、悪いことしてるやつなんて一割もいねえ」
「…………」
「俺なら奴らのアジトも全部知ってる。そこへ連れて行こう。だから全部を壊すのは止めてくれ」
グレイは言葉によって姫騎士を説得しにかかる。
大切なのはここを守ることだ。戦うばかりが手段ではない。
相手の事情も理解し、平和的な解決を模索していた。
「本当に、ここの人達は悪いことを、してない?」
「ああ、俺が保証する。悪いことする奴がいたら俺が許さねえからな」
「……そう」
その言葉で、ハクアは剣を鞘に収めた。
「じゃあ案内して――」
「――なりませぬハクア様! 『火炎球』!」
「っ!」
話が纏まりそうになったその瞬間、グレイを焼き殺すかのごとく火球が真っ直ぐ放たれた。
それはグレイへと肉薄し――
「ちっ」
――剣の一振りで真っ二つにする。
不意打ちのように放たれた魔法も、グレイを倒すことはできなかった。
「何を、してるの?」
「ハクア様! このような場所に住む者が真っ当なはずがございません! そもそもここにいるのは大半マヌル人でございます。奴らの黒い瞳を見ればわかるように、全員汚らしい屑共ばかりです!」
「そうです! 目を覚ましてください!」
「なわけねえだろ! 俺達馬鹿にすんのもいい加減にしろよ!」
「ふんっ。臭い息を吐くな。汚れてしまう」
姫騎士ハクアがいるからか、騎士達はグレイを前にしても態度がデカくなる。
先ほどまで怯えていた姿から一変し、集団でグレイを罵りだした。
その目に映るのは貧民街の者達を心底馬鹿にする色であり、その言葉が本心から出ているものだと簡単に見て取れる。
「そ、それは言い過ぎ、です!」
「いいえ。事実です。何よりハクア様。国王陛下より下された命令は何だったか、今一度思い出してください」
「…………」
揺れ動いていたハクアは、騎士の言葉に動きを止めた。
「クリスタ王国に仇なす者達を、滅する……」
「そうです! 陛下は罪人たる薄汚いマヌル人を掃討せよとおっしゃった!」
「姫騎士! 俺の提案は互いにとって良いはずだ!」
纏まり掛けていた話が、急に変な方向へと向いていく。
グレイは慌てて声を上げるが、ハクアは急に空っぽになってしまったように動かない。
「……陛下の命令は、絶対」
「おい……それがお前の選択か?」
ハクアの呟いた言葉は、グレイの提案を切り捨て、貧民街を滅ぼすと受け止められるものだ。
せっかく話が纏まりかけていたのに、どうしてこうなった。
違法薬物をばら撒いたクズを処刑するのは理解できるが、無関係の住人までもを彼らは罪人と決めつけ傷つけようとする。
そんな下らないこと、許せるはずがないだろう。
「さあハクア様! あの愚か者を殺し、その魔法で全て焼き払っていただきたい!」
「……結局そうなるのか。わかったよ。じゃあやるしかないな」
交渉は決裂した。グレイは構え、躊躇なくハクアへと斬りかかる。
「守んないといけねえものが沢山あるんだよ!」
姫騎士という強者が相手であろうと、グレイが逃げることはない。
背後には守るべきものがたくさんあって、一歩引く度にそれが消えていくのだ。
恐怖なんて覚えている余裕はない。
「……っ」
「舐めんなよ。姫騎士」
グレイの凄まじい剣を、ハクアは軽々受け止めていた。
騎士達も手助けしようと囲んでくるが、その戦いに立ち入る資格を持ち合わせていない。
これは圧倒的強者のみに許された剣戟なのだ。
「……ここは、引いて」
「嫌だね」
「逃げるなら、追わない。私も罪なき人を、殺したくない」
「だけど全部壊すんだろ。駄目だろそれは」
「それが、王命……」
「命令されたらそんな下らねえこともやるのか! 姫騎士!」
たとえ生き残ったとして、貧民街が焼け野原になれば死んだも同然だ。
今まで放置してきた王国が、家をなくした貧民街の住人達を助けてくれるなど到底思えない。
故に守るために、剣を振るう。
しかし剣を重ねる度に、グレイは傷ついていく。
対してハクアは傷一つ負うことはない。
「はっ――」
「っ!」
そして僅かな隙をハクアは決して見逃さず、剣の一閃でグレイを吹き飛ばした。
その細腕からは考えられぬ力で、グレイは空を飛んで壁に激突する。
「はぁ、はぁ……強いな」
痛みはすぐに忘れて立ち上がるが、彼女に勝てるビジョンが見えない。
しかしグレイは諦めることなく立ち上がり――
「っ? これは……」
側に落ちていた死体を見つけてしまった。
「なんで……っ。殺された、のか」
四肢を切り落とされ、体中を刻まれた五人の男の死体だ。苦悶の表情を浮かべ、苦しみながら死んだことがわかる。
その顔を、グレイはもちろん知っていた。
知った顔が切り刻まれて、遊ばれて殺された姿に冷静さを失った。
「…………絶対、許さねえよ」
怒りはより静かになり、奥底で燃えたぎっていく。
騎士達に殺された仲間を見て、グレイの心は怒り以外の感情を捨てた。
足に力をこめると、奴らを殺すために一気に跳ぶ。
「姫騎士!」
「っ――」
グレイの剣は、ハクアの命を抉り取ろうと襲いかかった。
何度も何度も、両者は打ち合う。
だがどれだけ激昂したとして、届かぬ壁があるものだ。
