第十二話 (最終)

「ちょっと! 何で私だけこんなことになってんのよ!」

「いやだって触るなゆーし」


絶叫するカーメラは、まるで処刑されるかのように首にロープを掛けられ、木から吊るされていた。

絵面的に年齢指定が必要なレベルで最悪である。

彼女にとって状況は理解し難かった。手足は自由なはずなのに、不可思議な力で縛られたかのように全く動けないのだ。


「でも、痛くも苦しくもないでしょ」

「それはそうなんだけど、どうなってんのよコレェ!」


一方で、メレクは野郎共を縛り上げ、ようやく一息ついていた。

さすがに女性の体を弄って魔道具を取り上げるのはためらいがあったため、カーメラには手を出さなかった。

しかし、彼女があまりにも騒ぐので、彼女の願い通り、体に触れないようにして木に吊るしたのだ。

まさに紳士的だと言えよう。


一方で野郎共については、不測の事態を避けるため、例の魔道具以外も一時的に没収することにした。

破裂した例の魔道具からは、何らかの液体が飛び散っていた。それは微かに魔力を帯びており、ただの液体ではないことを示していた。

仕組みについて、ある程度の推測がつく。


魔力障壁は本来、銃弾のような軽量で高速な攻撃を効果的に弾くよう設計されている。

というより、物理的な障壁は構造上、そのような性質を持たざるを得ないのだ。

そのため、投げる、極める、折るといった攻撃が意外な程に有効となる。

魔力を纏った武器による攻撃も同様だ。一方で、銃弾への魔力付与は衝撃による変形で著しく困難となる。


この謎の魔道具について、メレクはこう考えた。

おそらく、一つひとつが独立した魔力障壁を維持している。ゆえに、障壁が一枚破られるごとに、内部で一つの機構が破壊されるという設計なのだろう、と。


近年の戦場では、平民兵の携行する銃器の性能が飛躍的に向上している。

いくら魔力障壁が銃弾に強いといえど、数百発もの連続攻撃に耐えられるものではない。特に大砲のような重火器には極めて脆弱だ。

戦場の主役は、すでに貴族ではなく平民へと移り変わっていた。

メレクが持つような連射可能な銃はまだ一般的ではないが、魔力銃であれば他にも存在していても不思議ではない。

こうした時代の変化に伴い、貴族が平民兵に撃ち殺されるような事態を防ぐため、より多くの障壁を持つ魔道具が開発されているのだろうと推測できる。


この魔道具の画期的な点は、どんなに強力な一撃を受けても、その一撃によって障壁が一枚破られるに留まることだ。

極端な話、大砲による攻撃すら一枚の障壁が破られるだけで済むという機能が想像された。

メレクが「残機」と表現したのは、こうした特性を指している。

この魔道具の理論は理解しがたいが、優先的に解析する価値があるとメレクは感じていた。


「さて、お前達の目的は理解しているし、背後関係についてはあまり興味がない。だが折角の警告を無視したお前達には罰が必要だ」


メレクは虚ろな意識の中で目を覚ましつつある野郎共を、一人ひとり冷たく見下ろした。


「話くらいは聞いてやってもいいが、どうせ話す気はないんだろう」


そう言うと、メレクはどこからかルアイリに使ったものと同じペンを取り出した。

キャップを「きゅぽーん」と軽快な音を立てながら引き抜くと、夜空にその心地よい響きを残す。

そして、一人ひとりの顔にご機嫌かつ妙な鼻歌を口ずさみながらリズムを取るように落書きを始めた。「キュッキュッ」と軽快な音を奏でるたび、野郎共の顔には悪趣味とも言える図案が描き込まれていく。

