その気

七月に入り、より一層暑い日が続く。


バレー部の大樹だいきは、部活が終わって、男臭い部室で流れ出る汗を拭く。

拭いてもなかなか汗が止まることはなく、スポーツドリンクを煽って、大きく息を吐き出した。


練習こそ室内の体育館だが、直射日光が当たらないというだけで、体感温度は外と大して変わらないんじゃないだろうか。

実際、今日は日中体育の授業中に熱中症で倒れた女子がいたし、この分だと、室内でも激しい運動は制限されるようになるかもしれない。



着替えを終えて外に出ると、先輩部員に女子生徒が何かを渡しているのが見えた。

受け取って、親しげな様子で一緒に歩いて行くのを見るに、彼女なのだろうか。


「あれ、多分手作りだぜ」


隣に立って言ったのは、同じ部の同級生、あつしだ。

短髪の頭から掛けたタオルを揺らし、羨ましそうに下唇を突き出した。


「いいよな〜、手作り。欲しいよな〜、彼女!」

「うん、手作りっていいよな……」


敦は勢いよく横を向いて、明らかに嬉しそうな顔で答えた大樹を見た。


「なに? お前もしかして、手作りスイーツくれるような子いるの!?」

「え〜? うん、まぁな」

「なんだよっ、彼女出来たなんて聞いてねぇぞ!」


敦は力任せに大樹の肩を叩く。

ニヤけていた大樹は、「いってぇ!」と身体をよじった。

しかし、そのポーズのまま困惑気味に眉根を寄せる。


「あー…、彼女じゃないんだよね」

「え? 違うの? クラスメイト?」

「いや、他校」

「他校? なんで?」

「幼馴染なんだ」


敦は数度瞬いてから、顔をしかめた。


「なんだよ、他校の子がわざわざ手作りスイーツくれるなんて、があるって言ってるようなもんじゃねぇか」

「その気って!?」

「知るかよっ!」


再び下唇を突き出した敦は、大樹のスニーカーの踵を蹴る。

「何回も痛ぇよ!」とふざけ合って笑いながら、二人は自転車置き場まで走ったのだった。




敦と校門で別れ、一人で自転車を走らせていた大樹は、改めて敦に言われたことを反芻する。


寿鈴すずがその気? 

その気って、どの気だよ!?

…………もしかして?

いやいやいや。

俺はともかく、寿鈴は恋愛対象として俺のことを見たりは……。


ぐるぐると回る考えがそこに行き着いて、大樹はギュッとブレーキを握る。

急ブレーキで止まった自転車のハンドルを強く握りしめたまま、自分の鼓動が速くなっていることを自覚する。



俺はともかく?

……俺はともかくって、なんだよ!?



はぁ、と熱い息を吐いて、大樹はハンドルにもたれ掛かった。

鼓動が速いのは、自転車を漕いでいたからじゃない。


「俺、寿鈴が好きなんじゃん……」


口に出せば、より鼓動が速くなる。

道路の端に自転車を停めたまま、しばらく大樹は動くことが出来なかった。




公園の前を通ったのは、六時半をとうに過ぎていた。

何気なく習慣でベンチの方へ視線を向けた大樹は、そこに寿鈴の姿を見つけて、飛び上がりそうに驚いた。


俺、こんなタイミングで寿鈴と顔を合わせるのか!?


そう思った途端、寿鈴の顔色に気付いて、公園の入口に自転車を投げ出して大樹は走った。


「寿鈴!」

「あ、だいちゃん」


嬉しそうに笑った寿鈴の顔は、しかし、どう見ても赤い。

このベンチ周辺には日陰がないのだ。


「大丈夫!? 顔赤いよ!」

「え? 大丈夫だよ。帽子も被ってたし……」


寿鈴の頭には、目にも鮮やかな南青高校の青いスクールキャップがあったが、この時期、日向に長い時間居れば、そんなものはの大して役に立たない。

しかも夕方とはいえ、気温は本日の最高気温からほとんど下がっていないのだ。


「大丈夫じゃない!」


大樹の勢いに、寿鈴は驚いて笑顔を消した。


「あ、ごめん、でも熱中症を甘く見ちゃ駄目だって。今日も体育の時間に倒れた奴がいて……、それはいいや。とにかく、ちょっとそこのコンビニに行って涼もう」


公園から見えるコンビニを指してから、ベンチに座る寿鈴の前に、大樹が背中を向けて屈んだ。


「え、なに?」

「おんぶしてってやるから」

「えっ!? ヤダ!」


ガーーーンッ!

ヤ、ヤダ!?


「なんで!? おんぶなんか何回もしたことあるだろ?」

「そんなの小学校の時でしょ! もう、自分で歩けるから大丈夫! 行こ!」


寿鈴はササッと立ち上がって荷物を持つと、自転車を置いてある公園の入口に向かって歩き始めた。

何となく早足なのはなんでだろう。


「だいちゃん、早く」

「え、あ、うん」


腑に落ちないぞ。

そう思いつつ、大樹は大人しく寿鈴に従って自転車を押し、コンビニに向かった。



コンビニのイートインスペースには、ちょうど誰もいなくて、二人は冷たい飲み物を買ってそこに落ち着いた。


「だいちゃん、これ、あげる」


そう言って渡された小さな保冷袋には、保冷剤と共に、透明のカップに入ったゼリーがひとつ。

ゼリーはよく見れば、涼し気な水色と白が二層になっていて、その中にさくらんぼで作った赤い金魚が浮かんでいる。


「……すごい。金魚鉢みたいだな」

「今日作ったの。とってもきれいでしょ? コンビニじゃ食べられないから、持って帰って食べてね」


ペットボトルを頬に当てる寿鈴の顔は、少し赤みが引いている。


「ありがとう。でも寿鈴、いつから公園にいたんだ?」

「えと……、十五分くらい前だよ?」


寿鈴の様子から、それが嘘だとすぐに分かった。

寿鈴は嘘をつく時、必ずうつむき加減に前髪を触るのだ。

まあ、そのクセがなくたって、雰囲気で大樹には何となく分かるのだが。


「暑いのに、なんで日陰にいなかったの?」

「だって、日陰のベンチだと、前の道路から見えないんだもの……。あ、ちゃんとね、六時半まで待ってだいちゃんが通らなかったら、帰ろうって思ってたんだよ?」


大樹はペットボトルを口に付けようとして、止まる。

公園で見た時計、六時半過ぎてたし!



俺のこと、ずっと持ってたんだよね?

会いたかった、とか?

ホントはいつまで待つつもりだったんだよ……。


なんだか顔が熱くなってきて、出来るだけ自然に顔を背けて、大樹は荷物からスマホを取り出した。


「寿鈴、連絡先交換しよう」


親がスマホを持たせてくれたのは高校入学後だったので、寿鈴の登録はされていなかった。

この際、今回のことを口実に連絡先を交換しちゃってもいいだろう。


「えっ、いいの!?」


思いの外寿鈴が前のめりになって尋ねるので、大樹の方が面食らった。


「だって、連絡先知ってたら、今回みたいに暑いとこで待たなくて良くなるだろ」

「うん、そうだよね」


ペットボトルを置いて、いそいそとスマホを取り出した寿鈴は、シンプルなチェック柄の手帳型カバーを開くと、一拍置いて、大樹を見上げた。


「だいちゃん、下校中に待つ時じゃなくても、メール送っていい?」

「も、もちろん……」



があるって言ってるようなもんじゃねぇか』



敦の言葉が甦り、鼓動が跳ね上がった大樹を知るはずもなく、寿鈴は嬉しそうにスマホを向けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る