7:親殺しの共犯者
「え? 普通きのこだよね? センスないよ。私が一発殴ってあげる」
チョコレートでべたべたになった人差し指をこちらに向けて詩月が唐突に言った。
「あ。千紘めっちゃ寄り目」
「うるさいな」
昼行バスは夜のものとは異なり、走行中も楽しそうな声があちこちで発生しては廃れていった。廃れたそばから新たなコロニーが生まれるからいつまでも声が絶えない。
窓の外はいつの間にか高速道路になっていた。
「でもたけのこ買うのはセンスない。たけのこ派は死ななくちゃいけない」
「なんでだよ。おいしいだろ。いいから手拭きなさい」
「はあい」
「ウェットティッシュ出すから待ってなさい」
はあい、という二度目の子どもじみた返事がバスの天井に立ちのぼり、降り注いだ。
高速道路は景色が代わり映えしない。ずっと同じ場所をぐるぐると回っているような気分だ。でも、僕はそういった退屈で変化のない輪廻にずっと浸っていたかった。
ウェットティッシュを出してやると、詩月はポッキーの袋を開封しながら、小指と薬指で器用に受け取った。
「ってか遺書見つけたわ」
「はあ?」
大きな声が出て自分でも驚いた。運のいいことにバスがちょうどトンネルに入ってくれたので、車内の視線が僕に集まるなどという辱めを受けることはなかった。一生分の運を使ってしまったかもしれない。
耳を塞ぐような騒音が立ちこめ、バスの空気が希薄になる。声が聞き取りづらくなったので僕たちは互いに身を寄せ合った。同じシャンプーを使ってるはずなのに、
「待ってどこにあったの? そもそもなんで今まで黙ってたの?」
「遺書って確信なかったから……」
そうだった。彼女は事後報告の妖精さんなのだ。僕のいない間に遺書であることを確認したのだろう。
しょげた様子があまりに可哀相だったので「とりあえず見つけてくれてありがとう」と言うと、「いえいえ」、詩月は得意げな顔で笑った。
「で、どこにあったの?」
「桜の部屋の、机の中」
「なかったじゃん。桜の部屋」
一応、リビングや仏間、母親のものと思しき部屋もひととおり拝見したはずだが、桜の部屋は見つからなかった。だから僕は、桜に関するものはすべて処分されたと見て諦めていたのだ。
「それがね、私たちは見つけてたんだよ、桜の部屋。あの仏間あったでしょ?」
「……あー、なるほど」
リビングに面し、襖ひとつで繋がっているのがあの仏間だった。あれを年頃の娘の部屋に当てるのは普通ではあり得ないが、そもそも前提条件が違うのだ。
桜を見張るための部屋なのであれば納得がいく。
「ほいこれ、千紘のぶん」
「え、僕のぶんあるの?」
たしかに詩月に渡された封筒には、丸っこい字で「ちひろ」と書かれている。飾り気のない無地の封筒は桜という人物を象徴するようだったが、便箋にはイラストがあしらわれていた。全体的に雨が降っているものの、手紙の上部には晴れ間が覗いている。
白と青と黄色のバランスが綺麗な便箋だった。
「うええ、こいつ……」
詩月が声を上げたので手元を覗くと、そこには乱雑な文字で「ほんとに来たのかよ 無茶するなよバカ」とだけ書かれていた。桜はもっと知的で、品性と包容力に満ちた印象だったが、詩月の前では彼女と同じ気質の女子高生に成り下がるらしい。微笑ましくて、ちぐはぐで、笑ってしまった。
「千紘のほうはなんて書いてあった?」
苦い顔のまま詩月が僕の手元を覗き込んでくる。派手な便箋に気を取られて内容を読んでいなかった。
「待って私のほう無地の手紙だったんだけど! 色づきやが――」
「あ」
咄嗟に手紙を隠したが、たぶん手遅れだった。
『千紘は早く詩月に思いを伝えなさい 詩月をよろしくね』
一度見られてしまったのだからこれ以上隠す理由はなく、僕は観念して手紙を再度広げるしかなかった。さっきは文字が小さく感じたのに、改めて見るとかなりはっきりした文字に感じられる。
「待って待って待って」
僕よりも詩月が慌てているので、かえって冷静になってきた。
「はい」
「その、えっ? なに?」
なに、とは。
詩月が手をばたばたと動かしたまま黙ってしまったので、僕は先ほど発せられた三連の「待って」に従うことにした。
バスの喧騒は先ほどよりも落ち着いてきており、通路を挟んだ向こう側の乗客は眠りに就いていた。他にもおそらく、眠っている人がいるだろう。
「……いや、まあ、その。好きだよ、詩月のこと」
結局、僕は沈黙に耐えることができなかった。勢いをなくし始めていた詩月の手が、再び反復行動を開始する。
「はあっ? えっ意味わかんない。待って。意味わかんない。ってか暑くない? 夏来た? すみませえん! 冷ぼ――」
「馬鹿、大きい声出すな!」
慌てて詩月の口を押さえると彼女の唇が手の内側で動いてくすぐったかった。手を離したあとも柔らかい感触がいつまでも残り続けて、恥ずかしかった。
「だから、付き合ってくれると、嬉しい。今さらだけど」
詩月が動きを止めると、辺りから音がなくなった。僕から逸れた詩月の視線は、一度窓の外に移動し、それから反射越しに僕の視線を捉え、またすぐに移動し、最後はぴたりと揃った膝に置かれた握り拳に着地した。
目を伏せた詩月の長い睫毛に、窓から差し込む日光が透けて見える。睫毛、前髪の、その一本一本が日の光を受けて、幻想的に輝いていた。
口が少し開いて、閉じる。僕の手のひらには彼女の唇の感触がまだ残っている。
ゆっくりと僕を見上げた詩月の瞳にはいくつもの光が瞬いていた。こくん、と詩月が頷いたとき、光が零れてしまいそうで怖かった。でも僕には、その光を一つ残らず受け止める覚悟があった。
僕は桜から受けた母性のような包容力を、そのままぜんぶ、詩月に注いでやるつもりだった。
桜の文章は、遺書と呼ぶにはあまりに杜撰だった。きっと彼女は忠告しているのだ。明るい言葉の裏で「私を理由に傷つくな」と睨みを効かせる桜を想像した。
僕に足りなかったのは打ち明ける勇気だ。
桜は共犯者を求めた。あの図書室で「弱音吐かないの?」と訊かれたとき、僕は同調するべきだったのだ。共犯者として名乗りを上げ、一緒に親の悪口を言い、「親殺し」を果たすべきだったのだ。
僕が打ち明けなかったから桜はそれまで通り、僕の痛みを優しく包む役割を続けなければならなくなった。
これは言い訳に過ぎないが、全員が打ち明ける相手を持っているわけではない。
僕は神様でも聖人でもないので、打ち明けられたところで救うことはできないし、救おうとも思わない。
でも、もし苦しんでいる人がいたら、せめて呪いのかけ方くらいは教えてあげようと思う。
いのちのゆくえ 新代 ゆう(にいしろ ゆう) @hos_momo_re
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