書かれた者達は憮然とした表情で互いの顔を見合わせた。


やがて、最後のフードを被った男の番となる。その目深にかぶったフードを外した瞬間、メレクは驚愕の表情を浮かべた。

そこには、ある種の驚愕――いや、衝撃を受けた顔があった。その男の顔は画期的と言うべきものだった。むしろ革新的というべきか――いや、いっそ芸術的とさえ言える。

もしこの顔が絵画であれば、画家はそのすべての技量を傾け、背景に満開の花々を描き散らすだろう。


生命が生み出した究極の奇跡。そこにいたのは、そんな言葉で形容すべき至高のブサイクだった。


これは断じて悪口ではない。

むしろ、昭和に爆誕したギャグ漫画の主人公たちに匹敵する、嫌味も不快感も一切ない純粋なブサイク。道行く子供たちをもれなく笑顔にする、奇跡とも呼べる存在だった。


メレクは今まで感じた事のない優しい気持ちを胸に、この男と向き合った。

そして、そっとその男と向き合うと、肩に手を置き、穏やかな声でこう言った。


「強く、生きるんだぞ」

「どういう意味だ、それは!」


そしてメレクがペンをしまい立ち上がろうとしたその瞬間、待ったの声がかかった。


「おい、そいつ結婚してるぞ」

「確か十歳年下の幼馴染とかだったよな。すごく可愛い」

「お互いの婚約を解消しての略奪婚だとも言ってたぜ、ヒューッ!」

「自分のことお兄ちゃんとか呼ばせてるんだって? キモッ」


ウリア、タルマッジ、アヴェレル、そしてカーメラの順で、急に告発大会が始まってしまう。


「待て、お前ら何を――」

「俺を……、裏切ったのか」


唐突に、さも裏切られた被害者のようにメレクは声を上げる。


「いや、お前何を――」


その声には、深い絶望と驚愕が滲んでいた。ほんの少し前まで胸に抱いていた優しい気持ちは、もはや嘘のように霧散していた。

そして、顔を覆い隠し、メレクは悲嘆にくれた。


「信じていたのに!」

「初対面だろうぉ!?」


メレクはどこからか再びペンを取り出し、例の軽快な「きゅぽーん」という音を響かせてキャップを外す。


「お、お前なんて……、もう二度とちんこでハッスル出来なくなればいいんだ!」


震える鼻声でそう叫ぶと、メレクはペン先で彼の顔に勢いよく書きなぐった。

「やーめーろーっ!」という叫び声と「我ら白狼騎士団、一心同体!」という言葉が、まだ暗さの残る早朝の空に吸い込まれていった。

なお、この場面で唯一落書きを免れたカーメラだけは、少し引き気味にその光景を眺めていた。



あれから小一時間ほどをかけて、メレクはこの集団を麓の街道まで運んだ。

暴れられては面倒だと考え、魔力障壁の魔道具のみを返却し、そして丁寧に一人一人を銃で撃ち、魔力欠乏に陥らせるという実に人道的で配慮に満ちた心温まる作業であった。

流石に疲れたのか、メレクはその場に座り込み、一息ついていた。


「ね、ねぇ、私、もしかしてずっとこんな感じなわけ?」


そこには、首吊り状態で木にぶら下がるカーメラが微妙な表情で風に揺れていた。


「地面に直置きだと、虫に刺されて跡が残っちゃうと嫌でしょ」

「それはありがとうなんだけど……、じゃあ、あれは?」


カーメラの視線の先には、頭を下にした野郎四人衆が木に括り付けられているという異様な光景が広がっていた。


「え? だから頭を下にしてるんだけど」

「その『だから』の意味が全然分からないのよ?」


メレクはふと思った疑問を口にした。


「あれ? そーいやなんか普通に会話出来てるね?」


カーメラは黙って白目を剥いていれば、かなりの美人であるといえた。

だが、メレクの経験上、この手の美人は通常、意思疎通が難しいほど取り乱すか、最悪の場合は発狂するものだ。

