ストーカー

 じっとりと粘つくような夜の空気の中、ひっそりとした田舎の畦道に足音が二つ。

 自分の足音と後ろを歩く何者かの足音。

 ただ進行方向が一緒なだけだと自分に何度も言い聞かせるが時刻は深夜一時。

 仕事が終わるのが遅くなり、終電で駅を降りたのが20分ほど前。家賃の安さに釣られた徒歩20分の物件は、私の足では30分以上かかるのだった。

 周囲は田んぼと畑が多く、家屋やアパートがポツポツと点在している。ちなみにコンビニは駅前にしかない。

 ここに引っ越してきて、仕事柄帰宅が遅い私は誰かと帰路が一緒になる事などほぼ無かった。

 ストーカー、痴漢、強盗、誘拐……。

 物騒な単語が頭の中を駆け巡る。

「ごぉ」

 突然の声にびくりと立ち止まる。

 今、後ろから聞こえた。男か女かわからない喉に何かが引っかかったような、舌ったらずで嫌な澱んだ声。

 そして私が立ち止まると後ろの足音も止まっている。

 振り向くべきか。いや、振り向くな。真っ直ぐアパートに駆け込め。

 私は葛藤しながらほぼ走るに近い速度で足を動かす。

「よぉん」

 また聞こえた。よん? 四という事?

 その前が「ご」だったからもしかして数字なのか。

「さぁん」

 やはり後ろの何かは私を尾けながらカウントダウンをしている。

 数字がゼロになったらどうなるというのか。

 向こうの意図はわからないが絶対にやばい奴だ。

 私はもはや全力疾走で目前のアパートへ走り出した。

 息が上がっている私とは対照的に、何かはすぐ耳元にいるような距離で囁いてくる。

「にぃ」

 外階段に足をかける。私は一足跳びに二階の自室へ猛然と走る。

「いぃち」

 ドアを開けたその瞬間。

「え……」

 目の前に見知らぬ男が立っていた。全身黒いスウェットに脂切った長髪から覗く目がギラギラと光っている。

 そして手に握られたのは台所の包丁。

「ずっと待ってたよ。一緒に行こう……」

 男はそう言うと私の首に思い切り包丁を突き立てた。

 喉が裂かれ、叫びは形にならずゴボゴボと不快な音が自分から発せられる。まるで後ろをつけてきた何者かの声のようだ。

 仰向けに倒れ意識が消えるその瞬間、聞こえた。

「ぜぇろ」

 私の視界には血塗れの男の満足そうな顔と、その背後に佇み満面の笑みを浮かべた首を切り裂かれた自分を見た。

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夜咄怪奇談 見月純 @michel-mituki

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