不格好な椅子

春巻イズミ

不格好な椅子

 久しぶりの豊橋公園は、どこかよそよそしい雰囲気に満ちていた。


 すっかり古くなった歩道の煉瓦も、紅葉を風に揺らす木々も、なんだか私を拒絶しているような気がする。行き交う人々の幸福そうな顔とすれ違うたびに、その感慨は強くなっていく。


 彼らの中に、私はいない。無関係な人々の中で、私はひとりで立っている。


 ──ここはもう、自分の居場所でないのだ。


 高校を卒業すると同時に、私はこの地を離れ、東京へ居を移した。そこで大学へ通い、就職した先は横浜にオフィスがある。これらの都市の、無機質とまでは云わないまでも硬派な街並みに慣れてしまった私には、この公園は穏やかにすぎる。


 空気も、人も、時間の流れでさえも。すべてが緩慢で、柔らかい。


 それが苦手に感じる自分に、どこか悲しい思いがした。歳をとるとは、こういうことなのだろうか。


 疎外感に気圧されて、私は人通りから抜け出し隅のベンチへ座り込んだ。


 かん、かん、かん……


 鼓膜を揺らすこの音は、鎚が釘を打つ音だ。


 今日は、豊橋まつりである。広場で楽器の演奏が行われたり、出店が屋台を構えたりする一方で、地元の大工連合が毎年、ものづくり体験会というイベントを催すのだ。


 公園に隣接した美術館の駐車場を使い、誰でも日曜大工を楽しめるよう工具や材木が揃えられている。長さのさまざまな釘がかごに入れて分けられていて、これと木材、のこぎり、それからトンカチを使って簡単な木工品を作るのだ。


 昔は私も、ここの常連であった。まつりの期間は毎年のようにこの駐車場へ出向き、簡単な椅子から棚、机など、いろいろ組みあげた。大人になったいまとなっては、その時分の情熱が不思議に思えるほどに、私は鎚を振るう気が起きなかった。


 社会性と引き換えに、私の創造性が失われてしまったかのようである。


 しかし、それで困っているという訳では決してない。


 今回の帰省はそもそも、日曜大工をするためのものではない。地元の友人に会いに来たとか、実家に顔を出すとかといった、郷愁のためのものでもなかった。


 単に、私の好きな作家が講演をするというので、数年ぶりにはるばる帰って来たのだ。


 ──そういう意味では、帰って来た気がしないのは寧ろ、当たり前の結果なのかもしれなかった。


 講演まではまだ時間がある。私はショルダーバッグから文庫本を取り出した。単調な描写の続く、翻訳物の探偵小説だ。こういうのんびりした場所でないと、どうにも捗らないのだ。


 ついついと読み進め、十ほど頁をめくった頃、隣に誰かが腰を下ろした。


 ちらと伺うと、若い女性である。といっても、私と五つは離れていまい。二十歳を過ぎたくらいだろうか。黒い長髪が真っ直ぐ背中に垂れている。着ている服は地味な色をしていたが、シャツもスカートも質の良さそうな生地に見えた。


 一目見た印象で云えば、可愛らしいひとだった。


 彼女は、しばらく下を向いて周期的にため息を吐いていた。まるで深呼吸でもしているようにも聞こえる。


何か厭なことでもあったのかしらん、などと取り留めもなく考えていると、隣から不意に、


「このベンチ、座りやすいですよね」と呟くのが聞こえた。


 私は初め、それが自分に対する発言だとは思わなかったので、しばらく黙って活字を追っていた。


 すると今度はこちらに顔を向け、はっきりと発音する。


「ねえ、そう思いません? 座り心地、抜群ですよね」


「はあ、そうですかね」


 ベンチなのだから、つまり、座るための造形物なのだから、座りやすくて当然だろう──それが本音であった。しかし見知らぬ女がどういう意図で座り心地を褒めているのか判らなかったため、私は言葉を濁すしかなかった。


「確かに、身体にフィットするような気がしますね」


「そうなんですよ。きっとこのベンチは、優しいひとが作ったにちがいないのです」


 また変なことを云いだしたぞ、と私は警戒する。ベンチの押し売りかなんかだろうか。そうだとすれば、いや、非常に面白いのだけれど。


「優しいひとが作ると、ベンチもよくなりますか」


「はい、きっと。だって、座り心地がいいということは、座る人間のことを考えて作られたものだって証ですからね。思いやりが感じられます」


 それは座りやすい造形の方がよく売れるからじゃないのか、とか、設計した人間と生産に携わった人間とを分けて考えるべきじゃないのか、とか、云いたいことはいろいろあった。