もしかして、これは聖女アティーファの力の残り香なのか? 彼女の恐るべき力の片鱗を感じ取り、メレクは薄ら寒いものを覚えた。

そんな彼の思索を遮るように、カーメラが呆れた声を上げた。


「それで会話できていると思ってるの? 頭スカスカなんじゃない?」


メレクは頭を押さえながら立ち上がり、振り返る。


「ま、まさか……頭皮……」

「……中身の心配してあげてるのよ?」


会話は成り立っていなかった。




その頃、小屋の中でのこと。

いつの間にか眠り込んでいたレオは、自分に毛布が掛けられていることに気づいた。

どうやらアティーファが掛けてくれたらしい。


「……聖女殿、何をしておるのだ?」


レオがぼんやりと問いかけると、アティーファは毛先にハサミを当てながら答えた。


「枝毛を切っております」


先程から彼女は自分の髪の毛先を静かに切り落とし、その切れ端をハンカチの上にパラパラと集めている。

しばらくすると、アティーファは「ムフー」と満足げな笑みを浮かべ、ハンカチをそっと手に取って立ち上がった。

そのまま寝室の方へ歩いて行くと、彼女は切り取った髪を、なんと枕の上に散らし始めたのだ。


「いや、聖女殿?」


レオが戸惑いの声を上げるも、アティーファは特に答えることなく、ただただ満面の笑みを浮かべている。

彼は実に嫌な予感を覚えた。




街道にはまだ人の気配がない。しかし、遅くとも一時間もすれば商隊や旅人が通るだろう。


「盗まれると嫌だろうし、魔道具は後で教会に預けておくから、二、三日後に取りに行ってくれる?」


メレクは没収した魔道具をぞんざいに後ろへ投げ捨てると、それは水に沈むようにすっと空間に消えていった。


「ちょ、ちょっと! まさかこんな状態で置いていくっての!?」


カーメラが吊られたまま抗議する声を上げる。


「もうすぐ商隊とか通る時間だから、下ろして貰ってよ。まぁ頑張って我慢して」


カーメラが後ろで何か言っているが、疲れ果てたメレクはもう聞いていなかった。


小屋を出てからどれくらい時間が経ったのか。


空はすっかり明るくなり、冷たい風が頬を掠める。

その風が草むらをざわめかせながら通り過ぎていくと、雲が切れ、隠れていた太陽の光がようやく顔を覗かせた。

その陽光は、舞台のスポットライトのように大地を鮮やかに照らし出す。


メレクは息を呑み、数秒間その場に釘付けとなった。


それはまるで、語りかけられているかのようだった。

困難を越えた果てでようやくたどり着いた理想郷を目にしたような――そんな不思議な感覚が胸を満たしていく。

もしこれが舞台であるならば、きっと荘厳で感動的な音楽が響き渡っているに違いない。


「こ、これは……、天啓か」


そこには一面に向日葵の花が咲き誇っていた。

花々は陽光に向かって一斉に顔を向け、その姿はまるで太陽への讃歌を捧げているかのようだった。

風に揺れる向日葵たちの動きは、まるで優雅なワルツを踊るようで、メレクの目にはその光景が神聖で美しく映った。


彼は静かに手を伸ばし、どこからか取り出したナイフで一輪の向日葵を切り取った。

震える手でそれを持ち上げ、まるで祭壇に供える聖なる供物のように掲げる。


そして、メレクはその向日葵を勢い良く眼下の野郎共の『ケツ』に次々とぶっ刺した。


ズバッシュ!

「アアーーーーゥ!!」


ズバッシュ!

「オオーーーーゥ!!」


ズバッシュ!

「ノォーーーーゥ!!」


(*洋物SMのような叫び声が響いていますが、お子様にも安心してお読みいただける内容となっております)


「ちょちょちょ! 何やってんのよアンタァ!?」


木からぶら下がったままのカーメラが、叫び声とともに抗議する。


「大丈夫大丈夫、死にはしないから」


ズバッシュ!

