第2話 現世

 神戸藍斗こうべらんとは、特色ない中流家庭の1人っ子だった。


 特色ない、普通、というのは案外恵まれている。


 家族仲は悪くないし、むしろ良い方だろう。ただ時にギャーギャー喧嘩はするし不満もある。それでも暴力は1度もない。

 貧乏でも金持ちでも無いが、両親は藍斗のやりたい事を極力尊重してくれる。


 おかげで彼は捻くれずに、ある程度社交的な子供に育っている。

 いじめとも無縁で、友達も多い。


 だけど、藍斗には1つだけ不満があった。

 小1から始めたサッカーで、試合を通して走れなかったことだ。

 理由は彼の持病の『喘息ぜんそく』だ。


 1試合に15分以上の出場を医者に禁じられている。


 インターバルを挟み呼吸を整えれば、練習には参加可能だったが、試合ではそうもいかない。

 サッカーは1度交代した選手をフィールドに戻すことはできないスポーツであり、公式戦では選手の交代回数に制限が設けられる。


 公式戦であれば、彼が出場できるのは後半途中────試合終了までの15分間以内か。

 限られた交代枠(大抵6つ以内のレギュレーション)を2つ消費する前提で、15分のみ途中出場をするか。

 最初から15分だけ出場するか。

 の3択だった。


 小学生ルールである、前後半20分ずつの試合時間と、子供用の小さなフィールドであれば、藍斗はまだ起用しやすかった。

 だが、試合時間が総計20分増え、大人用の大きなフィールドになる中学生からは、こうも上手くは行かなくなるだろうことは、彼自身、想像にかたくなかった。


 それでも藍斗はサッカーをやめなかった。

 サッカーが好きだったから。

 そして、走れない自分をオフェンスのエースとして受け入れてくれた、サッカーチーム『甲坂西部少年団』のみんなが大好きだったから。


 藍斗には地方の小さなサッカークラブでは収まらない様な、確かな才能があった。

 背丈こそ小さいが、ボールを扱う天性の技術に長け、スピードもある。

 前を向けば、並みのチームではまず止められない。必ず、チャンスかゴールを生み出せた。


 しかし特にすさまじいのは、尋常ではない視野の広さだった。

 それを象徴する、仲間たちの中で伝説のように語られるシーンがあった。


 ある時の練習試合。攻撃の際、左サイドから低い弾道のクロス(※1)が蹴りこまれた。

 だが、ボールに向かって走りこむ藍斗は、思い切り空振りをして体勢を崩す……シュートブロックのために飛び込んだディフェンダー二人も呆気にとられる。誰もがミスを確信した。中、彼は確信したように叫んだのだ。

「撃て!」


 右サイドから走りこんできた仲間は、慌ててトラップ(※2)をしてからシュートを打てるほど余裕があった。試合はこのゴールが決勝点となった。


「は?俺が本気であんな空振りするわけねーじゃん」

 本気でミスった?とチームメイトに聞かれた藍斗は、ムスッとした顔でそう答えた。

 チームはおろか、市内でも1番上手い同年代である彼のいうことは妙に信ぴょう性があり、チームメイトたちは一部疑心暗鬼ながらも信じ、彼の視野の広さに愕然としたのだった。



 とにかく────神戸藍斗はサッカーの才能はあるが、持病で長時間プレーできない。

 恵まれてるのかそうじゃないのか分からないけど。幸せな、普通の小学6年生の男の子だった。


 *


 そんな彼の日常が突如壊れたのは、夏休み終わり際の練習試合のこと。


 藍斗は左サイドからの高めクロスに反応し、ヘディングシュートで対応しようとしたが……。

 ボールを取ろうと飛び込んだ相手のゴールキーパーと激しく交錯。

 肘を頭部にモロ喰らって失神してしまった。


 その後、彼は緊急搬送先の病院で、悪夢から醒めた。

 そして自分の前世がレインであり、これまで異常に広かった自分の視野は神の加護『鷹の眼』によるものだと、確信した。


「脳震盪を起こしておりますので、1週間は安静にお願いします。激しい運動は控えるよう…………」

「はい。はい。わかりました、ありがとうございます…………」


 即日退院が決まった際の、親と医者の会話も頭に入ってこない。

 頭がガンっガンに痛む。

 自分がレインであるのか神戸藍斗であるのか。その境界線は完全に溶けてしまっていた。


(おかしくなりそう……俺って俺なの?)


 そんな不毛なことを考えていたら、いつのまにか母親の車に乗っていたことに、藍斗は気づいた。

 藍斗はもう疲れ果てていたので、何も考えずに母親に尋ねた。


「母さん。俺、前世の記憶あるかもしれん」

「え、なに!?前世?頭大丈夫か?」


 なんかオロオロされて恥ずかしくなってきたので「待って今の冗談だから」と濁しておいた。

 そりゃ周りからしたら俺は神戸藍斗以外にあり得ない。


(少し考えれば想像できそうなことを……帰ったらベッドで寝て過ごすか)


 そして彼は数時間後に、家族共用PCの検索履歴に

【息子 中二病】

【厨二病とは】

【息子 厨二病 接し方】

 と記されている悲劇を経験し、2度とレインの記憶を人前で匂わせないことを魂に誓った。


 だけど。

 レインの記憶はあるけど、俺はあくまで神戸藍斗なんだ。

 そう割り切って過ごすには、レインの存在はあまりにも大きすぎたことを。

 そして将来的に、自分の価値観にも影響を与えていくことを、藍斗は想像すらできなかった。






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【第2話サッカー用語解説】


 ※1『クロス』

 別名センタリングともいうが、クロスの方がグローバルかも。

 フィールドを横切る様な軌道のボールを、敵陣ゴール前に放り込み、得点へ繋げるパスのこと。



 ※2『トラップ』

 飛んできたボールを、身体で受け止める技術の総称。

 最も重要な基礎テクニックのひとつであり、分類や派生テクニックが幅広い。

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