 けれど私はどうやら、事なかれ主義に肩までどっぷり浸かっていたらしい、


「そういうものですか」


 などと調子を合わせていた。


 そのうち会話が途切れて、私は元のとおりに文庫本の紙面へ目を落とした。それからどれくらい経っただろう、


「あの」


彼女が突然、こちらを向いて、話しかけてきた。そうして、


「わたしの復讐に、協力しませんか」


 そう云った。


 私はその、飛躍した内容の提案に吃驚してしまい、しばらく口が利けなかった。ぽかんと口を開けたまま静止した私は、さぞ間抜けな面をしていたことだろう。


「あの、もしもし?」


「ああ、申し訳ない。聞こえています、聞こえてますよ」


「ならよかったです。それで、どうです? 少ないですが、お礼はしますよ?」


「へえ」


 そこで、いくら出るのか訊けるほど、私は平和ボケしていない。こんな怪しい話には、初めから乗らぬのが吉である。もし本当に彼女が復讐しようとしているのなら、その片棒を担ぐのはリスクが大きい。


 だが──その危険が霞むほどに私は、この話が面白いと思ってしまっていた。


 復讐を成し遂げるために、豊橋公園の隅でぐったりと座っていた男を捕まえて、あまつさえ金を出すから協力しろと迫って来る。それも、小柄な女性が単身で、である。


 長くわすれていた、子供のような好奇心が沸々と、腹の底から湧き出してきた。もはや走り出したくなるほどの興奮が、頭の中に充満しつつある。


 こんな面白そうな事件、そうそう起こるもんじゃない。何事も経験である。この機を無駄にしては一生後悔するだろう。


「報酬はいいですよ。取り敢えず、何をするのか聞かせてもらえませんか? ぜひ一枚かませてください。誰かに直接危害を加えるというのでなければ、ですが」


 すると女はにいと笑い、


「別に、誰かを貶めてやろうとか、暴力を振るってやろうとか、そういうサスペンスなことはしませんよ。これは精神的な復讐なのです。といっても、ちょっと思い知らせてやろうというだけですよ」


「思い知らせる?」


「まあ、ええ。わたしはここにいるぞぉ、みたいな」


「それが復讐になるんですか?」


 すると彼女はくすくすと、忍び笑いをする。それは、まるで少女のように無邪気な仕草だった。肩が小刻みに揺れているのを見て、私は不思議と好感を覚えた。


「それが、なるのです」


「ははあ、まあ、わかりました。それで、僕に何をしろと云うんです?」


「実は、もともともうひとり、協力者がいたんですけど、熱出して寝込んでるんですよ。それで、あなたには代わりを務めてもらいたいのです。──作家の、林紀太朗ってご存じですか? その人、東海地方の出身らしくて、今日、そこの公会堂で講演するんです。それを聴きに行ってもらえませんか。チケットは当日券がまだある筈です」


 その講演は、もともと聴講予定のものだった。だからそれ自体には問題がないのだが、しかし、意図が読めない。


「聴いて、どうするんです? ぼくは何をすれば?」


「実は、この件で取引をしている相手とのやり取りが、その講演の中で行われるのです。向こうはこちらの事情なんて知りませんから、誰かが行って、メッセージを受け取らねばならないのです」


「なるほど。その人物とは表立って話すことはできないと」


「その通りです。あなたには、その人物から数字を聞いて来て欲しいんです」


「数字?」


 私は首を傾げた。暗号のようなものだろうか。


「その数字は、わたしには意味の通るものなんです。それで、その伝達方法なんですが、咳の回数です」


「咳。ふうむ、しかし、誰の咳を数えればいいんです?」


 女はなぜだか得意そうな顔をして、背筋を伸ばした。人差し指を立てて、説明を続ける。


「講演の折り返しの時間帯に、二階席の前の方に座る客がひとり、席を外します。そうしてホールから出て行く直前、扉の付近で複数回、咳払いをするはず。その回数を覚えておいてください」