「ヒューーーーッ!!」


何だか一人だけ、どこか満足げな奇声が漏れたがその人物の名誉のため、ここでは伏せることとする。


「死ななきゃ何やってもいいってわけじゃないでしょうがぁ!」

「流石に女の人に対してこんな酷いことはしないって」


一瞬カーメラは、自分の安全が確保されていることに安堵した。

もはやそれ以外は考えまいと決めた。常識の範疇では到底追いつかないのだ。


「……酷いって自覚はあるんだ?」


思考を放棄したつもりだったが、ついツッコミが口をついて出てしまうのは、彼女の習性によるものだろうか。

メレクは生けた向日葵をじっと見つめ、満足げに「うんうん」と頷いていた。


やがてカーメラの方に振り向くと、彼はにこやかに手を振る。


「これに懲りたら、もう二度と年寄りに、寄ってたかって悪さすんなよ」

「え。もしかして、こっちが悪者っぽくなってるの?」


その言葉を聞きながら、メレクは彼らの目的が暗殺ではなく保護であると改めて確信した。

彼の目的、精神的安定のためにどうにか聖女を丸め込む必要がある。

そのための鍵となるのがレオニルドだろうとメレクは考えていた。

とにかく今は情報が足りない。カーメラたちに尋ねても、確実な答えは得られないだろう。


「ちょっと待ちなさいよ! ちょっとぉ! ねぇってばぁ!」というカーメラの声をさらっと無視して、メレクは振り返ることもなく森の中に消えていった。




街道から小一時間歩き、メレクはようやく小屋に戻り着いた。

日はすっかり高く昇り、肌寒さは残るものの、春の朝らしい穏やかな日差しが夜の極寒を嘘のように和らげていた。


小屋の中からは騒がしい物音が漏れ聞こえる。

メレクは今まさに獲ってきたと言わんばかりに鳥をどこからか取り出し、小屋の扉を開けた。


「あ、おかえりなさいメレクさん。朝ごはん食べます?」


それは散々な状況だった。鶏肉はバラバラに散らばり、雑に置かれた食器には雑に切られた肉片が入り込んでいた。

それらはおそらく野菜と思われる緑の物体と共に、シナシナと浮いたり沈んだりしていた。


メレクはこの惨状を後で片付けるのかと肩を落としながら、つぶやいた。


「……料理下手くそかよ」


指を切ったのか、老人は指に包帯を巻かれ、痛そうにしていた。



二人が作った朝食は、見た目ほど悪くはなかった。

疲労で滲んだ意識のまま、メレクは後片付けをしながら思索に耽る。

なぜレオの怪我を聖女の力で癒やさなかったのだろう、と。

癒やさなかった理由があるにしても、この二人の正体を問い詰める形になるのは避けたい。

この二人の正体は、できれば自ら明かしてほしい。どうにか主導権を握りたい―――そんな思いが胸の内にあった。


「メレクさん、お疲れでしょう。寝室を整えておきましたので、しばらくお休みになられては?」


アティーファが柔らかな笑顔で勧める。


「そうだな、そうさせてもらおうかな」


導されているような気がしないでもないが、断る理由も特にない。

メレクはそのまま寝室へ向かい、ベッドに倒れ込むようにうつ伏せで眠り込んでしまった。




すっかり明るくなった例の街道では、まばらに人が通るようになっていた。


「可哀想に、若い身空で……」


そんな声に足元のざわめきを感じ、カーメラはハッと目を覚ました。

意外と心地よかったのか、うっかり眠ってしまっていたようだった。


「ちょ、ちょっと! 見てないで下ろしなさいよ!」


目覚めたカーメラが訴えるも、見物人たちは木に吊られた彼女の姿を見て一瞬凍りついた。

次の瞬間、彼らの顔は驚愕と恐怖で大きく引きつる。


「ギャー! おばけーーーーーーっ!!」

「あ、ちょっとぉ! 待って、待ちなさいよぉ!!」


だが、その声も虚しく、彼らは蜘蛛の子を散らすように走り去っていく。

眼下に広がる向日葵の花々だけが、右に左に風にそよいでいた。


後日、『妖怪しゃべる首吊女』と『謎の尻花男』の話が地域を賑わすことになったという。



メレクが目を覚ましたのは、あれから二時間ほど経った頃だった。

日はすっかり高く昇り、採光用の小窓からは柔らかな光が差し込んでいた。


うつ伏せで眠っていた彼が重たい頭を持ち上げた瞬間、「パラパラ」という音と共に何かが枕に零れ落ちるのが目に入った。

最初、それが何なのか理解できなかった。

黒く、細い――そして決して認めてはならない“それ”が、枕の上に散らばっていた。


チュンチュン

青い小鳥たちが朝の訪れを祝福する。


チュンチュン

それは賛美の調べ。


チュンチュン

それは祝福の舞。


「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”!!」


突如響き渡った絶叫に、青い小鳥たちは驚愕し、一斉に羽ばたいて大空へと消えていった。

傍らで居眠りしていたレオは肩を震わせ、飛び上がるように目を覚ました。

そのそばでは、アティーファが口元を手で覆いながら、「プスッ」と小さく笑っていた。




さて、これは余談である。

場所はとある貴族の館の寝室。時は約二ヶ月後のことだった。

寝間着姿の幼妻は、枕をバンバンと叩きながら爆笑していた。


メレクは言い忘れていた。二日以内に解呪してもらう必要がある事を。

彼らは顔に書かれた落書きが半日もしないうちに消えてしまったことで、危機感をすっかり失っていた。


だがその落書きには、なんとも意地の悪い仕掛けが施されていた。

――『性的興奮』によって再び浮かび上がるようになっていたのである。


息をするたびに鼻毛が爽やかにそよぎ、

頬に描かれた花は優雅にクルクルと回転して咲き乱れ、

涙のように書かれた部分は重力を感じて左右に揺れ、

さらには額に描かれた棒人間が、軽やかに蝶を追いかけていた。


特に『裏切り者』である彼には、メレクは特に念入りに数々のギミックを仕込んでいた。


憮然とした表情で固まる彼をよそに、まだ子供っぽさが抜けきれていない彼の妻は、笑い転げていた。

その後、例の『イケメンボイス君』は、暫くちんこでハッスル出来なかった。



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本作品はこれで終了となります。

作者の実力不足を反省し、本作品の失敗を糧に、次の作品に活かしたいと思います。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。


*以下は削除したプロローグ部分になります。

少しでも興味を持ってもらえたら幸いです。


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この不自然な単独偵察命令に疑問を抱かなかったわけではなかった。

