魔王と勇者になれなかった人

二十九

魔王と勇者になれなかった人

 三日月が天高く昇る夜の森。あちらこちらから黒煙が狼煙のように上がる中、二人の男が対峙していた。

 一人は闇夜に溶けるような漆黒の髪を腰まで伸ばした美丈夫で、髪色と同じ黒の衣に金をあしらったローブをまとい、古木で作られた杖を右手に携えていた。

 もう一人は金色の短髪に銀色の鎧を身につけた精悍な顔つきの男で、地面に膝をつきながらも両刃の剣を構えながら漆黒の男を睨んでいた。

 地面に染み込む赤い液体が金髪の男の負傷具合を如実に伝えており、漆黒の男が優位に立っているのは明らかであった。

 ひりひりと喉が焼けつくような緊張感を破ったのは漆黒の男の高らかな笑い声だった。

「クク、フハハハハハ! こんなに粘ったのは貴様が初めてだ!」

 心底楽しそうに男は笑う。

 男はこの世界で魔王と呼ばれる存在であった。人ならざる力『魔力』を持つ魔族という種族を統べる王。太古の人間たちは尊敬と畏怖を持ってその王を魔王と呼んだ。

 現在は恐怖と人間が倒すべき存在として魔王と呼ばれている。

「人間は腑抜けばかりと思っていたが、中々骨のある者もいるようだ。貴様、名は何という?」

「ぐふっ……モ……モリ、ゴス……」

「モリゴスか! 良い名だ! 貴様の名と顔、この魔王ラングリオンがしかと覚えた! 次に会う時、貴様が勇者となり俺の前に現れるのを楽しみにしているぞモリゴス!!」

 モリゴスと名乗った男が再度口を開くより、魔王が振るう杖の動きの方が速かった。

 魔王の中心に風が集まり森がさざめく。瞬間、爆発したような暴風がモリゴスを襲い、目を開けた時にはすでに魔王は跡形もなく消えてしまっていた。

 風の影響で森の煙も立ち消え、辺りは静寂に包まれる。

 一人になった男は口に溜まった血を吐き捨てると魔王が消えた虚空に向かって呟いた。

「……モリゴスじゃなくて、モリコスなんだが……」

 モリコスの訂正を訴える声はすでに遥か彼方にいる魔王には聞こえなかった。



 ――五十年後。

 魔王城にある魔王の執務室にてラングリオンは暗い表情を浮かべていた。

「……来ないぞ」

 待ち人の勇者は未だその姿を見せなかった。

「なぜだ、なぜ来ないのだ。あんなに啖呵を切ったのに。あんなに劇的な去り方をしたのに」

「またですか魔王様」

 いつもの発作が始まったラングリオンに部下のポルカはうんざりした顔を浮かべた。

「またとはなんだ、またとは」

「またとはまたですよ。もう一万回以上聞いていますよ。毎日毎日モリゴスモリゴス、そんな名前の人間はあの国にいないってもう何回も言われているでしょう。モリコスとかモリコズという名の人間は複数いるようですが」

「そんな被るような名前を持つ人間が俺のライバルになれるわけないだろ!」

「どんな理論ですか。そもそもあなたと引き分けた勇者の名前を持つ人間はたくさんいるじゃないですか」

「あんな平々凡々な名前の持ち主が俺のライバルなわけがない!」

「全世界のレオンさんに喧嘩売らないでください」

「大体あいつとは一度引き分けただけだろうが」

「ええそうですね。負けそうでしたもんね、あなたが」

「俺はモリゴスに会うまで死なん!!」

「そう言って覚醒して引き分けた魔王とか前代未聞だと思いますよ」

 忌々しい記憶を呼び起こされてラングリオンの顔が苦々しげに歪む。

 三十六年前に現れた勇者レオンは当時十七歳という年齢ながらラングリオンを一時圧倒し、最終的に引き分けに持ち込んだ史上初めての人間だ。

 この勢いに乗じて人間たちの猛攻撃が始まると思われていたが、なぜかレオンはそのまま撤退し、その後魔王に刃を向けることはなかった。

 代わりによこしてきたのは停戦の使者だ。

 少し有利になったからと調子に乗ってと最初は追い返していたが、どうやら話が違うらしい。

 我々はとんだ勘違いをしていた。この戦争の陰に何者かの意図がある。そもそものきっかけが我々にあるのは重々承知している。しかし、魔族の協力がないと永遠にこの戦争は終わらないのだ、と。