「それだけですか?」


「それだけです。聴講し終わったら、またこの場所へ戻ってきてください」


「その間、あなたはどうするんです?」


 講演自体は二時間つづく予定である。そんなに長い時間、待たせてしまってよいのだろうかと、不安になった。


「わたしには、まだまだ他にやることがあるのです」


 だからあなたに頼んでいるのです──と、当たり前のことを訊くなと云いたげな口調で答えた。


 なんだか掴みどころのない話だったが、私は深く考えないことにした。詳しい話はあとで、落ち合ったときにでも訊けばいい。講演の時間が近づいてきたため、私は文庫本をバッグにしまい、立ち上がった。


「それじゃあ、行ってきますね」


 歩きかけた私を、座ったままの彼女が呼び止める。


「あの、報酬についてはあとで考えるとしても、講演のチケット代を先にお渡ししないと」


「ああ、それなら問題ないですよ。もともと、その講演は聴く予定でしてね、今日ここへ着いた時に券は買ってあるのです」


「そうだったんですか。なら、ちょうどよかったですねぇ」


 そこで私は気になって、こんな質問をした。


「そういえばさっき、当日券はまだ買えるはず、とおっしゃってましたけど──どうしてそう思ったんです?」


「いえ、さっき様子を見に行ったんですが、席は半分程度しか埋まっていなかったんです。今日中に全部埋まるとは思えませんから、残っているだろうと。会場のキャパシティが広すぎるんですね」


 納得した私はなるほどと頷いて、片手を上げながら踵を返した。では後ほど、だなんて、似合わない台詞まで吐いて。私は意気揚々と歩き始めた。


       ***


 何度か足を運んだことのある公会堂は、いつ見ても感嘆するほど洒落た造りをしている。白いコンクリート造りの三階建てで、聞くところによるとロマネスク様式と呼ぶらしい。


 正面に広い階段があり、玄関へと通じている。階段を登り切ったところには柱が六本並んでおり、それぞれをアーチのように繋ぐような装飾が施されている。左右にはひとつずつ、小さなドームが頭を出して、建物の輪郭を象っている。


 建物の中へ入り、受付を通ってホールに入る。もうじき講演が始まるという時間なのに、なるほど席は埋まっていない。一作家の講演に、数百人の収容人数は過剰というわけだ。


 座席は自由ということだから、さてどこへ陣取ろうかと迷う。しかしすぐに、座るべき場所に思い当たった。


 確かあの女性は、取引相手が二階席に座るというようなことを云っていた。この公会堂のホールは、壇のある二階部分にあたる席と、三階部分から張り出した席の二種類がある。


 ということは、私は二階席のうしろの方──咳がしっかり聞こえる位置──に陣取ればいい訳だ。私が腰を下ろしてすぐ、司会が挨拶を開始した。


 そこでふと、あの人の名前を聞いていないことに気が付いた。


 講演は取り立てて特筆するようなこともなく、つつがなく進行した。やがて一時間が経とうというころ、休憩が挟み込まれる。つまりこの辺りで、折り返しとなるわけだ。


 私は前方の席を眺めながら、あの女に担がれたかな、という確信を強くした。ここまで、特にそれらしき振る舞いをした客はいなかった。途中で席を立ったのは二人ほどいたが、そのどちらも咳ひとつしなかった。


 そもそも、講演に行って咳の回数を数えてこいだなんて頼みごとが、現実離れしている。咳払いの回数で情報交換をするよりも、もっと確実で、隠匿性の高い手段はいくらでもあるはずだ。わざわざひとの集まった公の場ですることはない。


 考えれば考えるほど、現実離れしている。というか、やはり、意図がわからない。


 話の内容に一段落がつき、そろそろ休憩に入ろうかとスタッフが時計を覗き込んだ頃のことである。


 ひとりの女性がすっくと立ち上がり、こちらへゆっくりと向かってくるではないか。


 私は身体を固くした。その女は二十歳くらいか、金色に染めた髪を後ろで縛り、白藍のワンピースを纏っている。スニーカを履いているのか、足音はせず、ほかの客はあまり気にしたようすを見せなかった。


