第51話
「ふウン。」
黒ピリピリが指先をピッと跳ねさせると、鏡はたちまち消えてしまった。
「さっちゃんは…」
「黄泉路辿っテ来るンだロウ。」
「見せてくださいよぉぉ!」
「見テどうすんダ。弱っチいト気ガ触れるゾ。」
「さ、さ、さっちゃんはそんなところを…やっぱり来ちゃ駄目!私が戻ります!こっちですか!!?」
「オぅイ、あんマり動カないほうガいイゾぉ。」
意を決して立ち上がる。
と、首から上だけもんのすごい暴風と氷の嵐にボコボコに殴られて慌ててもう一度しゃがんだ。
「ぶへぁ!死、死ぬかと思った!」
「もう死んドるワイ。」
「あはは、そうでした。」
「濃い結界だが、そのブン小さイ。大人シく待ってロ。」
「…はい。」
「あの娘ナら辿り着クだロ。栴が付いテりゃなんの障モねェ。ファ、オマエの方が時間トの勝負ダぞ。」
「私…?」
さっちゃん、黒ピリピリにも一目置かれていたとは。嬉しいような、拐かされやしないかと空恐ろしいような。
「あの…さっちゃんのことなんですけど」
「オ?」
「今でも、黄泉に迎える約束って残ってるってことですか?」
「イツ来るんダろうナァとハ思っテルぞ。」
「うっ…で、でもそれって、本人の気持ちも大事ですよね?」
「アァん?ナニが不満ダっていうんダァ?」
「ごっごめんなさいっ!…でも、さっちゃんが嫌がってるのに無理矢理連れてっちゃうとかはやめてくださいね!」
「そんナ野暮するかヨ。」
ちょっとホッとして、黒ピリピリさんを改めて眺める。
黒い。なんだか吸い込まれそうな黒さ。こちらを見ているのか、見ていないのか。心まで見透かされているような得体の知れなさだ。
黒ピリピリさんはこちらの気を知ってか知らずか、鞠のように一度ピョンと跳ね上がった。
「姫ガ来るナァ。」
「はぁ。」
「こうシちゃイラれン。目ガあるト馴染みやスイ?」
「へ?まぁーねぇ、そうですね。」
ピリピリに、金の瞳がパチパチと瞬きした。
「わ、すごく良いです。」
「あとハ?」
「え?あとは、耳とか」
耳がいろいろ生える。
「首とか、身体とか」
あっという間に丸から首と胴体が分かれた。
「…しっぽ」
にゅるん。尻尾がパタパタ。三本もあるけど。
「ふ、ふわふわツヤツヤの毛…わぁっかわいい!なんかかわいくなってきました!」
ピリピリをしまって、ふぁさぁっと滑らかな毛並みを纏う。
口にした通りに変化していくのが楽しくなってきた。もしかして、いや、もしかしなくても。黒猫さんは、本当にさっちゃんと良好な関係を築こうとしているんじゃないか。
せっかくだからとことん変身してもらおう。だってそのほうが、さっちゃんだって喜ぶでしょう。
「耳をどれか一つにしませんか?あ、いえいえ左右で一対。そうそう!」
「あと尻尾もどれか一本でいいです。このツヤツヤなのがいいかな」
「あとおヒゲが」
「口元の形が」
そしてあっという間に完成した。
「猫!こんな可愛くなれるんですね。なんでピリピリしてたんですか、勿体無い。」
「ソりゃ楽だモン。」
「そっかー。さっちゃんも、こんなかわいい黒猫さんなら喜びますね。」
「そうカ?」
黒ピリピリさん改め黒猫さんは、まんざらでもなさそうに喉をゴロゴロ鳴らしてみせた。が、どうも低く雷鳴が轟くようにしか聞こえないので笑ってしまった。仕方がない、猫の形はしていても中は別物だから。
(さっちゃんと、仲良くしたいと思ってるんだよね、たぶん。)
そこから、黒猫さんとおしゃべりが始まった。さっちゃんは普段どんな暮らしをしているのかとか、好きなものはなんなのかとか。さっちゃんを迎え入れたいという話は、やっぱり前向きな意味だったのかもしれない。黒猫さんは、さっちゃんに会えるのを楽しみにしているように感じられた。
それから栴様の話題に移った。黒猫さんが言うには、「最近アイツハ寄り付キもしなくナッて」「近頃ハ全然遊ばナくナっちゃった」んだそうな。こんな過酷な環境で何して遊ぶんですかとたずねたら、かくれんぼとか水遊びだと黒猫さんは笑った。ちょっと信じがたい光景だけど、慣れてると遊べるのかしら。なんだか言葉の端々に栴様を子ども扱いしている節が多くて、いよいよこの黒猫さんは一体何者なんだと思われてくる。
それからご主人様について。元気にしているのかと聞かれて、私もしばらく会っていないので正直に分からないと答えた。黒猫さんも「ふウん。」とだけ言って、そのまま黙り込んで尻尾をパタパタしていた。
ちょっと話さないでいると頭がボーッとし始めて、くわんくわんと目が回ってきた。
「な、なんだかすっごく、眠い?」
「オ?なんダ栴のヤツ、遅いナ。」
「さっちゃんに何かあったんでしょうか…」
「さアナ。ホレ。」
「ふぶっ」
いきなり前脚で右頬を叩かれ一気に目が覚める。もう殴られたと言ってもいいくらい痛かった。
「正気を保テ。崩れたラ知らンかラナ。」
「はいっがんばります。」
気を失ってはいけないらしい。黒猫さん、なんだかんだで助けてくれている。
「ありがとうございますっこのお礼は必ず」
「じゃア幸の好物ヲもっと教えロ。」
「黒猫さん、さっちゃんに会うの楽しみにしてますよね?」
「べつニ?」
「ふふ。さっちゃん、甘いものが好きみたいです。」
「甘イものッテ、どんナ?」
「春になると花の蜜をよく吸ってます。甘い草もよく知ってるし。あと蜂たちに集めた蜜を分けてもらって、木の実にかけて食べたりとか」
「ホウほウ。蜂ノ子も合うカ?」
「蜜ですって。蜂蜜。」
「なんデ食ワナい?訳ガ分からン。」
「虫は私も食べませんねぇ…」
「フうン。他ニハ?」
「そうですねぇ」
その時、風の音の中に別の音を聞いた。ぐるぐる巻きの御衣を掻き分けて振り返る。
「さっちゃん!」
暴風雪の向こうから、小さな影が駆け寄ってくる。両腕を伸ばして抱き止めた。背中に回された両腕でぎゅうっと締め付けられ、頭をぐりぐりと胸に押し付けられて「痛い痛い」と笑いながら、愛おしさで涙が溢れた。
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雪花東征一代記 星のえる @MarthaA
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