 レオンの婚約者である国の王女自らが使者兼人質として訪れ、少しでも不審に思ったら殺せばいいと申し出た時も完全に信用したわけではなかったが、その根性に免じて力を貸してやろうと従弟のラーシェラをレオン一行に同行させると事態は急変した。

 太古の時代、人間と魔族が封印した邪神を世界の狭間で倒してきた。

 見送ってから半年間音信不通だったラーシェラがレオン一行の女性を連れてそう報告した時は開いた口が塞がらなかった。

「レオンたちが邪神を倒してもう三十五年。いい加減和平を結んだらいかがですか?」

「ふんっ! モリゴスが現れるまで和平など結ばん!!」

「本当にいい加減にしてくださいよ……そもそもあれからもう五十年も経っているんですよ。もしかしたらもう死んでるかも」

「え、縁起でもないことを言うな! 大体モリゴスは寿命程度でくたばるような人間では」

「魔王様ーー! 今年の勇者が来ましたよーーーー!!」

 振り返ると側近のソルトレイルが扉近くで大きく手を振っていた。

「来たか! 今年は随分早かったな! 今年こそモリゴスが」

「来るわけないじゃないですか。もっと現実を見て」

「こんにちは! ぼくアランっていいます!」

 ソルトレイルの背後にいたのはソルトレイルの腰ほどの背丈の人間、子どもが礼儀正しくこちらにお辞儀と挨拶をした。

「またモリゴスじゃなかった!」

「それよりも気にする点がありますよね!?」

「うちの弟と同じ六歳らしいよ~」

「なんだ随分と若いな」

「若い通り越して幼いですよ! こんな小さい子をよこされてなんとも思わないんですか!?」

「モリゴス以外の人間とか皆同じに見えるし」

「こじらせてますねー魔王様」

 死んだ魚のような目のラングリオンにソルトレイルは苦笑する。

 人間と魔族の争いを裏で操っていた邪神を倒してから十年後、レオンの国はラングリオンたちに和平を結びたいと申し出てきた。

 争いの原因がなくなり、国も復興してきたものの、和平に関しては反対する魔族が多かった。ラングリオン自体も受け入れるには早すぎると思った。

 魔族は人間に比べて遥かに長生きだ。短くても三百年、長ければ千年以上生きる。過去の戦争を昨日のことのように思い出せる魔族も少なくなかった。

 レオンたちもそこは承知していたのだろう。しかし、長くても百年ほどしか生きられない人間が魔族の時間感覚で和平を結ぶのは難しい。当事者が亡くなり戦争の記憶が風化した未来の人間たちが再び魔族に戦争を仕掛ける可能性もある。

