第4話 サッカーが大好きだから

 礒谷コーチの息子であり、チームメイトでもある裕也と共に、藍斗はコーチの車に乗る。


 裕也とはよく遊んでいて、磯谷家にもよくお世話になっている。しかし、今回は遊びに行くわけじゃない。


 磯山家に入ると、裕也は席を外すようコーチに言われ不満そうに自室に去っていった。「後でゲームやろうぜ!」なんて、藍斗に約束を取り付けて。



「──さて!俺の部屋で話すよ。色々準備したし」


 礒谷コーチは張り切った様子で、藍斗を自室に案内した。


 *



 礒谷コーチの部屋は随分と質素だった。机、椅子、ベッド、ローテーブル、本棚……必要最低限のものしか無いように見える。

 かと思いきや、本棚にはサッカー関連の本や漫画が、無造作な順序で並んでいる。どうやら本棚は彼の趣味の縮図らしい。


「すげーだろ、俺の自慢の本棚」


 藍斗が本棚を気にしてるのを見て、礒谷コーチは嬉しそうににやけた。


「いや……もすこし整理した方がいいじゃない、て思った」

「あ、ハイ、すみません……まあ、ハイ、座っておくんなされ」


 明らかに何らかのダメージをメンタルに負っている。よほど自分の本棚に自信を持っていたらしい。コレクションならそれらしく置けばいいのに、と藍斗は内心首をかしげた。


「分かってくれると思ったんだがなぁ……」

「ふつうにさ、散らかってると見た目悪いんじゃない」

「子供ってどうして素直。まあ、うん……とりあえず、話したいこと話すわ」


 礒谷コーチは非常に残念そうだったが、何とか気持ちを切り替えたらしい。藍斗はよく理解できなかったが、まあいいか、と思うことにした。

 机の上にあった大きなホワイトボードを広いあげ、ローテーブルに置いた。丸型の小型マグネットが赤青2色、合計22個、貼り付けられている。


「これなーんだ」

「戦術考える時とか、監督がよくなんか使ってる……敵味方の陣形フォーメーションとか、諸々イメージするときのじゃん」

「正解。て、まあ、知ってるかそりゃ、当たり前か……こいつを使いながら話しよう」


 コーチはこなれた手つきで、マグネットを取り除き、8個の赤のマグネットだけを残した。

 そして、赤のマグネットを使い、陣形フォーメーションを作っていく。どこか見慣れた形だ、と藍斗は思い、尋ねる。


「俺らの陣形フォーメーションじゃない?それ」

「その通り」


 甲坂西部少年団の、基礎陣形フォーメーションとなる4-2-1(※1)

