香る距離、聞きたい言葉

桜 花音

第1話

「あ……」

 終業式が終わって、冬休み中に読む本を借りようと図書室に来たら、同じクラスの高木かなでくんがいた。

 高木くんは少し視力が悪いらしく、時々黒板の字が見づらいらしい。

 隣の席の私は何度か聞かれたり、ノートを貸したりして、少し仲良くなった。

 色々不便なこともあるだろうから、前の席と代わってもらったりとか、眼鏡とかは? って言ったこともあるんだけど、前の席はうっかりうたた寝した時が怖いからって。

 確かに時々、こっくりこっくりしてる事がある。そんな時は普段よりあどけなく見えて、ドキッとしてしまう。

 眼鏡は前に作ってすぐ壊しちゃったからお母さんに怒られたし、日常生活としてはそれほど困っていないからって、新しくは作っていないらしい。

 私もノートを貸したりすることは別に嫌じゃないから、いいんだけど。むしろ嬉しいというか……。


 窓近くの席に座って本を読んでいる高木くんに、冬の陽射しがさしこんで、柔らかい雰囲気をまとっている。

 その様子が普段の教室で見る彼とは違っていて、邪魔しちゃいけないなと思った。

 それなのに……。

 

 カタンッ

 

 うっかり近くの机に腰をぶつけてしまった。当然、静かな図書室でその音は大きく響き、高木くんがこちらに視線をうつす。

 あぁ、もう。私の馬鹿。

「赤坂?」

「あ、ごめんね。邪魔して。ど、どうぞそのまま読み続けてっ」

 なんとなく恥ずかしくて、慌てて私は高木くんに背を向けて、小説のコーナーへと競歩のように足を進める。

 

 心臓がバクバクしながら、どうにか本棚に並ぶ背表紙に視線を向ける。でも全然お目当てのタイトルを探す心中じゃない。

 なんか邪魔しちゃった罪悪感と、もっと見ていたかったあの空間を壊してしまった残念感。

 はぁっ……。とりあえず本を探そう。私の本来の目的はそこなんだから。

 大好きな作家さんの新作が先月発売された。高校生のお小遣いじゃ、そうそう単行本なんて買えない。図書室にリクエストして入れてもらえたんだ。

「えーっと、か行の……」

「探してるのは、ひょっとしてこの本?」

「え?」


 後ろから声がして振り返れば、高木くんが立っていた。手には私が今、まさに探している本を持って。

「あっ!!」

 声を出して思わず口をふさぐ。図書室なんだから、大声出したら響いちゃう。

 さっき物音でやったばっかりなのにーっ

 また恥ずかしくなって思わず膝を抱える。

「赤坂? どうした?」

 心配そうな声が上から降ってくる。

「ううん。大きい声出しちゃったから、恥ずかしいだけ」

「なんだ。大丈夫だよ。今、図書室は誰もいないし」

「へ……?」

 誰もいない?


「俺、図書委員。うちの図書室、もともと利用者少ないし。終業式の日に来るのなんて、赤坂くらいじゃないの?」

「嘘。終業式こそくるんじゃない? 冬休み中に読む本借りようと思ったんだもん」

「そういう人もいるかもしれないけど、いまのところは来てないなあ」

「そうなんだ」

「で、これでしょ?」

 そう私に差し出してくれた本。

「そう、これ!」

 思わず受け取り胸に抱える。楽しみにしてたんだ。


「嬉しいっ。クリスマスプレゼントみたい」

 楽しみにしていた本を手にすることが出来た。図書室にリクエストしたって、それが必ず通るわけじゃない事を知っている。

 現に私も今まで何回かリクエストしたけれど、ほとんどが通らなかった。それが今回は一か月もせずに手にすることが出来るなんて。

「さっきまで俺、これ読んでたんだ」

「あ……」

 さっきの光景が思い浮かぶ。柔らかい日差しの中、静かに本をめくる彼の姿。


「じゃあ、これは高木くんが借りていくよね? まだ途中でしょ?」

「いや。もう読んだよ。今はなんとなくめくっていただけだから」

「そうなの?」

「そう。このページのところが面白くて……」

 口にしながら、彼が私に本を渡すよう手を出すので、私は素直に従った。

 本を手にした彼はパラパラとページをめくり、目的の場所を見つけた。

「ほら、ここ」

 それまで正面に立っていた彼が、そっと横に来て本の一部分を指でさす。

 本を横にスライドさせて私の方へと寄せるから、普段より彼の距離が近い。

 横を向けば触れてしまいそうな彼の頬の距離に、ドキッとする。

 それとともに、フワッと彼からはフローラルな香りがした。

 香水じゃない。柔軟剤の匂い。前にノートを見せた時にも同じ香りがして、その時に彼が言っていた。

 汗っかきだからって親が多いくらいに柔軟剤を使うんだって。少し甘いけど、ほんのり漂うその匂いは、彼にぴったりだと思った。

 その匂いが、机を合わせたり、何気なく机の横に立って屈んだりするときに漂ってきて、そのたびにときめいてしまっていた。


「赤坂? 顔、赤い。どうかした?」

「あ、あのっっ。ち、近すぎて……」

「あぁ、ごめん。嫌だった?」

「嫌じゃなくて、そのっ、いい香りがするなー、なんて」


 あーっもう! 私、なに言ってるの?

 確かにそう思ったけど、それを口にするなんて、恥ずかしいにもほどがある。


「そう? 赤坂の方がいい匂いするけどな」

「へ……?」

 隣にいた彼が、私の髪にそっと寄せてくる。

「ほら。シャンプーの匂い。優しい匂いがする」

「――――っっ!!」


 驚いて思わず彼との距離をとれば、彼も少し恥ずかしそうに顔を赤らめる。

「ノートを借りたりして、机をくっつけて授業を受けるたびに思ってたんだ。いい匂いだな。優しい赤坂にぴったりだなって」

「え?」


 それ、私と一緒だ。

 同じようなことを思っていたことに、驚いてしまう。


「本当は今日。赤坂がくるのを待ってたんだ。きっとこの本を借りに来るだろうと思ったし、クリスマスの勢いを借りないと伝えられないと思ったから」

「え……?」

「俺は……」




「ただいまあぁ」

 玄関から聞こえてきた声に、ふっと我に返る。

 どうやら洗濯物を畳みながらうたたねしてしまったみたいだ。

「恵那?」

「あ、ごめん。うっかり寝ちゃったみたい。お帰り」

 慌てて立ち上がろうとすると、そっと身体を支えられた。

「ふふっ。ありがとう」

 お礼を言うとともに、そのままギュッとしがみつく。

「恵那? どうした?」

 突然しがみついた私をそっと包み込むように、優しく抱きしめ返してくれる。

 彼の胸元から香るのは、香水じゃなくて柔軟剤の香り。

「高校のころの夢を見てたの」

「えぇー……。忘れてほしいんだけどなあ」

「忘れないわよ。とっても嬉しくて幸せな想い出なんだから」

「そりゃあ、今こうして一緒にいられるのは、あの時勇気を出したからだけどさ」

「ねぇ、聞かせてくれる?」

 抱きしめられたまま見上げて彼にお願いすれば、彼は優しく微笑んでくれる。

「何回でも言うよ」


 何度だって。これからも聞かせてね。

 ずっとずっと。

 この香りとぬくもりに包まれて。何度だって聞きたいの。

 そして何度も伝えたいの。

 あの頃よりもずっと、もっと好きになるから。

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