 そこでレオンが提案したのが魔王と勇者の試合だ。

 年に一回、レオンの国が選んだ勇者、何かしらの能力で最も秀でた者が魔王とその能力で試合を行い、勝ったら和平を結ぶという提案だった。

 一方的で魔族側には何の得もない提案だ。

 ラングリオンはそう答えた。

 しかし、レオンは全く動じずこう返した。

 あなたが探している人間が本当に優秀ならば勇者としてあなたの前に現れるかもしれない。

 周りが納得しないのならこちらが負けた際はそれ相応の物資を送りましょう、と言葉をつけ足してこの提案は呑まれた。

 今に至るまで探し人は現れない状況だが。

「んで、お前は何の強さで選ばれたんだ?」

「じゃんけんです! 全国民が参加した大会で優勝しました!!」

「……さすがに馬鹿にされすぎ」

「そうか。じゃあいくぞ」

「えっ、ちょっと魔王様」

「「じゃーんけーん、ポン!」」

 軽い言葉で出された指はアランがはさみ、ラングリオンが拳をかたどっていた。

「あー……負けちゃった」

「ふっ、残念だったな」

「あなた今、この国の命運をかけた戦いをあっさり終わらせましたね!?」

「安心しろ。読心術を使った俺に敗北はない」

「子ども相手に本気出すとか恥ずかしいんでやめてください」

「お前さっきから文句ばっかりだな!!」

「文句の一つや二つ言いたくもなりますよ!!」

「二百越えの成人魔族二人が子どもの前で子どもみたいな喧嘩しないで~」

 負けて落ち込むアランの頭を撫でながらソルトレイルが二人を諫める。

「ええい、お前みたいな小言男といると気分が悪いわ! 次期魔王候補のくせに先代魔王を見習え!!」

「曾祖父はあなたと違って責任感ある王でしたからね! なんですモリゴスモリゴスモリゴスって、そんな人間いないって勇者の国に五回も言われたでしょうが! モリゴスなんて人間は初めから存在しないんですよ!」

「貴様俺を疑うのか!? 俺は確かにこの耳でモリゴスと聞いたんだ! 間違いなく聞いたんだ!!」

「じゃあもうとっくに死んでるんですよ!」

「なにおう!? おい貴様アランといったな! モリゴスという男を知らないか!?」

「そんな生まれたばかりの子どもが知るわけ」

「知ってるよ」

 ぴたりと二人の喧嘩が止まる。

 アランはソルトレイルからジュースのコップを受け取ってから答えた。

「ぼくが暮らしてる孤児院の院長先生がモリコスっていうんだ。若い頃魔王と戦ってその時名前を聞かれたんだけど怪我してたから上手く名前を言えなくてモリゴスって言っちゃったんだって。そしたら魔王はそのまま勘違いして訂正する前に帰っちゃったらしいよ。魔王って結構おっちょこちょいなんだね」

 アランは無邪気に笑うとジュースをこくりと飲んだ。


「……ここか」

 木の陰に隠れながらラングリオンは目的の建造物を見上げた。

 アランを送り返した翌日、ラングリオンはモリコスがいるという孤児院に来ていた。

 孤児院はレオンの国の外れにある森の中にあり、元は修道院だったというレンガ造りの建物をそのまま使っていた。

「まさかここにいたとはな」

 ぐるりと辺りを見回す。かつての姿は失いつつあるが、ここはモリコスと対峙したあの森だった。戦った場所はここからさらに奥深く進んだところだが、ずっと会いたかった男と同じ森で再会するのはなにやら因果めいたものを感じる。

