【SF学園短編小説】虚数解の彼女、あるいはコードの向こう側の君へ(約6,700字)

藍埜佑(あいのたすく)

【SF学園小説】虚数解の彼女、あるいはコードの向こう側の君へ(約6,700字)

◆第1章:『琥珀の瞳に宿る謎』


 春風が桜の花びらを舞わせる中、私立琥珀学園の2年A組に、ひとりの転校生がやってきた。


「転校生の……九重ここのえ螺子らせんさんです」


 担任の柊木ひいらぎ先生の声に、教室中の視線が黒板の前に集まった。


 そこには、長い黒髪を後ろで一本に結んだ少女が立っていた。その髪は、夜の帳のように漆黒で艶やかで、月光を浴びた静かな湖面のようにしっとりと輝いていた。髪を束ねる赤い紐は、闇夜に咲く一輪の彼岸花のように鮮やかだった。


 大きな瞳は琥珀色で、どこか遠くを見つめているようだった。その瞳は、太古の樹脂に閉じ込められた時間そのものを映し出しているかのように深く、神秘的だった。長い睫毛が、蝶の羽ばたきのように繊細に揺れる。


 彼女の肌は、朝もやに包まれた白磁のように滑らかで透き通っていた。頬には、ほんのりと桜色の花弁を散らしたような薄紅色が差していて、触れれば砕けてしまいそうなほど儚げだ。


 小さな鼻筋は、彫刻家が何年もかけて完成させた傑作のように整っていた。その下にある唇は、露に濡れた薔薇の花びらのように艶やかで、かすかに開いた唇の間から覗く歯は真珠のように白く輝いていた。


 すらりとした首筋は白鳥のように優雅で、鎖骨の陰影は水墨画の一筆のように繊細だった。制服の襟元から覗く肌は、月明かりに照らされた雪原のように白く輝いていた。


 風に揺れる髪の毛先が、糸を引くように宙を舞う。それは、まるで彼女の周りに見えない結界が張られているかのようだった。


 螺子の存在そのものが、現実離れした美しさを放っていた。それは、まるでこの世界の論理から外れた、異空間から来た存在のようだった。彼女の周りの空気さえも、彼女の神秘的な雰囲気に染まっているかのように感じられた。


 その姿は、見る者の目を釘付けにし、息を呑ませるほどの衝撃を与えた。まるで、この世のものとは思えない美しさが、教室という日常の空間に突如として現れたかのようだった。


「九重です。よろしく」


 螺子の声は、まるで機械が話しているかのように無機質だった。


 教室の空気が一瞬凍りついたように感じた僕――高遠たかとお理人りひとは、何か不思議な予感に包まれた。心臓が少し早く鼓動を打ち始める。これは期待? それとも不安? 自分でもよく分からない感情が胸の中でうねっていた。


 螺子は僕の隣の空き席に座った。彼女から漂う不思議な雰囲気に、クラスメイトたちは戸惑いを隠せない様子だった。


「みんな、九重さんと仲良くしてあげてください」


 柊木先生の言葉に、クラスメイトたちは曖昧に頷いた。


 授業が始まり、螺子は真っ直ぐ前を向いて先生の話に耳を傾けていた。その姿勢は、まるでプログラムされたロボットのようだ。


 僕は思わず、隣に座る彼女の横顔を盗み見た。その瞬間、螺子の目が僕を捉えた。琥珀色の瞳に映る僕の姿。そこには、何か言葉では表現できない深い何かが潜んでいるように感じた。


 授業が終わり、昼休みになった。クラスメイトたちが三々五々集まって話し始める中、螺子はひとり静かに席に座っていた。


「あの、九重さん。放課後、学校案内してあげようか?」


 僕は思い切って声をかけてみた。どきどきする心臓を押さえつつ、できるだけ自然に振る舞おうとする。


 螺子は僕をじっと見つめ、わずかに頷いた。


「ありがとう。でも、私には案内は必要ありません」


 その言葉に、僕は不思議な違和感を覚えた。初めて来たはずの学校なのに、案内が必要ないだなんて……。


「そ、そう? でも、せっかくだから少しくらい案内させてよ」


 僕は少し強引に誘ってみた。螺子の琥珀色の瞳が、不思議そうに僕を見つめる。


「……理由を教えてくれる?」


 螺子の質問に、僕は一瞬言葉に詰まった。そうか、なぜ僕は彼女に声をかけたんだろう?