 優雅にもうつる歩行で私の横を通り過ぎた彼女は、扉に手をかける手前で二回、咳払いをした。そうして扉を押し開きながらもうひとつ追加で喉を鳴らした。


 計三回──そう記憶にとどめたところで、前半の部が終了した。


 休憩時間が終わるころになって、先ほどの女性がホールへ戻って来た。気が付いたときには私の脇を通り過ぎていたから、いかなる接触も計る余地はなかった。


 しかし、そもそも、私が巻き込まれている──もとい、参加している──この復讐とやらにおいて、あの女性と直に接触できないからこそ、こんな回りくどい方法をお採っているのだ。変な気を起こさなくてむしろ幸いだったのかもしれない。


 ともかく、その程度の考えに頭が回らないくらいに私は、この計画の真偽が気にかかっていた。


 担がれているとすればそれでいいのだが、それならそうと、早めに知りたい。それから、もしこれが本物の復讐劇だったとして、全容がまるで見えないのがだんだん不安になってきている。


 私はこのまま、流れに身を任せていていいのだろうか?


 流された先が地獄の釜でないことを、頭の半分で祈りながらも、私は聴講を楽しんだ。悲観的なのか、楽観的なのかわからない。たぶん、中途半端なのだ、私は。


 講演が終わり、身支度を整えて立ち上がるころには、咳払いの彼女はすでに退出したあとだった。


 私は名前を知らない女性との契約を果たすため、公会堂を出て、数時間前にいた場所へまた足を運ぶ。


 そこは、駐車場と広場を結ぶ道すがらにある、木製のベンチである。


 そのうえには、依頼人の女性の姿はなく、代わりになにやら不格好な形の椅子がじっと立ちすくんでいる。


 はて、なんであろう、あれは。


 まず足の長さがバラバラで、それゆれ座版が斜めっている。背もたれもいい加減にこしらえたのか、座版から伸びる四本の棒はめいめい異なる方向を向き、上部で繋がっているのは両端の二本のみである。


 ひどく不安定で、座る事すら厳しいうえに、背もたれに体重をかけるのにも勇気がいるという不親切設計。


 彼女の言葉を借りるなら、この椅子を作った人間は心根の優しい人間ではない。


 表面は、新しい木のそれだ。つまり、作られてからまだ日が浅いといえる。ニスも塗られていないところを見るに、素人の手によるものであろう。


 そうして眺めているうちに、ちょうどこんな形の椅子を見たことがあることに気が付いた。


 見おぼえがあるというより──それは、私の手がけた作品に酷似していたのである。


       ***


 中学三年生の時分である。


 その日は部活が午前中で終わったあと、豊橋公園へ赴いてせっせと工作に励んでいた。

 

 数年の経験を積んでいた私は、ある程度大きな、複雑なものでも手掛けることができるようになっていた。とは云っても、一介の中学生の技術だから、大したものが作れるわけではない。


 それでも、拙い工作が思い通りに出来上がったときの達成感というのは、筆舌に尽くしがたいものがあった。


 私が作業していると、年下の女の子が遠巻きにこちらを眺め始めた。その顔には見覚えがあった。


 私と同じ小学校の出身で、当時は私と同じ中学校の一年生だった。大して話したこともなかったが、見知らぬ人間というわけでもない。なんとも云い難い距離感だった。


 この年頃にはよくあることとして、校外で学友とばったり出くわすと、何だか気まずさを覚えることがある。それが異性となれば尚更で、親しくなければ確実に知らぬふりを貫き通す。