 このまま正面から入ってもいいが、アランに見つかって騒ぎになると困る。木々の合間を縫うように進みながら建物の裏側に回ると草が綺麗に刈り取られた小さな広場が見えた。

 薪小屋やロープに干された洗濯物を見るに、外壁の外に作った作業場らしい。端には椅子代わりの太い丸太が横に置かれており――。

 ラングリオンは目を見張った。

 丸太に一人の老人が背を向けて座っている。常人には人がいる程度の認識しかできない距離だが、ラングリオンの目にははっきりと見えた。

 老人の白髪に混じった金色の髪。五十年前のあの夜、三日月に照らされたあの色に間違いない。

 脇目も振らず老人の背中に向かって歩を進める。そのまま広場に一歩踏み込むと、老人もやっと気づいたようで僅かに体を揺らした。振り返る前に老人の横に立ち、顔を向ける。

 老人の青い瞳と目が合った。

 間違いない。金色の髪、青い瞳。幾重の皺が刻まれていてもわかる精悍な相貌。一回り小さくなったようだが、未だ鍛えられた首、肩、腕、胸、腰、そして――。

 目を見開いたラングリオンを見上げながら老人は口を開いた。

「あんた……どちら様だったかのう?」

「は?」

 ぽかんと口を開けたラングリオンに老人はにかっと歯を見せながら笑った。


「こんな町外れのところに来るなんて変わった奴だなあんた」

「ああ……」

 返事をしながらラングリオンは絶望していた。

 モリコスはラングリオンのことを忘れていた。すっかり、さっぱり、跡形もなく。ラングリオン自体は五十年前からまったく変わらない姿だというのに。

 やはり対峙した時の服を着てきた方がよかったのでは、と本気で思う。ポルカに周りの人間にバレたら騒ぎになると言われて平民の格好をしてきたのが間違いだった。

「それで何の用件でここに来たんだ?」

 お前に会うためだ!と叫びそうになるのを堪える。こちらは五十年待っていたというのに、こいつはすべてを忘れてこの孤児院で余生を暮らしているのだ。

 たったの五十年。

 人間にとっては長い五十年。

「……お前に会いに来たんだ」

「俺に?」

「お前、五十年前に魔王と戦って生き残ったんだろう?」

「ああー、その話かー」

「お、覚えているのか!?」

「もちろん覚えてるぞ。魔王に名を名乗れって言われて名乗ろうとしたら口に血が溜っててな、モリゴスって言っちまったんだ。そしたらあっちが勘違いして、慌てて訂正しようと思ったらもういなくなってた。魔王のくせにそそっかしいんだよなー」

「そそっかしい!?」

「だってそうだろ? あんたは知らないかもしれないが、国中でモリゴスという名の人間を捜索した時があったんだ。魔王がモリゴスに会うまで和平交渉しないって言ったらしくてな。もしかしてと思って俺も名乗り上げたんだけど、モリゴスじゃないと絶対に駄目だって言い張られて、そのまま追い返されたんだよなー。魔王なんだからもうちょっと融通利かせないと」

「そ、そうだな……」

「……まあ、捜索隊の人に詳しい話をしなかった俺にも非はあるけどな」

「なにぃ!?」

 うろたえるラングリオンにモリコスは話を続ける。

「他人に話すには恥ずかしい話だったからな」

 あんたには特別に聞かせてやるよ、と当時を懐かしむような顔をしながらモリコスは昔の話を始めた。

 魔王との戦いの傷が癒えたモリコスは国が施策した対魔王用戦士、すなわち勇者候補生の養成所に入った。

「そこでの俺は結構いい線行っててな。このまま行けば勇者に選ばれて魔王討伐隊に入れそうだった。けどな」

 養成所に入って二年目のことだった。山奥での訓練中に近くの集落が魔物の集団に襲われたのだ。

 当時、魔物は魔族の支配下にあり人間を襲うよう仕向けられていると考えられていた。そのため魔物の襲撃はそのまま魔族の襲撃と見なされた。モリコスたちは長官の命令で集落の救出に向かった。

「集落を襲った魔物の数と強さは生半可じゃなかった。今考えると合点がいくんだが、その時は生存者の捜索と目の前の魔物を倒すことで頭がいっぱいだった」

 燃えさかる集落で魔物を倒す中、モリコスは五歳ぐらいの幼い子どもを見つけた。逃げる子どもの背後には複数の魔物がいた。モリコスは魔物たちを倒し、子どもを救助したかに見えた。

「生存者を見つけて油断してたんだな」

 モリコスの皺だらけの手が右膝に触れる。

「脚をやられちまった」

 右膝の下には何もなかった。

「当時はまだ治癒魔法がそこまで発展してなくてな。切断された脚を繋ぐことはできなかった。といっても腕のいい魔術師が来たのは三日後だから、どっちにしろ手遅れだったんだけどな」

 はは、とモリコスは軽く笑う。

「助けた子どもは大泣きでよ~。自分は親亡くしてるってのに毎日見舞いに来るんだよ。しまいには俺が勇者になって仇を取るなんて言って本当に勇者になっちまった。しかも黒幕の邪神を倒して今や国王陛下だぜ」

