第3話 違和感
明らかに変だ。
2週間ぶりに甲坂西部少年団の練習に復帰した藍斗は、自分の気持ちが落ち着かないことに気がついた。
いや、退院したその日からずっと焦っているのだ。それがサッカーに触れた瞬間、爆発するように膨らんでしまった。
(みんなと楽しくサッカーできたら満足だったはずなのに。なのに、もっと、試合に出たい練習したい……出れないのはわかってるけど)
妙な焦燥感の原因は粗方、分かっているつもりだ。レインとしての記憶が、彼の現状に警鐘を鳴らし続けている。レインは向上心の強い男だった。だから、レインの残り香のような人格が、怒りを纏って、ずっと心の芯に訴えかけてくる。
「お前はつまらないやつだ」と。
しかしレインは片田舎の狭い世界の中で自分の力を過信し、世界の広さに焦り、最悪の結末を迎えた。
半ばトラウマと化した記憶に、今の自分を重ねている。そして、かつて諦めた『日本代表』になりたいという夢を、レインは焚き付けてくる。
(今の俺はどうなんだろう。怖い。レインと同じ道を歩いてやしないだろか……死ぬことはないだろうけど)
「ねえ、磯谷コーチ。相談したいことがある」
自身に設定している、練習のインターバル中に、隣にいるコーチの一人に話しかける。
地域のサッカー少年団というのは、あらゆる大人・保護者たちの善意で成り立っている。
磯谷コーチもまた善意を提供してくれる保護者の1人。彼の息子は藍斗のチームメイトでもあった。
何より磯谷コーチは穏やかで優しく話しやすい。保護者と子供の双方から人気がある。藍斗もまた、普段から彼によく頼っていた。
磯谷コーチは柔和な笑みで藍斗に向き直る。
「お、どうした」
「これは、もしも。もしもの話」
「うん」
「俺、このチームが好きだし、よくしてもらってる。ここで幸せなんだけど……もし、上のレベルのチーム。例えば、
磯谷コーチは少し困ったように苦笑いを浮かべた。
我ながら答えにくい質問をしてしまったかな、と藍斗は少し後悔する。その肩を磯谷コーチはしゃがんで、大きくて分厚い両手で、ぽんと包み込んで。少しだけ真面目腐った表情で語りかけた。
「多分、無理だろうね。入団もできない」
「うん、そう、だよねぇ……」
走れない人間は土俵にも立てない。分かってはいたが、改めて言われると少しショックだ。
「藍斗は走れない。だから、こんなに上手いのに、地区トレセン(※1)にすら入れなかった。もうすぐ中学生だし、そしたら、フィールドも広くなるし試合時間も多くなるしな。戦術的タスクも増える。厳しくなるぞ」
「……俺、どうすればいいかな」
ぼそ、思ってもみなかった弱音が出た。藍斗自身も、これが自分の本心に近いのだろうと、なんとなく理解していた。
本当はもっと、憧れたプロ選手達のように、フィールドを縦横無尽に駆け回りたかった。
サッカーの楽しさをもっと、噛み締めることができるような身体でありたかった。
涙が出そうになって、藍斗はコーチから顔を背ける。
「……藍斗のサッカーに残された道はいくつかある」
磯谷コーチはいつもの様にヘラヘラ笑うこともない。藍斗の未来を想うからこそ、彼は毅然と現実を伝える。たとえそれが、残酷なことだろうと。
「1つめは、プレイヤーをやめ、チームサポートの立場に回ること。2つ、
「いや、コーチ、大丈夫…………考えてみるよ。ありがとう。そろそろ時間だから行ってくる」
「おう、いってらっしゃい」
言葉にするとあまりにも重たい事実に、藍斗は心が折れかける。
それでも、藍斗はサッカーを愛していた。
やめる選択肢は、絶対に選びたくなかった。サッカーに拘っていたい気持ちで、満ちていた。
サッカーのおかげで、友達に恵まれたし、毎日が楽しい。毎週土日の練習日が待ち遠しくて仕方ない。サッカーをしていたい。もっと、みんなと走りたい。
──そんな日常が終わるのは、嫌だ。
インターバルを終え、試合練習に混じった藍斗は、フィールドでまた輝きを放つ。
珍しく仲間に手心を抜かない姿はどこか、いつにも増して必死で、焦燥に駆られているようで。
礒谷コーチはその姿を見て、胸が苦しくなって。拳を握りしめた。
*
答えが出ないまま、次の週を迎えてしまった。
(何逃げてんだろな、俺)
藍斗は自分に呆れ果てていた。
差し迫った将来の危機に、向き合えない自分がいる。正直この1週間は、それについて考えることすら億劫だった。
この悩みは親にすら話せなかった。話したところで「好きにすればええ」しか言われないだろうし。
そして、また練習を楽しむだけ楽しんで、危機から逃げようとしているのかと、後ろめたい感情を抱えたまま、スパイクの紐を結ぶ。
練習開始の5分前、学校のグラウンドに駆け出そうとしたその時。
礒谷コーチが藍斗を呼び止めた。
「藍斗!少しいいか?」
「なに?」
「今日の午後、空いてる?」
「うん、空いてるけど……」
「うちに来て欲しい。藍斗のサッカーについて、俺から話したいことがある。親御さんの了承はとった」
礒谷コーチにしては珍しい、なんだか有無を言わさないような約束の取り付け方。
その勢いに、藍斗は思わず頷いてしまった。
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【第3話サッカー用語解説】
※1トレセン
トレーニングセンターの略。平たくいえば"選抜"のこと。細かい区分を省けば、大雑把には地区(地域)、県、地方、日本(ナショナル)に分かれてた、はず。←
高いレベルの選手同士でトレーニングすることで、個々のさらなる技術の向上を目指す意図がある。
※2 フィールドプレイヤー
ゴールキーパーを除くポジションの総称。
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