 藍斗のポジションは最前線のフォワードとなる。そこを、磯谷コーチは指さす。


「まず、藍斗の今の状況から確認しようか。させてくれ」

「ん?……わかった」


 とりあえず藍斗は素直にうなずいた。

 それを確認し、磯谷コーチは「よし……」と小声でタメを作ってから、話を切り出した。


「15分の制限時間付きで出せる、偽9番ファルソ・ヌエベ(※2)のエースだよな。特別に守備のタスクを放棄することを許されているが……自分で理由はわかるな?」

「そりゃあさ、ボール持ってきてくれたら、俺なら、必ずチャンス作れるからな」


 藍斗の口角が、すごいだろ、とでも言いたげに自信満々に吊り上がる。

 それは、このチームで積み上げてきた実績と、彼の圧倒的な個の力────技術力・スポーツIQ・視野の広さの表れともいえる表情だった。


「中学でも同じこと、やれると思うか?」


 間入れずに磯谷コーチは詰めにかかる。いつもの優しい笑顔で。

 藍斗の自信に満ちていた顔が、ピキリと張り付いた。


「う、いやぁー……」

「……さて、考えてなかったな。考えとくとか言っておいてさぁ?このやろー」


 図星を言い当てられ、藍斗の全身が火を浴びたように熱くなる。変な汗が出そうだ。

 磯谷コーチはローテーブルの下で、藍斗を足で小突いてげらげら笑った。


「そんな顔すんな……!どうせそうだろうと思って呼んでるんだから。これから考えりゃいい」



 *



「さて、早速これからの話だが……」


 笑いが落ち着いたのち、水をコップに入れて持ってきてから、磯谷コーチは本題に入る。


「藍斗はどんな選手になりたいと思ってる?」

「えと……メッシ(※3)、とか?」

「違う違う。具体的な選手名以外で、こう、理想とか無い?」


 腕を組み、藍斗は下を向いて考える。

 レインと混ざり合ってしまった今の自分は、サッカーを楽しむことだけで満足できない。常に上を見据え、勝たなければ楽しくなくなっているように感じる。

 そこまで考えて、ふと、自然と言葉が出てきた。


「勝ちたい。チームを勝たせたい。そういう選手がいい。なりたい」

「それが理想?」

「うん、多分。最近もっと上目指したいと思って……」

「なるほど……先週言ったように、なおのこと、今の藍斗じゃこの先無理だぞ」

「それでもサッカーに。このポジションに拘りたい……そう、そうだ。好きで、憧れなんだ」


 磯谷コーチは藍斗にうなずきかえす。

 藍斗の瞳が炎のようにきらめいていた。彼は自分の気持ちを今、自分で確かめている。

 かつて諦め、内心に閉じ込め、今も迷っている『日本代表になりたい』気持ちを。


「俺さ、ロナウジーニョ(※4)ってサッカー選手見て、プロになりたいって思って、小2で甲坂に来たんだ。喘息で諦めたけど……それじゃダメだって、最近思うようになって迷ってた。走れなきゃ無理なんは知ってるから」

「……ああ、無理だ。俺はそう思う。現実的じゃない」

「それでも、目指したい……つったら、磯谷コーチは嗤う?」


 磯谷コーチを見つめる藍斗の眉間にしわが寄る。声が少し震える。ぎこちない、固い笑みを浮かべながら。

 藍斗は自分の気持ちを確信してしまった。内心捨てきれなかった、レインに焚きつけられ想い出した、大好きなサッカーの夢。日本代表になるという、大それた夢。


 ────悲壮にも見える彼の表情に、磯谷コーチは息を呑んだ。


「……嗤わないよ」


 そう1言返し、諦めたように目を伏せる。ホワイトボードを机上から降ろした。

 本当は藍斗に違う道を勧めようと思っていた。先週提案した3通りの道を、彼の希望を極力曲げないようにして、選んでほしかった。


 だが、今の藍斗を見て無理だと悟った。






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【第4話サッカー用語解説】


※1 4-2-1

後方のディフェンダー(DF)4人、中盤のミッドフィルダー(MF)2人、前方フォワード(FW)1人の陣形フォーメーションの略称。少年サッカーは8人制がほとんどらしいので、それっぽくしました。(作者のオッサンが子供の頃とは違いすぎる……)


この数字の羅列は、他の陣形フォーメーションも表せる。4-4-2とか。


・4-3-1(甲坂西部少年団)の図を用意しておきました。(https://cdn-static.kakuyomu.jp/image/p5Oqwrs1)


※2 偽9番ファルソ・ヌエベ

通常は最前線に位置どるセンターフォワード(CF)だが、偽9ファルソ・ヌエベのセンターフォワードは実質的にミッドフィルダーの役割の一つであるトップ下(OMF)のようにプレーし、攻撃のパターンに多様性をもたらす。

システム的に攻撃が偽9番に依存しやすい分、得点力も求められ、攻撃においてかなり高水準な能力が必要なポジション。


※3 メッシ

サッカー史上最高の選手の一人。神。

全てを手に入れ過ぎてて、語ることが逆にない。


※4ロナウジーニョ

人によっては史上最高の選手という位のレジェンド。

創造性に富んだ『魅せるサッカー』で敵味方問わず観るものを魅了した。

2005年。FCバルセロナとレアルマドリードのライバルチーム対決(エル・クラシコ)にて。大活躍したバルセロナ所属のロナウジーニョに、レアルマドリードのサポーターがスタンディングオベーションを送ったのは、未だに語り草。

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