格別たる最強とは、決して勝てぬ化け物だった。
「あなたはっ……」
「さあ、死合おうぜ」
形勢はハクアが有利だ。しかし互いの表情を見比べれば、それは真逆に見えるだろう。
いつまでも闘志を燃やし、恐怖をおくびにも出さぬグレイ。対して苦しげな表情で打ち合うハクアだ。
数秒、数分、数十分――その戦いは続いていく。
ハクアの顔は辛そうで、剣を振るうたびに口元が歪んでいく。
息苦しそうに剣を振るい、今にも膝を突きそうなほど覇気がない。
しかし結果はわかりきっているのだ。
グレイの敗北しか未来はない。
「ああ――」
グレイがどれだけ闘志を燃やそうと、ハクアにどれだけの苦しみがあろうと、両者の間にある実力差が残酷な現実を突きつけてくる。
だがボロボロになろうと、最後までグレイの闘志が消えることはなかった。
「許さねえよ――俺の大切なものに手え出すならよ」
「っ…………」
その目に燃え上がる焔を見て、誰が彼を侮るだろう。
死ぬまで決して止まることはないだろう。否、死してなお止まることはないと全身が叫んでいる。
「なんで、あなたは……そんな、強い」
「抱えるものが、沢山あるから!」
姫騎士ハクアは確かな化け物だ。その伝説は歩いているだけで耳にできる。
それと打ち合えているだけで、グレイという青年は間違いなく強者であろう。
だがその代償として、とっくに限界なんて超えているのだ。
守るために限界を超えても戦い続け――
「必ず殺してやる、姫騎士――」
ついに動けなくなり、倒れ伏した。
そう叫び、前のめりに倒れたグレイは、最後までハクアを睨んでいた。
あるいは倒れてもなお、睨んでいた。
◇
姫騎士ハクアは倒せない――
それはクリスタ王国において赤子でも知る常識だ。
騎士団長も、剣聖と謳われた達人も、敵国の軍勢も、誰も彼も姫騎士を殺せなかった。
そんな相手に立ち向かい、ボロボロになって戦い続けたグレイには、どうしても守らないといけないものが沢山あった。
ずっと昔から、その背には多くの命が乗っている。
だから、戦うのだ。
最初は己だけだったのに、気づけばその背に沢山のものが乗っていた。だがそれを苦しいとは思わない。
必死に守り続ける人生は、大変だけど楽しいのだ。
だから、それを壊されてしまうのなら、グレイは――
「――兄貴!」
聞き慣れた野太い声が、グレイの意識を覚醒させた。
ふと目を開ければ、泣きはらしたゴーズの顔が。周囲にも数名人がいて、グレイが起きたことに気づいて駆け寄ってくる。
「グレイさん、ご無事ですか!」
「俺達死んじまうかと思って」
みんな泣いていた。
多分ここは天国ではないだろう。ならば生き延びたということだ。
「状況はどうなった?」
「第一声がそれっすか? 兄貴もう三日は寝てましたよ」
「そうか。状況は?」
「……兄貴が姫騎士に倒されて――その後引いて行きました」
「なに?」
その言葉にグレイは目を見開いて体を起こす。
騎士達の言葉を信じるならば、グレイは殺され貧民街は焼き払われる手筈だろう。しかしゴーズは引き下がったと言った。
「俺達にも何が起きたかはわかんないっすけど、でも一先ず安心です」
「被害は?」
「建物が二十棟は燃えて、あと……五人死にました」
「そうか……」
建物が燃えるのはまあいい。思い出が沢山あるが、立て直せるものだ。
しかし人は取り返すことができない。
「五人……入り口で見張りをしてたウェンデル達だな」
「はい……」
グレイの言葉に、ゴーズは目を伏せた。
「あの野郎共。騎士に突っかかったのか……だろうな。そういう奴らだ。みんなを逃がすためにそうやったんだろ」
死んで良い奴らじゃなかった。
誰よりもここが好きだから、守るために見張りをしてくれた男達だ。
でも騎士達を前には無力であり、逃がす時間を作った末に死んだ。
「あいつら……今度の祭り、楽しみにしてたのに」
「そうっすね」
「……行かないと」
グレイはベッドから立ち上がり、歩き出す。
「あ、兄貴どこへ!?」
「……落とし前をつけにだよ」
ボッコボコに負けてどうなるかと思ったが、体の調子はすこぶる良い。
なぜか体中の傷が癒えており、もう休む必要もないだろう。
「そ、それって。い、いやでも三日寝てたんすよ! 休まないと」
「騎士達がもう来ないなんて保証はどこにある?」
今回引いたのはあくまで気まぐれ。あるいは準備を整えるため。そう考えるのが一番しっくりくる。
ここでもう大丈夫なんて安心できる脳天気な頭は持ち合わせていなかった。
「でも起きたばかりなのに」
「不思議と調子が良い。何でか知らんが、これならまだ戦える」
心配そうに止めてくるゴーズ達。そんな彼ら、そして多くの住人の命をグレイは預かっているのだ。
故に立ち止まらない。
「安心しろ、上手くやる。一班を全員集合させてくれ」
グレイの心は酷く冷静だった。
大切な場所を守るため、今何をしないといけないのかをちゃんと理解している。
その目には、ゆらりと燃え上がる覚悟と闘志が見て取れた。
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