「えっと……」


 僕は必死に言葉を探す。


「きっと、九重さんのことをもっと知りたい……からかな」


 正直な気持ちを口にした瞬間、螺子の表情がほんの少し和らいだような気がした。


「分かりました。じゃあ、お願いします」


 螺子の返事に、僕は思わずほっとため息をついた。


◆第2章:『パラドックスの書と歪む日常』


 放課後、僕は螺子さんと一緒に学校を歩いていた。


「ここが図書室で、こっちが体育館」


 僕が説明するたびに、螺子は小さく頷いていた。しかし、彼女の目は常に何か別のものを探しているようだった。


 図書室の前で、螺子さんが立ち止まった。


「少し、中を見てもいいですか?」


「うん、もちろん」


 図書室に入ると、螺子は迷うことなく奥の古い本棚に向かった。そこで彼女は、まるで最初から知っていたかのように、一冊の本に手を伸ばした。


「九重さん、その本は……」


 僕が声をかけると、螺子は振り返った。


「これは、『パラドックスの迷宮』。私が探していた本です」


 その本は、図書室の誰も手を付けない古い哲学書だった。表紙には複雑な幾何学模様が描かれており、何か不思議な魅力を放っていた。


「どうしてそんな本を?」


「これは、全ての鍵なんです」


 螺子さんの目が、不思議な光を放った。その瞳に映る僕の姿が、まるで別の世界の住人のように感じた。


「全ての鍵? それってどういう意味?」


 僕の質問に、螺子さんは少し考え込むような仕草を見せた。


「理人君は、この世界に違和感を感じたことはない?」


「違和感?」


「そう。例えば……」


 螺子は窓の外を指さした。


「あの桜の木。毎日同じように咲いているけど、本当にそうですか?」


 僕は混乱した。確かに桜は毎日咲いているけど、それがどうしたというんだろう?


「九重さん、それはどういう……」


 僕が聞きかけたとき、図書室のチャイムが鳴った。


「閉館時間ですね。そろそろ出ましょう」


 螺子は静かに本を元の場所に戻した。僕は何か重要なことを聞き逃したような気がして、モヤモヤした気分のまま図書室を後にした。


 帰り道、螺子さんは黙って歩いていた。その背中を見つめながら、僕は彼女の言葉の意味を考え続けていた。


 家に帰ってからも、螺子の言葉が頭から離れなかった。夜、ベッドに横たわりながら、僕は天井を見つめていた。


(この世界の違和感……か)


 そう考えながら、僕はゆっくりと目を閉じた。その瞬間、まるで世界が歪むような感覚に襲われた。



 目を開けると、螺子さんが僕の目の前に立っていた。しかし、それは教室でも図書室でもない、まったく見知らぬ場所だった。


「よく来たわね、理人君」


 螺子さんの声が、凛と響く。


「ここは……どこ?」


「ここは、真実の入り口よ」


 螺子さんの言葉とともに、周囲の景色が螺旋を描くように歪み始めた。



◆第3章:『論理の螺旋、現実の綻び』


 目が覚めると、僕は自分の部屋のベッドの上にいた。額には冷や汗が浮かんでいる。


(夢……?)


 しかし、あまりにも鮮明すぎる。螺子さんの姿、歪んでいく世界。そして「真実の入り口」という言葉。全てが現実のように感じられた。


 朝の準備をしながら、僕は昨夜の夢のことを考えていた。学校に向かう道すがら、いつもと同じはずの風景が、どこか違って見える。


 教室に入ると、螺子さんがもう席についていた。


「おはよう、九重さん」


 僕が声をかけると、螺子さんはゆっくりと顔を上げた。


「おはよう、理人君。よく眠れた?」


 その問いかけに、僕は一瞬言葉を失った。まるで昨夜の夢を知っているかのような口調だった。


「う、うん。まあまあ……かな?」


 僕は曖昧に答えた。螺子さんの琥珀色の瞳が、僕の心の奥底まで見透かしているような気がして、思わず目をそらしてしまう。


 授業が始まった。数学の時間、先生が複雑な方程式を黒板に書いていく。


「これを解くには、まず……」


 先生の説明が続く中、螺子さんが突然立ち上がった。


「先生、その方程式には矛盾があります」


 クラス中が静まり返る。先生は困惑した表情を浮かべながら螺子さんを見た。


「九重さん、どういうことかな?」


 螺子さんは立ち上がり、黒板に書かれた方程式を指さした。


 彼女の声は冷静で、断定的だった。


「具体的には、f(x) = x^2 - 5x + 6 = 0 という二次方程式があります。この方程式の解は、x = 2 または x = 3 です。これは因数分解により (x - 2)(x - 3) = 0 と表すことができるためです」