 さらに彼女は、私と二つしか歳が変わらない。小さな子供ならいざ知らず、進んで相手をしてやる必要性があるようには思えなかった。


 だというのに、しばらくすると彼女は私の傍まで近づいて来て、その仕事ぶりをまじまじと観察し始めた。


 気恥ずかしさと、煩わしさで、私の心は正直平穏ではなかったが、黙々と手を動かし続けた。木材を台のうえで踏みつけ固定し、のこぎりで少しずつ切断していく。


 棚の組み立てに入り、一段落がついて手を休めたとき、その後輩がいきなり話しかけてきた。当所の私は、彼女が私などに構う理由に見当がつかず、大いに戸惑ったものである。


 記憶が曖昧だが、たしか、何を作っているのかと訊かれたのだ。それで、部屋に置く棚を作っているとかなんとか、答えたはずである。


 その後のやり取りは、なんとか憶えている。


「うちにも何か作ってくださいよ」


「……自分でやったら」


「やったことないし」


「そこらの人に訊きゃいいじゃん。イチから教えてくれる」


「まあ、そうかもしれませんけど」


 そう云ってむくれた顔の少女を見て、何か作ってやるかという気になった。これはいまでも不思議である。子供のころの私は、意外とお人よしだったのかもしれない。


 だが、その日はそれ以上、のこぎりを使いたくはなかった。木を切るというのは、なかなか大変な作業なのだ。


 ──そうだ、だから私は、切れ端の木材をそのまま流用して、椅子のようなオブジェを作ってやろうと思い立ったのだ。木を切るのに比べたら、トンカチを振るう方が楽だし、面白い。


 それになにより、自身の工作に使う時間が短くなるのが厭だった。作業工程は、少なくて済むならそれに越したことはない。


 切れ端をかき集めて、ろくに考えもせず作ったものだから、その出来栄えはひどいものだった。もともと、実用に足らなくても仕方なしと拵えたものであったが、それにしたって歪み過ぎていた。


 その完成品をぶっきらぼうに渡した時の、彼女の顔はあまり覚えていない。ただ、ひどく衝撃を受けているというか、落胆しているようすであったのは記憶している。


 その数か月後、私は地元の高校に進学して、彼女ともう一度顔を合わせる機会はついに一度もないままだった。


 ──そんな過去のあれこれが、一挙に頭を駆け巡った。


 私はしばし、その思い出深くなってしまった記憶たちと戯れながら、ぼんやり立ち尽くしていた。


 そうしてようやく思い至った。復讐は、すでに為されたのだという事実に。


 視界の端からひょっこりと、復習者が顔を出した。にやにやと悪戯めいた笑みを浮かべながら、こちらへ歩いてくる。


 それで、私の想像は確信に変わった。


 彼女が思い知らせたい人間と云うのは、誰あろう私のことだったのである。


 復讐とはつまり、過去、自身に大変不格好な椅子をつかませた唾棄すべき性悪に、同じように不出来な椅子を突き付けることだったのだ。


 目には目を。歯には歯を。


 ハンムラビ法王は今日、私の姿を認めると、このささやかな復讐劇を思い付いたのだろう。そうして私に接触すると、偽の復讐計画をでっち上げて、公会堂で二時間の講演を聴講するよう誘導したのだ。


 そこで友人かなにかに持ち掛けて、一芝居打たせた。その芝居といっても単純で、講演を中座してひとつふたつ咳ばらいをするだけなのだから、大した労働ではない。


 たったそれだけで私は安心して、講演をしっかり最後まで聴き果せたのである。成果は上々だったと云えよう。


 そしてこれこそ、この計画において重要なポイントだっただろう。彼女が事を終えるまで、私に自由に動かれる訳にはいかなかっただろうから。だから、屋外コンサートや人によって滞在時間の異なる美術館ではなく、時間通りに進行し、かつ屋内で行われる講演会という場が必要だった。


 公会堂に私を釘づけにしておいて、彼女はひとり駐車場で工具を振るい、わざと不出来な椅子を作り上げた。そうして完成したそれを、待ち合わせ場所に安置しておいたのだ。


 ──私に、過去の所業を思い出させるためだけに。


 なんて──なんてささやかな復讐だろう。


「ふっ」


 私は、堪えきれずに吹き出してしまった。


 私にこうして見せつけるためだけに、せっせと木材を切り、わざと不格好になるよう釘を打つ彼女の姿を想像すると、おかしくて仕方がない。


 十年もまえの出来事を憶えていて、根に持っているというのも驚きであったが、それよりもそのトンチキな行動力が常識破りだ。


 あまりに健気で、あまりに無邪気な復讐であった。


 私が椅子と彼女を見比べながら笑っていると、不意に彼女が椅子を持ち上げ、不敵な表情でそれをひっくり返した。


 座版の裏面がこちらを向く。そこには、


〝思い知れ〟と黒いマーカで殴り書きされていた。


 それを見て、私はまた声を上げて笑った。今度は、彼女も微笑んだ。そうやってしばらく向き合っていた。


 ひとしきり笑ったあと、私は椅子を受け取りながら、彼女の名前を訊こうと口を開いた。


 そこへ、秋の香りを運ぶ、柔らかな風が吹きこんだ。

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