 ラングリオンの脳裏に三十六年前に対峙した勇者の姿が蘇る。

 当時十七歳だったという幼さが残る顔立ちを彩る瞳は幾度となく見た激しい憎悪に満ちていた。長い歴史の中で数えきれないほどの同胞を殺された自分の瞳と同じ色だった。

「多くの国民はあいつを英雄だって称えるけどさ、俺は素直に喜べないんだ。色んな道を選べるはずだったあいつの将来を決めちまった」

 例え自分が勇者になっても避けられないのはわかっていた。

 レオンの活躍は目覚ましかった。幼い彼を亡き者にするために邪神が彼の村に魔物をけしかけたのも無理はない。彼でなければこの平和は訪れなかっただろう。

 勇者とはレオンのような存在のことを示すのだ。

「――俺は勇者になれなかったよ」

 それがモリコスという人間の五十年の物語だった。

「長話はこれでおしまいだ。ずっと待たせて申し訳」

「ふざけるな」

 丸太から立ち上がってラングリオンはモリコスの正面に立った。

「勇者になれなかった? それがどうしたというんだ。お前は立派に戦ったじゃないか」

 こちらを見上げるモリコスの全身を見渡す。脚を失ってもなお彼の肉体には研鑽と鍛錬の痕が残っていた。今なお体を鍛えているのは明白である。

「大体俺はあのレオンっていう奴は好かん! 何考えてるかわからんし、あいつ絶対性格悪いぞ。そうだ、絶対に悪い。お前と知り合いだったってことは俺との関係も知ってたってことじゃないか! あいつわざと黙っていたな!」

「お、おい」

「あんな奴絶対に勇者なんて認めんぞ! 世界中の誰が認めても俺だけは絶対に認めん!」

「わかった、わかったら落ち着け」

 落ち着かせようと手を伸ばすモリコスにラングリオンは宣言する。

「俺が認めた勇者はお前だけだ!!」

 五十年前に対峙したモリコスは最後まで諦めなかった。撤退する軍を、近くの集落を守るために何度蹴散らそうと立ち上がってきた。

 憎悪の対象でしかなかった人間に初めて違う感情が芽生えた瞬間だった。

 かつて先代魔王は言っていた。勇者は魔王にとって永遠の好敵手なのだと。

 ならば、己の勇者は目の前にいるこの男だけしかいない。

「誰がなんと言おうとお前はずっと俺の勇者だからな! だから、だからこれからも無理せず鍛錬しろ。よく寝てよく食べろ。長生きしろ」

「ん? おいちょっと待て」

 木々のさざめきを聞いてモリコスは慌てて傍らの義足に手を伸ばす。しかし、すでに準備を終えたラングリオンは瞳が滲むのを堪えて不敵に笑った。

「相変わらずの粘り強さで安心したぞモリコス。だが、次に会う時にその腑抜けた顔をしていたら許さんからな!」

 溜まった風が一瞬で解放され、暴風がロープの洗濯物を激しくばたつかせる。モリコスが目を開いた時にはすでにラングリオンの姿は跡形もなく消えてしまっていた。

 辺りが静寂に包まれ、塀の奥から子どもたちの微かな笑い声だけが聞こえる。

「……相変わらずそそっかしい奴だな」

 誰もいなくなった広場を照らす青空に向かってモリコスは呟く。

「ありがとうな、ラングリオン」

 遥か彼方でおっちょこちょいの魔王がくしゃみをしたのは誰も聞いていなかった。


 それからしばらくしてレオンの国に魔族の国から使者が来た。

 使者が伝えに来たのは二つ。

 一つは今の魔王が引退し、新しい魔王が就任したこと。

 もう一つは新しい魔王が和平を望んでいるとのことだった。

 この一報は瞬く間に国中に広まり、国民をざわつかせた。

 国中が大騒ぎに包まれる中、国の外れにある孤児院ではちょっとした事件が起こっていた。

 旅行に出かけた院長が見知らぬ男を連れて帰ってきたのだ。全身黒ずくめで常にフードを被るという怪しい風体の男だったが、子どもたちは懐いていたようでじゃんけんが強いからじゃんけん魔王と呼ばれていた。

 男は時々孤児院に訪れてはよく働いた。掃除、洗濯、屋根の修理など何でもやった。魔法の心得があるのか簡単な魔法を子どもたちに教えることもあった。仕事が終わると男と院長は広場で火を囲いながらよく語らい合った。

 男の出入りは院長が亡くなるまで続いた。

 葬儀は本人の意思を優先して身内だけの小さな葬儀になった。葬儀には男の他に引退した先代国王レオンの姿もあった。二人は出棺するまでの三日間、片時も棺の傍から離れなかったという。

 遺体は丁寧に葬られた。この国のしきたりに従い、墓石には参列者たちの思い思いの言葉と名が刻まれた。

 その中になぜか名のない言葉が一つある。

 墓石にはこう刻まれていた。

 ――わが友モリコスここに眠る。

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