極寒の山中で、夕暮れから食事も取らず、今や深夜に差し掛かっていた。


倉庫からくすねた干し肉を噛みながら、流れる星空を追い、ふと何かの予感に駆られて元いた要塞の方向に目を向けた――その瞬間だった。


星々の沈む山間は突如赤い光に包まれ、巻き上がる土埃に覆われていく。

十数秒の遅れを持って地を揺るがす轟音がこの場所にも達した。


しばらくの時間が経過し、山々を包む光が次第に薄れると共に、間欠的な誘爆音が耳に届く。

舞い散る火の粉が上昇気流に乗るように、青白い光の粒が夜空に吸い込まれて消えていくのが見えた。


ただ一人孤立し、取り残され、そして戻る場所もない。


この男の名をメレクという。



変化に乏しい夜の山中を、メレクは味方のいるであろう方向とは逆に向かって歩いていた。

機能しているかどうかも定かでない原隊に復帰するリスクを冒すよりも、このまま山中に紛れて残兵狩りから逃れることを優先すべきだと彼は考えた。


まずはとにかく移動だ。

肺が凍りつくような寒空の下、当面雪が降らないでほしいと切望しつつ夜空を仰ぐ。


先ほどまでかすかに聞こえていた、木々のこすれる音に混じった夜鳥の気配が消えていた。

それに代わって、草の擦れる音がかすかに全周から耳に届く。


明らかに包囲されていた。


その中から、何の危機感もないように気楽に低木をかき分け近づいてくる人影に見覚えがあった。


「……アレン」


同郷の男アレンは気安い笑みを浮かべ、手を広げてこちらに歩み寄ってくる。


「やぁメレク、探したんだぞ」


包囲の気配は徐々に狭まってきていた。

囲まれている段階で、好意的な状況でないことは明らかだった。

メレクは目の前の、この状況を作り出したであろう優男と静かに向き合った。


「アレン、俺を売ったのか」

「そんな! 売っただなんて!」


演技的に頭を振るアレンは、首から下げた手のひらの半分ほどの銀色に光る金属の板を取り出し、それを差し出すように向けた。


「キミの、魔道具を作る技量が認められたんだ」


それはメレクが故郷を離れるときに、思うところがあってアレンに渡した魔道具だった。


「メレク。君は訳の分からない呪いのせいで人里には近づけない。これはいい機会とは思わないか」


アレンは静かに言いくるめるように言った。その表情、その笑顔は、実に胡散臭く感じられた。


やがて包囲していた気配は警戒感を失ったのか、軽い足取りでそのまま近づいてくる。

その中の一人がアレンの後ろから、堂々とした態度を見せつつ歩み寄ってきた。


「信じられんな。聞いてはいたが、本当に魔力が感じられん。

そんな人間がいること自体驚きだが、平民が魔道具を作るなどと戯言か、もしくは落ちぶれた貴族の所業かとも思ったが」


銃器が発達した現代、騎士とは時代錯誤に映るが、これは階級の象徴でもある。

貴族である彼らは相応の装備を纏うが、金属鎧はすでに過去のものだ。

強力な魔力障壁に対して魔力使用が禁じられた平民の持つ銃は無力なのである。


アレンが連れてきた一行は、貴族仕立ての見事な装備に身を包んでいた。

彼はメレクを侮蔑の表情で見下ろし、落胆とも失望とも言い難い表情でこう告げた。


「自慢の魔道具あれど、肝心の魔力が無いのではな」


騎士団長と思しき男は威圧的にこう続けた。