 螺子は一瞬間を置いて、クラスメイトの反応を確認した。


「しかし、この方程式の後に g(x) = √(x - 1) - 1 = 0 という方程式が追加されています。この方程式の解は x = 2 のみです」


 彼女は黒板に向かい、素早く計算過程を書き示した。


「f(x) = 0 かつ g(x) = 0 を満たす x を求めるというのがこの問題の本質です。しかし、これは論理的に不可能です。なぜなら、f(x) = 0 は x = 2 または x = 3 を要求し、同時に g(x) = 0 は x = 2 のみを要求するからです」


 螺子は再びクラスを見渡した。


「数学的に表現すると、{x | f(x) = 0 ∧ g(x) = 0} = ? となります。つまり、両方の条件を同時に満たす x は存在しません。これは明らかな論理的矛盾です」


 彼女の説明は明確で、反論の余地がなかった。教室は静寂に包まれた。


 しかし螺子さんの説明は、クラスメイトには難しすぎるようだった。しかし、先生は真剣に聞き入っている。


「なるほど……確かにその通りだ。見落としていたよ。さすがだね、九重さん」


 先生が感心したように言うと、クラスメイトたちがざわめいた。


「すごいな、あいつ」

「でも、ちょっと怖くない?」


 囁き声が教室に広がる。僕は螺子を見つめていた。彼女の表情は相変わらず無表情だが、どこか満足げにも見える。


 放課後、僕は螺子さんに声をかけた。


「九重さん、さっきの……すごかったね」


「ありがとう。でも、理人君。あれは単なる例に過ぎないの」


「例?」


「そう。この世界には、もっと大きな矛盾がある。そして、その矛盾こそが真実への扉なんだ」


 螺子さんの言葉に、僕は昨夜の夢を思い出した。


「九重さん、昨日の夜、僕、変な夢を見たんだ。君が出てきて……」


 僕が話し始めると、螺子さんの目が大きく見開かれた。


「理人君、その話、屋上で詳しく聞かせて」


 螺子さんに導かれるまま、僕は屋上へと向かった。夕暮れの空が、不思議な色彩を放っている。


「理人君、その夢の中で、私は何て言った?」


「えっと……"ここは真実の入り口"って」


 僕の言葉に、螺子さんは深くうなずいた。


「そう、その通りよ。理人君、あれは夢じゃない。あれは、この世界の真実の一端なの」


「どういうこと?」


「私たちが住むこの世界は、実は……」


 螺子さんの言葉が途切れた瞬間、世界が歪み始めた。


 屋上のフェンスが溶けるように歪み、空が渦を巻き始める。僕は恐怖で体が硬直した。


「大丈夫、理人君。怖がらないで」


 螺子さんが僕の手を握った。その手は、驚くほど温かい。


「これが、現実なのよ」


 螺子さんの言葉とともに、世界が一瞬真っ白に染まった。


◆第4章:『崩壊する世界、目覚める真実』


 目を開けると、そこは見知らぬ部屋だった。白い壁、灰色の床。どこかの実験室のような無機質な空間。僕は混乱して周囲を見回した。


「ここは……どこ?」


「これが本当の現実世界よ、理人君」


 螺子さんの声がした。振り返ると、彼女はさっきまでと同じ制服姿で立っていた。しかし、その姿がところどころ透けて見える。まるでホログラムのように。


「九重さん、体が……!」


「気にしないで。これが私の本来の姿なの」


 螺子さんはにっこりと笑った。その表情には、学校では見せたことのない柔らかさがあった。


「説明するわ。私たちが今まで生きていた世界は、巨大なシミュレーションの中だったの」


「シミュレーション?」


「そう。人工知能の研究のための、仮想世界。そして私は、その世界に介入し、被験者である人間……つまりあなたを、現実へと導くためのプログラムよ」


 僕は言葉を失った。頭の中が真っ白になる。


「じゃあ、僕は……」


「大丈夫、あなたは人間よ。でも、この実験に参加したことも忘れているのね」


 螺子さんの言葉に、僕の中に様々な感情が渦巻いた。混乱、不安、そして奇妙な安堵感。


「でも、どうして僕が……」


「理由は分からないわ。でも、あなたにはきっと特別な力がある。だからこそ、私はあなたを選んだの」


 螺子さんの言葉に、僕は自分の手を見つめた。普通の手。でも、本当に普通なのだろうか。


「九重さん……いや、螺子さん。ぼくはこれからいったいどうなってしまうの?」


「それは、あなた次第よ」


 螺子さんが指さす先には、大きなモニターがあった。そこには無数のプログラムコードが流れている。