「大人しくついて来い。それともそのチンケな銃で手向かってみるか?」


軽く夜空を見上げたメレクは大きく嘆息し、ゆっくりとこの傲慢な貴族に視線だけを向け、宙を舞う白い息をかき消すように苦々しくこう吐き捨てた。


「チンケな銃でも当たれば痛いんじゃないか」


虚空に散ったメレクの白い息が溶けて消えると同時に、彼の姿も音もなく消え失せた。

まるで最初からそこに居なかったかのように。


「ただの認識阻害だ。手順通りに対処しろ」


「魔力が無いならどうやって起動を……」、誰かがそうつぶやきながらも、彼らは洗練された動きでその場から散開しながら距離を取っていく。

この手の争いに慣れているのか、彼らは明らかに手練れであった。


どこかこの状況を愉快そうに、また傍観者のように眺めていたアレンは、絶好の観戦場所へと悠々とその場を離れていく。

彼は高台の特等席で、今にも始まりそうな戦場という舞台を鑑賞しようと優雅に腰を下ろした。

しかし背後に気配を感じたアレンが恐る恐る振り返ると、そこにはメレクが無言で佇んでいた。


「や、やぁメレク、さっきぶり……」


メレクは冷淡な視線をアレンに向け、舌打ちをすると、そのまま躊躇なく強烈なケリを彼に食らわせた。


アレンは間の抜けた絶叫を上げながらそのまま崖下へ転げ落ちていく。

それを無感情に観察するメレクの背後では、騎士たちが魔力を帯びた青白く光る剣を抜き襲いかかろうとしていた。

暗視魔術によって微かに赤く光る彼らの目には、不気味さすら漂っていた。


通常なら致命的な高さの崖から突き落とされたアレンだが、メレクが持たせた魔道具の効果か、軽度の擦り傷と打撲程度で済んでいた。

しかし、急斜面を転がり落ちた衝撃で吐き気を催すほどの激しい眩暈に襲われ、落ち着くまでその場に横たわるしかなかった。


崖上からは戦闘の喧騒に紛れて銃声が響いてくる。

やがてそれらの音は銃声だけが際立つようになり、最終的にはそれも夜空に吸い込まれるように消えていった。


静寂が戻ると共に、かすかな夜鳥のさえずりが辺りを包み、その中から草を踏み分ける足音が近づいてきた。

そこには何事もなかったかのように、無傷のメレクが無表情で歩み寄ってきた。


「ぼ、僕を撃つのか。……鹿も、鹿も撃てないくせに!」


メレクは冷徹な眼差しで、先ほどとは明らかに異なる銃を向け、静かに言い放った。


「お前は鹿じゃねぇだろう、アレン」


魔力障壁は時に水面と小石に例えられる。

投げ込まれる小石の速度が速ければ速いほど、軽ければ軽いほど、角度が浅ければ浅いほど弾き返される。

故に銃は魔力障壁に対して無力であり、それは法的に魔力の扱いを禁じられている平民の武器として、魔道具を持つ貴族には通用しないと認識されていた。


その認識が、常識が、今日事情を知る者には衝撃として覆されるのである。


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以上です。ありがとうございました。

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異世界銃士は脱走中 佐藤すずもと @Manshurika

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