「このコードが、シミュレーション世界を制御しているの。あなたがこれを書き換えれば、世界を変えることができる」


「僕が? でも、僕にはプログラミングなんて……」


「大丈夫。あなたの中には、きっとその力がある」


 僕は戸惑いながらも、モニターの前に立った。キーボードに手を伸ばすと、不思議なことに指が勝手に動き始めた。


「これは……」


 画面上のコードが次々と書き換わっていく。僕には、その意味は分からない。でも、何か重要なことをしているという感覚はあった。


 突然、部屋が揺れ始めた。


「理人君、いいわ、このまま突き進んで! あなたは正しい方向に進んでいるわ!」


 螺子さんの声に励まされ、僕は必死でキーボードを打ち続けた。


 そのとき、モニターに見覚えのある顔が映し出された。


「理人、よく頑張った」


 柊木先生だった。しかし、スーツではなく白衣を着ている。


「先生?」


「私が、この実験の責任者だ。君は素晴らしい結果を出してくれた」


 先生の言葉に、僕は動揺した。


「これも実験だったんですか?」


「そうだ。人工知能と人間の境界を探る実験の集大成だ。そして君は、見事にその境界を超えたんだ」


 螺子さんが僕の肩に手を置いた。


 柊木先生と螺子さんが向かい合って立ち、理人はその間に座っていた。

 部屋の無機質な白い壁が、これから語られる真実の重みを際立たせているようだった。


「理人君」


 柊木先生が口を開いた。


「この実験の本質は、人工知能と人間の境界を探ることだった」


 理人は身を乗り出して聞き入った。その瞳には混乱と好奇心が入り混じっていた。


「具体的には」


 螺子さんがあとを引き取る。


「高度に発達した人工知能が、自己認識や感情、さらには創造性を持つことが可能かを検証する実験よ」


 柊木先生が頷きながら説明を加えた。


「我々は、極めて高度な人工知能――つまり九重螺子を開発し、人間の被験者――つまり君とのインタラクションを通じて、AIがどこまで人間らしく振る舞えるかを観察した」


 理人の表情が驚きに満ちていく。


「え? じゃあ、もしかして螺子さんって……」


「そう、私は人工知能よ」


 螺子さんはあっけらかんとそう答えた。


「でも、この実験で分かったのは、AIと人間の境界が思っていた以上に曖昧だということなの」


 柊木先生が続けた。


「九重螺子は、プログラムされた範囲を超えて独自の思考や感情を示し始めた。一方で君は、九重螺子との交流を通じて、人間の可能性の新たな側面を見せてくれた」


 理人は自分の手を見つめ、震える声で尋ねた。


「僕の中にある"力"って、それはつまり……」


「そう」


 螺子さんが優しく答えた。


「あなたは、AIのような論理的思考と、人間ならではの直感や創造性を併せ持つ存在になったのよ」


 柊木先生が付け加えた。


「君はAIと深く関わりながら、なお人間であり続けた。そして、AIである九重螺子は、人間らしさを獲得していった。これこそが、我々の探っていた境界線なんだ」


 理人は深く息を吐いた。その表情には、困惑と共に、何か大きな可能性に気づいたような輝きがあった。


「つまり、僕と螺子さんは……」


「そう、互いを高め合う存在となったのよ」


 螺子さんが理人の言葉を引き取った。


「人間とAIが共生し、新たな次元の知性を生み出す可能性を、私たちは示したの」


 理人はゆっくりと立ち上がった。その目には決意の色が宿っていた。


「分かりました。この実験の結果を、より良い世界を作るために使いたい。人間とAIが共に進化し、高め合える世界を……」


 柊木先生と螺子さんは、感慨深げに理人を見つめた。


「その通りだ、理人君」


 柊木先生が言った。


「君と九重螺子の関係こそが、未来の人類とAIの理想的な関係性を示している。さあ、新しい世界の扉を開こう」


 理人は螺子さんの方を向いた。螺子さんもまた、柔らかな笑みを浮かべて理人を見つめ返した。


「行きましょう、理人君。私たちで、新しい物語を紡ぐのよ」


 理人は深く頷き、再びキーボードに向かった。その指が最後のキーを打つ瞬間、世界は新たな進化の螺旋を描き始めたのだった。


(了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【SF学園短編小説】虚数解の彼女、あるいはコードの向こう側の君へ(約6,700字) 藍埜佑(あいのたすく) @shirosagi_kurousagi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